カウンタックと気絶した店長

志乃原七海

第1話「美女が猛牛にまたがる時、オーナーの意識は彼方へ飛んだ。」



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### 【エピソード】深紅の猛牛と、気絶した店長


ファッション誌『GRACE』の特集ページの撮影日。ロケ地に選ばれたのは、都心の一角に静かに佇むビンテージカーディーラーだった。


磨き上げられたコンクリートの床に、ガラス張りの壁面。ショールームに差し込む柔らかな光が、並べられた名車たちを芸術品のように照らし出している。その中央に鎮座するのが、本日の“共演者”――燃えるような赤をまとった「ランボルギーニ・カウンタック 25th アニバーサリー」。


「田中店長、本日はよろしくお願いします!素晴らしいコンディションですね…」

編集者が興奮気味に声をかけると、店長の田中さんは我が子を自慢するように目を細めた。

「ええ、愛情をかけてますから。なにせ時価5000万円、二度とこの状態では手に入らない宝物でして…」


やがて、モデルのRINAさんが現場に入ると、ショールームの空気が一変した。しなやかな肢体とクールな表情。彼女がカウンタックの横に立った瞬間、そこにいた誰もが息をのんだ。美女と猛牛。これ以上ない完璧な組み合わせだ。


「いいね、最高だよ!」


カメラマンの声が響き、撮影は順調に滑り出した。しかし、田中さんの穏やかだった表情が、徐々に曇り始める。


「RINAさん、すごくいい!じゃあ、ちょっとクルマに手を付いてみようか?」


カシャッ、カシャッ!とシャッターが切られる。RINAさんが、華奢な指先を深紅のボンネットにそっと置く。

(…おいおい、指輪してるじゃないか…傷がついたらどうするんだ…)

田中さんの額に、一筋の汗が流れた。


「うん、いい感じ!じゃあ次は、肘をついて、もっと寄りかかってみて!」


カメラマンの指示はエスカレートしていく。RINAさんはプロとして完璧に応え、上半身を預けるようにカウンタックにもたれかかった。その姿は、確かに絵になる。だが、田中さんの心臓は大きく跳ねた。


(や、やめてくれ…!その一点に体重をかけるな!ミクロン単位で塗装が歪む…!)


口には出せず、引きつった笑顔で撮影を見守る。しかし、彼の心の叫びが聞こえるはずもなく、カメラマンはさらに大胆な要求を繰り出す。


「素晴らしい!まるでクルマが君の体の一部みたいだ!よし、RINAさん、もっと大胆にいってみようか?思い切って…」


ゴクリ、と田中さんが喉を鳴らす。頼む、それ以上はやめてくれ。


**「女豹のポーズ、いってみようか?」**


その言葉が、最後の引き金だった。


田中さんの目には、RINAさんがボンネットの上に四つん這いになり、妖艶な笑みを浮かべる姿がスローモーションで再生された。5000万円の芸術品が、ただのジャングルジムに変わる瞬間。ボディのきしみ、指紋、ベルトのバックルが塗装に描くであろう無慈悲な線…!


「あ……」


田中さんの口から、か細い声が漏れた。視界がぐにゃりと歪み、カメラマンの「いいねー!」という声が遠のいていく。


「…て……やめてぇぇぇ……」


それは、誰にも届かない魂の叫びだった。


次の瞬間、ドンッという鈍い音と共に、田中さんは糸が切れた人形のように、その場に静かに崩れ落ちた。


「えっ!?」「店長!?」「田中さーん!!」


突然の出来事に、撮影は中断。シャッター音は止み、ショールームは騒然となった。

床に倒れ伏し、薄目を開けた田中さんの最後の意識には、深紅のカウンタックの上で戸惑う、美しい“女豹”の姿が映っていたという。

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