母がいない間だけ、幼馴染が俺の料理を食べに来る
@bontam9
第1話 俺と幼馴染の奇妙な関係
家庭科室に、鶏ガラの匂いが漂っている。
コンロの上の鍋では、水炊きが静かに煮えていた。
白く濁ったスープの中で、鶏肉と野菜がゆっくり揺れている。
向かいの席で、前田夏希まえだなつきが黙ってそれを見ていた。
陸上部のジャージ姿。
少し疲れた顔で、箸を持っている。
「……もう、いい?」
「ああ」
俺は火を弱め、鍋を彼女の前に寄せた。
夏希は遠慮がちに鶏肉を一つ取って、口に運ぶ。少しの咀嚼音とほぼ同時に箸が止まる。
「……おいしい」
小さな声だったが、ちゃんと聞こえた。内心こちらもホッとする。
水炊きは、俺の得意料理だ。
手羽先や手羽元を使って、時間をかけて出汁を取る。鶏ガラを使うのが1番だと思ったが、実際の所味に大きな違いはなかったな、骨から味さえ出れば良いのだ。
料理部に入ってからも、何度か作ってきた。
……ただし、家族以外の誰かと一緒に食べるのは、今日が初めてだった。
料理部は、今は俺一人しかいない。
放課後の家庭科室は静かで、調理台と鍋の音だけがある。
そこに、夏希がいるのが、まだ少し不思議だった。
俺たちは幼馴染だが、仲がいいわけじゃない。
小さい頃から家が近くて、なんとなく一緒にいることが多かっただけ。
話すのも得意じゃなくて、黙っている時間の方が長かった。
そんな相手と、同じ鍋をつついている。
どう考えても、距離が近すぎる。
こうなったきっかけは、ついさっき去っていった顧問が原因だ。
「脇阪、こいつに飯食わせてやれ」
料理部でいつも通り一人で調理していた俺のところに、顧問が夏希を連れてきて、そう言った。
「最近、ちゃんとした飯食えてないんだとよ。料理部として、な?」
大の大人がウインクするな。……まぁだが、俺だって一応理由は知っている。
夏希の母親が入院したらしい。詳しいことは聞いていない。
でも、きっと、家でちゃんとまともな食事を取れていないのだろう。
俺は何も言わず、水炊きを二人分用意した。
それが、この関係の始まりだった。
「……ごちそうさま」
鍋がほとんど空になって、夏希がそう言った。
「お粗末さま。良く食ったなぁ」
俺としてはただの感想だったのだが、夏希が俺の言動に頬を赤くする。沢山食ってくれた方が作った側としては嬉しいんだけどな。
「……明日も、来ていい?」
お願いというより、確認みたいな言い方だった。
「……別に、こっちの部活休みじゃない日は、来れば良いんじゃないか?」
俺が答えると、夏希は少しだけ安心したようにうなずいた。
その日の帰り道。
夜の住宅街を二人で並んで歩きながら、夏希がぽつりと言った。
「……母さん、しばらく帰ってこない」
「……そうか」
それだけの会話だったのに、胸の奥が少し重くなった。
この関係は、たぶん、しばらく続く。
――彼女の母親が帰ってくるまでの、間だけ。その重さが、心配なのか、それとも別の何かなのか。俺には、まだ分からなかった。
「……ごめん」
「何に謝ってんの?」
「えっと……ううん……なんでもない、ごめんね?」
夏希も分かっているんだろう、この奇妙な関係が続いてしまうと。
ただご飯を食べているだけのはずなのに、
もう、昔みたいな幼馴染の距離には戻れない気がしていた。
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