魔王の身体をフル・オーバーライド――殺された幼馴染を救うため、無力な技師が並行世界の神を乗っ取る
いぬがみとうま
第1話:日常と、世界の分岐
指先の感覚に、全神経を集中させる。
ピンセットで掴んだ極小のバイオチップを、エリスが愛用している「採集用マナ・センサー」の基板へ慎重に配置した。わずかコンマ数ミリのズレも許されない。
こめかみを汗が伝う。
俺は傍らに置いた古代遺物――自作のARレンズを装着し、拡大倍率を最大まで引き上げた。
視界に重なる透過ウィンドウが、チップと端子の接合部を赤く強調する。
ハンダごてを、ゆっくりと下ろした。
シュッ、と微かな音がして、銀色の合金が流動的に回路を繋ぎ止める。
「……よし。これで通電テストはパスするはずだ」
息を吐き、俺はレンズの倍率を標準に戻した。
作業場の窓の外には、いつものように世界樹ユグドラシルの広大な枝葉が広がっている。
見渡す限りの緑。雲海を突き抜けてそびえ立つ巨木。
その葉一枚が、村一つを支えるほどの面積を持つこの世界は、あまりにも有機的で、完璧なまでに美しかった。
「ありがとう、カイト! これがないと、マナ濃度の高い薬草を見つけるのが大変なの」
隣で覗き込んでいたエリスが、花が咲くような笑みを浮かべた。
彼女が差し出した採集用のバスケットからは、摘みたてのハーブが爽やかな香りを放っている。
俺は修理したデバイスを彼女に手渡しつつ、左目の奥に走る奇妙な鈍痛を堪えた。
その時だった。
俺のレンズ越しに、世界の「綻び」が見えたのは。
エリスが笑う背景。
風に揺れるユグドラシルの若葉、その表面のテクスチャが不自然に剥がれ、一瞬だけ背後の虚空が露出した。
それは幾何学的なグリッド線。色も形もない、ただの演算領域だ。
「……またノイズか」
思わず呟きが漏れる。
ここ数ヶ月、世界のあちこちでこうした「レンダリングミス」が頻発している。
誰に言っても信じてもらえない。
だが、俺の技師としての感覚は、この現象に明確な警告を発していた。
この世界を定義している演算装置が、処理の限界を超えようとしている。
俺は視線を上げ、天を仰いだ。
そこには、緑の世界に似つかわしくない、もう一つの絶望があった。
巨大な機械惑星『ネメシス』。
世界樹の頂に突き刺さり、幾万ものパイプを通してこの大地のマナを吸い上げる、無機質な略奪者。
ネメシスに侵食された空は、どろりとした赤紫色に淀んでいた。
「カイト……? どうしたの、そんなに空を睨んで」
エリスが不安げに俺の手を取る。
彼女の温かい手の感触。
それは、この世界に流れる血の温もりだ。
それさえも、いつか計算式の塵となって消えてしまうのではないか。
俺が口を開こうとした、その瞬間。
――空が、物理的に割れた。
凄まじい電子ノイズが、ユグドラシルの大気を引き裂く。
ネメシスの表面から、無数の黒い影が放たれた。
大気圏を突破し、摩擦熱で赤く染まった金属の繭。
機械兵団――オートマの降下ポッドだ。
「逃げろッ! エリス、今すぐ村の深部へ!!」
叫んだ瞬間、俺のARレンズが激しく明滅し、視界を赤一色の警告メッセージが塗り潰した。
[ System Alert ]
局所的な時空歪曲を確認。異常演算の発生を検知しました。
敵対ユニット:スカウト・スパイダー級。数:48。
生存予測:0.00012%
「な、に……これ……」
足がすくんだエリスの背後。
空間がデジタルノイズのように乱れ、そこから多脚型の機械兵が染み出してきた。
音もなく、殺戮のプログラムが実行される。
止まれ。
止まれ、止まれ、止まれ!!
俺は駆け出そうとした。
その時、脳髄が沸騰するような衝撃とともに、レンズの表示が切り替わった。
[ Unique Skill: Future Vision(未来視) 覚醒 ]
3秒後の確定事象を演算中……。
回避ルート:右方30度へ跳躍――失敗。ユーザーの身体スペックが不足。
代替案:エリスの身代わり――失敗。致命打を避ける物理的強度が不足。
「ふざけるな……ッ!!」
視界には、これから起こる「死」の光景が、半透明の残像として投影されている。
エリスの胸を、機械兵の鋭利な脚が貫く光景。
脳内では、その結末を回避するための何万通りの計算が走っている。
だが、俺の非力な身体というデバイスが、その最適解を実行することを拒絶していた。
「カイト、逃げ――」
エリスの声が、絶たれた。
残像と同じ角度で、鋼鉄の槍が彼女を貫く。
鮮血が、俺の作業着に飛び散った。
「あああああああああああッ!!」
叫びは、虚空に消えた。
エリスの身体が、マナの粒子となって霧散していく。
機械兵団は人間を殺さない。
彼らは人間を『資源(エーテル)』へと分解し、自らの動力源として回収するのだ。
[ System Message ]
対象個体:エリス。ステータス:資源回収(LOST)。
周囲の時空崩壊が閾値を超えました。次元の亀裂が発生します。
地面が、足元から消滅した。
エリスを飲み込んだ機械兵が、空間に空いた真っ黒な穴へと吸い込まれていく。
俺は迷わず、その「虚無」に向かって飛び込んだ。
「返せ……ッ! 彼女を返せッ!!」
冷静さなど、とっくに無くしていた。
この世界が、バグだらけの不完全なシステムだというのなら。
俺はこの手で、神のコードを上書き(オーバーライド)してやる。
◇
暗闇。
いや、それは膨大な情報が流動する、演算の海だった。
俺の意識は、猛烈な勢いで加速し、自分という個体がバラバラに解体されていく感覚に襲われた。
熱い。
脳が融解し、別の何かに作り変えられていく。
かつての「カイト」という、か弱き技師のデータ。
それを、圧倒的な力(ログ)が暴力的に塗り替えていく。
[ Synchronizing... ]
接続先:並行世界サーバー『セギオン』。
個体認識:カイト。管理権限:SS。
――フル・オーバーライドを開始。
物理演算エンジン更新、動力炉「アビス」起動。
意識が浮上する。
まず感じたのは、重力だった。
かつての「土と草の柔らかい感触」は、どこにもない。
代わりに指先に伝わるのは、硬質で冷徹な、高電圧のエネルギーを帯びた「鋼」の質感。
重い。
身体を包むのは、質量すら歪める漆黒の戦術装甲。
俺は、目を開いた。
「…………」
立ち上がろうとして、周囲の空気が一変したことに気づく。
俺の動き一つで、空間そのものが軋み、放電が巻き起こる。
スペックが違いすぎる。
羽虫から、巨神へと変貌したような全能感。
俺はゆっくりと、自分の周囲をスキャンした。
視界には、かつてのARレンズとは比較にならないほど高度なUIが展開されている。
「ここ、は……」
声を発した。
スピーカーから響くような、冷徹な機械合成音。
そこは、荒廃した並行世界だった。
ユグドラシルの枝は枯れ、天空のネメシスが空の半分を埋め尽くしている。
地表には巨大なマナ抽出プラントが乱立し、大気は黒煙に汚れ、マナの死臭が漂っていた。
「データベースにアクセス。現状を確認しろ」
俺の意志に従い、脳内に情報の奔流が流れ込む。
この世界の歴史。この身体、黒騎士『ゼギオン』の記録。
[ 検索結果 ]
座標:事象並行世界・第144セクター。
個体名:カイト(該当なし)。
履歴:10年前、第一次ネメシス侵攻において死亡済み。
……なるほど。
俺はこの世界では、とうの昔に死んだ存在なのか。
だからこそ、この「空席」だった最強の個体を、俺の意志が乗っ取ることができた。
論理的な帰結だ。納得してやる。
「ならば、ここからが俺のターンだ」
遠くで爆音と銃声が響く。
ゼギオンの聴覚センサーが、数キロ先で繰り広げられている戦闘を瞬時に捉えた。
[ Sensor Scanning... ]
識別:人類反抗勢力「フォールン・リーブス」。
構成員:残存兵士3、リーダー個体1。
敵対レベル:B。速やかな排除を推奨。
排除?
その単語を、俺の意志が拒絶した。
戦場に投影された映像。
そこには、俺が知る「彼女」よりも、ずっと逞しく、ずっと悲しい瞳をした女性がいた。
銀髪を短く刈り上げ、左頬に消えない傷跡を持つ戦士。
彼女が振るう振動剣が、群がる機械兵をなぎ払う。
だが、その数はあまりに多すぎた。
「リーダー! 退いてください、もう限界だ!」
「うるさい! あいつらのプラントを一か所でも潰さない限り、死んでも死にきれないんだよ……!!」
咆哮。
それは、絶望の中でしか生きられない人間の、魂の叫びだった。
エリス。
俺を失い、復讐という名の地獄を歩み続けたエリス。
俺は地を蹴った。
一歩。
ただそれだけで、地面が爆発的に陥没し、俺の身体は音速を超えて戦場へと到達した。
戦場の空気が、凍りつく。
俺の降臨を察知した瞬間、それまで狂暴に動いていた機械兵たちが、一斉に機能を停止した。
そして、主君を迎える家臣のように、俺に向かって深く頭を垂れる。
これが、機械兵団の総司令官。
魔王ゼギオンの権能。
「……ッ、黒騎士、ゼギオン……!」
エリスが動きを止め、俺を見上げた。
その瞳に宿るのは、燃えるような殺意と、逃れようのない死の予感。
彼女は、「死の機械」に、剣を向けた。
「ようやく、お出ましか……。お前さえ、お前さえいなければ……!」
震える声で彼女が叫ぶ。
その剣先が、俺の胸の中央、対消滅炉のコアを狙っている。
皮肉な話だ。
俺が救いたかった少女は、いまや俺の心臓を欲している。
[ System Alert ]
精神的な過負荷を確認。情緒レベルが許容値を超えています。
推奨:対象の無力化を開始しますか?
「――否。承認しない」
俺の合成音声が、廃墟の街に響き渡る。
一歩。
俺はエリスに向かって歩み出した。
彼女の仲間たちが恐怖で動けなくなる中、俺は彼女の剣の間合いに踏み込む。
「ふざけるな……! それ以上近寄ったら、刺し違えてでも……!」
エリスの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
その瞬間、俺の思考が、この状況に対する唯一の解を導き出した。
必要なのは、圧倒的な力による支配ではない。
彼女がかつて信じていた、あの「日常」の記憶を繋ぎ止めることだ。
俺はあえて、ゼギオンの冷徹なボイスチェンジャーをオフにした。
漆黒の装甲をわずかに開き、その隙間から、かつての俺の「生身の声」を漏らす。
「エリス」
ノイズ混じりだが、かつて、あの村で彼女を呼んでいた時の温度で。
「……もう、いい。俺が来た。……お前を、独りにはさせない」
その言葉が届いた瞬間、エリスの振動剣が、ガタリと音を立ててその手からこぼれ落ちた。
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