第11章 開戦と冬の到来
「冬将軍」という言葉があるが、この世界の冬は、まさに殺戮者そのものだった。 北からの寒波が押し寄せ、気温は氷点下二〇度まで急降下した。 それと同時に、最悪の知らせが王都を駆け巡った。
「北の砦、陥落。魔王軍、南下を開始」
王城の大会議室は、怒号と悲鳴に包まれていた。 重臣たちが地図を囲み、絶望的な表情で議論している。
「無理だ! この寒さの中での行軍など、自殺行為だ!」 「兵士の半数が凍傷で脱落している。剣を握る指が動かんのだ!」 「しかも、あの『腐敗の霧』だ。近づくことさえできん!」
軍務大臣が机を叩いた。 人類軍は、戦う前に「環境」に負けていた。 食料はある。剣もある。 だが、寒さと化学物質から身を守る術がない。
「……静粛に」
国王の低い声が響き、場が静まり返った。 老王は、部屋の隅に控えていた私に視線を向けた。 私は、ソフィアと共に特別顧問として招集されていた。
「アルカス殿。そなたの作った『新しい服』……あれがあれば、我が軍は戦えるか?」
全ての視線が私に突き刺さる。 貴族たちの視線は、以前のような嘲笑ではなく、縋(すが)るような懇願に変わっていた。
私は一歩前に出た。 手には、完成したばかりの「対・腐敗霧用防寒戦闘服(Type-Winter)」のサンプルを持っていた。
「戦えます」
短く答える。 嘘ではない。スペック上は可能だ。
「この服は、表地に耐酸コーティングを施した高密度帆布を使用しています。霧を弾き、繊維の崩壊を防ぎます。そして中綿には、空気の層を多く含む特殊な獣毛(ダウンのようなもの)を封入しました」
私はサンプルを広げた。
「実証実験では、氷点下三〇度の環境でも、体温の低下をわずか〇・五度以内に抑えました。これを着れば、兵士は寒さを忘れて戦えます」
おお、というどよめきが起きる。 だが、私はすぐに冷や水を浴びせた。
「ただし、問題は『数』です。現在、敵の侵攻ルート上に展開すべき兵力は五万人。対して、我が工房の生産能力は月産二千着。……間に合いません」
絶望的な沈黙が戻る。 計算すれば誰でもわかる。 どんなに優れた技術も、量産できなければ絵に描いた餅だ。
「……では、滅びを待つしかないのか」
軍務大臣が項垂れた。 私は首を横に振った。
「いいえ。一つだけ方法があります」
「なんだ? 言ってみろ!」
「国内の全ての繊維工房、民間の仕立て屋、そして家庭の主婦たちを総動員するのです」
私は地図の上に、赤いペンで線を引いた。
「私の工房を『マザー・プラント(司令塔)』とし、設計図と型紙、そして加工済みの生地を各地に配布します。難しい工程(コーティングや裁断)はうちでやります。各地の工房には、単純な『縫製』のみを委託します」
これは、近代的なサプライチェーン・マネジメント(SCM)であり、戦時中の「総力戦体制」の構築だ。
「さらに、馬車による輸送ルートを再編します。帰り荷(空荷)を無くし、常に物資が循環するようにダイヤグラムを組みます。……これを実行するには、私に『全権』が必要です」
「全権だと?」
「はい。軍の兵站(ロジスティクス)、および国内の繊維産業に対する強制命令権です。貴族の私兵が着る服の生産を後回しにし、最前線の兵士を優先させる権限です」
会議室がざわついた。 一介の平民、それも子供のような見た目の男に、国家の命運を握らせるのかという反発。 だが、窓の外では吹雪が吹き荒れ、魔王軍の足音が近づいている。
国王は、私の目をじっと見つめた。 その瞳の奥に、私は「覚悟」を見た。
「よかろう。アルカス、そなたを本日より『兵站総監』に任命する。……この国の冬を、そなたの糸で紡ぎ直してくれ」
「御意」
私は深く頭を下げた。 こうして、私は工場長から、五万人の命を背負う「兵站の指揮官」になった。 剣を持たない私の戦争が、ここから始まる。
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