第6章 水車とスピンドル
勝利の美酒に酔っている暇はなかった。 商会との契約により、原料の安定供給(サプライチェーン)は確保できた。 だが、それは同時に「生産能力の限界」という新たなボトルネックを顕在化させた。
「アルカス、もう無理だ。指が動かねえ」
カイルが悲鳴を上げた。 手作業による紡績(糸紡ぎ)が追いつかないのだ。 私の指導で効率化したとはいえ、人間が一日中スピンドル(紡錘)を回し続けるには限界がある。 原料の山は積み上がり、織機は糸待ちでアイドリング状態。 これでは納期遅延(デリバリーエラー)を起こす。
「動力が必要だ」
私は工房の裏を流れる川を見つめた。 雪解け水を含んだ急流。 轟々と流れるそのエネルギーは、無為に海へと捨てられている。 もったいない。あまりにも非効率だ。
「水車を作るぞ」
「水車? 粉引きでもするのか?」
「いいや、糸を紡ぐんだ。『ガラ紡』を作る」
前世の日本、明治初期に発明された「ガラ紡(臥雲式紡績機)」。 それは最新鋭のリング精紡機に比べればおもちゃのような構造だが、この世界の技術レベルで再現可能で、かつ水力で動く自動紡績機としては最適解だった。
私は設計図を地面に描き、近所の木工職人を叩き起こした。 川岸に杭を打ち、巨大な木製の水車を設置する。 動力伝達のシャフトには、摩擦に強い硬木を使用し、動物性油脂(ラード)を潤滑剤として塗布する。
数日後。 川岸に、異様な装置が完成した。 筒の中に綿を詰め込み、それが回転しながら糸を引き出していく機構。 ガラガラガラ、という独特の騒音が響き渡ることから、かつてそう呼ばれた機械。
「動かすぞ、堰(せき)を開けろ!」
私の合図で水門が開かれる。 水流が羽根を打ち、巨大な車輪が重々しく回り始めた。 ギシ、ギシ、とシャフトが唸り、動力が伝わる。
数十個並んだ紡錘が一斉に回転を始めた。 まるで生き物のように、綿の塊からスルスルと白い糸が引き出され、巻き取られていく。
「……動いてる。勝手に糸ができてる!」
子供たちが歓声を上げた。 一人が手で回していた作業を、この機械は五十人分同時にこなしている。 圧倒的な生産性(スループット)の向上。
だが、私が注目したのは量だけではなかった。 出来上がった糸を手に取り、光にかざす。 水車の一定の回転数が生み出した、完璧なまでに均一な「撚り(ツイスト)」。 その糸は、微かに青白い燐光を放っていた。
「……おい、アルカス。これ、ヤバくないか?」
カイルが震える声で言った。 彼は糸の束に近づけた手が、ピリピリと静電気のような刺激を感じていたのだ。
「魔力伝導率が……計算を超えている」
私は冷や汗をかいた。 手紡ぎのムラがなくなったことで、魔力の通り道としての抵抗(インピーダンス)が極限までゼロに近づいている。 この糸で織った布は、もはや単なる防寒具ではない。 着るだけで、周囲のマナを効率よく吸い上げ、増幅する「増幅回路」になってしまう。
「兵器だ……」
私が求めていたのは、安眠できるシーツと、子供たちが凍えないための服だった。 だが、目の前にあるのは、一兵卒を魔導師並みの火力に変えうる戦略物資だった。
川のせせらぎが、軍靴の足音のように聞こえた気がした。 私は自分の掌(てのひら)を見つめた。 油と泥にまみれた小さな手。 この手は今、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
「……出荷制限をかける。この『特級糸』は、一般市場には流さない。ソフィア経由で、信頼できる筋だけに卸す」
「え? なんでだよ、高く売れるのに」
「高すぎるんだよ、性能(スペック)が」
私はガラガラと回る水車を見上げた。 産業革命の歯車は、一度回り始めたら、もう誰にも止められない。 私にできるのは、その回転が世界を挽き潰さないように、制御(コントロール)し続けることだけだ。
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