お客様は神様ですか? いいえ、”飾り物”です。

志乃原七海

第1話「それが、幽霊じゃないみたい」

## 第1話


「ねぇ、知ってる? あゆみ?」


商品棚の整理をしていた手を止め、ミキが声を潜めて言った。彼女の大きな瞳が、不安と好奇心で揺れている。


「なあに、ミキ?」


あゆみは、並べたばかりのブラウスの皺を伸ばしながら、気のない返事をした。閉店後のデパートは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。遠くで業務用冷蔵庫が唸る低い音と、自分たちの衣擦れの音だけが、だだっ広いフロアに響いていた。


「このデパートに住んでる女性がいるらしいよ」


ピタリ、とあゆみの手が止まった。彼女はゆっくりとミキの方を振り返る。


「えー…? 幽霊?」


「それが、幽霊じゃないみたい」


ミキは得意げに首を振った。


「は? なんで?」


「デパートの中をさまよってるらしいんだけど…」


「だから、それが幽霊でしょ?」


あゆみは呆れたようにため息をついた。またミキの突拍子もない噂話が始まった。さっさと仕事を終わらせて帰りたいのに。


「違うんだってば」ミキはむきになって続けた。「夜間の監視カメラに、時々ぼんやりと映るんだって。ほら、幽霊って普通、カメラには映らないって言うじゃない?」


「それ、誰か不法侵入してるってことじゃない。警備員さんは何してるのよ」


「それがね、誰も捕まえられないの。それに、地下の食料品売り場のパンとかお惣菜が、朝になると少しだけ減ってることがあるんだって。社員の間じゃ有名な話だよ」


その言葉に、あゆみは思わず背後を振り返った。ずらりと並んだマネキンたちが、無機質な視線でこちらを見ているような気がして、背筋がぞくりと冷たくなる。


「…やめてよ、気味悪い。早くこのフロアの在庫チェック終わらせて帰ろう」


「でも、不思議じゃない? どうやって生活してるんだろう。お風呂とか、トイレとか…。私たちみたいに、ずっとここに…」


その時だった。


カタン。


遠くの、婦人靴売り場のほうから、何かが棚から落ちたような、乾いた小さな音がした。


「……今の音、なに?」


あゆみの声が震える。ミキは息を呑み、声もなくあゆみの腕を掴んだ。


二人は顔を見合わせる。広くて静かなフロアに、自分たちの心臓の音だけが大きく響いている。


通路の先は、非常灯のぼんやりとした光が届かない、深い闇に沈んでいた。

その闇の向こうで、マネキンではない何かが、一瞬、動いたような気がした。

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