殺された商人は死に戻り、契約書で仇を破滅させる

モッピー

第1話 「死と再起——復讐は殺さない」

「兄さん、残念だよ」


 背中に冷たい感触が走り、刃が肺を貫く痛みより先に、セオドアの笑みが視界を埋めた。


「商才はあった。でも、人を見る目がなかった」


 血が喉を逆流して、声が出ない。なぜ、という問いすら形にならないまま、俺は義弟の顔を見上げていた。十八の頃から十年、ずっと傍にいた男の顔だ。


「安心して。商会は僕が継ぐ。カミラも、ちゃんと幸せにするから」


 婚約者の名前が出た瞬間、ようやく全てを理解した。最初から仕組まれていたのだ。俺が十年かけて築いたヴァルシュタイン商会も、王都の一等地に構えた本店も、来月には妻になるはずだった女も——全部、最初からこいつに奪われる筋書きだった。


「事故、ということにしておくよ。階段から落ちた兄を助けようとしたけど、間に合わなかった——泣きながら証言する僕を、誰が疑う?」


 膝が崩れて床に倒れ込む。視界の端で、セオドアが刃についた血を丁寧に拭っていた。


「ああ、そうだ」


 義弟が——いや、この男がしゃがみ込み、耳元に唇を寄せる。


「僕の本当の父親、知ってる? クレイモア侯爵だよ。兄さんが取引先にしようとしてた、あの貴族。僕はね、最初から"そっち側"だったんだ」


 ——は。


 血を吐きながら、笑いが込み上げた。十年だ。十年間、俺はこいつを弟だと思っていた。父が再婚した時、継母と一緒に来た少年を本当の家族として迎え入れたのは俺だ。商売を教えたのも俺だ。全部、嘘だった。


「じゃあね、兄さん。来世があるなら、もう少し賢く生きなよ」


 視界が暗転していく中で、最後に思ったのは後悔じゃなかった。


 ——殺してやる。


 この感情だけを握りしめて、俺は死んだ。


 ---


 目を開けると、見覚えのある安い木材の天井が広がっていた。


 背中に手を回しても、傷がない。痛みもない。声を出してみると、自分の声が少しだけ若く聞こえた。


 飛び起きて部屋を見回す。狭い部屋、古びた机、壁に掛かった色褪せた商会の紋章——十年前の借家の一室だ。窓から見える王都下町の景色も、朝靄の向こうに霞む城壁も、あの頃と寸分違わない。


 机の上に日付入りの書類を見つけて、震える手で拾い上げた。


『王暦3042年 霜月 12日』


 十年前。俺がまだ二十四歳で、ヴァルシュタイン商会が父の小さな店だった頃。セオドアがまだ十八歳の「可愛い弟」を演じていた時代だ。


「死に戻った……?」


 神の悪戯か悪魔の契約か、理由はわからない。だが、そんなことはどうでもよかった。俺は今、生きている。未来の記憶を持ったまま、セオドアがまだ牙を剥く前のこの時代に。


 頭の中で十年分の記憶が渦を巻いた。市場の動き、政変の兆し、どの商品がいつ高騰するか、どの貴族がいつ失脚するか。そして——誰が俺を裏切るか。


 拳を握りしめると、爪が掌に食い込んで鈍い痛みが走った。今なら殺せる。まだ何も持っていない十八歳のセオドアを「事故」に見せかけて消すことも、やろうと思えばできる。


 だが——


「駄目だ」


 声に出して、自分を止めた。


 殺したところで、セオドアが死ぬだけだ。あいつを操っていた貴族たちには傷一つつかないし、俺の十年分の苦しみは誰にも知られないまま消える。それでは意味がない。


 俺は認めさせたいのだ。お前たちが間違っていたと。俺が正しかったと。この世界に証明したい。


「復讐に、刃物は要らない」


 呟いた言葉が、腹の底にすとんと落ちた。契約書と帳簿、法と金——それで十分だ。あいつらを「合法的に」破滅させる。誰にも恨まれず、誰にも訴えられず、気づいた時には全てを失っている。それが俺の復讐だ。


 ---


 まず金がいる。机の引き出しを探ると、銀貨が三枚だけ出てきた。十年前の俺の全財産だ。笑えるほど少ないが、記憶がある。


 来月の霜月末に北の港で疫病が流行り、船が止まる。南方産の香辛料は三ヶ月届かなくなり、相場は八倍に跳ね上がる。今のうちに買い占めておけば——いや、銀貨三枚では香辛料など買えない。最低でも金貨十枚は必要だ。


 では、どうする。記憶を辿りながら、この時期に俺が見落としていた商機を探る。


「……あった」


 下町の質屋「月影堂」。霜月十五日に、ある男が祖父の形見の懐中時計を質入れする。古びたガラクタにしか見えないが、あの時計には細工があった。二年後に骨董商が「銀月時代の王家御用達品」と鑑定し、価値は金貨三百枚。質屋の親父が偶然それを知って大儲けした——そんな話を、俺は後から聞いて歯噛みしたものだ。


 今なら俺が買える。質草として流れる前に、あの男から直接買い取ればいい。銀貨三枚でも、彼にとってはただの古物だ。祖父の遺品という以外に価値を知らないのだから、喜んで手放すだろう。


「よし」


 動き出そうとして、ふと足が止まった。俺は今、誰の顔も思い浮かべていないことに気づいたのだ。


 前の人生には仲間がいた。信頼できると思っていた部下たち、取引先の商人たち。だが今、彼らの顔が一つも浮かばない。いや、浮かばないのではなく、浮かべたくないのだ。あの中にセオドアへ情報を流していた裏切り者がいたかもしれない。誰を信じていいか、わからない。


 拳を握りしめる。これが俺の代償か。十年分の人間関係が全て疑わしくなり、誰も信じられない。たった一人だ。


 ——だが、それでいい。


 一人で始めて、一人で進める。信じるのは自分の頭と記憶だけ。必要なら利害で繋がる駒を集めればいい。裏切られない関係を、俺自身が設計すればいい。


 外套を羽織り、部屋を出た。


 ---


 下町の質屋「月影堂」は、朝日に照らされた薄汚れた看板が目印だった。十年後、この店の親父は香辛料相場で財を成し、貴族への貸し付けで没落する。今はまだ、帳簿をめくる禿げ頭の中年に過ぎない。


「おう、何の用だ」


「人を探している。フェルトン・ガースって男を知らないか」


 親父の目が細まった。「知ってどうする」


「取引がしたい。彼が持っている古い時計に興味がある」


「……ほう」


 帳簿を閉じた親父が、値踏みするように俺を見た。安物の外套、擦り切れた靴——若い貧乏人だと判断しているのだろう。


「あんた、見ない顔だな。どこの商会だ」


「独立したばかりで、まだ看板は出していない」


「へえ。で、その時計に何の価値がある。俺が見た限り、ただの古物だったが」


「細工がある。王家の紋章が隠されている」


 嘘だ。正確には「紋章に似た傷」があるだけで、それが二年後に鑑定士の目に留まる。だが今この親父に確かめる術はない。


「……本当か」


「確かめたければ鑑定士を呼べばいい。ただし、その間に俺がフェルトンから直接買い取るかもしれないがな」


 親父の表情が変わった。欲と警戒が入り混じった顔で、しばし俺を睨んでいる。


「待て。フェルトンの居場所は知っている。案内してやるから、取引には俺を噛ませろ」


「手数料は?」


「一割でいい」


「五分だ。それ以上なら自分で探す」


「……七分」


「五分。嫌ならいい」


 舌打ちが返ってきた。「わかった、五分だ。ったく、若いのに食えない野郎だな」


「褒め言葉として受け取っておく」


 交渉成立。この親父とは十年後まで何度も交渉することになるが、俺に勝ったことは一度もない。今日がその最初の一歩だ。


 ---


 フェルトン・ガースの住まいは、下町のさらに奥——貧民街の崩れかけた長屋だった。酒と排泄物の臭いが漂う路地を歩きながら、俺はかつての自分を思い出していた。父が商売で成功するまで、この景色を毎日見ていたのだ。


 ドアを叩くと、痩せた中年の男が顔を出した。目の下に深い隈があり、肌は酒焼けで荒れている。だが瞳だけは澄んでいて、どこか品のある顔立ちだった。


「誰だ、あんた」


「商人です。お持ちの懐中時計を買い取りたい」


 男の目が泳いだ。「……なんで、それを知っている」


「質屋の親父から聞きました。手放すつもりなら、先に俺に売ってくれないかと思いまして」


「……いくらだ」


「銀貨三枚」


 男は乾いた笑いを漏らした。自嘲の混じった、諦めたような笑い方だ。


「そんなもんか。やっぱりガラクタなんだな」


「形見だと聞いています。質に入れて流れるより、俺に売った方がいい。大事にしますから」


「……どうして、あんたが」


「縁があるからです」


 意味の通らない答えだとわかっていた。だが男は俺の目をじっと見つめて、何かを感じ取ったようだった。


「いいよ。持っていけ」


 奥から取り出された時計は、錆びついた銀色でガラスにひびが入っていた。誰が見てもガラクタだ。だが俺には見える——この時計が俺を救い、復讐の礎になる未来が。


「ありがとう。大事にします」


 銀貨三枚を渡して時計を受け取ると、ずしりとした重みが掌に残った。これが復讐の第一歩だ。


 ---


 長屋を出て、朝の陽光の下に立った。時計を掲げると、傷だらけの表面が鈍く光を反射する。


 ここからだ。まずこの時計を金に変え、次に利害で繋がる駒を集める。そして——セオドアを潰す最初の一手を打つ。


 記憶の中から、一人の男の姿が浮かび上がった。


 オルランド・ヴェスター。中堅商人だが誠実で腕がいい。俺が知る未来では、三年後にセオドアに騙されて破産し、家族は離散、本人は行方不明になった。


 まだ何も起きていない。あの男は今、何も知らずに商売を続けているはずだ。


「会いに行くか」


 味方にするのではない。警告するのだ。三年後、セオドアがお前を狙うと。もちろん今は信じてもらえないだろう。今のセオドアは誰から見ても「真面目な若者」だから、俺の言葉は妄言にしか聞こえない。


 だが、種を蒔いておく。三年後に俺の予言が当たった時、オルランドは俺を信じる。そして俺の駒になる。


「待ってろ、セオドア」


 呟いた声は風に消えた。


 この世界で俺だけが知っている。お前がどんな人間か、何をしたか、これから何をするか——全部、俺の手の内だ。


「お前の破滅は、お前自身の選択の結果になる」


 外套が風に翻った。俺は歩き出す。復讐の一手目へ向かって。

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殺された商人は死に戻り、契約書で仇を破滅させる モッピー @moppy_41

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