プロローグ

儀式

麗子れいこ——!」

 寝室の扉が勢いよく開き、大柄な男が飛び込んできた。恋人の佐藤良彦だ。

 肩で息をしながら彼は声を震わせた。

「……麗子、だいじょうぶなのか?」

「ええ……。幸い、命に別状はないわ。でも、火傷のせいで……」

 そう言って麗子は、自分の顔に巻かれた包帯を恋人の前でゆっくりとほどいていった。

 ベッドの上から素顔をさらすと、彼の表情がとたんに凍りついた。

 麗子は自嘲気味に笑う。

「どう? ひどい顔でしょ? 先生が言うには、皮膚を移植しても元の顔には戻せないって。それに、失った髪も生えないだろうって」

「そ、そうなのか……」

 いつも尊大な態度を崩さない男が、今は怯えた仔犬のようにオドオドしていた。

「でも佐藤さん、約束してくれたわよね? どんなことがあっても、わたしを愛してくれるって」

 その言葉に、相手はこれまで以上にうろたえた様子を見せた。

「あ、ああ……。もちろんだ……」

 上ずった声で答えたあと、彼は腕時計をちらりと見て芝居がかった口調で続けた。

「悪いが麗子、今日は大事な予定があって長居はできないんだ。また連絡するから、それまで元気でいてくれ」

 そう言い残すなり、彼は逃げるように去っていった。

 寝室に一人きりになると、麗子は深いため息を漏らした。

「はあ、またか……」

 落胆しながら自分の顔に手を伸ばすと、ただれた皮膚をつかんでぐっと引っ張った。ケロイド状の皮膚が、ビリビリと音を立てて剥がれていく。

 麗子は人工皮膚を投げ捨てると、ヘッドボードに立て掛けてあったスマホを手に取った。

「また、パパの勝ちのようね」

 スマホ画面には、病院のベッドに横たわる父の姿が映っていた。

 年の離れた初老の父は、勝ち誇ったように口元を歪めた。

「どうだ麗子、これでお前もさすがに懲りただろ? パパがいつも言っているように、お前が醜くなれば、どんな男もお前から離れていくんだ。中身だけを見て愛してくれる男なんてこの世にはいない。夢見がちなお前には酷な話かもしれんが、これが現実なんだ。だから、いいか? いつまでも絵空事ばかり言ってないで、パパが選んだ男とさっさと結婚するんだ」

「でもね、パパ。わたしはやっぱり、どんなことがあっても愛してくれる人じゃなきゃ絶対にダメなの」

 麗子がそう反論すると、父は呆れたように肩をすくめた。

「本当に懲りない娘だ。だが、今回もお前は賭けに負けたんだ。約束通り、次の日曜日にはパパが紹介した男と会ってもらうぞ」

「わかったわよ。でも、会うだけだからね。いくらパパの頼みでも、好きでもない人とは結婚できない」

 すると突然、父が激しく咳き込んだ。

「パパ、だいじょうぶ!?」

「あ、ああ、だいじょうぶだ……」

 スマホ画面に、沢尻の姿が映り込み、水の入ったコップを父に手渡す。

 執事の沢尻は、父がもっとも信頼する男だ。いつも背筋がぴっと伸びていて、身だしなみにも寸分の隙もない。欠点を挙げるなら、やや表情に乏しいところだろうか。

 水を飲んで少し落ち着きを取り戻したらしい父が、スマホの画面越しに切なげな視線を向けてきた。

「麗子、パパはもう長くない。早く結婚して、孫の顔を見せておくれ」

「パパ、そんな冗談やめて」

「冗談じゃないのは、お前もわかってるはずだ。パパに残された時間は、お前が思ってる以上に短い」

 父の真剣な表情を見て、麗子は何も言えなくなってしまう。

 黙っていると、父が急におどけた口調で言った。

「お、そろそろ美人の看護婦が来るころだな」

「パパ、じゃなくて、今はさんでしょ」

 これは、二人の間で何度も繰り返されたやり取りだ。

「麗子、そんなことより、次の日曜日は絶対に他の予定を入れるんじゃないぞ」

「わかったわよ」

 ビデオ通話を終えて寝室が静かになると、とたんに寂しさが押し寄せてきた。

 麗子は大きなため息を漏らす。

「はあ……。わたしの運命の人は、いつになったら現れるのかしら」

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