第10話 雪解けは君と
息すらできない、果てしなく長く感じた静かなモノクロの空間に、ようやく色が戻ってくる。
きっかけは、手術室の上のランプ……
ふっと静かに消えた瞬間、そのランプが赤色だったことに気づいた。
待合室にいた全員の肩に、なお一層の力が入る。
「……終わったん?やんなあ……」
お母ちゃんが不安気に私のほうを見た。
沙奈はタクヤの腕をぎゅっとつかんだまま動かない。
そっと私の手を握るマイケルの顔を見上げてみる。
「大丈夫、行こう」
彼は、優しい声で私の手を引いてくれた。
手術室の扉がゆっくりと開かれる……
白衣の医師がマスクを外しながら、こちらへ近づいてきた。
まだ、医師の表情は硬いままだ。
白衣が一歩一歩近づく度に、私の心拍数はどんどん上がる。
……どっちなの?……
「ご家族の方々ですね」
私は唾をゴクリと飲み込んだ。
パリリッと鼓膜の近くで小さな音がする。
医師と目が合う。
私はニコリと笑顔を向けられた。
「――手術は、成功しましたよ」
その瞬間、足の力がヘナヘナと抜けて、倒れそうになる。
マイケルはそっと私の背中を支えてくれた。
沙奈はタクヤに抱きつき号泣している。
お母ちゃんはソファに座り、両手で顔を覆いながら、嗚咽混じりで、なんべんも感謝の言葉を口にする。
「よかったー……
先生、ほんまに、おおきに……
ありがとう……
感謝します……」
医師は続けて言う。
「腫瘍は綺麗に取り切れました。
今は麻酔が効いて、ぐっすり眠ってはります。
夜には目が覚めると思いますが、今日はゆっくりと休ませてあげてくださいね」
そう言葉を残し、その場を立ち去る医師。
私たちは、なんべんも頭を下げて、見送った。
――再び、手術室の扉が開かれる。
「「「お父ちゃん」」」
私の声にお母ちゃんと沙奈の声も重なる。
「……お父ちゃん、よう頑張ったなぁ……
痛うないかな?」
お母ちゃんは、眠っだままのお父ちゃんに話しかけている。
「元気になったら、なんか食べたいもんあるか?
551チンしたろか?」
「もう、お母ちゃん、お父ちゃん、寝てるって」
沙奈がお母ちゃんの肩を優しく小突く。
「それに、なんで551なんよ。
もっとええもんあるやんか」
私も沙奈に被せてお母ちゃんにツッコミを入れた。
「あんたらも、551好きやないの。
うちの家は、ちょっとした日には551って決まってんねん!」
ズバッとお母ちゃんは言いきった。
先程まで、どんよりと重たかった景色は、完全に色を取り戻した。
私は、ふと、お父ちゃんに目をやった。
その表情は、少し笑っているように見えた……
――お父ちゃんの意識が戻ったと、お母ちゃんから連絡かきたのは、日付けが変わろうかという頃やった……
「お父ちゃんも、まだ疲れてはるし、こっちに来るんは明日の昼からにしたってな」
それが、お母ちゃんからの電話やった……
――明くる日、私はマイケルと病院に向かった。
沙奈とタクヤも一緒に。
病室の前で大きく息を吸い込み、ノックをする。
コン コン コン
「はーい、どうぞ」
中からお母ちゃんの返事が返ってきた。
ガチャリ
ドアノブを開き、ベッドに横たわるお父ちゃんの顔を覗き込む。
――逃げたらあかん……
――嘘ついたらあかん……
偽りのない自分をお父ちゃんにぶつけるんや!
私は化粧をし、いつものピンクのウイッグを身に着けて、お父ちゃんと対面している。
「すまなんだなあ。
ワシの勝手な気持ち、お前に押し付けてもうて……
辛い思いさせてもうたなあ……」
横になったまま、お父ちゃんは頭を下げようとする。
「お父ちゃん、ごめんなさい。
勝手に家、飛びだしてもうて。
一回も帰ってこんと……
お父ちゃんが病気になったんも、私が心配をかけたからや。
ほんま、ごめんなさい」
私はお父ちゃんの手を取り、大粒の涙を流した。
そんな私の手を優しく、それでいて力強く、お父ちゃんは握り返してくれた。
「お前のせいやない。
お前のせいやないんやで……」
おとおちゃんの目も少し潤んでるみたいやった。
「私、これから今までの分も親孝行するからな。
なんでも言うてきてや」
私はお父ちゃんの手を強く握り返した。
「ちゃうねんで、春夫……
いや、春子って言うたほうがええんかな?
まあ、どっちでもええわ。
お前はお前やしな」
お父ちゃんはニコリと微笑んだ。
「ちょっと、ワシの話を聞いてくれ。
本当の親孝行いうのはな、子供が幸せに暮らせてるかどうか……
そこやねん。
日々の暮らしを、精一杯生きてるかどうか。
楽しいことばかりやない、辛いこともあるやろ……
それでも、日々、地に足をつけて、しっかりと生きていく……
それが本当の親孝行やとワシは思う。
これは、お前が家を出たあの日から、8年間考え抜き、お前に伝えたかったワシの思いや」
お父ちゃんは目を閉じたまま、まるで私の返事を待っているようやった。
「なあ、春子……
似たもの親子言うんかいなあ……
あんたとお父ちゃんはそっくりや。
自分の信じたことは曲げへん一本槍なところは特になあ。
でも、それが間違いやと気づいたら、ちゃんとそれを正して、謝る。
そんな人間やねんで」
私はウンウンと頷くことしかできひんかった。
「なあ、マイケルさん……」
お父ちゃんは、不意に私の横におるマイケルに声をかけた。
「うちの娘をたのんます……」
その声は、か細くもあったが、確かな温もりを感じる言葉だった。
「はい」
一言、返しただけだが、マイケルの言葉もまた温かく、力強かった。
――お父ちゃんと向き合えた日の夜、マイケルは東京に帰って行った。
「それじゃあ、俺は、一足先に帰るね」
「ええ、それじゃあ、今度はクリスマスの夜に」
「今度会える日を楽しみにしとくよ」
私はマイケルが乗る新幹線を見送った。
――あれから数日が経ち、約束の12月25日がやってきた。
今日はクリスマス……
そして、偶然にも、いや、運命的に、私と彼の誕生日……
デートの待ち合わせ場所は……
もちろん、あの路地裏……
私達は手をつなぎ街に繰り出す。
やがて日も暮れて月が顔を覗かせた。
「月が綺麗ですね」
「それは、いつも、あなたが横にいてくれるから……」
ふたりの影がひとつに重なる……
その時間は刹那でもあり、永遠でもあった。
どこからともなく、聞き慣れたクリスマスソングが流れてくる。
わたしは、そっと唇を離し、甘えるようにマイケルに言った。
「私、いつか行ってみたい場所があるの……」
「偶然だね?
俺も行ってみたい場所があるんだ……」
私達は、せーので答え合わせをする。
「「モン・サン=ミシェル」」
ふたりの声が重なった。
孤島、そしてその上にそびえる修道院。
潮が満ちれば孤島となるが……
潮が引けば陸続きとなる島……
「孤独の中にも希望を感じられる奇跡の場所──そう思わない?」
私は上目遣いでマイケルに言った。
「そうだね。
俺も君もモン・サン=ミシェルに自分を重ねていたのかもね」
「ええ、私はそうやったんよ」
「きみの店に掛かる、あの絵画を見たときの不思議な感覚を今でも覚えている……」
そこでマイケルは深呼吸する。
「ねえ、マッキー……
人間って、良い人、悪い人がいると思うんだ。
これは、世間的にって意味じゃなく、自分にとってって意味で。
一方では良い人でも、自分にとっては害でしかない人もいる。
逆もまた然り。
それが原因で、俺たちは心を閉ざしていたんだよね。
でも、こうやってふたりは出会えたんだ。
これからも、色んなことがあるとおもうけど。心を閉ざして諦めてしまうのは、もうやめにしよう。
俺にも君にも、温かく包み込んでくれる人たちがいるんだから……」
いつの間にか、新宿二丁目には白い雪が舞っていた。
ネオンの光に照らされたその雪は、様々な色を反射して、ふたりを優しく包み込む。
それは、まるで、ふたりのこれからを見守るように……
冬は、まだ始まったばかりだったが、ふたりの、凍った心の雪の塊は溶け始めていた。
雪解けは君と……
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