あと一人で、終わり
神夜紗希
あと一人で、終わり
私が就職した会社は、とある部品メーカーの工場だった。
従業員数も多く、敷地も広い、いわゆる大手企業だ。
給料が良く、土日も休み。
条件だけを見れば、何の不満もなかった。
忙しさにも、すぐに慣れた。
工場勤務はこんなものだと、自分に言い聞かせていた。
——ただ一つ、噂を聞くまでは。
古い工場には、決まってそういう話がある。
うちの会社も例外ではなかった。
夜勤中、
首を吊った人間がいる。
飛び降りた人間がいる。
どこで、とは誰も言わない。
そんな中、先輩の一人が、ぽつりと教えてくれた。
「備品倉庫、あるだろ。あそこ、夜は気をつけろよ」
……聞かなければよかった。
備品担当の私は、毎日あの扉を開ける。
来週から、初めての夜勤が始まる。
何も起きませんように。
そう願っている時点で、もう遅い気がしていた。
夜勤1日目、何も異変や怖さはなかった。
むしろ人生で初めて夜通し働く事が、楽しかった。
いつもより少ないメンバーで、よりプライベートの話が出来て、より仲良くなれた気がする。
仕事して、お喋りして、昼寝して、
初めての夜勤の1週間はあっという間に終わった。
(なんだ…何も起きないじゃん…)
もしかしたら、新入社員の私を脅かしてからかってただけかも。
来週の昼勤務で先輩に文句言わなくちゃ!っと息巻く私。
それを後に後悔する事になる。
次の週、出勤するとすぐに怖い事を私に教えてくれた先輩の所に行った。
「夜勤で何も起きなかったですよー。備品出す時すごくビクビクしちゃったじゃないですか!」
先輩に明るく文句を言う。
先輩は、少し考えた後こちらを向いて言った。
「…これからだよ。」
ニコリと笑う優しい顔が少し怖かった。
「…っ何で、そんな事、分かるんですか?あの備品倉庫で、何かあったんですか?」
私は理由が知りたかった。
何もないのに怖がらされるのが嫌だった。
先輩は前を向くと、ゆっくり語り出した。
「あそこは、今は備品倉庫だけど、昔は仕事部屋として使われてたんだよ。俺が新入社員だった頃、同期と使ってたんだ。」
それを聞いてビックリする。
備品倉庫にしてるくらい、そんなに広くないからだ。
窓すら無く、扉も分厚く、閉めたら外の音を遮断するような小部屋だった。
「あの小部屋に?2人で?」
先輩は頷く。
「新入社員は、あそこに入れられたんだよ。
…あの時代はひどかった。」
そこから続く先輩の話は、就職したての私には想像も出来ない内容だった。
必ず定時では上がる事の出来ない仕事量は当たり前で、
上司や先輩のミスは全て新入社員になすり付け、
仕事でミスをすると机や椅子を蹴りながら怒鳴りつけられ、
飲み会の席では必ず潰れるまで飲まされる。
1番キツイのは、あの小部屋に一日中閉じ込められること。
明かりは小さく照らす豆電球が天井に一つ。
狭く、暗い部屋で2人で延々と書類業務をさせられる。
外からは楽しそうな笑い声が小さく聞こえる。
大声や笑い声を出すと金属製のドアを
ガンッと蹴られるため、こちらは音を立てない。
先輩は、怒りと我慢の限界の中で働いていた。
どうやって現状を打破するかだけを考えて、
目の前にある仕事をひたすらに片付けた。
同期は、限界だった。
もう戦う気力も正常な思考もなかった。
ある日、昼礼に同期が来なかった。
真面目な人だった為、すぐに先輩は嫌な予感がした。
先輩が向かうよりも先に、上司が怒鳴りながら小部屋のドアを開く。
そして、尻餅をついた。
先輩が座り込んでいる上司の後ろから小部屋を覗くと、同期が首を吊っていた…。
もう、誰も声を出すことが出来なかった。
先輩はそこまで話すと、青ざめた私の顔を見て
また、ニコリと笑う。
「同期の自殺で、それまでの行いが明るみになり、その職場は解散。あの小部屋は物置になったんだよ。」
備品倉庫を見ながら先輩は呟く。
「真面目なやつだったからな。今でも、この会社の中にいる。」
そう言って、喫煙所に先輩は入っていった。
私は、もう、何も言えなかった。
気にしないようにする術を身に付けるしかなかった。
そして、次の週の夜勤が始まった。
何があったかを知る前と知った今で、
こんなにも構え方が変わるなんて…
物事に白黒付けたがる自分の性格を恨んだ。
…とにかく仕事をしよう。
一週間目は何も無かったんだから、大丈夫。
そう自分に言い聞かせて集中して業務を行う。
ギシッ
たまに聞こえる家鳴りのような軋む音。
夜勤務で先輩が現場に出払っている時、
この音が私だけが残るオフィスに響く。
前回の夜勤務の時も同じような音がしていたか思い出せない。
敏感になっているだけなのか、
もしかして、本当に…。
ブンブンと首を振り、怖い考えを止めようと更に業務に取り掛かる。
その時、機械のエラー音が鳴り響いた。
『ピー!ピー!』
肩がビクリと跳ね上がる。
「…ビックリした。紙切れか…。」
胸に手を当てながらエラー内容を確認した。
そして、備品倉庫に目を向けた。
ゴクリ…
生唾を飲む音が異様に大きく聞こえた。
(大丈夫!行こう!)
意を決して備品倉庫の扉に向かい、
ドアノブに手をかけた。
ギイィィ…
少し重い金属製のドアを押す。
パチンッ
電気のスイッチを押す。
その瞬間、目に飛び込んできたのは
備品倉庫の奥、天井からぶら下がる作業服の後ろ姿。
「わぁぁぁ?!」
思わず声が出て備品倉庫から飛び退いた。
バタンッ
重いドアが閉まった。
ドアの前で、バクバクと鼓動を立てる心臓音を聞きながら立ち尽くす。
(今のって…先輩の同期の…)
そう頭に過った時、後ろから声を掛けられた。
「おい!何してるんだ?早く紙補充しろよ?オフィスの外にもピーピー聞こえるぞ。」
「わぁぁぁ!って、○○さん!脅かさないで下さいよ!」
振り向くと仲良くしてくれる先輩が立っていて一気に安堵感でいっぱいになった。
「何をそんなにビビって…、あぁ、お前もあの話聞いたんだな?あんなんただの噂だろ?」
そう言うと○○さんは、備品倉庫のドアを臆する事なく開けて、補充用の紙を取ってくれた。
「あ、ありがとうございます!でも、確かにさっき奥に人影が見えたような…」
「気のせいだよ!いると思うから、物の影や自分の影がそう見えるんだよ。」
○○さんは笑いながらオフィスを出て、また現場に戻っていった。
確かに、そう言われたらそうかもしれない。
怖がるから余計にインスピレーションが働くのかも!
その日はそう考えるようにした。
しかし、備品倉庫には近付かないでいた。
次の日からは工夫した。
誰かがオフィスにいる時に備品倉庫から物を出すようにした。
早めに備品チェックをしておけば、その日に出さなければいけないものも分かる。
始業後すぐに、全ての備品を確認するのが日課になった。
日課になった理由を知らない先輩達からは、
手際が良い、自主的にやって偉い!
と、褒めてもらえた。
理由を言うのは何だか恥ずかしく思い、
「えへへ!でしょう!」
なんて照れながらも答えていた。
夜勤で1人で備品倉庫を開ける事は無くなった。
もう、大丈夫。
そう思っていた金曜日の夜勤で、
それは起きた。
深夜2時。
オフィスで仕事をしていると内線が鳴った。
『悪い!緊急選別が入ったから手伝ってくれ。
ハンドリフト3つとデカい箱を20箱、業務用エレベーターで上げて欲しい。』
「分かりました!すぐ行きます!」
返事をしてすぐさま手袋をはめて準備をする。
業務用エレベーターは普通のエレベーターとは違いとにかく大きいエレベーターだ。
重量は5トンまで許容されており、工場内に設備やたくさんの物を一気に運び入れる時に使う。
扉も左右にではなく、上下に閉まる大きなシャッターのような扉でゆっくり開閉する。
私は就職して初めての緊急対応で、
そして初めてこの業務用エレベーターを使う。
階数の点滅が、ゆっくり、ゆっくり、一階に下がってくるのを眺める。
(おっそ…)
普段普通のエレベーターしか使ってない私には異様に遅く思えた。
チンッ
と軽い音がなり、
ヴィーン…と重々しくシャッター扉が開いていく。
ヒンヤリと冷たい空気がエレベーター内から流れてきた。
金属製の大きなエレベーターだから冷えてるのか?と考えながらテキパキと作業を進める。
全部乗せ終えると、開延長ボタンを解除して三階のボタンを押した。
重々しくシャッター扉がゆっくり、ゆっくりと降りていき、ズシンッと振動と共に閉まった。
待っている時も遅く感じたが、乗っていてもそれは変わらなかった。
エレベーター内上部にある点滅ボタンをついつい眺める。
一階、二階、三階、四階、R…
(屋上にも行けるんだ。このエレベーター…)
点滅ボタンはようやく二階に辿り着いた。
次が目的の三階。
(飛び降りもあったって、聞いたな…)
入社時の嫌な噂を思い出してしまった。
ないないない。
ここじゃない、きっと、絶対。
怖い事なんて考えてやるもんか。
そう思いながら、降りる体勢を作ろうとハンドリフトをギュッと握った。
点滅ボタンが三階を照らした。
扉は、開かなかった。
「え?」
思わず声が出た。
点滅ボタンは四階にうつろうとしている。
「いやいや、多分、四階にも人が居るから。四階の人が押したんよ。」
怖さを紛らすようにブツブツと可能性を呟く。
自分で言っていても、おかしい事は分かってる。
例え四階の人がエレベーターを呼んでたとしても、
私の目的地の三階で止まるはずだという事は。
チンッ
軽い音がした。
点滅ボタンを見上げると
『R』
が光っていた。
深夜2時に、屋上で、誰が呼ぶんだ?
頭が真っ白になる。
手足が震える。
へたり込みそうになる。
ヴィーン…
扉が開こうと上に上がり始めた。
開かせたくない!
その思いが頭の中でいっぱいになった。
ハンドリフトから手を離し
エレベーターのボタン前に走った。
『閉』ボタンを連打する。
ガチャガチャガチャガチャッ
何度も何度も押した。
シャッター扉がゆっくり、ゆっくり、開き、
冷たい風が隙間から流れ込んでいく。
目なんて向けれなかった。
自分の足に絡みつく冷たい空気を感じるだけで倒れそうだからだ。
(閉まれ!閉まれ!)
ガチャガチャガチャガチャッ
指が痛くなってきた。
その時、ピタリとシャッター扉が動きを止めてて、ゆっくりと閉じ始めた。
「良かった…」
私は、安心してその場にヘナヘナと座り込む。
少し泣きそうになる。
油断してしまった。
シャッター扉に目を向けてしまった。
ゆっくりと閉まっていく扉の向こうに、
作業服の足が見えた。
足の隣には、伸び切った首が床に横たわるように垂れ下がり、顔をこちらに向けていた。
その背後にはたくさんの足が並ぶ。
ガチガチと、自分の震えて当たる歯の音がエレベーター内に響く。
床に横たわる首がニコリと微笑んだ直後、
ズシンッとシャッター扉が閉まった。
気のせいとか、
考えすぎとか、
インスピレーションとか、
言い訳が全部吹き飛んだ。
もう、私は、見てしまったから。
三階に着くと○○さんに「遅い!」と怒鳴られた。
好奇心で屋上に行ったんだと決めつけられた。
ボタンを押してないのに行ったんだと、説明しても聞く耳を持ってくれなかった。
「来週上司に言うからな!」と
○○さんに怒鳴られながら、
今週は散々な夜勤だな…と涙を堪えた。
次の週の昼勤務、また私は朝から先輩の所に行った。
夜勤で起きた事を全て話した。
先輩はニコリと笑う。
「俺の同期だな。」
少し嬉しそうな顔に見えた。
「笑ってたんだな?じゃぁ、君は大丈夫。」
「え?大丈夫って?」
私がキョトンとすると先輩は頷いた。
「あいつは、真面目だから。まだ職場が気になるんだよ。もう大丈夫なのかって。」
笑っていた先輩は、ある一点を見つめて、真顔になった。
「あと一人で、終わりだよ。」
先輩の視線の先には○○さんがいた。
そして、私の方を向くとニコリと笑った。
「もう、大丈夫。」
私は何故か涙が出た。
そして次の夜勤週。
○○さんが、工場の屋上から飛び降りた。
業務用エレベーターで上がった形跡だけが、
残されていた。
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