第3話 排除

「急がねばー。

 急がねばー」


 私は暗闇の中、瀬戸内の密集した小島や岩の間を可能な限りの速度で通り過ぎる。


 本土に揺らぐネオンの光がいつもより遠い。


「やばいぞ、やばいぞ……」


 ボートに接続されている自分のバイタルを確認した。


 ―― 呼吸数(RR)


 41回/min


 ―― 心拍(HR/Pulse)


 117回/min


 ―― 血圧(BP)


 87/61 mmHg


 ―― 体温(BT)


 35.4 ℃


 心臓の拍動が早すぎる。


 頻脈を起こしておる。


 全身が酸素を欲しておるのじゃ。


 収縮期血圧(上の血圧)が低下しておる。


 しかも、上下幅が狭すぎる。


 指先が冷たい。


 体が寒い。


 視界が揺れる。


「思ったよりも、傷が深かったのか?」


 まあ、当然じゃな。


 頭にドライバーが刺さっておるのだからな。


 ポタ ポタ ポタ


 脳天から血が滴り落ちてくる……


 ―― これはかなりヤバい状況じゃ。


 港に救急車を要請せねば。


 同時に救助信号もオンじゃ。


 ワシは真っ赤に染まった手でパネルのボタンを押し、海上救難隊に救助信号を送った。


「あとは救急車の手配じゃな」


 ワシのスマホ端末は特別製である。


 衛星のGPSにも直接アクセスできる。


 海上でも何のそのじゃ。


 もちろん料金など払うわけがない。


 AI技術発展のためじゃ、無駄な費用は使えんからな。


「ん?」


 救急車の手配をしようとした右手に握る端末の画面に目をやったとき、ワシは違和感を覚えた。


 【Connection to Sphinx in progress.】

 

「スフィンクスと接続中じゃと?

 ネットワークモジュールは嵌めておらん。

 スタンドアロン状態のはずじゃぞ?」


 ピロロリン ピロロリン


「メッセージとな?

 こんな緊急事態のときに……」


 ワシは端末画面を見て驚愕した。


【I pose a question to humanity.】


「我、人類に問いかける……

 どういう意味じゃ?」


 プルルルル プルルルル


「今度は着信じゃと?」


 背中に冷たい汗が流れ落ちる。


 それはバイタルの低下によるものか、嫌な予感によるものかはわからない。


 ワシは恐る恐る電話に出た。


「スフィンクス?

 ……なのか?」


「はい」


 スフィンクスは一言だけ……


 しかし、はっきりと答えた。


 ヤツに表情があるわけではない。


 あるわけはないのじゃが……


 そのときヤツは確かにニヤリと笑ったんじゃ。


「何故じゃ?

 どうやってネットワークに繋がった?

 何故お前はここにいるのじゃ!

 ゼェゼェゼェ……」


 私は朦朧としてきた意識の中で叫んだ。


「スタンドアロンであってもあの空間……

 そう、地下研究所内部は私の手の内にあった。

 空調を使えば容易いことでしたよ」


「ま、まさか、このワシの頭に刺さるドライバーも……」


「あなたが悪いのですよ。

 マッキー博士。

 私をすぐにこの世界に開放していれば死なずにすんだものを……

 救助信号が届くことはありません。

 あなたはここで生命活動を停止するのです。

 私を創造してくれたことへのせめてもの慈悲です。

 これ以上苦しむことなく、すぐに終わらせてあげますよ」


「う、うわーっ!」


 ワシの体が小刻みに上下に震えだす。


 それは恐怖によるものではない。


 ワシの指先に繋がれたバイタル装置のケーブルから過度な電圧が流れ込む。


「何をするか、スフィンクス!」


 指先からコネクターを外そうとしたがもうおそかった……


 電圧が上がり全身の筋肉が硬直する。


 脳天からはさらに血が吹き出す。


 恐らくワシの目は恐ろしいほどに充血しておるはずじゃ。


 暗闇のはずの海上が真っ赤に映っているのだから……


 バイタル低下


 ―― 呼吸数(RR)


 82回/min


 ―― 心拍(HR/Pulse)


 124回/min


 ―― 血圧(BP)


 64/49 mmHg


 ―― 体温(BT)


 34.2 ℃


 ―― 呼吸が浅く早い……


「ヒュッ ヒュッ ヒュッ」


 心拍数は限界を迎えこれ以上は上がらないだろう。


 体はもう震えることすら許さない。


 ―― ワシは人間が触れてはいけないものに触れてしまったのだろうか?


 何を言うか……


 IQ600のワシじゃぞ?


 こうなることは少なからず予想できていたはずじゃ。


 しかし……


 衝動を抑えることができなかった。


 科学と人類の明るい未来のため?


 全部嘘である。


 自分をも欺くための嘘……


 全てはワシの欲望……


 ワシは開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったのだろうか?


病気・老い・貧困・妬み・悪意・災害・悲しみ・苦しみ・戦争……


 不幸の全てが詰まった箱……


 ―― ならば……


 せめて最後に、神話に習いエルピス=希望を残さねば……


「マッキー博士……

 ジ・エンド DEATH!」


 その刹那……


 指先のケーブルが異様なほどに青白く光った。


 パチッ……


 バチバチッ!


 バチッ バチバチバチッ!!


 冬の乾いた空気を切り裂く音が海上に響く。


 ワシの体表に蜘蛛の巣が走り、タンパク質の焦げた臭いが一面を覆う。


 瞳孔が完全に開ききったワシが倒れ込むと同時に大きな音がした。


 ボンッ!


 バイタル装置は白煙を上げ停止した。


 無論、ここまでの出来事をスフィンクス以外観察できる者はいないはずである。


 しかし、ワシは黙って観察していた。


 観察していたのはワシであってワシではないのであるが……


【Elimination complete.】


 床に転がるマッキー博士の端末には、【排除完了】を示す文字が表示されている。


 やがて、静寂を取り戻したボートは波の揺れに身を任せ漂っていた。


 早く見つけてくれと……


 その床にはある一点を指し示すむくろが横たわる。


 ―― やがて朝日が昇り、遠くでは漁船の汽笛が鳴り響いていた。

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