第2話:灰色の世界と0.0001%の希望
校門を抜け、駅へと向かう通学路は、不快なほどの喧騒に包まれていた。
車の排気ガス。アスファルトの照り返し。すれ違うサラリーマンの疲弊した足音に、学生たちの甲高い笑い声。
(……空気が、薄いな)
俺はネクタイを少し緩め、息苦しさに顔をしかめた。
もちろん、酸素濃度の話ではない。
生命エネルギーの源であり、世界を鮮やかに彩るはずのその粒子が、この現代社会には決定的に欠落している。
前世の記憶が戻る前までは、これが当たり前だった。
だが、今の俺にとって、この世界はまるで色のないモノクロ映画のようだ。あるいは、真空のガラスケースの中に閉じ込められたような閉塞感と言ってもいい。
「これじゃあ、魔法どころか、身体強化一つ使えやしない」
俺は自分の掌を見つめた。
魔法剣士にとって、魔素はガソリンだ。それがなければ、どれほど高性能な
ナマクラな肉体に、枯渇した世界。
まさに八方塞がりだ。
(このまま一般人として、大学へ行き、就職し、老いて死ぬのか?)
かつて竜を屠り、一国の軍隊さえ単騎で蹂躙した俺が?
ふざけた話だ。そんな余生など、死んでいるのと同義だ。
歩道橋の階段を登りながら、俺は苛立ちを吐き出すように空を見上げた。
時刻は夕暮れ。
茜色に染まり始めた空に、無数の電線が幾何学模様を描いている。
美しい風景かもしれない。感傷的な詩人なら、涙を流すかもしれない。
だが、俺の目は違った。
無意識に発動していた『魔力視』の技術――魔素がないため不完全ではあるが、魂に染み付いた知覚能力――が、空の一点にこびりついた「染み」のようなものを捉えたのだ。
「……あ?」
俺は足を止めた。
手すりに身を乗り出し、目を凝らす。
気のせいではない。
はるか上空、大気の層が薄く歪んでいる場所がある。
まるで、完璧に描かれた絵画に、針の先で突いたような極小の穴が空いているかのような違和感。
そして、そこから微かに――本当に、0.0001%にも満たない濃度だが――懐かしい匂いが漏れ出していた。
(これは……魔素の流入か?)
背筋に電流が走った。
その「穴」は、今はまだ蟻の這い出る隙間もないほど小さい。
だが、俺には分かる。あれは傷口だ。
世界の
一度入った亀裂は、圧力差によって必ず広がる。
向こう側――おそらく異界――の濃密な魔素が、この真空のような世界へ雪崩れ込もうと圧力をかけているのだ。
「ハッ……なるほどな」
乾いた笑いが漏れた。
状況が読めてきた。
あれは『ダンジョン発生』の前兆現象だ。
魔素が一定濃度を超えた地点で、空間が耐えきれずに陥没し、異界と繋がる穴が開く。
前世でも見た光景だ。世界が終わり、新たな地獄が始まる合図。
周囲を見渡す。
歩道橋を行き交う人々は、スマホを覗き込み、あるいは連れと談笑し、誰一人として空の異変に気づいていない。
当たり前だ。彼らには魔素を感じる器官がない。
巨大な津波が目前に迫っているのに、波打ち際で貝殻を拾っている子供たちのように無邪気だ。
(あと、どれくらいだ?)
俺は冷静に計算を開始した。
亀裂の大きさ。漏れ出す魔素の圧力。この世界の「脆さ」。
……一ヶ月?
いや、今の加速具合からすれば、早ければ二週間。
遅くとも三週間以内には、最初の『決壊』が起きる。
その時、この平和な街は狩場に変わる。
銃も通じない魔物が溢れ、今の貧弱な人類など、紙切れのように引き裂かれるだろう。
絶望的な未来だ。
だが――。
「……くくっ」
俺の喉の奥から、抑えきれない笑いが込み上げてきた。
絶望?
違う。これは『福音』だ。
魔素が満ちるということは、俺の力が戻るということだ。
ダンジョンができるということは、
俺だけが知っている。
俺だけが見えている。
世界中の人間がパニックに陥り、逃げ惑うその瞬間に、俺だけが「準備万端」でスタートラインに立てる。
(間に合うぞ)
先ほどまでの閉塞感は消え失せていた。
代わりに腹の底から湧き上がってきたのは、燃えるような野心と、ヒリつくような高揚感。
俺はこの世界で、最も弱い肉体を持っているかもしれない。
だが、最も早く「正解」に辿り着ける頭脳を持っている。
魔石も、アーティファクトも、経験値も。
誰も価値を知らないうちに、全て独占してやる。
「面白くなってきたじゃないか」
俺はニヤリと口角を吊り上げ、歪み始めた空へ向かって、見えない挑戦状を叩きつけた。
ナマクラな肉体? 鍛え直せばいい。
魔素がない? あの亀裂から漏れ出る雫を一滴残らず啜ってやる。
元・剣帝にとって、逆境などスパイスに過ぎない。
この灰色の世界で、俺だけが鮮やかに「呼吸」をしてやる。
俺は鞄を握り直し、足早に歩き出した。
帰ったら忙しくなる。
まずは、この錆びついた体を叩き起こすための、地獄のメニューを組まなければならない。
歩道橋の下、渋滞する車の列が鳴らすクラクションが、俺への祝福のファンファーレのように聞こえた。
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