第2話 回想第1話:ボーイ・ミーツ・ガール(検証)

 放課後の教室。

 茜色の夕日が、窓際の席に座る俺たちの影を長く伸ばしていた。

 俺と、雪野栞。

 学園のアイドルと、地味な文芸部員。

 本来なら交わるはずのない二つの世界線が、なぜか今、机を並べて向かい合っている。


「じゃあ、まずは出会いの話からしよっか」


 栞は、コンビニで買ったカフェオレのストローを弄りながら、嬉しそうに言った。

 その仕草だけで、俺の心拍数は跳ね上がる。

 可愛い。問答無用に可愛い。

 こんな美少女と俺が恋人同士?

 もしかして、壮大なドッキリ番組なんじゃないか?

 

 俺は教室の隅にあるスピーカーや、黒板消しの裏を確認したくなる衝動を抑え、努めて冷静な顔を作った。


「ああ、頼む。……俺たちの『第1話』を」


 そう。俺は知りたい。

 俺がどうやって、この高嶺の花を手に入れたのか。

 その攻略ルート(奇跡)の詳細を。


 栞はコホンと一つ咳払いをすると、まるで芝居の語り部のように、少し遠くを見る目をした。

 空気が変わる。

 彼女の周囲に、見えないスポットライトが当たったような気がした。


 ✎ܚ


【Replay Mode:Start】


「あれは、四月の終わりのことだったわ」


 図書室の窓からは、春の柔らかな日差しが差し込み、宙を舞う埃がキラキラとダイヤモンドダストのように輝いていた。

 静寂と、古紙の匂い。

 私は、高い棚にある一冊の本を探していた。

 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の初版本。

 どうしても読みたかったけれど、私の背ではあと数センチ届かない。


「うーん、届かない……」

 かかとを上げて、指先を伸ばす。

 その時だった。


 背後から、ふわりと温かい気配が近づいてきた。

 石鹸の香りと、少しだけ制汗スプレーの清涼感。


「――取ってあげるよ」


 低いけれど、優しい声。

 頭上から伸びてきた手が、私の求めていた本を軽々と抜き取った。

 振り返ると、そこには彼――夏月陽翔くんが立っていた。

 逆光を背負って、その表情はよく見えなかったけれど、シルエットだけでわかった。

 ああ、王子様だ、って。


 彼は本を私に手渡すと、少し照れくさそうに笑って言ったわ。

「雪野さんも、フィリップ・K・ディック好きなの? 奇遇だね。俺も大好きなんだ」


 その笑顔が、あまりにも眩しくて。

 私の胸の奥で、何かがパチンと弾ける音がした。

 それが、私たちの恋の始まりだったの。


【Replay Mode:End】


 ✎ܚ


「…………」


 栞の話が終わり、教室に静寂が戻る。

 彼女はうっとりとした表情で、カフェオレを一口飲んだ。

 まるで、極上の恋愛映画を見終えた後のような余韻。


 しかし。

 俺の脳内では、緊急警報が鳴り響いていた。


(……いや、ないだろ)


 俺は心の中で盛大にツッコんだ。

 今の回想シーン、ツッコミどころが多すぎる。


 まず、シチュエーションがベタすぎる。

 「高い所の本を取ってあげる」?

 昭和の少女漫画かよ。

 そして何より、決定的な矛盾がある。


「あのさ、雪野さん」

「ん? なあに?」

「俺の身長、何センチか知ってる?」


 俺は立ち上がって見せた。

 一六五センチ。

 男子高校生の平均より、やや低い。

 対して、雪野さんは一六〇センチ。

 その差、五センチ。


「高い所の本を『軽々と』取るには、少々フィジカル的な無理がないか?」


 俺の指摘に、栞は一瞬だけ視線を泳がせた。

 カフェオレのストローを噛む。


「……背伸び、してたのかもしれない」

「つま先立ちで王子様ムーブ? 逆にハードル高くない?」

「それに、あの棚、意外と低かったのかも!」

「文庫本の棚だろ? 一番上は一八〇はないと届かないぞ」


「うー……」

 栞が頬を膨らませる。

 可愛い。くそ、誤魔化されそうだ。

 でも、俺は文芸部員だ。物語の整合性(プロット)にはうるさいんだ。


「それにさ、『逆光を背負って』って何だよ。図書室の窓、北向きだぞ。直射日光入らないだろ」

「細かいっ! 夏月くんのそういう理屈っぽいところ、相変わらずね!」


 栞はムッとして、カバンからスマホを取り出した。

「証拠ならあるもん! ……ほら、これ!」


 突きつけられた画面。

 そこには、確かに写真が写っていた。

 図書室のカウンターで、俺と栞が並んで本を持っている写真。

 俺の手には『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。

 栞の手には『高い城の男』。

 二人とも、少し緊張したような、でも嬉しそうな笑顔でカメラを見ている。


「……これ、誰が撮ったの?」

「図書委員の佐々木さんが気を利かせてくれたの。『お似合いだね』って」


 写真の日付は、確かに四月の日付になっている。

 俺の髪型も、今より少し短い。

 間違いなく、俺だ。

 そして間違いなく、この日に俺と栞は図書室で一緒にいた。


 事実(ファクト)はある。

 写真は嘘をつかない。

 でも、栞の語る『物語(ナラティブ)』と、現実の俺のスペックの間に、埋めようのない溝がある。


 俺は写真を拡大してみた。

 俺の足元。

 ……よく見ると、俺の踵、少し浮いてないか?

 いや、これ完全に背伸びしてるな。

 必死に身長盛ろうとしてるな、過去の俺。

 だっせぇ。


「……わかった。写真は本物だ」

 俺はスマホを返した。

「でも、王子様ってのは言い過ぎだ。どう見ても、背伸びしてカッコつけてる痛い奴だろ」


「ううん、私には王子様に見えたの!」

 栞が断言する。

「夏月くんの優しさが、身長差なんて埋め尽くすくらい素敵だったんだから!」


 彼女の瞳はまっすぐだった。

 そこには一点の曇りもない。

 本気でそう思っている目だ。


 これが、「恋は盲目」というやつなのだろうか。

 それとも、彼女の記憶の中で、俺という存在が美化補正(フォトショ加工)されているのだろうか。


 俺は溜息をつき、同時に胸の奥がキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。

 嬉しい。

 こんな風に思われていたことが、たまらなく嬉しい。

 でも、それと同じくらい、不安になる。


 その「王子様」は、本当に俺なのか?

 栞が見ているのは、リアルな俺じゃなくて、彼女の脳内で作り上げられた「理想の夏月陽翔」なんじゃないか?

 

 もしそうだとしたら。

 記憶を取り戻した時、俺はその理想像とのギャップに耐えられるんだろうか。

 等身大の、冴えない、背伸びした踵が痛い俺を見ても、彼女は「好き」だと言ってくれるんだろうか。


「……そうか。ありがとう、助けてくれて」

 俺は曖昧に笑って、彼女の頭を撫でた(これも勇気が必要だった)。

 栞は猫のように目を細める。


「ふふっ。どういたしまして。……さあ、次はもっとドキドキする話だよ?」

「お手柔らかに頼むよ……」


 俺たちの「逆再生」はまだ始まったばかりだ。

 第1話「ボーイ・ミーツ・ガール」。

 検証結果:事実はあったが、演出が過剰。

 判定:グレーに近いシロ。


 俺は窓の外を見た。

 日は沈みかけ、空は紫とオレンジのグラデーションに染まっていた。

 マジックアワー。

 世界が一番美しく、そして嘘っぽく見える時間。

 今の俺たちの関係に、ふさわしい空の色だと思った。


(つづく)

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