第6話 さら先生からの手紙

二日後、サラ先生から綺麗なベージュの封筒が届いた。


映見さん


お手紙ありがとう。

私も映美さんとお友達になりたいです。

今日から先生としてではなく映美さんの友だちとしてお付き合いだよ。


私は小学校の1年生の時から教会の日曜学校に通っていました。

両親ともクリスチャンで、私は中学1年ではっきり信仰をもって、洗礼を受けました。


私にとってイエスキリストは救い主であると同時に心の友だちです。

なんでもどんなことでも心の内を話しています。


誰にも話せないことでもこの友達には何でも話します。


すぐには信じてもらえないかもしれないけれど、イエスキリストは神であると同時に私たちと同じ人間でもあったの。


歴史上の人物です。

そして今も天で生きています。

そして友となってくださったの。


私は映美さんがお友達になって欲しいと書いてくれた手紙を読んで、嬉しくて嬉しくて涙が止まりませんでした。

何故だかわかりますか?


私はこの大学に来てイエスキリストのことを真剣に聞いてくる生徒に巡り合わせてくださいと神様に祈り続けてきたのです。


聖書に書かれてある奇跡に対して批判的なことを言ってくる生徒はたくさんいた。

説明してみて下さいとゆがんだ態度で聞いてくる生徒は沢山いたけど、真剣ではなかった。


答えを求めてはいなかった。批判したかっただけ。

声の音色でわかる。


しかし、あなたはまったく違った。

短いお手紙だったけれど、神が私の祈りを聞かれたのだとそれがはっきりわかったの。


もうあなたは私の大切なお友だちです。

少しずつ私のお友達のイエスキリストのこともわかりやすく話していくね。


これからは手紙ではなくラインにしようね。


私の友、映美さんへ


さらより




さらはこの手紙を書くのに少しの躊躇があった。

講師として個人的に生徒と特別な関係を持つことは許されるだろうかと。


しかし、さらは祈りの中で神様からのはっきりした確かな導きを感じた。

積極的にこの生徒と関わりを持ちイエスキリストを紹介すべきだと。


さらにとって神の導きはすべてに優先される。

迷いはなくなりこの手紙を書くことにする。


映美は何度も手紙を読み返すうち、すでに心の交流が始まっているように思えてきていた。


さら先生からの手紙をもらって嬉しくて嬉しくてなかなか眠れない。


私の心の底にある願い(尊敬できる親友が欲しい)が現実となっていく気配に胸が高鳴ってじっとしていられない。


夜中を過ぎてもベッドから出て何度も部屋を歩き回ってしまう。


返事を書くより直接自分の言葉で感謝していることを伝えたい。


なんて言おう。

言葉を用意しないで素直な気持ちだけを伝えることにしよう。


何をいうかはその時の口に任せよう。

翌日、数学の授業の前にまた待ち伏せすることに決めた。


素直な気持ちを伝えるんだ。

何も言葉を用意しない状態で本当の思いだけを言うんだと決めた。


さら先生との関係には余計なものは全部取り外したかった。

本当に思っていることしか口にしない。

そう決めた。


さら先生が講堂に向かってきたのが見えた。

急いで駆け寄る。


真正面に立って自分の言葉で言った。

「嬉しいです。嬉しいです。」


他に言葉はでてこなかった。

目から涙がこぼれ落ちそうになる。

涙を見られないようにそれだけ言ってすぐ席に向かう。


椅子に座ると涙で何も見えない。

授業中ずっと左手でおでこを押さえ、こめかみを揉んで頭痛を我慢しているようなふりをして下を向いて過ごした。


泣いているのを誰にも知られたくない。


さら先生と私が友達に...


下を向いたまま心の中で何度も噛みしめた。

感無量というのはこういう精神状態のことなのだろうか?


ひよりの話も優しい顔で聞いてあげられそうな気分だった。





明後日はクリスマスイブ。

さら先生とあと3ヶ月で会えなくなってしまうがLINEで繋がっているので寂しくはない。


その日の夜、サラ先生からラインがあった。



こんばんは

映美さんに少しづつキリスト教信仰について書いていくね。

わかりづらいこともあると思うけれどゆっくりいこうね。


もうすぐクリスマスだよね。

クリスマスというのはキリスト(救い主)とミサ(礼拝)がくっついた言葉です。

キリストミサこれがクリスマス。


イエスキリストがこの世に来られたことをお祝いする日。

降誕祭と呼ばれています。


すべての人の救い主として神が人と なってこの世界に来られたことをお祝いするの。


神が人となると聞いてもピンとこないと思います。

なんで?どうして?って思うよね。

焦らずにいこうね。


私は信仰のことについて映美さんに伝えていく時、教師が生徒に教えるような方法で話したくないと思っています。


映美さんの目線に合わせて、あなたの心と私の心を通わせながら余計な配慮は取り外して真正面から話していきたいの。


私はね。敬虔なクリスチャンという言葉があまり好きじゃないの。

なんか嘘っぽい。

そんな人いるわけないと思ってしまう。


クリスチャンじゃない人の妄想のようなものだと思っているの。

キリスト教信仰があってもなくても人の素行は そんなには変わらないと思う。

少し幻滅したかな?


違うのは、罪が赦されているかどうかなの。

そこが大切なところ。

すぐにはわからないかもしれないけれど焦らないでね。

あなたにもわかる日が必ず来るから。


じゃ、またね。

さら





クリスマスとはキリストのミサだということ、救い主を礼拝することなんだと初めて聞いた感じ。


でもそんなはずはない。

何度も聞いてきたはずだ。

なんで初めて聞いた気持ちになるのだろう?


理解にはレベルと濃厚さがあるのかも知れない。


イエスキリストのお誕生日会のような軽い解釈だった気がする。

礼拝という言葉が印象的だった。


大学でも何度も聞いていた言葉だったが、何かの一般行事のように感じていた。


でもサラ先生から聞くとまったく違う言葉に聞こえる。

本当に自分は何も分かっていない、知らないんだと改めて思う。


サラ先生が敬虔なクリスチャンという言葉が好きではないということを知らされる。


あまりに意外な言葉だったので、目が乾くほど瞬きするのを忘れてしまった。


先に聞かされてよかった。

知らなかったら絶対サラ先生に言ってた。

本当にそう思っていたから。


キリスト教信仰を持っていても持ってなくても人間の素行は変わらない?


クリスチャンの口から聞かされたこの言葉は重く真実の響きがあった。

違うのは罪が赦されているかどうかだと書いてある。


ここは素直に驚けない。何のことを言っているのかもわからなかった。

驚くというより消化不良を起こしている。


しかし、サラ先生の一言一言に自分の中にある偏見と先入観が炙り出されてくるようだった。


サラ先生が私を大人としてみてくれているような気がして嬉しかった。


私にも理解できるようになると思ってくれているから話してくれたのだ。

それが嬉しい。


今日はすぐに返信しないで、何度か読み返したい。

心で反芻したい。


罪が赦されるという言葉がとても気になっている。

18年間で一度も考えたことのないトピックだ。

理解できるようになりたい。



3日後、サラ先生からのラインがあった。





映美さん


今日ラインではなく、お互い顔を見ながらゆっくり話さない?


もし、今日夜8:00ごろ時間があればそうしたいと思うの。

どう?zoomとかで...


映美は二つ返事だ。

はい。是非お願いします。

私もサラ先生の顔を見ながら話したいと思っていました。

8:00ごろですね。

待ってます。よろしくお願いします。


映美はサラ先生と話す時は、前もってなにも準備しないことに決めている。


その時に思ったこと、話したいこと、聞きたいことをそのまま自分の言葉で話したい。


そうじゃないとサラ先生のいう心と心の会話にならないと思うのだ。


8:00ちょうどに招待が来た。

さら先生はお風呂上がりのようでノーメイク。


映美はそれも嬉しかった。

距離を縮めてくれている。


心と心の会話のスタートになりそうな気配。

これもサラ先生の配慮に違いない。


サラ先生が笑顔で口で囁くように話してくれる。


「映美さん、

ひとつ提案があるの。

私のことを大学以外ではさら先生と呼ばないで、さらと呼んでもらえる?

そうして欲しいの。

それで私も映美さんではなく、映美と呼びたい。どう?いい?」


「もちろんです。慣れるまで少しぎこちないかもしれませんが...」


「じゃ決まりね。映美。さらって言ってみて。」


「さら...」


「いい感じ。いい感じ。」とさらが言う。


「長くならないように20分くらいにしようね。ちょうどいい時間というものがあるから。いい?」


「はい。」


「じゃさっそく聖書の基本の基本から話すね。

聖書の一番最初に創世記というところがあるの。


この世界がどのようにどんな順番で創造されたかということが書かれていて、クリスチャンの中でもいろんな解釈が飛び交っている。


時間がある時、自分で読んでみてね。

今日は最初の人間アダムについて話そうと思うの。


神は最初の人間アダムという人を土から作られたの。」


「土から?」


「そう土から。語源はアダマー 、土という意味よ。土から作られた人。

そのアダムの肋骨からエバが作られた。


エデンの園と呼ばれているところの話。


聖書にこう書かれてあるの。

神である主は人に命じられた。


(あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。)


しかし、アダムは善悪の知識の木からとって食べてしまったの。


すると、罪がアダムの中に入り、罪によって死が入り、その死が全人類に広がってしまったと聖書に書いてあるの。」


映美が思わず聞く。


「それって実話ですか?

歴史上のことですか?」


「もちろん歴史上のことよ。

昔々の作り話ではありません。

いきなりいろんなことを聞かされても頭混乱するよね。


今は信じる信じないとかではなく、聖書にこんなことが書いてあると知るだけで十分だと思うよ。


でも安心していいよ。

今日話したいことはこれで全部だから。」


「これだけですか?」


「そうこれだけ。

映美はどう思った?

感想を聞かせて。

それについて私の考えを伝えるから。

私の心と映美の心の会話が始まるの。」


「はい。えーっとどう思ったかですね。


そのアダムという人が取って食べてはならない実を食べて、それでアダムが罪に定められて、すべての人が死んじゃうことになったんですよね。


じゃ、悪いのはアダムさんで、そのためにすべての人が死刑宣告を受けることになったということですよね。


なんでそんなことを神様がするのかよくわかりません。


さらは本当に聖書に書かれてあることをそのまま信じているんですか?」


「心から信じてる」


「なんかよく分からないんですけど、仮にそれが本当のことだったとしても、私とどんな関係があるんですか?

私はまだ生まれてないですよね。


アダムが神様に逆らって罪に定められて死んじゃうことは、そんなこともあるのかなーくらいには思えます。


でも、わからないのは、それがわたしとどんな関係があるんですか?


全人類が死ななければならなくなったと言われたあたりから頭がついていけない感じです。


全人類が死罪を言い渡されるほど悪いことしたとは思えないんですけど•••


私、どんな悪いことしたんですか?

どんな責任があるんですか?」


「映美、今話していることは映美に責任があるとかないとかの話ではないの。

落ち着いて聞いてね。


今話していることは、はじめて聞く人には宇宙の神秘を理解するのと同じくらい困難なことだと思うの。


だからゆっくり力を抜いて聞いて欲しいの。


映美はアダムが犯した罪は自分が生まれるずっと前の話なのだから自分とどんな関係があるのかと思ったのね。


私も同じように考えていた時期がありました。だからよくわかるよ。


映美 、今から話すことは私の個人的な解釈も入るので絶対正しいとは言えないことなの。


でも前にも言ったように私が本当に思っていることを真正面から貴方に話したいの。


キリスト教の神学者の間でも意見が複雑にわかれている領域だから、それを踏まえて聞いてね。


精子と卵子の結合が人間の存在や自我と深く関わっていると考えて、その時点あたりが個人個人の生命の誕生だと考えている学者も少なくないの。


本当のところは誰も証明できない領域の話よ。

私の解釈は少数派かもしれないけど映美にはそのまま話すね。


映美は自分がいつ生まれたか考えたことある?」


「はい。18年前の誕生日です。」


「じゃその日の前にはあなたは存在していなかったということになるよね。」


「はい。」


「あなたは生まれる前、お母さんのお腹の中にいた時、存在していなかったの?

生きてはいなかったの?


お腹の中の赤ちゃんは心臓もちゃんと動いているよね。

ちゃんと生きているんだよ。


だから18年前の誕生日は本当の意味でのあなたの誕生日ではないと私は思うの。


肺呼吸が始まった日とでもしておきましょう。」


「肺呼吸?」


「では本当のあなたの誕生日はいつだと思う?」


「えーっ、じゃ、お父さんとお母さんが仲良くなった時ですか?」


「精子と卵子がくっついた時ということね。」


「はい。」


「人工受精の話を聞いたことがあるかもしれないけど、受精する時、医師は1番元気そうな精子を選んで受精を試みるの。


わかる?

1番元気そうなと言ったこと。

もう生命として存在しているの。

精子は卵子と結合する前にすでに生命だと私は考えています。


精子は卵子と結合しなければ人間として成長出来ない。しかしそれでも精子はすでに生きている命だと思っています。


アダムに子供が産まれ、その子供にまた子供が産まれ、そのように自然の営みの時が流れ、やがてあなたのおじいちゃんが生まれ、お父さんが産まれ、あなたが産まれたの。


よく聞いてね。

そのように繰り返される営みのいつかの時点で、何かのきっかけで偶然と偶然が化学反応を起こして映美さんの命が誕生したのではないと私は思っています。


生命はそのような偶然の産物ではないのよ。

神の創造によるの。


アダムが土から作られた後、神が命の息を吹き込んだと聖書に書いてあるの。


アダムが土から作られて、神が命の息を吹き込んだ時、アダムの血の中に私たちは小さな小さな生命の種として誕生したと私は思っているの。


私の個人的な解釈になるかもしれないけれど、もしアダムの血の中に私やあなたの小さな小さな生命がそこになかったとしたら、それ以外のいつかの時点で誕生したということになってしまう。


そのいつかの時点で偶然と偶然の化学反応か何かで私やあなたのいのちが生まれたとは私には思えない。


私は命は神の創造だと思うと言ったけれど、私たちがアダムから何かを受け継いでいるなら私たちがアダムの血の中に存在していたということを意味していると私は思っています。


多くの神学者は精子と卵子の結合には複雑なプロセスがあってその流れの中で意識や自我が誕生して、それが完成した時が命の誕生と考えていると言ったけれど、その意味では私の解釈は少数派だと思う。


でも、私は今の時点ではそのように考えています。

だから断言はできない。


私は少数派になることを恐れないと決めているの。


本当にその時思っていることを素直に自分で受け止める。

間違っていたとわかれば、勇気を出して間違いでしたと認める。


全ては正しく深い解釈へと続く通過点だと思っています。


神様に対する心の態度が間違っていなければ、神様は間違っているところを優しく軌道修正してくださると私は信じているの。


話を戻すね。

自分が生まれる前のずーと昔のことだから自分とは関係ない。そういうことじゃないの。


今ははっきりわからなくても、それでいいのよ。

時間をかけて、少しずつ少しずついきましょう。


大学では私とあなたは講師と生徒の関係だけれども、そんなことは取り払って1人の神を信じている人間としてあなたに向き合っていきたいの。

ゆっくり行こうね。どう思う?」


「はい。ゆっくりいきたいです。

はじめて聞く話なので少し難しいですが、自分なりに色々考えてみたいです。


こうしてサラ先生に教えてもらえるのはとてもありがたいです。」


「聖書に急ぎ足の者はつまづくと書いてあるの。

だからゆっくりいこうね。」


「はい。」


「じゃまたね。」





さらとはじめてのズームが終わった。

こうしてさらとこんな関係になれて本当に嬉しい。


あの時、積極的に手紙を書かなければこうはならなかった。

なんでも自分から動くことで、道は開けるんだと心から思う。


ノンカフェのアップルティーを入れてゆっくりさらが話したことを思い返していたら、小学校の時のことを思い出した。


ある日、母が私を連れて母の古くからの友人に会いに行った時のこと。


その時、母の友人が私を見てびっくりしたような顔をして広島弁で

(まあ、まっこと、おばあさんの顔によう似とってじゃ!)

と言われたことを突然思い出した。


私は時々、母によく似ていると言われるが、おばあさんにも似ていると初めて言われた。

おばあさんは私が生まれる前にすでに亡くなっていたので会ったことはない。

さら先生の話を聞いたせいか、突然なぜかそのことが頭に浮かんだ。


私がおばあちゃんに似ている?

だとすれば、ひいおばあちゃんにも似ていてもおかしくない理屈になる。


私の存在、私の命やDNA情報はどこまで遡れるのか?

その日ずーっとそのことを考えていた。


考え疲れてぼーっとしながら翌日のおかずの準備をしていた時、ほうれん草を切っていたら少し指を切ってしまった。


ほんの少し血が出ただけだが、その時アダムの血の話を思い出した。


私のこの赤い血の中に私の未来の子供や孫たちの命の情報が入っているのだろうか?


この赤い血の中に私の顔に似た未来の子供たちの設計図などが潜んでいるのだろうか?


さら先生の話が現実味を帯びて沁みてきた。





3月 に入って、さらとの別れの日が秒読みに入ってきていた。

さらの最後の授業の日だ。


さらは教壇の中央に立ち、軽く目を閉じ、ひと呼吸置いて、綺麗な文字をホワイトボードに滑らせるように書いていった。


[数学は神が宇宙を書いたアルファベットだ]


あのガリレオの言葉だった。

前を向いて語り始める。


「私はこの世界は神による創造だということを疑っていません。


また、私はイエスキリストこそ唯一の救い主だと信じています。


数学は神がこの世界を創造されたという思いを明確にしてくれました。


数学はひとつひとつのデータを正確に積み上げることに貢献します。

そしていろんな仮説を証明まで導きました。


何も証明出来なければ、多くの領域で進歩はなかったはずです。


この中には、人間が数学を生み出したと思っている人もいるでしょう。


しかし、私は神が数学を創造したのだと考えています。


そして宇宙の営みを理解するためにも神は数学を人間に与えられたのだと思っています。


もし、神が数学を人間の世界に送ってくださらなければ、科学も医学も進歩するということを知らなかったでしょう。


人間に言葉が与えられていなかったら、理性的に考えることは困難になるはずです。


同じように人間に数学が与えられなかったら、何も証明することは出来なかったと思うのです。


すべての進歩は神の存在を証明しているように私には見えるのです。


私にとって数学は神の神秘を見ることの出来る不思議な顕微鏡のような存在でした。」


優しい口調ではあったが迫力があった。


さらは繰り返す。


「もう一度言わせて下さい。

私は神がこの宇宙のすべてを創造されたと信じています。

そして、イエスキリストこそが唯一の救い主だと信じています。


イエスキリスト以外に救いはありません。


私が皆さんにお伝えしたいことはこれですべてです。」


そして、さらはゆっくり心のこもったお辞儀をして教室を後にした。

あんな綺麗なお辞儀を見たのは初めてだった。


さらはどこまでも美しかった。

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