NTR冒険譚 失うたびに強くなる俺

夢うつつ11

【第1話】 彼の特別と、彼女の普通

三井健人、二十五歳。




 深夜のコンビニ帰り、彼は自分の人生を「選ばれなかった側」の連なりとして受け止めていた。




 仕事も、居場所も、恋も。




 掴みに行かなかったのではない。




 掴もうとしても、いつも手のひらをすり抜けていった。




 空が裂けたのは、その瞬間だった。




 白い閃光。




 雷鳴より先に、意識が断ち切られる。














 意識の狭間で、女神レナトネは静かに言った。






『あなたに、世界を生きる力を与える』






『ただし、その力は……あなたに絶望を与えるかもしれない』




 拒否権はない。


 それでも生きろ、という優しい命令。






『でもね、その絶望が、あなたの力になるわ』






 その意味を、ケントはまだ知らない。




















 異世界で目覚めた彼は、何も持っていなかった。




 言葉も、金も、知識も。




 そんな彼を拾ったのが、教会のシスター――クレアだった。




 金色の長い髪を背中に流し、修道服に包まれた身体は、布の上からでも女性らしい曲線を隠しきれていない。




 胸元は慎ましく留められているが、それでも大きく、視線を逸らすのに苦労するほどだった。




 背丈はケントとほとんど同じ。




 穏やかな青い瞳と、年齢よりも落ち着いた雰囲気が、どこか安心感を与える。






「大丈夫ですよ。困っている人を助けるのは、当然ですから」




 彼女はそう言って、迷いなく手を差し伸べた。




 食事の席では自然に隣に座り、


 肩が触れても気にした様子はなく、


 寒い夜には何も言わず毛布をかけてくれる。




 その距離の近さは、意識していないからこそ無防備だった。






「ケントさんは、優しいですね」




 柔らかな声でそう言われるたび、胸が温か

くなる。




 ――きっと、自分だけに向けられている。




 そんな勘違いが、静かに育っていく。








 ある日の入浴。






「先にどうぞ。慣れない世界で、疲れていますよね」




 湯気の立つ浴室。




 後から入ってきたクレアは、タオル一枚でーー




 白い肌。




 修道服の下に隠されていた、豊かな胸の膨らみと、女性的な腰のライン。






「あ、ごめんなさい。うっかりです」




 一瞬だけだったが、確かに目に焼き付いた。




 けれど彼女は、頬を赤らめることもなく、すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。




 それは誘惑ではない。




 無自覚な距離の近さ。




 誰にでも与えられる、平等な善意。




 分かっている。


 分かっているのに、期待してしまう。






 もしかしたら、自分だけは違うのではないかと。












 ある日の帰り道だった。


 


 森の小道で、男たちが現れた。




 下卑た視線が、クレアの身体をなぞる。




 修道服の上からでも分かる女性らしさが、あからさまに狙われていた。




 ケントは前に出た。




 守れるとは思っていない。




 それでも、立たずにはいられなかった。




 結果は一瞬。




 地面に叩き伏せられ、息が詰まる。




 視界の端で、クレアが囲まれる。






「……落ち着いてください」




 その声は、拒絶ではなかった。




 宥めるように、 相手を思いやるように。




 男たちの距離が縮まる。




 修道服越しに伸びる手。




 ケントは、見てしまう。




 自分には向けられなかった表情。




 女として扱われる、その瞬間。








 胸が、壊れる。




 ――取られた。




 恋人ではない。




 それでも、確かに奪われた。




 そして、最悪のことに気づいてしまう。








 嫌悪と同時に、


 理解したくない興奮が、確かに存在することに。




 その瞬間、身体の奥が熱を帯びた。




 視界の端に、見慣れない表示が浮かぶ。






体力  :12 → 40


魔力  :0 → 22


パワー :9 → 30


防御  :8 → 26


素早さ :10 → 24






 心は、完全に折れている。




 なのに、身体だけが、はっきりと強くなっていく。






『その絶望が、あなたの力になる』




 女神の声が、今度ははっきりと理解できた。












 男たちが去った後。




 クレアは、乱れた息を整え、いつものように微笑んだ。




 金髪を耳にかけ、穏やかな瞳でこちらを見る。






「大丈夫です。皆さん、悪い人ではありませんでした」




 その言葉が、何よりも残酷だった。




 彼女は変わらない。




 誰にでも優しく、誰も拒まない。




 それが彼女の善意であり、信仰であり、在り方なのだ。




 ケントは、その優しさに救われ、




 同時に、完全に打ち砕かれた。






 ――これは呪いだ。






 だが同時に、悟ってしまう。




 この力がなければ、


 自分はこの世界で生きられない。




 誰かに奪われ、


 絶望を抱くたびにしか、強くなれない。






 それが、女神に与えられた「生きる力」の正体だった。














家に戻ったのは、夜も深くなってからだった。




 小さなランプの灯りの下で、クレアは湯を沸かしていた。




 いつもと同じ仕草。




 いつもと同じ、穏やかな横顔。






 ――さっきまで、あんな光景があったとは思えないほど。






「……さっきのこと、覚えていますか」




 ケントがそう切り出すと、クレアは手を止め、少しだけ考える素振りを見せた。






「森でのこと、ですよね」




 そして、あっさりと頷く。






「よくあることです」




 その言葉は、刃のように胸に刺さった。






「……よく、ある?」






「はい。この辺りは治安がいいとは言えませんから」




 責める様子も、怯えた様子もない。




 まるで、雨に降られた話でもするような口調だった。






「でも、皆さん……満足して帰っていきましたし」




 ケントは、言葉を失った。






「……どうして、そんな……」




 声が震える。




 クレアは、困ったように微笑んだ。






「私、誰かが喜んでいるのを見るのが好きなんです」




 悪気は、微塵もない。




 それが、はっきりと分かる。






「だから……拒む理由が、あまりなくて」




 その善意は、誰のためでもあり、




 同時に、誰のためでもない。




 ケントは、喉の奥に溜まった言葉を、必死に押し出した。






「……俺が」




 一瞬、間が空く。






「俺が、望んでも?」




 ランプの灯りが、二人の影を揺らした。




 クレアは、少しだけ目を見開いてから、柔らかく笑う。






「ええ、もちろん」




 当然のように。




 当たり前のように。




 そこに、特別な意味はなかった。




 それは「あなたでもいい」という肯定であって、


 「あなたがいい」という選択ではない。




 ケントは、その違いを、痛いほど理解してしまった。




 ――望めない。




 自分は、彼女に「選ばれる」存在ではない。




 彼女の善意の列に、順番に並ぶことすら、できない。




 口を開けば、何かが決定的に壊れてしまう気がして、




 結局、何も言えなかった。






「……今日は、休みましょう」




 そう言って立ち上がるクレアの背中を、ケントは見送ることしかできなかった。




 その夜、眠れなかった。




 目を閉じるたび、森の光景が蘇る。




 耳に残る声。




 自分には向けられなかった表情。




 そして、クレアの言葉。




「誰かが喜んでいるのを見るのが好き」




 その“誰か”の中に、自分が含まれる可能性があったとしても、




 それは決して、特別ではない。




 ――それでも。




 心の奥で、卑しい願いが芽を出す。




 もし、もう一度同じことが起きたら。




 今度こそ、もっと――。




 その瞬間、身体が微かに熱を帯びた。




 気づいてしまった。




 自分はもう絶望だけでなく、


 その先にある“変化”を、どこかで期待してい


る。




 それが、何よりも恐ろしかった。










 翌日。




 教会の前で、クレアはいつも通り、村人たちに微笑みかけていた。




 男も、女も、子どもも。




 誰に対しても、同じ距離、同じ声。




 その中に、昨日のならず者の一人が混じっているのを、ケントは見た。




 クレアは気づくと、軽く会釈をする。




 相手は、こっちを見ながら笑った。


 


 胸の奥が、静かに、確実に壊れていく。




 それでも、数値は微かに上がっていた。




 理由は、もう分かっている。




 この世界は、この力は、


 彼に「慣れろ」と命じているのだ。




 奪われることに。




 望めないことに。




 そして、絶望を力に変えることに。




 クレアは、今日も優しい。




 その優しさが、


 ケントを強くし、


 同時に、二度と戻れない場所へ押し流していく。












 2日後の夜、教会の扉は、半分だけ開いていた。




 夜の静寂の中、蝋燭の灯りが揺れている。




 祈りの時間には、少し早い。






 ――なのに。




 ケントは、足を止めた。




 奥から、声が聞こえたからだ。




 低く、落ち着いた男の声。




 そして、よく知っている、柔らかな女の声。




 祈りの言葉ではない。






 息を殺し、影の中から覗いた瞬間、




 世界が、はっきりと二つに割れた。




 祭壇の前。




 神父と、クレア。




 彼女の金髪はほどけ、いつもきちんと留めているはずのシスター服は乱れている。




 大きな胸が上下するたび、蝋燭の光が影を落とし、




 その表情は――祈る者のそれではなかった。






「……あの青年とは、しないのですか」




 神父の声は、穏やかだった。




 責めるでもなく、


 問い詰めるでもなく、


 ただ、興味深そうに。




 クレアは、一瞬だけ考えるように首を傾げる。






「あの人、優しいですから」




 それだけだった。




 名前も、特別な感情も、そこにはない。




 神父は、小さく笑った。






「それは、優しさじゃない」




 言葉が、静かに落ちる。






「臆病というのですよ」




 ケントの喉が、鳴った。




 反論は、浮かばなかった。




 否定も、できなかった。




 クレアは、その言葉を否定しなかった。




 むしろ、少しだけ楽しそうに笑う。






「……そうかもしれませんね」




 そして、何事もなかったかのように、


 行為を続ける。




 祈りの場で。




 信仰の象徴の前で。




 誰かの優しさを、当然のように置き去りにして。




 ケントは、その場から動けなかった。




 怒りも、悲しみも、嫉妬も、




 すべてが混ざり合い、言葉にならない。






 ――選ばれなかったのではない。




 ――最初から、選択肢にすら入っていなかった。






 その事実が、ゆっくりと、しかし確実に心を潰していく。




 視界の端で、数値が静かに跳ね上がる。


 


 理由は、もう説明されなくても分かる。




 彼は、理解した。




 この力は、




 誰かに奪われるたびに、




 自分が“何者でもなかった”と突きつけられるたびに、 強くなる。




 クレアは、最後まで優しかった。




 誰かを拒まず、誰かを選ばず、




 ただ、与え続けた。




 その善意はケントの希望を育て、




 同時に、完全に殺した。




 教会を出たとき、夜風が冷たく頬を打った。




 ――これが、この力の正体だ。




 呪いであり、祝福。




 絶望であり、成長。





 ケントは、初めて確信する。




 自分は、この世界で、




 こうして強くなる運命なのだと。










 それでも、歩き出した。




 まだ、終わりではないから。


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