銀嶺の夜明けと刻限の鍵

@orangeore2025

第1話


第一章 凍てつく空と新年の産声


 空を覆う雲は厚く、鈍色に沈んでいる。

 この「銀嶺の世界」において、一月一日は単なる暦の切り替わりではない。それは、一年で最も魔力が冷え込み、精霊たちが眠りにつく「静寂の日」であった。

 アルトは、村の外れにある古い時計塔の頂上で、吐き出す息が白く凍りつくのを眺めていた。厚手の毛織物のコートを着込んでいても、芯から凍えるような寒さが肌を刺す。


「……もうすぐ、刻限か」


 手元の懐中時計は、古い歯車の音を立てて時を刻んでいる。

 この異世界では、元日の夜明けに「新年の光」を最初に浴びた者が、その年一年の守護を得られるという言い伝えがあった。

 しかし、視界を遮るほどの大雪だ。太陽の姿など、どこにも見えはしない。


 村の家々からは、暖炉の煙が細く立ち上っている。人々は凍える屋外を避け、家族で温かいスープを囲んでいるはずだ。

 そんな穏やかな時間の裏側で、アルトには代々受け継いできた果たさねばならない役目があった。



第二章 雪下に眠る古の約束


 アルトが握りしめているのは、一本の古びた銀の鍵だった。

 一月一日の朝、太陽が昇る前に、塔の最下層にある「氷封の扉」を確認しなければならない。

 階段を駆け下りる足音が、静まり返った塔内に響く。地下へ進むほど、空気はさらに密度を増し、絶対零度の静寂へと近づいていった。


「……変わっていないな」


 扉の前でアルトは足を止めた。

 そこには、かつてこの地を救ったとされる氷の女神の紋章が刻まれている。

 冬が厳しければ厳しいほど、女神の力は強まり、封印は安定するはずだった。


 しかし、今年の寒さは異常だった。

 冷気が物理的な圧力となって、アルトの肺を内側から圧迫する。

 彼は鍵を穴に差し込み、祈るようにゆっくりと回した。手応えはない。ただ、深淵から響くような低い振動が、足の裏を通じて伝わってきた。



第三章 静寂を破る吹雪の化身


 扉の隙間から漏れ出したのは、ただの冷気ではなかった。

 それは、意志を持った雪の塊――雪霊たちのざわめきだ。一月一日の魔力の揺らぎに乗じて、彼らは実体化し、世界を永遠の冬に閉じ込めようとしていた。


「……っ、静まれ! まだ、お前たちの出る幕じゃない!」


 アルトは懐から魔導書を取り出し、詠唱を始めた。

 彼の指先から放たれた淡い光が、雪霊たちの奔流を押し返そうとする。

 だが、寒さはアルトの思考を鈍らせ、魔法の構成を狂わせる。指先は感覚を失い、視界が真っ白に染まっていく。


 今日が新年だというのに、自分はここで誰にも知られず凍りつくのではないか。

 そんな絶望が脳裏をよぎった瞬間、塔の外から重厚な音が響いた。

 村の教会が鳴らし始めた、新年の到来を告げる鐘の音だ。それは人々の祈りを乗せた響きであり、この地の秩序を繋ぎ止める楔でもあった。



第四章 黎明の光、氷を溶かして


 鐘の音に合わせて、アルトの魔導書が強く輝いた。

 人々の「新しい年を無事に迎えたい」という願いが、魔力となってアルトの心臓に流れ込む。


「――氷の鎖よ、秩序の名において命ずる。再び眠りにつけ!」


 アルトの叫びと共に、青白い光の鎖が雪霊たちを縛り上げ、扉の奥へと引き戻していった。

 激しい衝撃と共に扉が閉まり、カチリ、と鍵が自動的にロックされる。

 戦いは終わった。


 同時に、塔の小さな窓から一筋の光が差し込んできた。

 分厚い雲の切れ間から、一月一日の、生まれたての太陽が顔を出したのだ。

 その光は地下の階段を照らし、アルトの冷え切った体を優しく包み込んだ。

 異世界の過酷な冬が、ほんの一瞬だけ、その牙を収めた慈愛の瞬間だった。



第五章 始まりの一歩と白い息


 塔の外に出ると、世界は一面の銀世界に塗り替えられていた。

 だが、先ほどまでの刺すような冷たさではない。太陽の光を反射して輝く雪は、まるで世界を祝福する絨毯のようだった。


「あけましておめでとう、か……。今年も守りきれたな」


 村の方からは、ようやく起き出してきた子供たちの歓声が聞こえてくる。

 一月一日。

 今年もまた、厳しい冬を越えていく日々が始まる。けれど、この新年の光を浴びた人々の心がある限り、世界が凍りつくことはないだろう。


 アルトはコートの襟を立て、村へと続く雪道をゆっくりと歩き出した。

 歩くたびにキュッ、キュッと雪が鳴る。


「さて、帰って温かいスープでも飲もう」


 アルトの吐き出した白い息は、空へと真っ直ぐに昇り、新春の光の中に溶けて消えていった。

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