第4話:資料4【栄養課PC内・未共有ドキュメント(個人的な備忘録)】
作成日時: 202X年10月25日 02:15
保存場所: ローカルディスク(C:) > System > Log > private
夜の厨房は、巨大な胃袋の中のように静まり返っている。
ステンレスの冷たい輝きが、月光を吸って青白く濡れていた。
私はその静寂に耳を澄ませる。
換気扇の低い唸り声だけが、この建物の呼吸音のように響いている。
老いとは、枯れていくことだと教わった。
水分が抜け、筋肉が落ち、やがて塵へと還る過程だと。
しかし、この「百舌鳥の苑」で起きていることは違う。
彼らは枯れているのではない。
もっと濃密で、原初的な何かへと変態しようとしている。
今日、検食のためにスプーンを口に運んだとき、私は戦慄(わなな)いた。
ミキサーにかけられた肉と野菜のペースト。
そのねっとりとした舌触りの中に、得体の知れない生命力が潜んでいたからだ。
それは、調理された「食事」の味ではなかった。
まだ脈打っている、生きた獣の温かさだった。
私は深夜の廊下を歩く。
個室の扉の向こうから、衣擦れの音がする。
クチャ、クチャ、と濡れた咀嚼音が漏れてくる。
彼らは夢の中で何を食べているのか。
歯のない口で、何を貪(むさぼ)っているのか。
在庫管理表の数字が合わないことなど、もはや些細な問題に思える。
冷凍庫の奥に鎮座している「あれ」
赤黒く、濡れた光沢を放つ肉塊。
発注した覚えのないその肉は、見るたびに形を変えている気がする。
昨日は牛の腿肉に見えたが、今日は人の大腿部のようにも見えた。
美しい、と思ってしまった。
その肉の鮮烈な赤色が、死に絶えようとしている老人たちの頬に、薔薇のような赤みを差させているのだとしたら。
私は栄養士として、彼らにそれを与えるべきなのだろうか。
先ほど、暗い食堂の隅で、入居者のTさんが私を見て笑った。
「先生、いい匂いだね」 そう言った彼女の瞳は、白濁していたはずなのに、今は濡れた黒曜石のように澄み渡り、私の喉元を映していた。
ここは老人ホームではない。
ここは、もっと別の、神聖で冒涜的な生き物を育てるための揺籃(ゆりかご)なのだ。
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