終焉の魔女(2歳)、現代で潜伏中。~世界を腐らせる呪いの霧を、最愛の下僕に「宇宙の深淵みたいで最高にエモい」と全肯定されて救われる。

@penosuke

終焉の魔女(2歳)に法廷へ呼び出されました。判決:明日も一緒

 終焉の魔女が潜伏するタワーマンションの最上階を、ぼく、松代隆也まつしろたかやだけが知っている。

 そのリビング。

 部屋の中央に置かれたベビーサークルの中で、正座をさせられている、ぼく。

 目の前には、おもちゃのプラスチックハンマーを持った、終焉の魔女が立っていた――。


 透き通るような銀糸の髪は、月光をそのまま紡いだかのように煌めき、ふわりと肩を覆っている。

 陶器よりも滑らかで瑞々しい肌。

 長く、密な、地の睫毛に縁取られた瞳は、宇宙の深淵を煮詰めたような、昏く、けれど純粋な輝きを放っている。

 数千年の孤独と、一国、いや世界の存亡をも左右してきたであろう絶対者の威厳。


 それが――わずか八十センチメートルほどの、柔らかな曲線を描く幼児の肉体に凝縮されている。


「……静粛に」


 難しい言葉も流暢に使いこなす、レナリア・アポカリプス・エントロピア――通称レナちゃん(2歳・裁判長)がそこにいた。


「……これより、被告人タンタンの『浮気未遂および、コンビニ店員へのスマイル過剰罪』の裁判をはじめましゅ」


 彼女はハンマーで、ぼくの頭をポコンと叩いた。


「……タンタン。……さっきの店員。……目尻、下がってた」

「そ、それは」


 思い返そうとしてしまった。――やめるんだ。鮮明に思い出した瞬間、判決が確定する。

 ぼくは必死に記憶へモザイクをかけながら、買い物袋を差し出した。

 レナちゃんが大好きなリンゴジュース。お気に入りのパッケージの、大粒たまごボーロ。今日は、夜の遠足に行く予定だったから。彼女に平穏を与えるための、必死のご機嫌装備だ。


「というか、レジって店員さん見ないと会計できな――」

「……言い訳はきかない!」


 ポカッ!


「……ビクってした。……それは、見たの合図。……つまり、浮気!」

「……うぅ……はい……」


 弁護人はいない。検察官も裁判官も、すべて嫉妬に狂った2歳児である。


「……次に、汚染状況の確認」


 レナ裁判長は自ら接近し、背伸びをして、ぼくの顔を掴んだ。

 犬のように鼻を鳴らす。


「……くんくん。……くさい。……知らない匂い」


 そんな、言いがかりだ。せいぜい付着したとしても、コンビニに充満していたおでんの匂いぐらいだ。けれど、ぼくのパーカーの袖に顔を埋め、必死に自分の匂いで塗りつぶそうとする彼女が――あまりに愛しくて、反論する気も失せてしまう。


「……ふんふん。……くぅ」


 とろん、と瞼が落ちてしまうレナちゃん。

 ハンマーを手放して、体ごとガクッと沈む。そして、くー、くー。

 魔女の精神を持ってしても、2歳児の肉体が強いる睡眠欲には勝てなかった。

 よしよし、と銀色の髪を撫でていると――。


「……ハッ!」


 起きなくていいのに。彼女はガバッと立ち上がり、許せないものを見る目でぼくを睨んだ。


「……タンタンは、レナちゃんの所有物なのに!」

「よだれ出てますよ、レナちゃん。ほら、ふきふき」

「むうううう……!!」


 ぷんぷく怒りながらも、ぼくの指を受け入れるレナちゃん。

 そういうところが偉いし、致命傷なくらい可愛い。


「……勝手に他の女の匂いをつけて帰ってきた!」

「そんな。レジで応対してもらっただけじゃないですか?」

「……これは、重罪。……死刑に匹敵するよ?」


 彼女は、小さな額を、ぼくの胸にぐりぐり押し付けた。

 何だろう。ドリルのつもりだろうか? 執着の証か、独占欲の表現か。抱きつき方がどうしようもなく幼くて、可愛くて。


「……でも、レナちゃんは優しいから。……更生プログラムを受ければ、許してあげる」


 ――耳元で囁かれる声だけは、幼さを置き去りにする。

 数千年分の夜を噛み潰したみたいな、静かな圧。


「……判決を言い渡しましゅ」


 ぼくを見上げるレナちゃんは、きゅっと口角を上げる。


「……主文。……死刑でしゅ」

「重っ」

「……でも、死刑にする前に」


 レナちゃんは、いったん間を置いてから、なぜか少しだけ視線を逸らした。

 その双眸に宿るのは、支配者の傲慢ではなく、捨て子のような怯えだ。


「あっちのコンビニで、アイス買ってきなさい。……二個でしゅ」

「……二個?」

「……一緒に食べるんでしゅ」

「わかりましたよ、レナちゃん。さっきのところで買ってきますから」

「ダメでしゅ! さっきの愛想笑い店員のところは、めっ!」


 その瞬間。

 レナちゃんの足元から、ふわり、と。

 黒い霧が漏れた。

 息みたいに薄いのに、影みたいに重い。床のワックスの艶が、じわりと鈍る。ベビーサークルの白い柵が、音もなく朽ちて崩れ落ちた。

 テーブルの銀色の脚が、まるで古い写真みたいにくすんでいく。観葉植物の葉が、一枚、また一枚と、音もなく落ちた。スマホから、この世の終わりを告げるような、緊急速報の通知音。けれど画面に、砂嵐みたいなノイズが走る。


「……っ」


 破壊は静かに、加速する。

 リビングの豪華な調度品が、数千年の時を飛び越えたかのように瞬く間に朽ち果てていく。

 その汚染は壁を抜け、地上数百メートルを彩る街の灯さえも、映像の早回しのように次々と消え去っていく。

 ぼくの認識し得るすべての世界が、彼女を核として、一つの終焉へと収束していく。

 ほんの少しの、嫉妬を引き金にして。


 ――数千年の時を生きたと自己申告する魔女。

 初めて出会ったときは、そんなのは信じられなかった。けれど今日ここに至るまで、何度も、それを信じられる証拠を突き付けられた。

 今だって。

 かつて人類という種を統治し、孤独に生き続けた終わりの魔女。その威厳と残酷さが、幼児の肉体という薄皮を突き破って、溢れ出していた。

 だがそれは、本人が望んでいる、とは思えない。


「……見ないで」


 震える声が、朽ちる音に混じった。レナちゃん――いや、レナリア様は。

 小さな、ぷっくりとした両手で、必死に口元を押さえている。

 指の間から漏れ出す黒い霧が、彼女自身の白い肌を、服を、そして彼女が愛するはずの世界を蝕んでいく。


「……見ないで。……汚い。……レナちゃん、……世界を壊す、化け物……っ」


 その瞳から溢れたのは、涙。

 数千年の時を生き、あらゆる文明の終焉を看取ってきた魔女が、泣いている。

 生存と意識の保存が、かろうじて可能な『2歳児』という極小の器。その脆弱な肉体に、全世界を腐敗させるほどの巨大な呪いを封じ込めている矛盾。

 彼女が幼児の姿でいるのは、可愛いからではない。そうでもしなければ、彼女が息をするだけで宇宙が滅んでしまうからだ。


「……タンタン、……逃げて。……私と一緒にいたら、……タンタンも、消えちゃう……っ!」


 確かに、ぼくの指先はひりつき、意識は遠のきかけている。

 窓の外、不夜城と呼ぶにふさわしい首都の灯りは、彼女の嫉妬という名の『終焉』に呑み込まれ、一軒、また一軒と闇に溶けていく。

 だが――。


「汚くないですよ。レナリア様」


 ぼくは正座を崩し、朽ちたサークルの残骸を乗り越えて、彼女の前へと這い寄った。


「……何、言って……。……狂ったの……?」

「そう、狂ってるんです。ぼくは下僕ですから」


 ――あの日。

 人生に絶望し、マンションの屋上から飛び降りようとしていたぼくを見つけたのは、誰でもない、彼女だ。


『……汚い。……人間なんて、みんな汚い』


 そう吐き捨てながら、彼女はぼくの手首を掴み、その瞳に宿る圧倒的な孤独で、ぼくの死にたいという感情さえも上書きしてしまった。

 あの日ぼくは死に場所を失い、代わりに――この世で最も美しい絶望を見つけたんだ。

 腐食を厭わず、震える小さな肩を抱き寄せた。

 彼女の体温は驚くほどに温かく、けれど彼女から溢れる霧は、宇宙の絶対零度よりも冷たい。


「綺麗だ」

「……っ、嘘……!」

「嘘じゃない。……最高にエモいですよ、この闇の色。宇宙の深淵を覗き込んでいるみたいだ。吸い込まれそうで、瞬きするのも惜しいくらいに――」


 ぼくは、彼女の耳元で、祈るように囁いた。


「皆、キラキラしたものや、明るいものばかりを美しいと言うけれど。……レナリア様が抱えているこの深い絶望に、恋をしたんです」


 レナリア様の体が、びくん、と跳ねた。


「世界を壊してしまうほどの孤独を、ぼくは愛しいと思ってしまったんですよ」


 彼女の、口元を押さえていた手が、力なく解かれる。


「……本当に……? ……こんな、……何もかもを壊して、汚すだけの、力なのに……?」

「あなたが世界を汚すというのなら、ぼくはその汚れを一生かけて愛でる、唯一の目撃者になります。だから、自分を化け物なんて呼ばないで」


 その瞬間、世界を覆っていた黒い霧が、ふわり、と凪いだ。


「あなたは、ぼくだけの……宇宙で一番、美しい魔女なんだから」


 暴力的な破壊の衝動が――行き場を失ったように霧散していく。


「…………変態でしゅ」


 ぐすり、と鼻を鳴らして。

 レナリア様……いや、レナちゃんは、ぼくの胸の中に顔を埋めた。

 その声には、もう世界を滅ぼすほどの毒は混じっていない。


「……うん、知ってます」

「……バカ。……タンタンは、……本当に、どうしようもない下僕でしゅ……」


 彼女の小さな手が、ぼくのパーカーをぎゅっと掴む。

 窓の外には、再び街の灯りが戻り始めていた。





 朽ちたリビングが、逆再生の映像のように色を取り戻していく。

 終焉とは、時間の最果てだ。ならば、その主である彼女が心を鎮めれば、時間は巻き戻る。灰は木材へ、錆は銀へ。散った葉は枝へと舞い戻り、死に絶えたはずの観葉植物が、瑞々しい緑を取り戻していく。

 それは破壊よりも遥かに幻想的で、優しい、拒絶の撤回だった。


 その中で、2歳の姿をした魔女。それを抱き締める、ぼく。


「……タンタン」

「はい」

「……アイス。……やっぱり、三つ買ってきなさい」

「三つ? 二人で、三つですか?」

「……ばか」


 レナちゃんはぼくの胸から顔を上げ、涙で濡れた瞳で、けれど少しだけ誇らしげに口角を上げた。


「……一つは、……レナちゃんへの詫びでしゅ。……あとの二つは、……仲直りの印に、……半分こ、するんでしゅ」

「え? でもレナちゃん、ぽんぽんいっぱいでしょ?」

「……いっぱいでしゅ。だから、タンタンと、明日食べましゅ」


 タンタン。

 タカヤとうまく言えなかった彼女が、必死に呼んでくれた、初めての名前が『タンタン』だった。


「欲張りですね。レナちゃん」

「……えへへ。……明日も一緒♡」







(あとがき)

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

カクヨムコン11短編賞へ応募します。もし面白いと思っていただけましたら、コメントしていただけますと嬉しいです!


※元をたどれば、ほかの女に愛想よくした下僕を咎めるレナちゃん(2歳・最強の嫁)の、世界で一番迷惑で、世界で一番可愛い痴話喧嘩のお話でした。


※下記、気に入った要素がございましたら、ぜひコメントしていただけると嬉しいです!


レナちゃん(2歳・不機嫌モード)

この世の終わりみたいな顔をした、レナちゃん(2歳・激怒)

レナちゃん(2歳・積み木崩し名人)

レナちゃん(2歳・裁判長)

レナちゃん(2歳・バイオ兵器モード)

レナちゃん(2歳・神話級の美少女)

レナちゃん(2歳・パジャマ姿・トテトテと歩いてきた)

レナちゃん(2歳・浴衣美人)

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