第10話 フワモコのミルゥ

「くぅーん……」


 すぐそばで何かの鳴き声がして、ツムギの意識が引き戻された。


 ゆっくりと目を開けると、ガラスの天井越しに、青い空がぼんやり揺れていた。

 近くで、さざ波の音がしている。


 ――そうだ。

 竜の島に着いて、緊張がほどけた途端、眠ってしまったんだ。


 体を起こそうとした、その瞬間。


 視界の端で、何か白いものが“もこっ”と動いた。


「ほわっ……!な、なに……?」


 ツムギはびくりと肩をすくめる。


 ベッドのすぐ横に、大きな丸い塊があった。

 白い毛がふわふわと波打ち、呼吸に合わせて小さく上下している。


(え……い、生き物……?)


 まるで巨大な綿菓子だ。


 息を潜めて見つめていると、その綿菓子が、そろりと動く。

 ふわふわの生き物が、ゆっくり顔を上げた。


 ツムギは息を呑む。


 丸い耳。

 小さな角。

 ――そして、黒くてつぶらな瞳。


 ふわふわの毛の奥から、小さな鳴き声がこぼれた。


「……くぅん」

「……かっ……!!」


 堪えきれず、声が漏れる。


「かわいい――っ、いてっ!」


 身を乗り出しすぎて、バランスを崩してベッドから落ちた。


 白い生き物が、くいっと尻尾を揺らす。


「ほわあ、あ、ぁあぁ……!」


 床に落ちたツムギは、奇声を上げながらそのまま這い寄った。


 羊……?

 いや、ヤギ……?


 でも、村で見かけるヤギとは全然違う。

 鳴き声は「メェ」じゃないし、目は丸くてつぶら。

 なにより、ふわふわモコモコすぎる。


 この島の独自の生き物――なのだろう。


「ほわぁぁぁぁ……」


 ツムギはうっとりと息を吐いた。


 気づけば、寝室の扉が少し開いている。

 そこからこっそり入り込んだらしい。


「どしたのぉ……?迷子ちゃん?」


 怖がらせないよう、声を落として話しかける。


「くぅーん?」


 ヤギ?は、ツムギを見て小首をかしげた。


「はぅぅ――ん!!」


 心臓を撃ち抜かれ、ツムギは床の上で身もだえた。


 開いたままの扉が、軽く叩かれる。


「――ツムギ?大丈夫か?」

「あ、うん!」


 慌てて起き上がると、ギルターが部屋に入ってくる。

 ツムギがあわあわと綿菓子を指差すと、ギルターの心配そうな顔が、ふっと笑顔に変わった。


「そいつはウミヤギのミルゥだ。“ドアの前で待ってろ”って言ったのに、勝手に入ったな」

「み、ミルゥちゃんって言うのぉ……!」


 ツムギは胸の前で手を組み、目を輝かせる。


「ギルターのペットなのぉ?」

「ペットっていうより……友だちだな」


 その言葉に、ツムギはにこっと笑った。


「そうなんだぁ」


 ツムギの様子を見て、ギルターが嬉しそうに言う。


「気に入ったか?」

「それはもう……!!」


 ツムギが答えると、ミルゥは「よろしく」と言うように近づいてくる。

 毛がふわりと揺れて、潮の匂いがほのかにした。


「ほわぁぁ……」


 ツムギの顔がとろける。


「さ、さ、触っていいかなぁ……?」

「もちろんだ。怖くないぞ」

「や、やったぁ……!ミルゥちゃん、触りますよぉ……」


 震える手を、そっと伸ばす。


 指先が触れた瞬間、想像を超えるやわらかさが広がった。

 沈み込む毛並み。

 あたたかくて、優しくて――なぜだか、涙がにじむ。


 ミルゥも気持ちよさそうに目を細めていた。


「……かわいいぃ……」


 ギルターも隣に膝をつき、微笑む。


「ツムギは生き物が好きなんだな。ミルゥは大人しいし、乗り心地もいいんだぜ」

「……乗り心地ぃ!?」


 ツムギは、がばっと顔を上げる。


 ギルターは少し自慢げにうなずいた。


「こいつ、何かを乗せて歩くのが好きなんだ。ずっと俺に抱えられて移動するのも、気ぃ使うだろ?」

「乗れるの、この子に?」


 ミルゥは大型犬ほどのサイズだ。

 普通ならツムギを乗せて歩けるとは思えないが、ここは竜人の島。

 この生き物も特別に力持ちなのかもしれない。


「くぅーん」

「よっしゃ、さっそく乗せてやる」


 ギルターが笑って、ツムギの腰に手を伸ばす。


「わっ……じ、自分で乗れるよぉ」

「危なっかしいから、ダーメ」


 いたずらっぽく言って、ツムギの腰と脚を支え、そっとミルゥの背に下ろす。


 ふわり。

 柔らかい毛が沈み、身体を包み込んだ。

 まるで雲に座っているみたいだ。


「ほわぁ……重くないかな……?」

「こいつ、俺を乗せてテラスから海まで跳んだこともあるんだぜ。ツムギなんて、羽みたいに軽い軽い」

「すごいんだねぇ……」


 テラスの向こう、きらきらと光を反射しながら海へと跳ぶミルゥを想像する。


「……すてきぃ……」

「ミルゥ、歩いてみろ」

「くぅん」


 ふわふわの身体が、ゆっくりと動き出す。


「わぁ……!」


 綿毛が衝撃を吸収しているのか、揺れはほとんどない。

 車椅子より、ずっと快適だった。


「大丈夫そうだな」


 ギルターは満足げにうなずいた。


「腹、減ったろ。飯にしようぜ」

「うん!」


 ツムギは笑顔でうなずく。


 二人と一匹は、真珠宮の廊下を軽やかに進んでいった。

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2026年1月3日 07:08
2026年1月3日 21:08
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ニライカナイの花嫁〜自由を奪われた少女は竜人に溺愛される〜 望月冴子 @mochizukisaeko

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