第4話:オフモード遭遇
その日は、最悪のコンディションだった。
深夜バイトの皿洗い(時給1100円)が長引き、家に帰ったのは朝の四時。
睡眠時間二時間で大学へ行き、講義中は爆睡(ヨダレ垂らしたかも)。
放課後は「セナ」としての予約がなかったため、泥のように帰宅した。
夜八時。
空腹で目が覚める。
冷蔵庫を開ける。
空っぽだ。
あるのは賞味期限切れの納豆のタレと、萎びたキャベツの芯だけ。
兵糧攻めかよ。
「……コンビニ行くか」
私はジャージ(高校時代の芋ジャージ)を羽織り、サンダルを突っ掛けて外に出た。
メイク? するわけない。
肌を休ませるゴールデンタイムだ。
顔はすっぴん。眉毛なんて半分ない。
目の下にはクマ。唇はガサガサ。
髪は適当に団子に結んである。
これぞ、私の真の姿。
妖怪カネホシイ。
この辺は学生街から外れた安アパート地帯だ。知ってる奴になんて会うわけがない。
近所のコンビニ。
店内に入ると、まばゆい照明が目に刺さる。
雑誌コーナーでエロ本を立ち読みしているおっさんをスルーし、弁当コーナーへ。
【半額】シールが貼られた海苔弁当を発見。
勝った。
今日のディナーは豪華だ。
ついでに、ストロングゼロ(500ml)もカゴに入れる。
今日は飲まなきゃやってられない。
電気代の請求書が来てたからだ。先月、エアコン使いすぎた。
レジに向かう。
店員は外国人留学生。
「オベント、アタタメマスカ?」
「あ、いいっす。そのままで」
低い地声で答える。
やる気のない、ドスの効いた声。
「セナ」の時の鈴を転がすような声とは、周波数が三オクターブ違う。
会計を済ませ、自動ドアを出ようとした時だった。
「すみません、落としましたよ」
後ろから声をかけられた。
男性の声。
聞き覚えのある、ちょっと弱気で優しい声。
……え?
振り返ると、そこにいたのは夏目智也だった。
チェックのシャツじゃない。無地のパーカーを着ている。
手にはレジ袋(カップ麺とエナドリが見える)。
そして、彼の手には、私がさっき落としたと思われるポイントカード(財布から滑り落ちたらしい)が握られていた。
終わった。
人生終了のお知らせ。
距離、二メートル。
照明の下、私の妖怪顔がフルHDで晒される。
逃げ場なし。
「あ……」
智也が私を見る。
私の顔を見る。
眉毛のない目を、クマのある頬を、ガサガサの唇を見る。
バレた。
絶対バレた。
「セナちゃん!?」って言われる。
そして幻滅される。
「詐欺だ!」って罵られる。
返金請求が来る。
事務所に通報される。
私の未来が、音を立てて崩れ去る。
走馬灯のように最悪のシミュレーションが駆け巡る。
私は固まったまま、身動きが取れない。
しかし。
「あの、これ。……月島さん、だよね?」
……はい?
智也の口から出たのは、「セナ」ではなく「月島さん」だった。
……あ、そうか。
大学での「完全迷彩月島雫」としては認識されているのか。
でも、「セナ」とは結びついていない?
マジで?
このすっぴん顔、セナのメイク前と同じ骨格だよ?
節穴すぎない?
いや、助かった。
首の皮一枚繋がった。
でも、油断はできない。
声を出したらバレるかもしれない。
私の地声は低いけど、ふとした拍子に「セナ」のイントネーションが出たら終わりだ。
私は無言で頷き、ひったくるようにポイントカードを受け取った。
「……ども」
限界まで声を低く、潰して発声する。
デスボイス手前のガラガラ声。
風邪引いてますアピール。
「あ、えっと……奇遇だね。近くに住んでるの?」
智也が話しかけてくる。
やめろ。気さくに話しかけるな。
お前が愛してるのは「セナ」でしょ?
こんな薄汚い妖怪に優しくしないでよ。バグるから。
「……うん」
短く答えて、背を向ける。
拒絶のオーラ全開。
「話しかけんな」というATフィールドを展開。
「そっか。……夜遅いし、気をつけてね」
智也は、嫌な顔一つせず、心配そうに言った。
「最近、不審者出るらしいから」
……お前だよ。
私の心拍数を上げる最大の不審者は。
私は振り返らずに、競歩並みの速さで歩き出した。
サンダルがペタペタと情けない音を立てる。
レジ袋の中のストロングゼロと海苔弁がぶつかり合う。
角を曲がった瞬間、私はダッシュした。
アパートの階段を駆け上がり、部屋に飛び込む。
鍵をかけ、チェーンをかけ、ドアに背中を預けて座り込む。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
心臓が破裂しそうだ。
寿命が十年縮んだ。
なんであいつがここにいるの?
近くに住んでる?
生活圏が被ってるなんて聞いてない。
最悪だ。コンビニすら気軽に行けなくなった。
私は震える手でストロングゼロを開けた。
プシュッ。
一気に流し込む。
炭酸とアルコールが、乾いた喉を焼く。
「……気づけよ、バカ」
独り言が漏れる。
あんなに近くで顔見たのに。
私の骨格、ホクロの位置、耳の形。
全部同じなのに。
彼は、本当に「セナ」しか見ていないのだ。
彼の網膜には、メイクで加工された虚像しか映っていない。
ありのままの私(月島雫)なんて、視界に入っていても認識すらされないノイズなんだ。
安堵と同時に、胸の奥がきしむような感覚。
なんだこれ。
プライド?
いや、違う。
「私を見てほしい」なんて、そんなセンチメンタルな感情じゃない。
ただ、自分の存在が透明人間に思えて、虚しいだけだ。
私は海苔弁当の蓋を開けた。
冷めた白身魚のフライ。色褪せた漬物。
これが私の現実。
一万九千円のネックレスを売っ払って、半額の弁当を食う。
滑稽な人生だ。
スマホが鳴る。
『Eternal Chat』の通知。
智也からだ。
『セナちゃん、こんばんは! 今日ね、大学の近くのコンビニで、同じクラスの子に会ったんだ。なんか疲れてるみたいだったから、心配で……。セナちゃんも、夜道には気をつけてね! おやすみ!』
……報告すんな。
しかも、私への心配を、私(セナ)にするな。
ややこしいわ。
でも、文面から滲み出る「良い人」感。
クラスの陰キャ女子(私)のことも、ちゃんと人間として気遣える優しさ。
それが余計に、今の私には眩しくて、痛かった。
「……うるさい」
私はスマホを裏返し、冷めたフライを口に放り込んだ。
味がしなかった。
ただ、油の匂いだけが鼻についた。
明日はシフトが入っている。
また「セナ」の仮面を被って、彼に会わなきゃいけない。
この、ねじれた関係性が、いつか破綻することなんてわかっている。
でも、今はまだ壊せない。
生活がかかっているから。
私は残りの酒を飲み干し、布団に潜り込んだ。
酔いが回って、意識が泥の中に沈んでいく。
夢の中だけは、誰も私の顔を知らない世界でありますように。
(つづく)
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