第1話:タックルはビジネスの基本
第1話:タックルはビジネスの基本
大手町。ガラス張りのビルが立ち並ぶ、日本の心臓部。 その整然とした街並みが、今、不気味な黒い霧に飲み込まれようとしていた。
「——っ、またこれか。濃度が予定より三割も高いな」
西和田浩平……コウヘイは、イタリア製のスーツの袖を捲り上げながら、手元のスマートウォッチをタップした。網膜に投影されたのは、AR(拡張現実)で可視化された魔力の流動データ。空気中に漂う「魔力の煤(カーボン・マナ)」が、どす黒いヘドロのような数値で空間を埋め尽くしている。
ドォォォォン!
轟音と共に、アスファルトを突き破って現れたのは、巨大な猪の姿をした魔力獣だった。 体長は五メートル。その皮膚からは、燃え残った魔力の残滓が黒い炎となって吹き出している。周囲のビジネスマンたちは悲鳴を上げ、我先にと逃げ惑う。
「どけ! 我ら『聖都警備隊』が処理する!」
現れたのは、仰々しいローブを纏った国家魔導師たちだった。彼らは一斉に杖を掲げ、高コストな攻撃魔法を連発する。
「《爆炎の嵐(フレイム・バースト)》!」 「《雷光の槍(サンダー・ボルト)》!」
派手な光と音が街を包む。だが、コウヘイの目には、それが最悪の悪手にしか見えなかった。 AR上の数値が跳ね上がる。爆発のたびに、空気中の汚染濃度が「危険域」へと突入していく。
「やめろ! 火に油を注いでどうする!」 コウヘイの声は、爆音にかき消された。
魔力獣は、放たれた魔法を逆に吸収し、さらに肥大化していく。汚染された魔力を喰らって暴走した獣にとって、安易な魔法攻撃はご馳走でしかない。
「バカな……効かないどころか、さらに強くなっているぞ!」 腰を抜かす魔導師を尻目に、コウヘイは地面に置いたブリーフケースから、一本のリストバンドを取り出し、左手首に巻いた。
「トクナガ、聞こえるか。ポイントB-12だ。座標固定、見える化(アナリティクス)を開始しろ」
『了解です、社長。……相変わらず、無茶な現場(アサイン)ですね』 骨伝導イヤホンから、CTOであるトクナガの冷静な声が届く。
「無茶な課題ほど、解決した時のバリューは高い。……行くぞ」
コウヘイは、ネクタイを緩めると、かつて慶應のグラウンドで何度も繰り返した、あの低い姿勢をとった。 周囲の魔導師たちが叫ぶ。「おい、正気か! 丸腰で突っ込む気か!」
「丸腰? 違うな。私は、世界で最も『クリーンなエネルギー』を使っているだけだ」
コウヘイの足元に、青い回路図のような光が走る。 それは魔法ではない。彼の肉体が持つ運動エネルギーを、最小限の魔力で増幅し、標的に一点集中させるための「エネルギー最適化」だ。
「——セット!」
コウヘイの身体が、弾丸のように加速した。 風を切る音が、鼓膜を震わせる。鼻を突くのは、魔獣が放つ硫黄のような焦げた匂いと、自分の汗の匂い。
視界の端で、ARのデータが「接点」を指し示す。 魔獣の首筋。そこが、循環を阻害している「詰まり(ボトルネック)」の正体だ。
「——ハッ!!」
渾身のタックル。 鈍い音が響き、衝撃がコウヘイの肩から全身へと伝わる。肉と肉がぶつかり合う生々しい感触。 だが、それはただの体当たりではない。 接触した瞬間、コウヘイの左手首のデバイスが、魔獣の体内に溜まった汚染魔力を強制的に「排出・中和」する回路を接続した。
グォォォォォ……ッ!?
魔獣の咆哮が、苦悶に変わる。 派手な爆発も、光の柱も立たない。ただ、獣の体内から黒い霧がシュルシュルと抜け出し、コウヘイの足元に設置された回収ポッドへと吸い込まれていく。
「……分析通りだ。こいつの動力源は、あんたたちが垂れ流した『魔法の燃えかす』だったんだよ」
コウヘイは魔獣を押し込んだまま、地面を強く蹴った。 泥臭い、だが圧倒的な推進力(ドライブ)。 獣はそのまま、コウヘイの力に押し切られ、静かに霧となって霧散した。
静寂が戻った。 残されたのは、ボロボロになったアスファルトと、肩で息をするスーツ姿の男一人。
「……解決(フィニッシュ)だ」
コウヘイは乱れた髪を乱暴にかき上げ、デバイスを操作してポッドを回収した。 ARの数値が、みるみるうちに正常値へと戻っていく。
「き、貴様……何をした。今の魔法は何だ?」 震える魔導師が、詰め寄ってくる。
コウヘイは冷ややかな、だが情熱を秘めた瞳で彼を振り返った。 「魔法なんて使っていませんよ。ただのタックルと、徹底的なデータの活用だ」
彼はポッドを指し示した。 「あんたたちが一発の派手な魔法で消費するコストで、私はこの街の魔力グリッドを三日間維持できる。ビジネスとしても、環境保護としても、あんたたちのやり方は『破綻』している」
「なんだと……! 私は国家資格を持つ第一級魔導師だぞ!」
「資格で世界が冷えるなら、苦労はしません。……大事なのは、実績(アウトカム)だ」
コウヘイはブリーフケースを拾い上げ、埃を払った。 その手首には、魔導師たちの豪華な杖よりもずっと頼もしく、青いランプが静かに灯っている。
「トクナガ、回収成功だ。データの解析に回してくれ。汚染魔力の再生(リカバリー)効率をあと五パーセント上げたい」
『了解。……社長、次のアポイントまであと三十分です。スーツ、クリーニングが必要ですね』
「構わん。この汚れは、戦った証だ」
コウヘイは、呆然と立ち尽くす魔導師たちを置き去りにし、足早にオフィスビルへと向かった。 彼の歩みは、かつてフィールドを駆け抜けた時のように、力強く、迷いがない。
「世界を、塗り替える。……まずは、この淀んだ空気からだ」
西新宿のビルの合間に、清涼な風が吹き抜けた。 それは、魔法でも奇跡でもない。 一人の男の「熱量」が、確実に世界の理を変え始めた合図だった。
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