新説 アリとキリギリス

紫陽花

新説 アリとキリギリス

「働こうよ」


 楽しそうに歌を唄うキリギリスに対して、せっせと冬の支度をしているアリは忠告した。

 実りの秋である。

 春も夏も働いていたアリであるが、この季節が一番忙しい。なにしろ、エサとなるものが大量に実を結ぶのだ。死の冬に備えて貯めておかなくてはならない。


「冬なんてまだまだ先だろう? 時間はたっぷりあるんだ。恋に歌に! 生きることを楽しもうじゃないか!」


 だが、楽器を片手に、キリギリスはそのように能天気な事を言う。

 今、働いておかなくては、冬には飢えて死んでしまうというのに。

 

「冬を越せないよ。大丈夫、ボクが一緒に働いてあげるよ。単調な作業でも楽しいところはあるんだ」

「ほう、楽しいのかい?」

「そうだよ。歌だってある」

「そうかい。楽しいのなら、やってみようかな」


 そう言って、キリギリスはアリと一緒に作業を始めた。

 二人の陽気な歌声が、秋の野山にこだまする。

 アリの歌は、確かに楽しげであった。

 身体を動かす喜び。

 成果を上げて、着々とたくわえられていく食べ物。

 それらを見ながら、これから訪れるであろう死の冬を、穏やかに過ごせる予感。

 そういったことを、単調なリズムに陽気な声を乗せて歌い続けた。


 やがて、冬籠ふゆごもりの為の食料が、二人の用意した巣に高く積み上がった。

 もちろんそれは、二人分である。


「ほうら、これでボクたちの食料が集まった。これでゆっくりのんびり、遊んで冬を越せるね」

「……」


 だが、積み上がった冬のたくわえを前にして、キリギリスは浮かない顔をしていた。


「どうしたんだい、キリギリスくん?」

「何でもないよ。さあ、冬を楽しもうか」


 やがて、冬が来た。

 野山の冬は死の世界である。

 木々の葉は枯れ落ち、雪は降り積もり、動くもののほとんど居ない、静寂に満ちた世界となる。

 ウサギやユキヒョウなど、まれに冬でも動き回る動物も居るが、彼らはムシの天敵である。巣を掘り当てられ、冬のたくわえごと食べられてしまった仲間もいる。

 だがそれでも、巣にこもって長い冬を過ごすことがアリの生き方である。

 温かい家。

 冬の前に集めた、たくさんの食べ物。

 ゆったりのんびりと冬を過ごす時、アリは生きていると実感していた。

 だが……


 たくさんの食べ物を前にして、それに手を付けることもなくキリギリスは弱っていった。

 思えば冬の前。

 実りの秋に、あれほど元気に歌っていたキリギリスは、段々と元気が無くなっていなかったか。

 楽しげにアリと働いていたキリギリスは、動きが鈍くなっていなかったか。

 アリが様子を尋ねるたびに、キリギリスは歌っていた。

 アリがキリギリスを手伝うたびに、キリギリスは元気よく身体を動かしていた。

 だがそれは……

 

「ど、どうしたんだい、キリギリス君! ほらほら、食べ物はいっぱいあるんだ。しっかり食べないと!」

「ゴメン、アリくん。やっぱりボクは、ダメだったみたいだ……」

 

 二人の巣の中で、キリギリスは弱り切っていた。力なく身体を横たえて、喋るのもツラそうな感じである。

 アリはワケが分からなかった。ツラい様子のキリギリスを前にして、どうすることも出来ない。


「なんで! どうして!」

「寿命だよ。ボク達は、冬を越せないんだ……」

「そ、そんな……。それじゃ……、冬の食べ物なんて……、意味ないじゃないか! なんで言わなかったんだ!」

「キミがあんまり一生懸命で、楽しそうに働くものだったから……、もしかしたらキミと一緒に冬を越せるかもしれないって思ったんだ……」


 キリギリスは、冬を越せない。

 それは、アリの知らないことであった。

 何故なら、アリは毎年、歌って遊び惚けているキリギリスを、軽蔑の眼差しで見ていたからである。彼らは働くこともせず、冬に備えることもせず、ただ歌い、戯れ、一季節ひとときの恋に溺れる。

 彼らの歌は、アリにとって怠惰の極みのように見えたのである。

 だがしかし、それは……


「君が……、冬を越せないなんて……知らなかった……」

「ああ、でも楽しかったよ……。キミと一緒に働いて……、こんなにたくさんの食べ物を集めることが出来た……。ボクはもう食べることが出来ないから……、キミが代わりに食べてくれ……」

「僕一人じゃ……、食べきれないよ!」

「そんな顔をしないでくれよ……。恋はしなかったけど、キミと一緒の歌はサイコーだった……。きっと、他のキリギリスはこんなに楽しいことは知らないに違いない……。ボクは幸せ者だ……」

「そんなハズ無い! 僕は……、君から……、当たり前のキリギリスの幸せを奪ってしまったんだ! 代わりに……、辛いこと……ばっかり……」

「そうかもしれないね……。でも、普通のキリギリスじゃあ、絶対にこんな楽しい季節は過ごせなかったよ……。ありがとう……」

「ありがとう……、なんて……。働くのはつらかったハズだよ! 毎日毎日おんなじことの繰り返しで! 歌だって、本当は苦しさを紛らわせるための、ただの誤魔化しだよ!」


 嘆くアリを見上げて、キリギリスは働く歌を口ずさんだ。秋の頃の陽気な歌声とはまるで違う、かすれるような弱々しい声だ。それは文字通り虫の息での、小さく消え入りそうな歌だった。

 キリギリスの歌に合わせて、アリは泣きながら喉を震わせた。だが、キリギリスとは別の意味で、上手く歌えない。


 外は吹雪。

 キリギリスの歌が消えた。

 しかし、歌い続けるアリ。


 外は吹雪。

 激しい風と大粒の雪が舞う中で、暖かな明かりの漏れる窓からは、アリの哀しく陽気な歌声がいつまでも響いていた。


   *


 春。

 干からびたキリギリスの死骸を見つめたまま、アリは春を迎えた。

 巣に溜めた食料は全て食べつくした。ボロボロになっていくキリギリスを見て、アリは彼の分も食べずにはいられなかったのである。


 巣から外に出たアリの瞳に、春の暖かな太陽が差し込んだ。

 これまで何度も見た、春の日差し。

 だが、春の日差しを、これほど呪わしく感じた事は無かった。

 待ち焦がれたはずの太陽が、まるでアリをさいなんでいるように思える。

 お前は、なんで生きているのかと。

 だがそれでも、アリは身体を動かした。

 本能に突き動かされて、次の冬の支度を始めようとする。

 アリにとってはもうすでに、次の冬は始まっているのであった。


   *


 夏。

「やあ、アリくん!」

「キ、キリギリス君! 君は……」


 いつもは働く歌を口にしながら冬の支度をしていたアリであったが、今年は無言のまま身体を動かしていた。

 そんなアリに向かって、陽気な声が降ってきたのである。

 もちろん、アリは死ぬほど驚いた。

 彼は、去年の冬籠りの中、アリの目の前で干からびたのではなかったのか。


「初めまして! どうだい、キミも一緒に歌わないか? こんなに良い天気なんだから! そんなに黙々と働くなんて、つまらないだろう?」

「い、いや……、僕らは冬の為に食料を集めないと……」


 去年のキリギリスとは、別のキリギリスであった。

 それが分かって、アリの心は一足早い冬を迎えたように冷え込んだ。

 一瞬心に抱いてしまった有り得ない期待の分、余計に心と身体が冷えていくようであった。


「冬なんてまだまだ先だろう? 時間はたっぷりあるんだ。恋に歌に! 生きることを楽しもうじゃないか!」

「生きることを……楽しむ……」

「そうだとも!」

「ああ、そうか……。そうだよね! 『今』を楽しまなくちゃ!」


 アリは、キリギリスと共に歌った。

 彼の恋も手伝った。

 陽気に歌い、友達の恋を見て、それが成就したときは自分のことのように喜んだ。

 確かにこれは、アリにとっても楽しかった。


 ――そうさ! こんなに楽しい気分になれるアリは! きっと世界で僕だけだ!


   *


 晩秋。

 晴れやかな気分でキリギリスの恋を見届けたアリの背中に、死の冬が迫っていた。


 ――そう、僕だけなんだ。だから、後悔は無い……。キリギリス君も、きっと同じ気持ちだったんろう?


 アリの背後で、今年最後の葉が枯れ落ちた。


 了

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