異世界恐竜戦記 ~機械仕掛けのオーパーツと、伝説の日本人マスター~

ミル

第1章:始まりの海岸と孤独なサバイバル

第1話:嵐の夜の招待状

窓の外では、暴力的なまでの豪雨が東京の街を飲み込もうとしていた。 重く垂れ込めた雲が空を支配し、時折走る稲光が、無機質なビル群の輪郭を一瞬だけ白日の下にさらす。 築十五年のワンルームマンション。その狭い一室で、二十四歳の会社員、佐藤海斗(さとう・かいと)は、唯一の救いである「楽園」に浸っていた。


部屋の明かりは消されている。 唯一の光源は、デスクの上に鎮座する大型のモニターだ。そこから放たれる青白い光が、海斗の少しやつれた顔を照らし出している。 モニターの中に広がっているのは、彼が人生の半分近くを費やしてきた恐竜サバイバルゲームの最高峰、『アーク・オブ・アークティア』の世界だった。


「……よし、これでようやく。プラットフォームサドルの設置が完了したな」


海斗は、カチカチと乾いたマウスのクリック音を響かせながら、独り言を漏らした。 画面の中では、山のように巨大な首長竜『ブラキオサウルス』の背中に、重厚な金属製の拠点が構築されている。 それは、彼が数週間かけて素材を集め、設計し、ようやく完成させた「移動要塞」だった。 現実の海斗は、上司に書類の不備を怒鳴られ、満員電車の隅で息を潜めるだけの、替えの効く歯車に過ぎない。 だが、このアークティアの世界において、彼は最強のテイマーであり、伝説的な建築家だった。


「もし……もし本当に、この世界に行けるのなら、俺の人生はどれだけ救われるだろうな」


海斗は、ふとマウスを握る手を止め、画面を見つめた。 そこには、赤く染まった夕陽を背に、彼が手なずけたティラノサウルスが勇ましく咆哮を上げている。 その威風堂々とした姿。奪い、作り、支配する、原始のエネルギーに満ちた世界。 そこには理不尽な残業も、空虚な人間関係もない。あるのはただ、生きるための知恵と、己の力だけだ。


「……はは、バカだな。現実逃避も大概にしないと」


海斗は自嘲気味に笑い、再びゲームに戻ろうとした。 その時だった。


凄まじい雷鳴が、建物の土台を揺らすほどの衝撃と共に響き渡った。 至近距離での落雷。 「うわっ……!?」 直後、部屋の照明が激しく点滅し、パチッという不吉な電子音を立てて、モニターの電源が落ちた。 部屋は一瞬にして完全な闇に包まれる。


「クソッ、停電か!? バックアップ……頼む、保存されててくれよ!」


海斗は慌ててデスクの下にあるPC本体に手を伸ばした。 しかし、異変はそこから始まった。 電源が落ちたはずのモニターが、じわじわと、見たこともない虹色の光を帯び始めたのだ。


「……なんだ? 故障か?」


モニターの表面に、まるで油膜のような光が渦巻いている。 それはやがて中央に集まり、一つの四角いウィンドウを形作った。 OSのエラー画面ではない。ゲームのUIでもない。 それは、驚くほど洗練された、そしてどこか懐かしさを感じさせるフォントでこう記されていた。


『アークティアの世界に行きますか?』


海斗の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。 悪戯だろうか。それとも、落雷による電気信号の異常が見せた、一時の幻覚か。 だが、そのウィンドウはあまりにも鮮明に、物理的な質量すら感じさせる輝きでそこに存在していた。


ウィンドウの下には、二つの選択肢が浮かび上がっている。


【Yes】 【No】


「アークティアに……行く?」


海斗は震える指先を、モニターに近づけた。 普通なら恐怖を感じる場面だ。 だが、海斗の胸の内にあったのは、恐怖よりも圧倒的な「渇望」だった。 今のこの、灰色の日常。 明日もまた同じように満員電車に揺られ、頭を下げ、死んだように生きていく。 そんな未来が続くなら、この得体の知れない光の向こう側に賭けてみたい。


「……あのアークティアに行けるなら、地獄だって構わないさ」


海斗の声は、自分でも驚くほど静かだった。 彼が迷わず【Yes】の文字に触れようとした、その瞬間。


ウィンドウの右下隅に、一瞬だけ別の文字が走った。


『Administrator Privileges: Authorized(管理者権限:承認)』

『Dev Mode: ON / Re-Writer Protocol: Initializing...(デバッグモード:起動 / 書き換えプロトコル:初期化中)』


「デバッグモード……? なんだ、それ……」


疑問を口にする間もなかった。 クリックした、という感覚すらないうちに、モニターから物理的な「引力」が噴出した。


「な、なんだ!? うわあああああああ!」


海斗の身体が、座っていたゲーミングチェアごと、前方の光の中へと吸い込まれていく。 視界が上下左右に激しくかき混ぜられ、平衡感覚が消失する。 身体を構成する数兆の細胞が、一度バラバラに解体され、別の法則の下で再構築されるような、凄まじい感覚。


耳元で、風の音とは違う、電子的な合成音が鳴り響いた。


【個体識別名:カイト……確認】

【アークティア・サバイバルプロトコルをロード中……】

【世界設定(ワールドセッティング):管理者・ゲンによるカスタマイズが適用されます】


「個体識別……? ゲン……? おい、誰だ、答えてくれ!」


海斗は叫ぼうとしたが、喉が張り付いたように音が出ない。 視界の端で、膨大な量の文字列が高速で流れていく。 それは恐竜の生態データ、クラフトの設計図、この世界の物理演算の基礎コード……。 海斗が愛してやまなかったゲームの「裏側」が、濁流となって彼の脳内に流れ込んでくる。


【適合率、99.8%。許容範囲内です】

【ようこそ、アークティアへ。幸運を、若きサバイバーよ】


最後に、親しみやすい、どこか悪戯っぽい男の声が聞こえた気がした。 その直後、海斗の意識は深い闇の底へと突き落とされた。


どのくらいの時間が経ったのだろうか。 海斗の耳に、ザザーン……ザザーン……という、一定のリズムを持った音が届き始めた。 それは窓を叩く雨音ではない。 もっと広く、深く、力強い水の動き。


そして、頬に触れる感触。 畳でも、冷たいフローリングでもない。 太陽の熱をたっぷり蓄えた、粒の粗い砂の感触。 鼻を突くのは、潮の香りと、草木が放つ強烈な生命の匂い。


「……う、ぐ……」


海斗は、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。 視界を埋め尽くしたのは、抜けるようなコバルトブルーの空だった。 東京の空では決して見ることのできない、透き通った青。 その空を横切るように、巨大な翼を広げた影が、悠然と滑空していく。


「ここは……」


海斗は、砂を噛み締めながら身体を起こした。 自分の手を見る。 そこには、デスク仕事で白くなっていたはずの皮膚ではなく、少し日焼けした、だが力強さを感じさせる自分の手があった。 そして、左腕の肘から下に、奇妙な物体が埋め込まれている。


それは菱形の、クリスタルのような質感を備えたデバイスだった。 皮膚と一体化しており、内側から静かに青い光を脈打たせている。


「デバイス……。本当に、転生したのか……。あの、恐竜の世界に」


海斗は、震える手でそのデバイスに触れた。 その瞬間、彼の視界の右端に、パッとポップな半透明のウィンドウが立ち上がった。


【NAME: KAITO】

【LEVEL: 1】 【HP: 100/100】

【STAMINA: 100/100】

【STATUS: 空腹(低)、喉の渇き(中)】


「……本物だ」


海斗は、笑みを漏らした。 目の前には、白波が打ち寄せる海岸線がどこまでも続き、その奥には、雲を突き抜けるほど巨大な、機械的な塔――オベリスクがそびえ立っている。 原始の恐竜たちと、超科学のオーパーツが同居する、狂った楽園。


海斗は立ち上がり、砂を払った。 彼の冒険は、今この瞬間から始まったのだ。 大雨の夜に差し出された、あの「招待状」を受理したその時から。


「まずは……石を拾うところから、だな」


海斗は、足元に転がっている拳ほどの大きさの石を見つめた。 それは、彼がこれから築き上げる伝説の、最初の一欠片だった。


(第2話に続く)

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2026年1月2日 19:00
2026年1月3日 19:00
2026年1月4日 19:00

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