新年の祝いは獅子舞で

よし ひろし

新年の祝いは獅子舞で

 のどが渇いた……


 意識が浮上して最初に感じたのは、砂漠のような口腔内の乾燥と、身体の節々の痛みだった。

 目を開けると、見慣れた天井のシミが目に入る。


「……あー、やっちまった」


 獅童晃史しどう あきふみ、二十七歳。独身。

 昨夜の大晦日、スーパーで買った半額の刺身とビールを並べ、コタツに入って紅白歌合戦を見ていたはずだが、そのまま寝落ちてしまったらしい。

 重い身体を起こすと、つけっぱなしのテレビからは能天気な正月番組の音楽が流れている。側の時計に目を向けると「午後0:15」。元日の正午を過ぎていた。


「最悪の年明けだな……」


 晃史はぼさぼさの髪をかきむしりながら、コタツから這い出した。


「昨日の紅白、結局どっちが勝ったんだろうなぁ……」


(けん玉が成功したのは覚えてる。矢沢がサプライズでスタジオに出てきたのも見たなぁ……。Perfumeが歌終わりです~っと消えた辺りから、記憶もす~っと消えてるか……)


 そんなことを考えながら、ふらつく足取りで洗面所へ向かう。顔を洗って、まずは水を飲まなければ。


 ピンポーン♪


 不意に、玄関のチャイムが鳴り響いた。

 晃史はビクリして肩を震わせた。来客の予定などない。実家への挨拶は電話で済ませると伝えてあるし、友人がアポなしで来るような歳でもない。


 宅配便か?

 それとも新年早々宗教の勧誘か?

 いや、大学時代の友人、拓也なら突然やってくることもあるか……


「……はいはい、今出ます」


 無視を決め込もうかとも思ったが、酔いの残る頭では判断が面倒になり、寝癖のついた髪を手で撫でつけながら玄関へ向かい、そのままドアの鍵を開けた。

 ガチャリ、と重い鉄扉を開く。


「どちら様で――」


 そこで晃史は息を呑んだ。


 そこには、獅子舞がいた……


 鮮やかな朱色に塗られた木彫りの顔、黒々とした眉、そして金色の牙。唐草模様の緑色の風呂敷をなびかせた、正真正銘の「獅子舞」が、ワンルームマンションの狭い通路に鎮座していたのだ。


「は?」


 思考が停止する。近所の子供会か何かのイベントだろうか。それにしても、中に入っている人間の気配が希薄だ。

 呆然とする晃史をよそに、獅子頭がカクリと動いた。


『新年、おめでとうございます』


 低く、しかし腹の底に響くような声が聞こえた。どこから出ているのか分からない。まるで、獅子頭そのものが喋っているようだ。


『さあ、あなたも一緒に祝いましょう』

「え、いや、僕は結構ですけど……」


 後ずさりしようとした晃史の目の前で、獅子がパカッ、と大きく口を開けた。


「えっ――!?」


 中には人の顔などない。ただ深い闇が広がっているだけだ。

 獅子は滑るように距離を詰めると、反射的に防御しようと前に出した晃史の右手に狙いを定めた。


『祝いの儀を!』

「うわっ!」


 ガブリ。


 乾いた音と共に、右手を噛まれた。


 痛みはなかった。

 代わりに、氷のような冷たい「何か」が、右手の指先から手首、肘、そして肩へと猛烈な勢いで駆け上がってきた。


「な、なんだ、これ――!?」


 言い知れない悪寒。いや、それは悪寒というより、強制的な書き換えの信号だった。


 バキ、バキバキッ!


 自分の腕から、木が軋むような音がする。

 見ると、噛まれた右手から皮膚の色が変わり始めていた。肌色が硬質な朱色へ、関節が木造の仕掛けへ。


「う、うわあぁぁーーぁっ!」


 叫ぼうとした口が、思うように動かない。顎が急速に前へと突き出し、視界が二つに割れる。鼻と口が癒合し、巨大な木彫りの「獅子頭」へと変貌していく。

 身体を覆っていたスウェットが弾け飛び、代わりに緑色の唐草模様の布が、あふれ出るように全身を包み込んだ。

 晃史という人間の意識が、急速に遠のいていく。

 怖い、という感情さえも塗りつぶされ、代わりに湧き上がってきたのは、強烈な「祝祭」への渇望だった。


 ピーヒャラ、トントコ♪


 どこからともなく、笛と太鼓の音が聞こえてくる。


(あぁ、囃子はやしが聞こえる。踊らなくては)


 晃史だったモノは、もはや自分が人間であったことなど忘れていた。

 カチ、カチ、と顎を鳴らす。

 自然と足が動いた。マンションの廊下を跳ねるように進み、階段を駆け下りる。


 外に出ると、そこは異様な光景だった。

 いつもの灰色の住宅街ではない。

 路上を埋め尽くしていたのは、無数の獅子舞たちだった。

 赤、黒、金。大小様々な獅子頭が、波打つように舞い踊っている。人間など一人もいない。


『祝いだ、祝いだ!』

『さあ、舞い踊れ! 厄を食らい、福を招け!』


 誰かが叫び、それに呼応して数千のあぎとが一斉に打ち鳴らされる。


 カッカッカッカッ!


 その乾いた音は、街全体を揺らすリズムとなった。


(そうだ、祝いだ。めでたいのだ!)


 元・獅童晃史である獅子は、高らかに頭を上げた。

 自分の中に満ちる力が、舞を求めている。

 彼は大きく跳躍すると、渦巻く獅子の群れの中へと飛び込んだ。

 

 パカッ。


 大きく口を開け、空を噛む。

 新しい年が、こうして賑やかに、そして何一つ憂いのない世界で始まった……



○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○   ○



「うわあああっ!」


 晃史は跳ね起きた。

 心臓が早鐘を打っている。額には脂汗がびっしりと浮かび、荒い呼吸がコタツ布団を揺らしていた。


「……夢、か?」


 見渡すと、そこはいつもの散らかったリビングだった。つけっぱなしのテレビからは、正月番組が流れている。窓の外からは明るい日差しが差し込んでいた。


「……」


 晃史は慌てて自分の手を見た。


 ほっ……


 木製の関節でもなければ、朱色の塗装もされていない。どこにでもある人間の、少し乾燥した肌色の手だ。

 ふらつく足で洗面所に駆け込み、鏡を覗き込む。

 そこには、寝癖のついた冴えない二十七歳の男の顔があった。巨大な獅子頭などではない。


「よかった……。なんだよあの夢は……。くそっ!」


 大きく息を吐き、顔をバシャバシャと洗う。冷たい水が、現実感を呼び戻してくれた。やはり飲みすぎて変な幻覚でも見ていたのだろう。


 その時、リビングに放り出していたスマホがけたたましく鳴り響いた。

 画面には『寿美』の文字。恋人の神谷寿美かみや としみだ。


「やっべ」

 晃史は慌てて通話ボタンをスライドさせた。


「も、もしもし! ごめん寿美、今起きて――」

『今起きた、じゃないわよ!』


 スピーカーが割れんばかりの怒鳴り声が飛んできた。


『初詣行くって約束、何時だと思ってんの! 待ち合わせの神社で一時間も待ってるんだけど!』

「え、あれ? それって明日じゃ――」

『何言ってるのよ。今日でしょ。もう……早くしてよね。せっかく晴れ着着てきたのに』

「あ、そう、ご、ごめん! すぐ行く! すぐ準備するから!」

『待ってるからね。急いでよ!』


 電話が切れる。晃史は冷や汗を拭いながらスマホの時計を見た。


「……おかしいな。約束は二日のはずなのに?」


 そこで、晃史はスマホの画面に映る日付を見て動きを止めた。


「は?」


 一月二日――


(二日? 今日は元日じゃなかったのか?)


 昨日の夜は大晦日で、コタツで寝て、起きたら……


「どういうことだ……?」


 元日の記憶が、まるでない。


「……まさか、あの夢を見てる間、丸一日寝てたのか?」


 背筋に薄ら寒いものが走ったが、今はそれを検証している場合ではない。寿美を待たせているのだ。晃史は混乱する頭を無理やり振り払い、身支度を手早くすると部屋を飛び出した。



 近所の八幡神社の鳥居前は、初詣客でごった返していた。

 その人混みの中で、不機嫌そうに腕を組む、淡いピンクの振袖姿の女性を見つける。


「寿美!」

「遅い!」


 寿美は吊り上がった目で晃史を睨みつけた。


「本当にごめん。言い訳するわけじゃないんだけど、実は変な夢を見ててさ……」


 晃史は息を切らしながら、必死に言葉を継いだ。


「なんか自分が獅子舞になって、街中で踊り狂うっていう、すげえリアルで怖い夢で……起きたら今日になってたんだ。本当に自分でもわけがわからなくて……」


 必死の弁明を聞いていた寿美の表情が、ふと緩んだ。

 怒気が消え、代わりに奇妙な、どこか冷ややかな笑みが浮かぶ。


「ふふ、奇遇ね」

「え?」

「わたしも同じ夢を見たのよ、晃史くん」


 寿美が一歩、晃史に近づく。


「その獅子舞って……こんなんじゃなかった?」


 ボコッ!


 愛らしい寿美の顔面が、内側から何かに押し広げられるように歪んだ。

 メキメキと骨が変形し、肌が硬質な漆塗りへと質感をかえる。つぶらな瞳は金色の眼球へ、桜色の唇は巨大な木製の顎へと。

 瞬きする間に、振袖の上には巨大な獅子頭が乗っていた。


「ひっ――!」


 晃史は腰を抜かし、尻餅をついた。


「う、嘘だろ…寿美……?」


 震える視線を周囲に向ける。

 参拝客たち、屋台の店主、警備員。

 そこにいた全員の顔が、次々と朱や黒の獅子頭へと弾け飛んだ。


 ザッ、ザッ、ザッ――


 無数の獅子舞たちが、一斉に晃史を見下ろす。

 寿美だった獅子が、パカパカと顎を鳴らして笑った。


『噛み方が甘かったのね。それとも、体質かしら?』

「な、なにを……」

『ふふっ、もっと深く、ウィルスをしっかり注入しないと』


 獅子頭がぐいっと伸びる。


『さあ、あなたも今度こそ、我らの完全なる下僕になるのよ』

「や、やめろおおぉぉーーーーぉ!」


 逃げようとする晃史の頭を、寿美の巨大な顎が丸ごと飲み込んだ。

 

 ガブリッ!!


 頭蓋に走る激痛は一瞬。直後、脳髄に直接流し込まれるのは、粘り気のある熱狂的な情報の奔流だった。


 ――我らは獅子神星人ししがみせいじん

 ――宇宙を旅し、星々を祝祭で埋め尽くす種族

 ――地球侵略完了。これより、永劫の祝いを執り行う


「あ…あぁ……」


 晃史の意識が、白い光の中に溶けていく。

 恐怖も、疑問も、恋人への想いも、すべてが「祝い」という単色の感情に上書きされていく。

 手足が勝手に動き出す。地面を蹴り、空を仰ぐ。

 身体を突き破り、緑の唐草模様が溢れ出す。


『ふふ、我ら獅子神星人がこの惑星を支配する!』


 頭上で響く寿美の声が、心地よい号令となって全身を駆け巡る。


『さあ、その祝いだ。踊れ、舞え! 食らい尽くせ!』


「祝いだ! 祝いだ!」


 晃史の口から出たのは、もはや人間の言葉ではなかった。乾いた木と木が打ち合わされる音だけが響く。


 カッカッカッ!


 彼は高く跳躍した。

 悩みも苦しみもない、ただただ目出度いだけの世界で、一匹の獅子舞が狂ったように踊り続けていた……



おしまい


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