約束
青蛸
約束
「約束には言霊が宿るんだよ」
約束の言葉には大きな力があって、現実に影響をもたらす。
簡単に言うと、約束には責任が伴うということ。
これが僕の家の家訓だった。
僕にとって「約束」は魔法の言葉でもあった。
必ず果たしてくれるもの、そういう認識で。
それほどまでに、この言葉には特別な重みがあった。
両親の離婚で、母さん、一個上の兄、僕の三人家族になってから、母さんは仕事で家を空けることが多くなった。
朝早くから、夜遅くまで。
だから、余計に「約束」は家族間で大切なものだったし、僕らが「約束」を守るのと同じように母さんは必ず「約束」を守ってくれた。
家訓は、母方の実家から受け継いだものらしい。
僕はそんな母さんと「約束」が大好きだった。
何よりも。
小学四年生だった頃。
母さんは初めて「約束」を破った。
「運動会来て!」
「うん、約束だよ」
学校で作った運動会の招待状を母さんに手渡したのは、運動会の三週間前だった。
母さんは冷蔵庫に磁石で貼り付けてにこにこしていた。
僕の小学校では四年生になると親との協力競技が行われる。
僕にとってこの運動会は特別だった。
「約束」をしたから絶対来てくれる。
母さんは必ず「約束」を守る。
忙しいとはいえ、母さんは家族の時間を大切にしてくれる人だった。
運動会までの三週間はウキウキで、学校に行くのも、宿題をするのも、いつも以上に楽しかった。
当日。
兄が熱を出してしまった。
三十七度三分。吐き気もあるらしい。
「ごめんね、今日の運動会行けそうにない。約束守れなくてごめんね」
熱にしてはあまり高くない方だったが、母さんからしてみればこのまま運動会に参加させる訳にはいかない、と。
僕もさすがに行けないことは理解できた。
「うん、わかった!」
母さんには寂しい気持ちがバレないように、できるだけ明るい返事を返した。
大好きな母さんを気負わせたくなかった。
隣の部屋を覗くと、兄は布団の中で申し訳なさそうに笑っていた。
「ごめんな、俺のせいで」
その瞬間、胸の奥で何かがひっかかった。
兄のせいで、「約束」が破られる。
その日の運動会は担任の先生と親子二人三脚に参加した。
競技が始まる前、先生がなにか言った気がしたが、全く耳に入らなかった。
僕は頭の中で「約束」という言葉を何度も何度も反復した。
運動会の翌日。
「いやああああああああああああ」
朝、隣の部屋から母さんの悲鳴が聞こえてきて目が覚めた。
僕が兄の部屋を覗こうとすると母さんが急いでそれを止める。
「入っちゃダメ!見ちゃダメ!」
僕は大人しく母さんの指示に従った。
数分待つとウーウーというサイレンの音が聞こえてきて、母さんが警察を呼んだことがわかった。
「首吊り自殺とみて間違いなさそうですね」
「いやでも…そんな子じゃないんです、あの子は自殺なんてしません!」
「そうは言われましても…」
そんな会話が聞こえてきた。
しばらく言い争うも、警察官は母さんの訴えを適当にあしらった。
母さんの啜り泣く声が聞こえてきた。
どうやら自殺で処理されるらしい。
警察官たちが対応をしている横で、母さんは床に座り込んで、両手で顔を覆っていた。
僕はタイミングを見計らって母さんに駆け寄る。
「母さん…大丈夫?」
「貴方は絶対に守るからね」
「約束…?」
「うん、約束」
そう言って母さんは僕を抱きしめた。
僕も母さんを抱きしめ返した。
これで絶対に約束を守ってもらえる。
兄がいなくなってから、母さんは僕だけを見てくれるようになった。
「約束」を守ってくれる、そんな大好きな母さんに戻って。
それなのに、その目はどこか遠くを見ていた。
一年後。
母さんは兄がいなくなってからやつれていった。
頬はこけ、目の下には深いクマができ、体重も明らかに減っている。
仕事は辞めて、最近は家事もまともにしなくなった。
家の床には酒瓶が転がっている。
「母さん…、もうやめようよ。兄ちゃんはもう死んだんだ」
「いつも、いつまでも、うるさいなぁほんとに。お前なんか死んでしまえばいい!」
そう母さんが怒鳴り散らかして、僕に対して酒瓶を投げつけてきた。
その目からは本気で僕のことを目障りに思っていることが見て取れた。
もう何も言葉が出てこなかった。
そうか、母さんはまた、約束を破るつもりなんだ。
約束したのに。
僕は母さんに背を向けて走った。
背中の方で「ふんっ」と鼻を鳴らす音が聞こえた。
昔の大好きだった母さんはもう戻ってこない。
「約束」は守らなければいけない。
果たさなければいけない。
でも母さんは破った。
そしてまた破る。
僕は自室に戻り、机の中から頑丈なロープを取り出す。
一年前と同じロープ。
ロープの手触りが兄の最期を思い出させる。
僕はロープを握りしめ、リビングへと向かった。
約束には言霊が宿る、それを教えてくれたのは母さんだよ。
約束 青蛸 @aotako
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