誰がために鐘は鳴る 01


01


 世界は、いつものように朝を迎えた。


 午前六時。

 郊外の公園。白い息を吐きながら、並んで駆け抜ける少年と少女の姿がある。

 都心のタワーマンション。朝日が差し込む窓辺で、優雅に紅茶の香りを楽しむ美女がいる。

 学生寮のキッチン。手際よく朝食の卵を割りながら、参考書とノートPCを鞄に詰める青年がいる。

 フラワーショップの店内。色とりどりの花に霧吹きをかけ、開店準備をする店主がいる。

 そして、薄暗い自室。派手なスマートフォンのアラームを止め、ヨガマットの上でしなやかに体を伸ばす女子高生がいる。



 彼らは、まだ知らない。

 今日という日が、少しだけ特別な一日になることを。

 いや――待ち望んでいたのかもしれない。



 その予兆は、人知れず観測された。


 政府科学省、コスモス管理特務局。

 薄暗いモニター室で、警告音が短く鳴った。

特異点シンギュラリティ反応、確認」

 オペレーターの声に緊張が走る。

「波形パターン照合……一致しました。間違いありません、“ゲート”です!」

「座標特定を急げ。発生予測時間は?」

「およそ六時間後。規模、中程度」

 局長らしき男が、重々しく頷き、端末のマイクを握った。

「直ちに、登録されたアドベンチャラーに通達せよ」


02


 青山の一等地に店を構えるフラワーショップ『ガーランド』。

 店主の東風こち けいは、愛用の剪定ばさみを丁寧に磨いていた。

 その時、店内に設置されたスピーカーから、凛とした、しかしどこか艶のある女性の声が響いた。

『STF(特務局)より、コンタクトあり』

 店を管理するAIエージェント、コードネーム“Monday(マンデー)”だ。

 しかし、チームの誰も彼女をそうは呼ばない。やがて来る「日常」の象徴である彼女を、親愛と、ほんの少しの敬意を込めてこう呼ぶのだ。

「ありがとう、つきさん。内容は?」

『座標データを受信中。……まったく、お役所仕事はいつも急なんだから。私の美しい処理リソースを食うなっての』

 文句を言いつつも、仕事は完璧だ。

「はは、手厳しいな」

 けいは苦笑しながら、エプロンの紐を解き、ジャケットを羽織った。

「今日の予定は?」

『夕方以降、メンバー全員フリーです。奇跡的なスケジュールね』

「よし」

 けいの瞳から、柔和な花屋の色が消え、鋭い指揮官マエストロの光が宿る。

「チーム・ガーランド、レディ」

『了解、ボス』

 通信が切れる直前、つきさんは、まるで口うるさい姉のような、それでいて温かい声で付け加えた。

『――ちゃんと、花が枯れないうちに帰ってくるのよ?』


03


 放課後のチャイムが鳴り響く。

 公立中学校の教室では、掃除用具を片付ける生徒たちの声で溢れていた。

「委員長、またあいつ待ってるよー」

 クラスの女子が窓の外を指さして冷やかす。

 焔山ほむらやま まりは、またか、と顔を赤らめた。

「ちょっと、あいつって言わないでよ!」

「はいはい。でもいいよねー、幼馴染みの年下男子にお迎えされるとか、少女漫画?」

「ち、違うってば! 家が近所なだけ!」

 男子生徒がほうきをギター代わりにしながら茶化す。

ほむらやま委員長と下校できるなら、俺だって何時間でも待つぜー」

「もう、みんなして!」

 まりは真っ赤になって鞄を掴み、逃げるように教室を飛び出した。


 校門の前には、スポーツバッグを提げた小柄な少年、嵐ヶ丘あらしがおか ぶきが待っていた。

「遅いぞ、まり

「ごめんごめん、ちょっと捕まってて」

 まりは息を整え、ぶきの隣に並ぶ。

「いいよ。どうせ今日はトレーニングの日だろ」

「うん。でも、明日はテスト勉強するからね。ぶきもだよ?」

「へいへい」

 生意気そうに鼻を鳴らすぶきだが、その足取りは軽い。

 その時。

 まりのスマートフォンと、ぶきのスマートウォッチが同時に震えた。

 二人は顔を見合わせる。画面には、花束のアイコン。

けいさんからの……招集信号!?」

 まりの声が裏返る。

「来たか……!」

 ぶきがニカっと笑い、拳を握りしめた。

「ようやく、このトレーニングの成果を試せるな!」

「ちょっとぶき、遊びじゃないんだからね」

 まりはたしなめるが、その表情には隠しきれない高揚感が滲んでいる。

「わかってるって。俺たちは……」

「みんなの代表として、行くんだから」

「だろ? 任せとけって!」

 二人は頷き合い、駆け出した。


04


 大手総合商社の本社ビル。

 大理石の廊下に、カツ、カツ、と鋭いヒールの音が響く。

 すれ違う社員たちが、次々と道を空け、頭を下げる。

「室長! お疲れ様です!」

「お疲れ様です、十六夜いざよい室長!」

 十六夜いざよい おんは、涼しげな目元をわずかに緩め、完璧な所作で応える。

「ええ、あなたたちもね」

 最上階からの直通エレベーターに、彼女は一人で乗り込んだ。

 扉が閉まった瞬間、ジャケットの内ポケットで端末が短く鳴る。

 通知を確認した彼女の口元に、妖艶な笑みが浮かんだ。

 彼女は眼鏡の位置を指で直し、誰にも聞こえない声で呟く。

「……ゲット・レディ」


 大学のキャンパス。

 講義を終えた五月雨さみだれ しゅうを、数人の男子学生が取り囲んでいた。

「頼むよ五月雨さみだれ! 今度の合コン、お前が来ないと女の子が集まらないんだよ!」

「悪いな。今日は大事な用事があるんだ」

 しゅうは爽やかに、しかし有無を言わせぬ笑顔で断り、歩き出す。

「なんだよー、付き合い悪いなー」

 背中で友人の嘆きを聞きながら、しゅうは空を見上げた。

「すまないね。僕には……大切な仲間との時間があるから」


 とある私立高校。

 放課後の教室で、女子高生たちが盛り上がっていた。

「ちょっとアザミ、聞いたよ? サッカー部の王子に告られたんでしょ?」

「マジ? 羨ましすぎんだけど!」

 机に腰掛け、ネイルを確認していたむらさめ あざみは、興味なさそうに答えた。

「えー、彼氏とかダルくない? てかパス」

「出たー、余裕ありまくり!」

「ゆーてアザミってさ、今なにか別のことに夢中なんでしょ?」

「そうそう、最近付き合い悪いし。それでテストの点数も良いとか、マジむかつくー」

 あざみはスマホの通知画面を見て、ニヤリと笑った。

「そう。それって、最高サイコーの時間なんだよね。じゃ!」

「あ、ちょっとアザミ~!」

 友人の声を置き去りに、あざみは風のように教室を駆け抜けていった。


5


 フラワーショップ『ガーランド』。

 色鮮やかな花々が並ぶ店舗の奥、関係者以外立入禁止の自動ドアが開く。

 そこは、表の華やかさとは異なる、機能的で洗練された会議室だった。


 中央の円卓には、すでに六人のメンバーが揃っていた。

 ノートPCを開いたしゅうに、おんが淹れたての紅茶を差し出す。

「どうぞ、しゅうくん」

「ありがとうございます、おんさん」

 バリキャリのオーラを消し、穏やかな笑みを浮かべるおんと、育ちの良さが滲み出るしゅう。大人の余裕が漂う。


 その横では、スポーツドリンクを勢いよく飲むぶきを、まりが慌てて世話していた。

「もう、こぼしてるよぶき!」

「んぐ、んぐ……ぷはっ! 喉乾いてたんだよ」

 そんな二人を見て、あざみがケラケラと笑いながら、デコレーションされたスマホをいじっている。

「アンタら本当、姉弟みたいでウケる」


「よし。全員揃ったな」

 リーダーのけいが、穏やかに声をかけた。

 彼は決して威張ることはない。けれど、その声には自然と人を惹きつける響きがある。

「みんなの予定はつきさんが把握しているが、急な家族の用事や、明日の課題が終わっていない者はいないか?」

「心配しないで、けいさん。全てクリアよ」

 おんがタブレットを操作しながら答える。

「よし。じゃあ、データを共有するぞ」


 空気が切り替わる。

 まりはスマホを、ぶきはスマートウォッチを、それぞれ真剣な眼差しで見つめる。

 モニターに地図が表示された。

「港区の……第3倉庫?」

 まりが呟く。

「相変わらず関連性が見えないわね。完全にランダム、予測不可能だわ」

 おんが指先でデータを弾く。

しゅう、ルートは?」

「トラフィック・インフォメーションに接続しました。……ここからなら、25分で到着できます」

 しゅうが冷静に回答する。

 けいは深く頷き、全員を見渡した。

「よし。チーム・ガーランド!」

 その時、ぶきが椅子から立ち上がり、拳を突き上げた。

団結ユニティ!」

 一瞬の静寂。

 全員の視線が、フライングした少年に集まる。

「……って、お前が言うんかーい!」

 あざみが吹き出し、会議室はドッと笑いに包まれた。

 陽葵が呆れつつも優しく微笑む中、けいは苦笑しながら改めて号令をかけた。

「さあ、行こうか。新しい花を探しに」


06


 港区、第3倉庫エリア。

 普段は物流の拠点として賑わうこの場所は、現在、物々しい静寂に包まれていた。

 黄色い規制線キープ・アウトの外側では、警察車両が赤色灯を回し、野次馬や報道陣を完全にシャットアウトしている。

 その内側で動くのは、黒いスーツを着た政府関係者、そして万が一に備える消防隊員たちだけだ。


 そこへ、一台の大型ワゴン車が到着した。

 側面には『フラワーショップ・ガーランド』のロゴ。

 花屋の配送車に見えるが、そのエンジン音は重厚で、明らかに市販車とは異なるチューニングが施されている。

 スライドドアが開き、 けいが降り立った。

 すぐに、現場を指揮する黒服の男が歩み寄ってくる。

東風こちさん、今日も悪いね」

「一番近かったからでしょ? さな隊長」

 けいは軽口で返す。

「まあ、そういうことにしておこう。実際、ガーランドは上の方々にも評判が良くてね」

「一番『従順』だからってことかい? さな課長」

「よしてくれ。現場で肩書きなんて何の役にも立たない」

 さなと呼ばれた男は、苦笑しながらも鋭い目で倉庫の奥を見据えた。

「頼むよ。今回は特に波形が不安定だ」


 二人が大人の会話を交わしている裏で、メンバーたちは倉庫の入り口に設置されたゲートへ向かっていた。

 駅の改札機のようなシンプルな装置だが、高精度の生体スキャン機能を持つセキュリティゲートだ。

 ピッ、と電子音が鳴り、小学生のぶきや、女子高生のあざみが何食わぬ顔で通過していく。

 その様子を見て、遠巻きにしていた現場スタッフたちがひそひそと囁き合った。

「おい、見ろよ。あんな子供までいるぞ」

「めったなことを言うな。彼らのデータを見たか?」

「え?」

「ダイブ経験回数『3回』だぞ」

「3回……!? 正気かよ……」

 スタッフたちは絶句し、畏敬の念を込めて彼らの背中を見送った。

 1回帰還するだけでニュースになるこの世界で、3回という数字は、もはや生ける伝説レジェンドに近い意味を持っていた。


07


 ――そこは、いつ、誰が、何の目的で作ったのかわからない未知なる世界。

 電子の海に突如として現れるその領域は、現代科学の常識を遥かに超えていた。


 世界中の至る所に神出鬼没に出現する接続ポイントは『ゲート』と呼ばれ、数時間から数日という短い期間で消滅、あるいは移動してしまう。

 現在では政府がこれらを厳重に管理している。

 目的は二つ。突入者(ダイバー)の安全管理。

 そして、稀に彼らが持ち帰る未知の超科学技術――通称『ロスト・ロジック』の獲得だ。


 無機質な電子空間ではない。

 そこは、かつて人類が失った緑豊かな自然が広がり、空想上の生物たちが闊歩する幻想の世界。

 そこでは、人間は精神の強さに応じた強靭な肉体を得て、魔法さえも行使することが可能となる。


 その万能感と美しさに魅了され、帰還を拒む者が続出した結果、政府はダイブを厳格な許可制とした。

 必要なのは、強固な精神メンタルと、互いを現実に繋ぎ止める仲間パーティ


 いつしか人々は、電子の海に存在するそのもう一つの宇宙を、畏怖と憧れを込めてこう呼ぶようになった。

 『コスモス』と。


08


 倉庫の中央。

 空間が揺らぎ、青白い光の粒子が渦を巻いている。

 これが今回の『ゲート』だ。

 その発光現象を取り囲むように、六つの椅子と円卓状のコンソールが設置されていた。

 それぞれの席の前には、掌を乗せるための大きなパネル型スイッチが置かれている。

 ガーランドの面々は、慣れた様子でそれぞれの席に着いた。

 全員が着席すると、円卓の中央に立体モニターが展開され、隣接する管制車両にいるさな隊長の姿が映し出された。

『情報は送った通りだ。直前になっても更新されていない』

「つまり、まったくの……」

 おんが眼鏡の位置を直しながら呟く。

「未知数、と」

 しゅうがキーボードを叩きながら補足した。

 重くなりかけた空気を、けいがパンと手を叩いて払拭する。

「まあ、はじめから当てにはしていないさ。これは俺たちの冒険だ。俺たちの手で掴み取る」

 けいの言葉に、メンバーの表情が引き締まる。

『……規模は前回と同様のカテゴリ2。予測では、ゲート消滅まで残り2時間から6時間だ』

 さなの声には焦りが混じっていた。時間が短い。

「時間の心配はいらないっしょ」

 あざみがネイルを眺めながら軽く言った。

「現実世界の2時間は、中では数ヶ月から数年に相当しますから」

 まりが真面目な顔で説明を加える。

「そこまで長居するつもりはありませんわ」

 おんが優雅に微笑む。

 『報告通りだが……本当なのか?』

 さなはモニター越しに絶句した。

 主観時間が数年にも及ぶ任務を、彼らは日常の延長のように受け入れている。

「任せとけって!」

 ぶきがニカっと笑い、自分の胸を叩いた。

「我々の体、頼みましたよ」

 しゅうが深く一礼する。


09


「こっちはいつでも行けますよ、隊長」

 けいが力強く告げる。

 モニターの中のさなが、深く頷いた。

『ミッション承認。武運を祈る』

「よし。チーム・ガーランド……ダイブ!」

 けいの号令と共に、六人が一斉に目の前のスイッチに手を乗せた。

 まりぶきおんしゅう、桂は右手を。

 だが、あざみだけは――誰も見ていない一瞬の隙に、左手をパネルに乗せた。

 それは彼女だけが知る、スカウトとしての隠された起動ブートシークエンス。


 その瞬間、世界が反転した。


 まりの視界が、光の奔流に飲み込まれていく。

 上下の感覚が消え、自分という存在が電子の粒子へと分解され、再構築されていく浮遊感。

 怖い、とは思わなかった。

 隣には、信頼できる仲間がいる。


 やがて、強烈なホワイトアウトが視界を奪い――。


10


 気がつくと、頬を撫でる風を感じた。

 土と、若葉の香り。

 まりはゆっくりと目を開けた。

 目の前に広がっていたのは、見上げるような巨木が立ち並ぶ、深く、美しい森だった。

 自分の手を見る。

 そこにあるのは、制服の袖ではない。

 白銀に輝く重厚な手甲ガントレット

 背中には、身の丈ほどの巨大な盾の重みを感じる。


 周囲を見渡せば、頼もしい仲間たちが立っていた。

 道着姿の格闘家、ローブを纏った魔術師、神官服の青年、軽装の斥候、そしてリュートを背負った吟遊詩人。


 もう、現実の名前はいらない。

 大盾の少女――サンは、兜のバイザーを上げ、新しい世界に向かって第一歩を踏み出した。


11


 光の粒子が完全に収束し、世界が色彩を取り戻す。

 チーム・ガーランドが降り立ったのは、鬱蒼とした原生林の中だった。

 空を覆う巨大樹の枝葉。湿った土の匂い。どこか遠くで、聞いたこともない鳥の鳴き声が響いている。


 真っ先に動いたのは、ヒーラーのホリー(しゅう)だった。

 彼は周囲の植生と空気の流れを冷静に観察し、静かに告げた。

「……どうやら、未開のアンチャータードに降り立ったようです」

「厄介ね」

 キャスターのアスター(おん)が、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。

「既存のルートから外れたわ。帰還ポイントの確保も一からよ」


 二人が分析を進める横で、タンクのサン(まり)が奇妙な行動を始めた。

 彼女は地面の泥を両手で掬い上げると、自慢の白銀の大盾タワーシールドに迷いなく塗りたくり始めたのだ。

 美しい装飾が汚れていくが、彼女の表情は真剣そのものだ。

 鏡のように磨き上げられた盾は、敵の注意を引くのには役立つが、森林地帯ではその反射光が命取りになる。

 無用な敵に見つからないための、徹底したリスク管理だった。

 泥はコスモスの特殊な土壌成分を含んでいるため、錆や腐食の心配はない。


「できるだけコンディションを維持しておきたいところだな。……ソーン(あざみ)」

 リーダーのローレル(けい)が短く名を呼ぶ。

 ソーンは無言で頷くと、音もなくその場から姿を消した。

 地面を蹴った瞬間からトップスピードに乗る、スカウト系固有スキル【縮地スプリント】だ。

 彼女の姿は一瞬で茂みの奥へと溶け込んでいった。


12


「獣道が見える。いくらかは歩きやすい?」

 格闘家のストーム(ぶき)が、下草の折れた跡を見つけて指摘した。

「そうだな。でも、この道を使っている『お客』が来るかもな」

 ローレルは警戒を促しつつ、懐から羊皮紙の地図を取り出した。

 ホリーが、木々の隙間から見える特徴的な山の形を指差す。

「あの山の稜線に覚えがあります。方角と距離から推測して……あれを越えれば、『タカネ』に着ける可能性が高い」

 ローレルは地図のページをめくり、『タカネ』周辺のエリアを開く。

「第三次開拓時代に作られた、山岳拠点か」

 サンが泥だらけの手を払いながら、ローレルの手元を覗き込む。

 アスターが地図からローレルに視線を移した。

「大きな拠点ね。そこまでの地形データを記録して持ち帰ることができたら、『まずまず』と言えるんじゃないかしら」

「普通なら大成功、俺たちなら“まずまず”だな」

 ローレルがにやりと笑う。

 アスターもつられて口元を緩めた。

「ずいぶんと大物になったものね」

「よし、じゃあ向かうぞ」


 方針が決まると、ストームが懐から小さな笛を取り出した。

 彼が短く息を吹き込むと、人間には聞き取りにくい、特殊な周波数の音が響いた。

 未知の敵対勢力モンスターに聞かれるリスクはあるが、その意味までは理解できないだろう。

 ――ピー、ピピ。

 『3時の、方向へ、向かう』。

 先行しているソーンへの合図だ。


「サン、任せたぞ。いつものフォーメーションで」

了解ラジャー!」

 サンが大盾を構え、足元を慎重に確認しながら先頭に立つ。

 その直後にアスターとローレルが続き、ホリー、そして殿しんがりをストームが固める。

 六人の行軍が始まった。


13


 歩き始めてすぐに一度目の小休止を挟み、さらに二時間が経過した頃、一行は二度目の休憩をとった。

 本来ならもう少し早く休みたかったが、視界の開けた安全な場所が見つからなかったのだ。


 このチームには時計を見る者はいない。

 アスターの体内時計が、恐ろしいほどの精度で時を刻んでいるからだ。彼女がいる限り、ガーランドの面々は時間の感覚を失わずにいられる。

「ソーンが、あと十分後に合流するわ」

 アスターが水の入った革袋スキンを口に含みながら言った。

「よし。ソーンが合流したら、そこから十分後に出発しよう」

 ローレルの指示に全員が頷く。


 その時、静かな奇跡が起きた。

 ホリーが直立不動の姿勢をとり、静かに目を閉じる。

 詠唱はない。ただ彼が意識を集中させた瞬間、周囲の空気が澄み渡った。

 ふわり、と。

 高原の風のような、爽やかな気流がメンバーの体を包み込む。

 ヒーラーの上位スキル【清浄なる微風リフレッシュ・エア】。

 低下したスタミナを回復させ、精神的な疲労さえも拭い去る癒やしの結界だ。


 アスターの予言通り、きっかり十分後。

 音もなくソーンが茂みから現れた。

「お疲れ様。どうだった?」

 ローレルがねぎらいの言葉をかける。

 ソーンは軽く肩を回しながら、符丁を使って報告した。

「トール(大型)なし。ショート(小型)多数。……いい感じにヤバイのが揃ってるって感じ」

「未開だった理由がわかるわね」

 アスターが苦笑する。

 「トール」はボス級や巨人、「ショート」は群れるタイプの小型モンスターを指す。

 数が多く、好戦的な種族がひしめいているということだ。

「ソーン、悪いな。十分で出発する」

「オッケー」

 ソーンは不満も漏らさず、息一つ乱していない。

 軽装であることに加え、彼女のスタミナ温存術(ペース配分)が長けている証拠だった。


14


 休憩を終え、再び歩き出して数分後。

 先頭を歩くサンの足が、不意に止まった。

 彼女は振り返らず、ただ無言で大盾を構え直し、重心を低く落とす。

 それだけで十分だった。

 ローレルがリュートの弦を弾く指を構え、アスターが杖を握る手に力を込める。

 一拍遅れて、前方の大樹の陰から、低い唸り声が響いた。

 茂みを掻き分けて現れたのは、六匹の獣の群れ。

 狼に似ているが、背中から鋭利な水晶の棘を生やした、コスモス特有のモンスター『ニードル・ウルフ』だ。

 ソーンが報告した「ショート(小型)」の群れである。


 数は六対六。

 だが、誰も動じない。

 誰がどの敵を受け持ち、どう倒すか。そんな作戦会議は必要ない。

 彼らはすでに、互いの呼吸を熟知している。

「グルルァッ!」

 先頭のウルフが地面を蹴り、サンに飛びかかる。

 鋭い牙が喉元に迫るが、サンは表情一つ変えない。

 ガギィン!

 硬質な音が響く。大盾が、突進の衝撃を完璧に吸収していた。

「……軽い!」

 サンが短く叫び、盾を押し返す。

 体勢を崩したウルフの懐に、すでに影が滑り込んでいた。

「はい、お疲れー」

 軽い口調と共に、ソーンの双剣が閃く。

 すれ違いざまの一閃。ウルフは悲鳴を上げる間もなく、光の粒子となって霧散した。


15


 最初の一撃を皮切りに、残りの五匹が一斉に襲いかかる。

 三匹が前衛を抜けようと左右に展開するが、そこにはストームが待ち構えていた。

「通すかよ!」

 ストームが踏み込む。

 拳に風を纏わせた正拳突きが、一匹目の頭部を粉砕する。

 返す刀ならぬ、返す蹴りが二匹目を吹き飛ばす。

 背後から迫る三匹目――ストームからは死角だ。

 だが、彼は振り向きもしない。

 ドォォォン!

 頭上から降り注いだ紫電の雷撃が、三匹目を直撃し、黒焦げにした。

 後衛のアスターによる精密射撃だ。

「ナイス、アスター!」

「よそ見をしないの、ストーム」

 アスターは涼しい顔で次弾を装填(チャージ)する。

 乱戦の中、一匹が執拗にヒーラーであるホリーを狙おうと回り込んでいた。

 しかし、その動きはローレルによって支配されていた。

 彼が爪弾くリュートの音色が、ウルフの聴覚を狂わせ、平衡感覚を奪っていたのだ。

 千鳥足になったウルフの前に、ホリーが静かに立つ。

「迷える魂に、安らぎを」

 ホリーがメイスを振り下ろす。

 僧侶とは思えない鋭い打撃が、ウルフの脳天を砕いた。


16


 戦闘開始から、わずか数十秒。

 六匹のニードル・ウルフは、一人の負傷者も出すことなく全滅した。

 サンが盾の汚れを払いながら、ふう、と息を吐く。

「みんな、怪我はない?」

「余裕余裕。サンのガードが鉄壁すぎて、マジ安心感ハンパないし」

 ソーンが双剣を収めながら、ケラケラと笑う。

「それにしても、ここの個体は少し動きが速いな。さすが未開拓エリアだ」

 ストームが汗を拭う。

「ええ。でも、私たちの連携の前では脅威になり得ませんね」

 ホリーが穏やかに微笑み、全員に癒やしの光を振りまく。

 ローレルは、満足そうに頷いた。

 誰かがミスをして誰かがカバーしたのではない。

 全員が自分の仕事を完璧にこなし、パズルのピースのように噛み合っていた。

 これが、チーム・ガーランドだ。

「よし。無駄な戦闘音で他の敵を呼ぶ前に移動しよう。……見えてきたぞ」

 ローレルが指差した先。

 森が開け、夕暮れに染まる空の下、険しい岩山の頂が見えた。

 その中腹に、人工的な灯りが小さく揺らめいている。

 第三次開拓拠点の跡地、『タカネ』だ。

「今日はあそこでキャンプといこう」

「やった! ご飯だご飯!」

 ストームが少年の顔に戻って歓声を上げる。

 アスターも、やれやれと微笑んだ。

「お腹が空いていては、良い魔法は撃てないものね」

 六人は、確かな達成感と共に、夕闇の迫る山道を登り始めた。

 この世界は未知と危険に満ちている。

 けれど、この仲間がいれば、どんな場所でも「青春ぼうけん」の舞台になる。


 彼らの旅は、まだ始まったばかりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アドベンチャー・ハーモニー まーくん @ma-kun2025

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ