第3話
頭痛が邪魔してるのか思い出せない……。
あの後は明里を駅まで見送って……普通に直帰したはず。
変な人をひっかけるような余裕なんてなかったと思うんだけど……。
「そもそもこのアパートはオートロックだし、簡単に入れないはずなのに……」
「だから、気付いたらこの部屋にいたって言ってるじゃん。考えたって無意味だよ」
「いや、でもそんなの理屈が通らな……」
「本当だって! 気付いたら部屋にいて、あれ? って思ったらあなたが帰ってきて、シャワー浴びてそのまま寝たんだよ」
「はっ?」
自分でも分かるくらい顔が引き攣った。
瞼が痙攣したように、ヒクついている。
「帰ってきた時には……いたの?」
「うん。話しかけようと思ったけど、ベロベロで疲れてそうだったからやめてあげた」
ベッドに座る私を立って見下ろす彼女、もはや私の方が来訪者のように覚えてくる。
「それは助かるけど……っていやいや! おかしいでしょ! それで一緒に寝て……?」
「キスで起こしてあげたわけ。財布の免許を見て誰かは分かったし、状況も飲み込めたから」
「勝手に見たの!?」
「うん、あっ別にお金は抜いてないよ。ただそれで状況が飲み込めたの。あーここは私のいた世界とは別の世界で、あなたはこの世界での私なんだって分かったんだよ」
「なんでそんな簡単に……」
くるりくるりと舞台役者のように振る舞って、目の前の自称苗木琴乃は続ける。
「色々あってね? 寝る前にさ、もしもピアノを諦めてたらどうなってたのかなって考えたんだよ」
「ピアノ……」
「そっ。んでパッと目が覚めたらこの家で立ってた。
その一言で、とても腑に落ちた。
「私はね? 全てを懸けたコンクールで結果を残せなくても、プロのピアニストになる夢を諦めなかった苗木琴乃」
胸に手を当てて改めて自己紹介をするように彼女は言った。
「並行世界っていうのかな? 多分そんな感じ。ピアノを諦めたら私は幸せになれてたのかな。そんな風に思って寝て起きたらここにいたってわけ」
軽口に痛みを滲ませてそう告げる彼女。
理解が追いつかない私は他人事のように思えなかった。
本当に、本当に……パラレルワールドの私なの……?
キスだって夢の質感じゃない、突き飛ばしても、このもう1人の私(自称)はそこにいる。
中学でピアニストになる夢を諦めた私の目の前に、夢を叶えた(?)私がいるのだ。
「えっ、いや、でもちょっと待って? 私は確かにピアニストを諦めたけど、なんで諦めたって分かったの? そうじゃない世界かもしれないでしょ」
「寝る前にぶつぶつ言ってたよ? こんな思いするなら音楽の先生じゃなくてピアニストになりたかったって。でも出来なかったからーとか1人で自己否定を繰り返してたよ」
なんかあったの? と首を傾げて目の前の私は心配そうにこちらを見つめた。
ただその視線がピアノを辞めたきっかけなのか、やけ酒の原因なのか、どちらを聞いていたのか分からなかったから無言で誤魔化した。
「てか、こっちの世界の私は音楽の先生なんだ。てことは、ピアノは続けてるんだね」
「別に続けてる内に入らない……てかさ」
改めてニコニコとした視線をまっすぐ見つめ返す。
「妙に落ち着いてるね。あなた。並行世界に来たって言うのに受け入れてる」
「まぁ当事者だしね。なんとなくそういうものなんだって分かるんだよ」
彼女は両手を上に向けて肩をすくめるジェスチャーをしてみせた。
この人がもうひとつの世界の私。
感覚としては理解できる
諦めなかった世界の私だと言うなら、聞きたい。
「じゃあさ、私はなんでピアニストになるのを諦めたと思う? あなたが苗木琴乃なら分岐点も分かるよね?」
妥協と納得で塗り固めた感情が、私の人生には詰まっている。
私の歴史を紡いだ石碑があるとしたら、いろんなことを書こうとして諦めてるから、その辺の岩と勘違いされるレベルでスッカスカだろう。
ただそんな人生でただひとつ、大きな絶望と挫折があるはずだ。
確実にその石碑には刻まれる出来事。
ボキリと音を立てて心の芯が折れ、自分の願いを自分で否定して諦めた挫折。
「そりゃあね。挫折してピアノを辞めちゃうとしたら、あのタイミングだと思う」
お互いに同じタイミングを想像した気がした。
あの時にした挫折を彼女は乗り越えた。
私は無理だったのに。
「教えて」
これは確認だ。
本当にこの人が苗木琴乃なのか。
本物だと言うなら少なくとも分岐する前の私を理解してるはず。
どんな想いで打ち込んでいて、どう打ち砕かれたか。
改めて心の奥底にある砂を両手で掬うように、昔に捨てた感情を拾い直すように問いかける。
「
正解だった。
そして彼女は「挫折するならあのタイミング」と付け加えて言ってのけた。
それを聞いて、私の中で咀嚼しきっていたはずの悔しさが湧き上がる。
悔しかった。
超新星として持て囃された天才ピアノ少女。
同世代というだけじゃなく地元も同じだった彼女に、私はコンクールで負け続けた。
全てを注いで弾いたのに届かなかったのが悔しくて……ピアニストの夢を諦めた。
才能が怖くて、憎くて、悲しかった。
自分では足りないと、まざまざと見せつけられた気がした。
自分を応援してくれる家族や先生を、否定されてる気がした。
「そこで諦めなかったのがあなたってこと……?」
「うん、音大に入っても唯香には負けっぱなしだったけどね。あぁでも最終的には勝ったよ。その結果を認められて一緒に海外の音楽院にも行ったからね」
「本当なんだ……」
そしてその気持ちと共に、胸の奥底が熱くなった。
自分の夢が叶っていた世界もあるんだと。
ライバル視していた天才ピアニストにも勝てたんだと。
……本当に? どうやって?
それを考えたら頭痛が酷くなった気がして、奥歯を思い切り噛み締めた。
「あーその顔、やっぱりまだ疑ってた?」
「いや……まぁきっとあなたは、私なんだろうね……」
はぁ。肩が落ちて力が抜けていった。
もう、受け入れるしかない……のか。
「いやいや、なんでも聞いていいよ。私はあなたなんだし、お互いの自己理解ってことでさ!」
「あー、じゃあ」
そして両手を広げて「どんとこい」と言った様子の彼女に、なんの気なく質問をしてみた。
さっきので十分実感が持てたけど、コンクール関係者なら推測でギリギリ当てられる。
でもこれは多分……ピアノコンクールの関係者でも答えられない。
「私のファーストキスの相手は?」
「おー……? そうきましたか……」
何か悩んでる?
そんな様子を少し訝しむと、彼女は広げた腕を今度は胸の前で組み直し、顎に手を当てて口角を上げた。
よく見たら私より胸が少し大きくない……?
やっぱりこれ本当に私か?
そんな疑念が顔に出たのか彼女は「言っちゃうよ?」と、口の片側を釣り上げてニヤついた。
「14歳、中学2年の時にぃ……」
「あっ」
いきなりファーストキスの年齢から入って、不安の電流が全身に走った。
ベッドであぐらをかいた体がボールのように跳ねる。
唇にあの時の感触が蘇ってきて、じんわり汗が出てくる。
ヤバい、これマジで当てられる気がする。
「同じクラスの
ニヤリと笑って、彼女は言った。
ファーストキスの相手の名前に、全身がブルっと犬のように震えた。
うわぁマジか……。
「本当に私じゃん……」
ピッタリ言い当てるなんて、やっぱりこの人は苗木琴乃だ……。
そう呆気に取られていると、彼女は口角を上がったまま、こちらに投げかけ続ける。
「だからそう言ってるでしょ? たしか林間学校の女子部屋の子達で王様ゲームやった時だよね」
「えっ? ちょっ……もう分かっ……」
「それでキスの命令が来たけど、途中で先生が来ちゃったから消灯で中止になって、布団に入って寝ようとしたら、隣の水上さんが『ゲームを終わらせないとフェアじゃないから』ってこっそり……」
顎に指を当てて、幸せを思い出すような顔をしている。
美味しいものを思い出した時みたいな……トロンとした瞳に、何か色っぽいものを蓄えている。
「もう良い! うん、本当にあなたは私なんだね。よーく分かった!」
飛び上がって彼女へ詰め寄り、グッと肩を掴んで制止する。
私の忘れられない出来事を正確に把握してるなんて、やっぱり本物だ。
「マジでかぁ……」
「うん。ということで改めて、私はピアニストになった苗木琴乃。あなたは音楽の先生になった苗木琴乃なんだよね?」
「そう……ピアニストは諦めて先生になることにした」
「大変だねぇ。激務なんじゃない?」
「そりゃピアニストも変わらないでしょ。どのレベルかは知らないけど」
とはいえ未崎唯香に勝ったなら……それなりにピアニストとしての箔もあるだろう。
彼女を見る目が、少しだけ白んだ気がした。
彼女が眩しい。
モンブランのような亜麻色のカールした髪も、高そうな服装も、明るい性格も、可愛らしい声色や表情も、私の持ってないものだ。
なのに私の心の内側で「この人は苗木琴乃である」という実感が満ちていく。
ただそんな羨望を無視するように彼女はこちらに笑いかける。
「いやいや、先生のが大変だよ」
「そんなことない。慣れだよ」
「慣れって……私は堪え性がないからなぁ。あなたの方が凄いと思うよ。戦ってるのは間違いないし」
そうかな。
「なんか……素直だね」
「性格いい? 初めて言われたかも!」
「性格いいとは言ってない、素直で正直って言ったの」
それでも彼女は満足そうにニンマリと笑った。
相手は並行世界の存在とはいえ自分だからか、正直な言葉だというのが第六感的な実感でわかる。
悪い気分はしなかった。
いや二日酔いで気持ち悪いし、結局なんでこの人が私の部屋にいる状況は理解不能ではあるのだけど。
「まぁ、そんなに言うならそうなのかな? でも本当に慣れだよ。流石に新卒の時よりしっかり役に立ってる自覚もあるし……」
「そんな大変な先生に伝えなきゃいけないことがあるんだけどさ」
「なに?」
「先生って何時出勤なの?」
「えっ?」
すると彼女はくるりと体を避けて、壁にかけてある電波時計を指差した。
針は周りにある数字を突き刺してぼんやりと時刻を示すも、中央の電子盤が数字をハッキリ表示して絶望を報せている。
06:36
朝の……6時36分。私は寝起き。
「やっば!? ちょっ! 遅刻する! 着替えなきゃ!」
「あーやっぱそうかー。もっと早めに伝えればよかったね。私は5時ごろには起きてたし」
「そんな時間からキスしてたの!?」
「まぁキスしたのはそれこそ琴乃の起きる直前だけどね」
「あー、もう! 頭痛いし、もう1人の私いるしで、もう頭の中ぐっちゃぐちゃ!」
そうだそうだ状況の整理は出来ても、経緯や現状は意味不明なんだ。
でも目の前にいる私は気にしていない。
「そりゃ気にしないよ。当事者だし焦ってどうにかなるわけないし。大人だもん」
「心を読むな!」
「はははー頑張れー」
「頑張れじゃない!」
鏡を見て、顔色を確認する。
あまり良くない。でもどうしようもない。頭痛い。
とりあえず水をコップに入れて1杯飲み干して、急いで準備を進めた。
「あーもう……!」
「うーん、やっぱり頑張る姿は愛おしいね。私はこっちの世界のあなた好きだな」
「今そんなこと言われても……! あー、えっとね……とにかく! あなたはここにいて! 出てきたらめんどくさくなるから!」
「はーい、ベットで琴乃の匂い嗅いでるね!」
「やめ……もうなんでもいいから! 出てこないでね……っ!」
わかってまーす。と彼女はベッドに横たわって見せた。
「全く……並行世界の私って、こんな頭おかしいの……?」
それ以上、彼女を心配する暇もなく確認して家を出た。
鍵を閉めて、ぼそりと本音が漏れてしまう。
あんな人間なの? あんな人間になる可能性があるの?
距離が近い、モフモフとしたセーター、キスしてくる。
カテゴリで分けたら大型犬と変わらないじゃないか
尻尾があったらぶんぶん振ってるだろう。
「……どうなっちゃうの、これから」
並行世界? なんできた? てかどうする?
家から出すわけにもいかないよね?
疑問点が多すぎる。
なのに並行世界の苗木琴乃という事情だけは、私の遺伝子なのか本能的に正しいと思えてしまってることに、頭がおかしくなりそうだった。
帰ったらいないと助かる。
割と切実に、そう世界に願った。
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