第10話:紺青の夜明け、永遠の航路

第10話:紺青の夜明け、永遠の航路


電脳都市の夜が、最も深い「紺青」に染まった。


成層圏を突破する魔導推進艇の船内で、サトコ・ナンバは、小さな丸窓から遠ざかる地球を眺めていた。宝石箱をひっくり返したような街の灯り。その一つひとつが、彼女が編み上げた「連環の魔法陣」によって、かつてないほど力強く、有機的に明滅している。


「……きれいね。あんなにバラバラだった光が、今は一つの呼吸をしているわ」


サトコの隣には、実体を持たないアニマの投影が、淡い光となって揺れていた。 「サトコ、機体はまもなく外圏エーテル層に到達します。これより先は、地上のどのギルドも観測したことのない未踏の領域。……本当に、戻らなくて良いのですか?」


「戻らないわ。私は『完成』を見守るタイプじゃないもの」 サトコは、白くなった髪を指先で弾き、悪戯っぽく微笑んだ。 「地上(あっち)には、タクミもレンもいる。私が遺したアルカナが、彼らを次のステージへ運んでくれるわ。私の役目は、最後にこの『鍵』を世界に放つことだけよ」


サトコは、自身の掌を機体の制御核にかざした。 彼女の全人生、全魔力、そして全情熱を凝縮した最後にして最強の術式――『不屈の遺言(エターナル・リスタート)』。


「アニマ、全チャンネルを開放して。……都市の、世界の、すべての人々のデバイスに。……私の最後の『わがまま』を届けるわよ」


地上では、タクミとレンが、D.N.Oの屋上で夜空を見上げていた。 周囲の空気は、膨大な魔力の高まりによって帯電し、肌をチクチクと刺すような緊張感に満ちている。


「……来るぞ」 レンが呟いた。その直後、ポケットの中のデバイスが、街中のスクリーンが、一斉に紺青の光を放った。


『――みんな、聞こえる? サトコ・ナンバよ』


サトコの声が、スピーカーを通した電子音ではなく、人々の脳内に直接、温かな質感を持って響き渡った。焼きたてのパンのような、陽だまりのような、あの懐かしい匂いと共に。


『私は今、宇宙(そら)にいるわ。……あなたたちに、一つだけプレゼントを置いていく。……魔法は、もう選ばれた誰かのものじゃない。白銀の塔に閉じ込めておくものじゃないわ。……今日から、この世界のすべての意志が、魔法の源(ソース)になるの』


その瞬間、宇宙の果てから一条の巨大な紺青の流星が降り注いだ。 それは破壊の光ではない。サトコが自身の精神をデータとして分解し、都市の「礎石(ソースコード)」へと溶け込ませた、希望の奔流だった。


「な……なんだ、これは……!」 タクミが絶叫する。デバイスの画面に、見たこともない複雑で美しい数式が猛スピードで流れていく。 「ナンバさん……自分の魂を……プログラムとして世界中に配布(デプロイ)したのか!? 誰もが……誰でもが、自分だけの魔法を立ち上げられるように……!」


空を見上げる民衆の指先に、小さな、だが確かな火花が灯った。 失敗して挫折した若者。 愛する者を失い、膝をついた老人。 病に侵され、絶望の淵にいた少女。 彼らの心に、サトコの不屈の意志が共鳴し、止まっていた運命の歯車を再び回し始める。


『――いい? 一回や二回の失敗で、人生を諦めちゃダメ。……転んだら、その土の匂いを覚えておきなさい。それが、次に高く跳ぶための力になるんだから。……私がついてるわ。……この世界のすべてのコードの中に、私はいるから』


サトコの声が、ゆっくりと遠ざかっていく。 紺青の流星は、都市の隅々まで染み渡り、街全体がサトコの鼓動と同期して脈動し始めた。


「……行ってしまったんだな」 レンが、零れそうになる涙を乱暴に拭った。 「あんたは最後まで……勝手で、強引で、最高にかっこいい魔女だったよ」


宇宙の闇の中で、サトコの肉体は光の粒子となって消失した。 だが、彼女の意識は、無限のエーテルの海へと溶け込み、真の意味で「不滅」となった。 彼女は、一国の女王になる道を選ばず、全人類の背中を押し続ける「希望の術式」になる道を選んだのだ。


数世紀後。 電脳都市は、宇宙へとその版図を広げていた。 人々が困難に直面したとき、決まって唱える古い呪文がある。


「――サトコなら、ここで笑うだろう」


それは、どの教科書にも載っていないが、誰もが知っている「最強の魔法」。 かつて一坪の地下室から始まった紺青の物語は、今や星々を繋ぐ永遠の航路(ルート)となった。


サトコ・ナンバが遺したのは、積み上げられた黄金ではない。 それは、何度倒れても笑って立ち上がれるという、美しき不屈(コンジョウ)の精神。


紺青の夜明けが、今日も新しい星の地平線を照らし出す。 その光の中に、彼女の軽やかな笑い声が、風に乗って聞こえたような気がした。


「――さあ、次はどんな面白い未来を作る?」


不屈の魔女の航海は、終わらない。 世界が「面白さ」を求めている限り、その紺青の瞳は、永遠に私たちの行く末を見守り続けるのだ。


第10話(最終話) 完


最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サトコ・ナンバという「循環の魔女」の物語、いかがでしたでしょうか?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『紺青(こんじょう)の星読みと連環の魔法陣』 春秋花壇 @mai5000jp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る