巡り巡る 〜漢字の意味が世界を変える世界〜
@suzukik
第1章 奪われた日常と音無き復讐者の目覚め
2024年、秋。
その日、世界は静かに、しかし決定的に狂い始めていた。
ニュースでは連日、「突如として超常の力を振るう人間が現れた」という報道が流れている。人々はそれを「覚醒者」と呼び、畏怖し、あるいは忌み嫌った。
しかし、そんな世界の喧騒も、とある東京の古い一軒家に住む**音無賢人(20)**にとっては、テレビの向こう側の出来事のはずだった。
◾︎東京某所 音無宅
「……ん?」
朝、賢人は自分の部屋で目を覚ますと、奇妙な感覚に襲われた。
耳元で、遠くの鳥のさえずりがまるで隣にいるかのように聞こえる。時計の秒針の音が、大太鼓のように響く。
「うわっ、うるさっ……!」
耳を塞ぐ。すると今度は、フッと世界から自分の存在が消え失せるような、浮遊感に包まれた。
鏡を見る。そこには誰も映っていなかった。
意識を戻すと、再び自分の姿が現れる。
「……マジかよ」
賢人は自分の震える手を見つめた。
『音』と『無』。
自分の苗字である「音無」という漢字。それが意味する能力が、自分に宿ってしまったことを悟った瞬間だった。
その日の夕食。
賢人は、食卓を囲む父と母に、意を決して告白した。
「父さん、母さん。……俺、覚醒者になったみたいだ」
箸を動かす音が止まった。
重苦しい沈黙が流れる。賢人は、両親に拒絶されるのではないかと心臓が早鐘を打った。
しかし、父は深く息を吐くと、静かに言った。
「……そうか。賢人だけか?」
「うん。父さんたちは何も変わらないんだろ?」
「ああ。私たちはただの人間だ」
母は、不安そうに賢人の手を取った。
「賢人。……このことは、絶対に家の外で言っちゃダメよ」
「え?」
「ニュースを見てごらん。世間は今、覚醒者を恐れているわ。魔女狩りみたいに、言いがかりをつけてくる人だっているのよ」
母の目には、息子への恐怖ではなく、息子を失うかもしれないという深い愛情と心配が溢れていた。
父も真剣な眼差しで頷く。
「能力なんて使わなくていい。お前はお前だ。今まで通り、普通に生きていけばいいんだ。私たちが守るから」
「父さん……母さん……」
賢人の胸が温かくなる。
世界がどう変わろうと、この家だけは変わらない。この両親がいる限り、自分は大丈夫だ。
そう信じられた。
「分かった。誰にも言わない。……ありがとう」
賢人は笑顔で頷き、いつものようにコンビニのバイト着を鞄に詰めた。
「じゃあ、行ってくるよ。今日は夜勤だから、明日の朝帰るね」
「ええ、気をつけてね」
「行ってらっしゃい」
玄関で見送る二人の笑顔。
◾︎夜の帳が下り始めた住宅街
賢人は、街灯の薄明かりの下を駅に向かって歩いていた。
その途中、ゴミ集積所の前で井戸端会議をしている近所の主婦たちの姿が目に入った。
普段なら気にも留めない光景だが、賢人の鋭敏になり始めた聴覚が、彼女たちのひそひそ話を不自然なほど鮮明に拾ってしまった。
「……ねぇ、聞いた? またこの近くで事件があったらしいわよ」
「ええ、怖いわよねぇ。今度は『鬼塚』さんとこのご主人なんですって?」
「そうそう。首に痣があって……でも、お金とかは盗られてないんですって」
「嫌だわぁ。先週の『神谷』さんの時もそうだったじゃない? 一家全員が忽然と消えたとか……」
「『風岡』さんの家もそうよ。あと、隣町の『破魔』さんとこも……」
「狙われてるのかしらねぇ。物騒だわ」
(……鬼塚? 神谷? 風岡? 破魔?)
賢人は足を止めず、心のなかで反芻した。
共通点のない苗字ばかりだ。強盗や空き巣の類だろうか。
(……嫌な世の中になったもんだな)
賢人は不安を振り払うように頭を振り、早足でその場を通り過ぎた。
◾︎翌朝 帰路
徹夜のバイトを終え、賢人は重い足取りで帰路についていた。
「ふあぁ……眠い」
コンビニでの仕事中も、能力をまだうまくコントロール出来ないせいで客の小銭の音が爆音に聞こえたりして、神経をすり減らしていた。
早く家に帰りたい。母さんの作った味噌汁を飲んで、父さんと野球の話でもして、泥のように眠りたい。
◾︎東京某所 音無宅
「……ただいまー」
賢人は自宅の玄関を開けた。
鍵は開いていた。いつもなら、母が朝食の支度をしている匂いがするはずだ。
しかし全く匂いがしない。音も無ければ気配もしなかった。
「……?」
家の中が、死ぬほど静かだった。
賢人の覚えたての音の能力を使って耳をすましても、父のいびきも、母の足音も聞こえない。
「おい……父さん? 母さん?」
嫌な予感が全身を駆け巡る。
賢人は靴も脱がずにリビングへ走った。
「うそ……だろ……」
賢人はその場に崩れ落ちた。
リビングでは父と母が倒れていた。
見ると首に手形の青痣があり苦悶の表情で白目を剥いている。
争った形跡は無く、よそゆきのティーカップがテーブルの上に4つ置いてある。
「あ……あ、あ……」
賢人は這うように二人に近づき、
「父さん! 起きろよ! なんでだよ!」
「母さん! 嫌だ、目を開けてくれよ! 俺を守るって言ったじゃないか!」
返事はない。
既に冷たくなっている。
「うああああああああああああっ!!!!」
賢人の絶叫が、リビングに木霊した。
悲しみと、喪失感と、そして何よりもどす黒い「怒り」が、涙となって溢れ出した。
「誰だ……誰がこんなことを……!」
金品目当ての強盗か?それとも力に溺れた覚醒者の愉快犯か?
理由は分からない。だが、一つだけ確かなことがある。
この理不尽な暴力が、自分の「世界」を壊したのだ。
「許さない……絶対に許さない……!!」
賢人は泣きじゃくった。
優しかった父。心配してくれた母。
平和だった日常は、一夜にして地獄へと変わった。
しばらくして。
賢人はふらりと立ち上がった。
その瞳からは、少年のあどけなさは消え失せ、昏い復讐の炎が宿っていた。
「……ここにいたら、俺も殺されるかもしれない」
犯人はまだ近くにいるかもしれない。警察を呼び事情聴取を受ければもしかしたら自分が覚醒者だとバレてしまうかもしれない。
賢人は家にある現金と通帳とわずかな荷物、リビングに飾ってあった四枚の写真を懐に入れる。一枚目は父の優しい笑顔。二枚目は母が無邪気にピースしている姿。三枚目は購入記念に撮った我が家の全景。そして四枚目は、まだ幸せだった頃の家族三人の集合写真だ。
そして、パーカーのフードを深く被る。
(消えろ。俺の気配。俺の音。……俺の存在)
『無』と『音』の能力を発動させる。
気配、存在感、姿、あらゆる視認できる情報を無にしていく。最後に自分から出る全ての音を無にし、透明な幽霊へと変わる。
賢人は玄関を出ると、一度だけ振り返った。
朝日を浴びる、住み慣れた我が家。
二度と帰ることのない場所。
彼はスマホを取り出し、家の正面写真を一枚だけ撮った。
幸せだった日々の墓標として。そして、この悔しさを一生忘れないために。
「……必ず見つけ出す。父さんと母さんを殺した奴を……この手で殺してやる」
癒えない傷跡を抱え、音無賢人は孤独な放浪の旅へと足を踏み出した。
彼の望む「平和」など、まだどこにもない。あるのはただ、果てしない復讐の道だけだった。
◾︎東京繁華街・歌舞伎町
両親を奪われたあの日から、数週間が経っていた。
煌びやかなネオン、客引きの声、酔っ払いの喧騒。かつては近づくことさえ怖かったこの街が、今の彼には好都合だった。
溢れかえる「音」と「人」が、賢人の気配を隠す迷彩(カモフラージュ)になるからだ。
「……ここか」
賢人は、とある雑居ビルの古びた鉄扉を見上げた。表札には『黒鉄(くろがね)興業』とある。表向きは不動産屋だが、裏では覚醒者絡みの闇仕事を請け負う暴力団のフロント企業だという情報を、ネットの裏掲示板で掴んでいた。
(覚醒者の犯罪者が集まる場所なら……『手形の男』の情報もあるかもしれない)
賢人はフードを深く被り直し、能力を発動させた。
(——『無』。視覚、気配の遮断)
(——『音無』。足音、呼吸音の消去)
世界から自分が切り離される感覚。
賢人は、客が出てきた一瞬の隙に、閉まりかけた自動ドアをすり抜けて侵入した。
事務所の中は紫煙が充満していた。
強面の男たちが数人、麻雀卓を囲んでいる。奥のソファには、幹部らしき男がふんぞり返り、電話で怒鳴り散らしていた。
「あぁ!? 知らねぇよ! 能力を使える鉄砲玉をあてがえだと? うちの人材を安く見てんじゃねぇぞ!」
賢人は息を殺し、幹部の背後へと回り込む。
男たちの会話に耳を澄ませる。
『火を吹く能力者』『腕が刃物になる男』……様々な情報は出てくるが、両親を殺した『首に手形の痣を残す男』の情報は出てこない。
(……ここもハズレか)
賢人は焦りを募らせた。この数週間、いくつもの闇組織を覗いてきたが、手がかり一つ掴めていない。
苛立ちが、賢人から冷静さを奪っていた。
(……直接、聞くしかないか)
賢人は、幹部の男が電話を切り、一人になったタイミングを見計らった。
幹部がタバコを灰皿に押し付けた瞬間、賢人はデスクの上のナイフ——リンゴを剥くための果物ナイフ——を手に取った。
そして、幹部の首筋に冷たい刃を押し当てた。
「……ッ!?」
幹部が息を呑み、硬直する。
誰もいないはずの背後。だが、確かな死の感触が首元にある。
「動くな」
賢人は、男の耳元だけに届くよう「音」を操作して囁いた。
「……質問に答えろ。音無と言う苗字…もしくは首に手形の痣を残して人を殺す能力者……知っているか?」
幹部の顔から血の気が引いていく。彼は必死に首を巡らせ、周囲を見渡した。
「だ、誰だテメェ……! どこにいやがる! 姿を見せろ!」
目の前に賢人が立っているにも関わらず、幹部の視線は賢人を素通りし、虚空を彷徨っている。
「質問に答えろ」
刃が皮膚を僅かに切り裂き、血が滲む。
「ひっ……! し、知らねぇ! 本当だ! そんな殺し方する奴、聞いたことねぇよ!」
心拍数が跳ね上がる音。恐怖に震える声帯。
(……嘘はついていない)
賢人はチッ、と舌打ちをした。
これ以上の長居は無用だ。賢人はナイフをデスクに突き立てると、男の耳元で告げた。
「……騒ぐなよ。お前の命は、いつでも握れる」
賢人はその場を離れ、出口へと向かう。
「う、うわああああああああっ!!」
腰を抜かした幹部の絶叫が響き渡り、事務所内はパニックに陥った。
「どうした!」
「い、今そこに! 誰かいやがった! 見えねぇ誰かにナイフを突きつけられたんだ!」
「あぁ? 誰もいねぇぞ!?」
組員たちが拳銃やドスを抜いて見えない敵を探し回る中、賢人はその混乱の隙間を縫って、悠々とビルを出て行った。
しかし、賢人は気づいていなかった。
その事務所の天井の隅に、極小の監視カメラが設置されていたことを。
そしてその映像が、組員たちではなく、遥か遠くの「別の組織」にリアルタイムで送られていたことを。
◾︎都内某所
看板のない無機質なビルの地下深くに、米軍情報部の秘密拠点があった。
無数のモニターが並ぶ薄暗い部屋で、一人の分析官が声を上げた。
「……おい、これを見ろ。監視対象『ブラック・アイアン(黒鉄興業)』の映像だ」
同僚がコーヒー片手に近寄ってくる。
「ヤクザの事務所だろ? 麻薬取引の証拠でも映ったか?」
「いや、違う。……奇妙な『襲撃』だ」
分析官がキーボードを叩き、映像を再生する。
画面には、幹部が一人で座っている様子が映っている。そしてその背後には——
黒いフードを目深に被った男が、はっきりと立っていた。
「なんだ、ただの襲撃犯じゃないか。ナイフを突きつけてるな」
「ああ、映像ではな。だが……音声と、被害者の反応を見てくれ」
ボリュームが上げられる。
『だ、誰だテメェ……! どこにいやがる! 姿を見せろ!』
幹部が叫んでいる。
しかし、その視線は目の前に立っているフードの男を完全に見失っており、あさっての方向を向いて怯えているのだ。
「……ん? こいつ、目の前にいる犯人が見えていないのか?」
「そうだ。さらに、マイクの音声データ波形を見ろ」
分析官が画面を指差す。
「フードの男は何かを喋っているようだが、マイクには一切の音声が記録されていない。さらに、男が入室した時の足音も、衣擦れの音も、呼吸音すら……波形はフラット(無音)だ」
「…………」
同僚の顔色が変わった。
「カメラには映っているが、肉眼では認識できず、音も出さない……ということか?」
「ああ。被害者にとっては『透明人間』。だが機械の目には『実体』として映る。……認知阻害か、あるいは光の屈折操作か。いずれにせよ、極めて実戦的な対人ステルス能力だ」
二人は顔を見合わせた。
これは、戦場の在り方を変えるかもしれない「原石」の発見だった。
「……グレイ司令に報告だ。とんでもない『幽霊』を見つけたぞ」
◾︎司令官室
数十分後、二人の男女が入室した。
赤毛のショートヘアが特徴的な女性、サラ・コッホ。
そして、彫りの深い顔立ちをした大柄な男、アレックス・ターナーだ。
「お呼びでしょうか、グレイ司令」
サラが敬礼する。デスクの奥では、銀髪の男——グレイが、モニターの映像を食い入るように見つめていた。
「……来たか。二人とも、これを見たまえ」
グレイは椅子を回転させ、モニターを指し示した。
そこには、先ほどのヤクザ事務所の映像が映し出されていた。フードの男がナイフを突きつけ、ヤクザが「見えない敵」に怯え叫ぶ、奇妙な光景だ。
「ヤクザの内輪揉めですか?」
アレックスが訝しげに言うが、グレイは不敵に笑った。
「状況をよく見ろ。被害者は、目の前にいるこの男が見えていない。……カメラ越しにしか視認できない『兵士』だ」
グレイは立ち上がり、窓の外の東京の夜景を見下ろした。
「肉眼での視認を無効化し、音を完全に消し去る能力。……想像してみろ、サラ。この能力を持つ兵士が戦場にいれば、どうなる?」
グレイの声に、熱っぽい狂気が混じる。
「敵兵の目の前を堂々と歩き、司令官の首を掻き切ることができる。ドローンやカメラには映るかもしれんが、現場の兵士には『何も見えない』のだ。パニックに陥った敵軍を一方的に蹂躙できる、最高の暗殺者だ」
サラとアレックスの背筋に冷たいものが走った。
グレイが語っているのは、単なる能力者の確保ではない。生きた人間を「見えない凶器」として運用する計画だ。
「……それで、私たちへの任務は?」
アレックスが低い声で問う。
グレイは振り返り、二人に冷徹な視線を向けた。
「この『幽霊』を特定し、確保せよ。生死は問わないと言いたいが……可能な限り生け捕りにしろ。検体として貴重だ」
「……ターゲットの特徴は?」
「現状ではこの黒いフード姿の映像だけだ。だが、警察の監視網やNシステムをハッキングすれば、どこかでまたカメラに映るはずだ。奴は人間からは隠れられても、機械の目は欺けない」
グレイは端末を操作し、二人のデバイスにデータを転送した。
「警察無線、監視カメラ、SNSの解析……あらゆる手段を使え。必ずどこかに『カメラにだけ映る男』の痕跡を残すはずだ。それを見逃すな」
「了解(ラジャー)」
二人は敬礼し、部屋を出ようとした。
「ああ、そうだ」
グレイが呼び止める。
「この件は、ペンタゴンへの報告は後回しだ。……まずは私が、この『おもちゃ』の性能を確かめたい」
その私欲に塗れた言葉に、サラは一瞬だけ嫌悪感を抱いたが、表情には出さずに頷いた。
「……はっ」
扉が閉まる。
廊下に出たサラは、深いため息をついた。
「……嫌な任務ね。カメラ越しにしか見つからない幽霊を探せだなんて」
「確かにな…探すのに苦労するな」
アレックスは肩をすくめ、歩き出した。
「行くぞ、サラ。仕事の時間だ」
「ええ……」
サラは不安を胸に秘めながら、相棒の後を追った。
まだ彼らは知らなかった。
その「幽霊」が、殺人鬼などではなく、ただ両親の無念を晴らそうと足掻く、孤独な一人の青年であることを。
そして、この追跡劇がやがて彼ら自身の運命を大きく狂わせていくことを。
◾︎郵便局
それから数ヶ月後、昼下がりの静寂を男の甲高い怒鳴り声が突き破った。
「おい!動くな!金を出せ!さっさとそのバッグに詰めろ!」
男——金子敦は、カウンターの内側にいる中年の郵便局員に向け、ポケットから取り出したパチンコ玉の一粒をつまんでみせた。彼のポケットは、無数の「弾丸」で膨れ上がっている。
局員は、その光景に呆れた顔を隠さなかった。
「……お客様。そのパチンコ玉で何をなさるおつもりで?」
ため息混じりに、局員が言う。
「冗談ならおやめください。金はお出しできません。お引き取りを」
金子は、その反応を待っていたかのようにニヤリと口角を吊り上げた。
「冗談?……ああ、そう思うよな。非覚醒者サマは」
指先に神経を集中させる。
「——じゃあ、これでもか?」
瞬間。
ビシュッ!
金子の指にあったパチンコ玉が、まるで意志を持ったかのように数十の鋭利な金属片へと分裂。散弾銃さながらの勢いで局員の真横の壁と天井に突き刺さった。
ダダダダダッ!
石膏ボードがえぐれ、白い粉が舞う。
「ひっ……!」
局員の顔が一瞬で青ざめた。
「次は狙いを違えねぇぞ!テメェのそのツラだ!」
金子は勝ち誇ったように叫ぶ。彼は覚醒者。「金」の漢字に由来する、金属を操る能力者。触れていたことで発動条件を満たす、物理型だ。
「わ、分かりました!今すぐ、今すぐ用意します!」
局員はカウンターの下からボストンバッグを取り出し、震える手で現金を詰め始めた。
「ハッ!チョロいぜ、マジで。これが『選ばれた力』だ!」
金子が油断しきった背中を見せた、その時だった。
「——おい兄ちゃん」
地を這うような低い声が、すぐ背後からかかった。
「あ? 誰だ……」
金子が振り返ろうとした刹那、熊のような馬力で後ろから首根っこと腕を掴まれ豪快に投げられて顔と腹を床に叩きつけられた。
「ぐはっ!?」
「このクソ忙しい時期によ、とんだ迷惑かけやがって」
大柄な男——鈴木浩三が、金子を押さえつけながら、その上着を荒々しく剥ぎ取る。ポケットが、残りのパチンコ玉でじゃらじゃらと音を立てた。
「てめっ……離しやがれ! この!」
「髙橋さん!」
鈴木は、ATMの隅で呆然と立っていたもう一人の男——髙橋俊明に、パチンコ玉が詰まった上着を放り投げた。
「お、おう!」
髙橋は慌ててそれを受け取る。
「そらよっ!」
「橋」の能力。物理型による空間接続だ。上着はパッと消えた。数秒後、郵便局の外、駐車場のど真ん中に、ぽつんと上着が出現した。武器の無力化だ。
「なっ……空間転移だと!? チクショウ、覚醒者か!」
金子が暴れようとするが、鈴木の体重でびくともしない。
「あー、局員さん。悪いけど、そこのビニールテープかなんか貸してくれねぇか」
「は、はい!どうぞ!」
局員から渡されたテープで、鈴木は金子の手足を容赦なく拘束していく。
「クソッ!放せ! あんたも俺と同じ覚醒者なんだろ!?」
金子が叫ぶ。
「なら分かるはずだ! この選ばれた特権を活かして、自由に生きたいって気持ちがよぉ!」
鈴木は、ぐるぐる巻きにし終えたテープの端を力任せに引きちぎると、冷ややかに言い放った。
「……悪いが、全然わからんね」
一連の騒動を、郵便局の外から見つめる影が一つ。
フードを深くかぶった小柄な人影——音無賢人は、能力を使いながら駐車場の日陰に誰にも認知されずに溶け込んでいた。
そして「音」の能力が、局内のやり取りを、まるで耳元で囁かれているかのように鮮明に拾い上げていた。
『この選ばれた特権を活かして、自由に生きたいって気持ちがよぉ!』
その言葉を、賢人は冷めた目で聞いていた。
(特権……か)
家族を殺され、全てを捨てて彷徨う賢人にとって、それはあまりにも空虚な響きだった。
やがて遠くからサイレンの音が聞こえ始める。賢人は誰にも認知されぬまま、その場に佇むのであった。
サイレンの音が近づき、パトカーが郵便局の駐車場に滑り込んだ。
降りてきたのは、スーツ姿の刑事二人組。谷雄一と、白川真純だ。
「警察だ! 強盗犯はどこだ!」
谷が鋭い声で駆け寄る。鈴木は、ビニールテープでぐるぐる巻きにされた金子敦を抱え上げた。
「おう、刑事さん。こいつだ」
「確保、感謝します。怪我人は?」
「いねぇよ。ただ、こいつを引き渡す前に言っておくことがある」
鈴木は谷の耳元で声を潜めた。
「こいつは覚醒者だ。金属を操る能力を持ってるって言ってたぞ。手錠なんかの金属類には絶対に触らせねぇ方がいい」
「……!」
谷は一瞬目を見開いたが、すぐに小さく頷いた。
「忠告、恩に着ます」
谷は相棒の白川に目配せをする。
「白川、手錠は使うな。トランクにある拘束用のミトンとベルトを持ってこい」
「了解です」
白川が持ってきたのは、分厚い布製の拘束具だった。金子の両手は金属に触れることなく、ミトンの中に封じ込められる。
「離せ! 俺は選ばれた人間だぞ! クソッ!」
「はいはい、選ばれた人間なら署でゆっくり話を聞かせてもらおうか」
谷に頭を押さえられ、金子はパトカーの後部座席へと押し込まれた。
「チクショウ……!」
一瞬の風が吹いた後パトカーのドアが閉まる。パトカーが出発するのを見届けながら、鈴木は大きく息を吐いた。
「ふぅ……。たまたま髙橋さんがいて助かったよ。ありがとな」
「いやいや、それは全然問題ないですけど……」
髙橋俊明は、困り顔で頭をかいた。
「鈴木さんも無茶するなぁ。ただでさえ世間じゃ覚醒者への風当たりが強いんですよ? 俺たちが能力を使ったってバレたら、また『魔女狩り』の口実にされかねない」
「分かってるよ。でもな……」
鈴木は走り去るパトカーを睨みつけるように見た。
「俺たちが覚醒者だからこそ、犯罪を犯す同類は俺たちが止めなきゃならねぇ。野放しにすりゃ、ますます俺たちの居場所がなくなるだけだ」
「それは……そうですよねぇ」
髙橋もまた、沈痛な面持ちでパトカーを見送った。
「警察官は公務中、たとえ相手が覚醒者でも能力を使ってはいけない……。そんな縛りがある以上、誰かがやらなきゃいけないのは分かってるんです。でも、俺たちに何ができるのか……」
二人の男は、狂っていく日本と、その中で自分たちが果たすべき役割について、答えの出ない問いを反芻していた。
◾︎パトカー 内部
助手席の白川が無線機を手に取った。
「こちら警ら204、現着により被疑者一名を確保。これより署へ移送する。どうぞ」
『了解』
無線のノイズが響く車内で、後部座席の金子は悪態をついていた。
「クソッ、あのデカブツめ……覚えてやがれ。俺が出てきたら必ず……」
その時だった。
金子の隣の座席。誰もいないはずの空間、シートの影に同化していた「気配」が、ふわりと実体を持った。
黒いフードを深くかぶった男——音無賢人だ。
彼は「無」の能力を僅かに緩め、金子にだけ認識できるように姿を現した。
「ひっ……!?」
金子が悲鳴を上げようとした瞬間、賢人は「音」の能力を発動した。
金子の口元周辺の空気振動を完全に支配する。
「——静かにしろ」
賢人の声は、車内に響くことなく、金子の鼓膜だけを直接震わせた。
金子は口をパクパクと動かしている。喉からは絶叫が出ているはずだった。
「誰だテメェ! いつから乗ってやがった!」
だが、音は一切出ない。自分の声が消えていることに気づき、金子の顔が恐怖で歪む。
賢人は感情のない瞳で金子を見据え、囁いた。
「声を出しても無駄だ。俺の質問に、頷くか首を振るかだけで答えろ」
金子はパニックになり、隣に座る谷と白川に助けを求めようと声を荒げた。
「おい警察! 変な奴がいるぞ! 助けろ!」
しかし、前の二人は平然と前を向いたままだ。
「……おい谷さん、後ろ静かですね」
「観念したんだろ。喚かれるよりマシだ」
刑事たちの会話を聞き、金子は戦慄した。
(こいつら……気づいてねぇのか!? 見えてないのか!?)
賢人は無表情のまま、金子の胸にスッと手を当てた。
「動くな」
ドクン。
金子の心臓が、一拍大きく跳ねた後——その鼓動が「無」になりかけた。
「ぐ、ぅ……!?」
息が吸えない。力が抜ける。
生命エネルギーそのものが、ブラックホールに吸い込まれるように消失していく感覚。心臓の鼓動がどんどん遅くなり無に近づく。
「……っ、は……ぁ……」
金子が白目を剥きかけ、冷や汗で全身が濡れたところで、賢人はふっと手を退けた。
「次は無い。あと、警察に俺のことを喋っても殺す」
賢人の声は冷徹で、絶対的な死の予感を孕んでいた。
金子はガクガクと震えながら、必死に首を縦に振った。
賢人は懐から三枚の写真を取り出し、金子の膝の上に見せた。
一枚目は、ありふれた一軒家の写真。
二枚目は、ピースをしている中年の女性。
三枚目は、真面目そうな中年の男性。
「これらの写真に、見覚えはあるか?」
金子は目を皿のようにして写真を見た。
知らない家だ。知らないババアとジジイだ。
金子は首を横に振った。
「音無と言う苗字や手形を残す能力者に聞き覚えは無いか?」
金子は同じように首を横に振った。
賢人は再び、金子の胸に手を伸ばした。
心臓の鼓動の「音」を聞き逃さないように。
「本当に?」
金子は泣きそうな顔で、首が千切れるほどの勢いで横に振った。
心拍数、呼吸音、筋肉の収縮音。その全てが「知らない」という事実を示している。
(……違うか)
賢人は小さく息を吐き、写真を懐にしまった。
「分かった。脅して申し訳ない」
賢人の声音から、少しだけ殺気が消えた。
「あと、今後悪いことはしないでくださいね?」
丁寧語に戻ったその言葉は、逆に異様な不気味さを醸し出していた。
金子は涙目で何度も頷いた。
「署に到着した」
谷の声と共に、パトカーが停車した。
「降りろ」
白川が後部座席のドアを開ける。
その一瞬の隙間。
ドアと白川の体の間を、賢人は「無」の能力で姿を、そして「音無」の能力で衣擦れの音すら消し去り、風のようにすり抜けて降りた。
「…………」
残された金子は、誰もいなくなった隣の座席と、何も気づいていない刑事たちの顔を交互に見た。
顔色は土気色で、足の震えが止まらない。
「おい、どうした? 気分でも悪いのか?」
白川が怪訝そうに覗き込む。
「あ……あ、あぁ……」
金子は言葉にならない呻き声を漏らしながら、へたり込むように車を降りた。
その背中には、見えない死神の恐怖がこびりついて離れなかった。
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