第2話 月下美人が咲く日まで
目を覚ましたとき、
白鴉は一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
鼻をくすぐるのは、
血でも、火薬でもない。
香ばしい、ナッツのような匂い。
視界に入ったのは、
整然と並ぶ薬研やフラスコ。
戦場には存在しない光景だった。
「……起きたか」
間延びした声がした。
振り向くと、
奇妙な男が机に向かい、
ケシの未熟果から採取した乳液を乾燥させている。
悪徳とも取れる笑み。
だが、手つきは異様なほど丁寧だった。
体を起こそうとした瞬間、
喉の奥に違和感を覚える。
――チューブ。
思わず息が詰まり、
苦しげに喉を押さえた。
「あー、まだ無理に動くな」
男は慌てて手を止め、
扉の向こうへ声を投げる。
「救花! 起きたぞ!」
すぐに、白衣を着た女性が入ってきた。
「目、開けられますか?」
穏やかな声だった。
「三週間、意識がありませんでした。
経腸栄養で最低限は保っています」
淡々と、だが冷たくはない。
「今は、安心してください。
ここは、医療が届く場所です」
その言葉に、
白鴉の肩から、わずかに力が抜けた。
男――流思と名乗ったその人物は、
数週間前、畜生界で白鴉を見つけ、
半ば強引に連れ帰ったらしい。
説明を聞く間も、
頭は混乱していた。
久しぶりに見る“人間”。
警戒心が先に立ち、
思わず口が滑る。
「……イカレポンチ」
言った瞬間、
自分で血の気が引いた。
だが流思は、
一瞬きょとんとしたあと、笑った。
「まあ、否定はしないな」
そう言って、
白鴉の頭に手を伸ばす。
反射的に、身を固くする。
殴られる。
そう思った。
「……あ」
だが、その手は止まった。
「悪い悪い。無理させたな」
怒りは、なかった。
その夜、
健康調査が行われた。
救花の手つきは手慣れていて、
白鴉を“対象”ではなく
“人”として扱っていた。
気づけば、
緊張は少しずつ解けていた。
夜更け、
庭に出ると、
白い花が月光を受けて咲いていた。
月下美人。
一晩しか咲かない花。
「……咲いたんですね」
背後で、救花の声がした。
「短い時間でも、
咲いたという事実は消えません」
その言葉は、
胸の奥に静かに沈んだ。
「……ここにいても、いいんですか」
思わず、零れた問い。
救花は、少し驚いてから微笑んだ。
「いてはいけない理由が、ありますか?」
答えは、出なかった。
だから、何も否定しなかった。
そして――朝。
花は、しぼんでいた。
けれど。
「……それでも」
白鴉は、呟く。
「咲いてた」
朝の光は、
もう怖くなかった。
― Episode2 End ―
白鴉の巣 ~Episode1 The Beginning~ 白猫 @sironeko15
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