第1章【UNKNOWN - 名前のない依頼人】
1. 1918年6月21日、グランド・ホテルで①
── 1918年、死神が「世に放たれた」夏のこと
〔I〕
中央都四番通り
その滅多に来ない珍しい呼び出し音を、死神──クレイ・クレーエは聞かなかったフリをした。
使い込まれた革張りの回転椅子に深く腰掛けて、同僚たちが出払っているのを良いことに、行儀悪く靴を履いたままデスクの上に脚を乗せる。珈琲が自分の手元にちょうど良く納まるのを、優雅に目を瞑ってラジオを聴き流して待っていた。軽やかな曲調の、流行りの音楽だ。
しばらくして一度コールは止んだが、その後すぐにまた鳴った。
仕方なし。クレイは骨張った人差し指で手招きをして受話器を呼び寄せると、手は使わずに耳に付けて声を伺った。
「こちら〈LIMBO〉」
「匿名で探し物の依頼なんだが」
若い男の声だった。声色に自信が満ちているわけではないものの、ハッキリとして落ち着いている。
「探し物は探偵の仕事だ」
「そうじゃない。探して欲しいのは人……いや、魔物なんだ」
「人を、石にする魔物」男は繰り返して言った。
聞き覚えのある単語に、クレイは目を開けて、デスクの一番上の引き出しからファイルを取り出した。インデックスを数字からなぞる指は、やがてBで止まる。そこからひときわ厚みのあるプロファイルを抜きとって開き、メモとペンを引き寄せた。
「詳しく聞かせてくれ」
✴︎
中央都二番通りに行くのは簡単だが、〈グランド・ホテル・エデニア〉四一二号室に辿り着くのは容易ではなかった。
クレイは大抵の場合、日中その目障りな白い髪を黒く染めているのだが、こういう上等なホテルだとそうはいかない。ほとんどの場合は入り口に防犯のため魔法の解除術が仕込まれていて、クレイは渋々本来の姿に戻らざるを得ないわけだが、そうすると今度は門前払いを受けるハメになる。
フロントボーイと揉めていると、フロントの鏡越しに少女がこちらへやって来るのが見えた。透き通るような、またはどこまでも深く底の知れないような、不思議な青い瞳。なるほど神の寵愛を受けているらしい、それはそれは可憐な少女だった。
「鍵を借りられる? えぇと……四一二号室に用事があるんだけど」
「彼と」彼女はウェーブのかかった柔らかな茶髪をゆらして言った。
クレイは思わず口を開きかけたが、彼女は首を振る。
「レディ……庇うにしてもコイツは──」フロントのボーイも慌てたように口を挟んだ。二人がまるで初対面なのは、誰から見ても簡単にわかることだ。そもそも、死神クレイ・クレーエと関わり合いになりたいなんて言うのは、そしてそれを公然と振る舞うのは、命知らずの変わり者か、自殺志願者に他ならない。正気の沙汰ではない愚行なのだ。
「本当よ、クレイとはホテルで待ち合わせしたの……例の──」
「石化事件」
「そう、石化事件について……彼の知見と腕を借りようと思って」
「さ、行こう。予定からもう五分も遅れてるわ」彼女はボーイから鍵を取りあげてクレイの手を引くと、エレベーターまで彼を引っ張っていった。
小気味良い軽い音でエレベーターの扉が閉まると、彼女はクレイの手を離さないまま、四階のボタンを押した。
「……助かった」
「ううん、いいの」
「わたしも気になってたし」彼女はそう言ってようやく、おずおずと手を離した。クレイの心は落ち着いていて、エレベーター内特有の気まずさというか、緊張というか、そんな風なものは感じていなかったが、彼女の方はそうでもないようだった。握っていた方の手を何度か開いたり閉じたりして、口を開きかけては噤んだ。それもそうだ、彼女は今、密室で死神と二人きりなのだから。
ベルがちんと鳴って、四階で扉が開く。
件の石像は二体あって、一つは部屋の入り口のそばに、もう一つはバスルームに入ったすぐのところに立っていた。入り口にあるのは宿泊客か、白衣を着たいかにも
「ザック?」
彼女は深緑の縁の眼鏡をかける仕草をして、向こう側を覗きながら答える。「そお、アイザック・ドルトン。わたしの弟弟子なの」
なるほど、なぜ彼女が自分を助けたのか分かった。
彼女は預かった鍵をかちりと回して、やすやすと〈KEEP OUT〉代わりの〈清掃中〉の立て看板を抜けて中へ入る。
「ここまでで結構。あとは俺がやるよ、アンタは帰るといい」
「迷惑じゃないなら、一緒に行動しても構わない? わたし、きっと役に立てると思うわ」
「過咲骸。わたし、学者なの」骸は名刺を差し出さなかった。綴りがわからなかったので名刺はないのかと尋ねると、「考えたこともなかった。今まで必要なかったから」と答えた。
「……クレイ。クレイ・クレーエ、執行人だ。ついて来たいなら勝手にすればいい。邪魔はしないでくれ」
「もし邪魔したら?」骸は好奇心とほんの少しのいたずら心に煌めいた瞳で尋ねた。
クレイは手の仕草だけで扉を閉めて鍵をかけると、六フィートと三インチの屈強な体が少女を壁際に追い詰める。彼は続けて、低く威嚇するような声色言った。
「この部屋の死体が、ひとつからふたつに増えるだろうな」
怖がらせるだろうが、そうするほかなかった。厄介ごとには関わり合いになりたくないのだ。そのうえそれは、いつも自分の身の回りからもたらされた。クレイのような男は、一人で生きていくべきだ。今までそうしてきたように、これからも。
しかし彼女は、エレベーターの中での態度と打って変わって、ほんのわずか驚いた表情を浮かべてから、柔らかな笑みを咲かせた。
「あなた、そんなことしないでしょう」
楽園に告ぐ別れ Siro|paradirave @paradireve
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