名も無き日々の観測者

遊沈

「踏まれるたびに、空を見上げる」

ぼくは、家の前のコンクリートの隙間から生えている雑草だ。

名前はない。誰も名付けてくれなかったし、ぼく自身も名乗る必要を感じたことがない。

ただ、ここにいる。それだけで、十分だと思っている。


朝になると、新聞配達の自転車がぼくのすぐ横をかすめていく。

タイヤの風圧で、葉が少しだけ震える。

それは、世界が今日も動いているという合図。

ぼくはそれを合図に、少しだけ背筋を伸ばす。

伸びたところで誰にも気づかれないけれど、

それでも、伸びるという行為は、ぼくにとって生きるということだ。


ときどき、家の人が出てくる。

スーツ姿の男の人と、エプロンをつけた女の人。

彼らはぼくを見ない。

むしろ、見ないようにしているのかもしれない。

ぼくがいるということは、誰かが掃除を忘れた証拠だから。

ぼくは「忘れられた時間」の化身だ。

だから、見られるときは、たいてい引き抜かれるときだ。


でも、抜かれても、ぼくはまた生える。

それがぼくの仕事だから。

根っこは、思い出のようにしぶとい。

コンクリートの下に、雨水と土埃と、

誰かがこぼした涙の成分が混ざっていて、

それがぼくの栄養になる。


子どもが通りかかると、たまにぼくを見つけてくれる。

「これ、なんて名前?」と母親に聞くけれど、

母親は「雑草よ」とだけ答える。

雑草、という言葉には、少しだけ冷たさがある。

でも、ぼくはその響きが嫌いじゃない。

「雑に扱われる草」って、なんだか正直でいい。


雨の日は、ぼくの祝日だ。

空から降ってくる水は、誰にも平等で、

ぼくにもちゃんと届く。

そのときだけは、ぼくも空と会話ができる。

「今日も生きてるね」と空が言う。

「うん、今日も踏まれたよ」とぼくが答える。

それで十分だ。


夜になると、街灯の光がぼくの影を伸ばす。

その影は、昼間よりもずっと大きくて、

まるでぼくが誰かになれたような気がする。

でも、朝が来ると、また小さなぼくに戻る。

それでもいい。

ぼくは、誰かの目に映らなくても、

この場所で、今日も風に揺れている。

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