動物たちと地獄の百人一首
魔王の囁き
第1話
年末だった。
こたつがあり、みかんがあり、百人一首がある。
ストーブは静かに鳴り、窓の外には物音ひとつしない。
剥いたみかんの皮の匂いが、部屋の中をゆっくりと満たしていた。
本来なら 「平和」という言葉の説明文に、そのまま載せてもいい光景だった。
たった一つの、致命的な選択ミスを除けば。
「よし、今日はみんなでカルタやろう!」
その一言に、キツツキ、ゴリラ、カメレオンが、まるで示し合わせたかのように同時に頷いた。
今になって思えば、この瞬間に、全力で止めるべきだったのだ。
「では読みます。『あ――』」
読み手が息を吸い、声を出そうとした――
その直前。
――バババババババババッ!!
空気が裂けたような音が、耳元で炸裂した。
「うわっ!?」
反射的に手を引っ込める。
心臓が、ワンテンポ遅れて跳ね上がった。
自分の手を見る。
……無傷。
赤みもない。腫れもない。
指は問題なく動く。
それなのに指の内側だけが、妙にざわついている。
骨の奥に響いたような感覚。
皮膚をすり抜けて、「中だけを叩かれた」ような違和感。
(今の音は何だ? 速度は? 距離は? ……当たってない?でも、確実に“来た”)
「……今の、なに?」
思わず漏れた声に、
「カーン(反射です)」
キツツキは、何ひとつ問題がないという顔で首を傾げた。
視線を落とすと、俺がすでに取った札を掴んでいる手の皮膚から数ミリ外側を、正確無比につつき続けている。
当たらない。
絶対に当てない。
だが、脳が「当たった」と誤認する距離だけを完璧に維持している。
神経だけを狙い撃ちする、狂気の精密さだった。
「お前、まだ取ってないだろ!」
ツッコミを入れた、その直後。
「コンコンコンコン!!」
何の前触れもなく、キツツキは家の柱をつつき始めた。
乾いた音が、一定のリズムで続く。
柱に傷はない。
物理的被害もない。
だが、精神だけが確実に削れていく。
「なんで今!?」
「ここ、札ありそうだったから」
ない。
それだけは断言できる。
「次、『ち――』」
その一音が発せられた瞬間、視界の端で、ゴリラの肩がわずかに動いた。
構えではない。
踏み込みでもない。
ただ「取ろうとした」だけの動きだった。
――パシッ。
乾いた音が一つ鳴り、次の瞬間、俺の視界から世界が抜け落ちた。
痛みはない。
衝撃も、ほとんど感じない。
ただ、視界だけが遅れて追いついてくる。
畳。
天井。
こたつの裏側。
見慣れない角度の部屋。
バラバラに再生された映像が、最後に一つの結論へと収束する。
――殴られた。
気づいた時、俺は部屋の隅に、吹き飛ばされていた。
体を確認する。
……無傷。
「…………」
数秒、言葉が出なかった。
その間に、ゴリラは俺のいた場所を見下ろし、首を傾げていた。
「取ろうとしたら、当たった」
穏やかな声だった。
頭の中で情報を並べ直す。
ゴリラは札を取ろうとした。
その途中に、俺の顔があった。
結果、拳が当たった。
そこまで理解して、ようやく声が出る。
「殴るな!」
ゴリラは少し困ったような顔をした。
「力、どれくらい?」
「ゼロ! ゼロでいい!」
ゴリラは真剣に考え込み、
「……ゼロ、むずかしい」
そして、静かに結論を出した。
「ちから札だと思った」
「カルタにそんな概念ない!」
「……あれ?」
気づくと、さっきまでそこにいたはずのカメレオンがいない。
壁を見る。
畳を見る。
こたつを見る。
――いない。
「どこ行った?」
「……ここだよ」
声は確かに、この部屋から聞こえる。
だが、姿がない。
次の瞬間、
「ペシッ」
軽い音とともに、俺の横から札が消えた。
よく見ると、畳と完全に同じ色のカメレオンが、そこにいた。
輪郭だけが、かろうじて歪んで見える。
「ズルいだろそれ!!」
「今、リラックス色だから」
怒ると赤くなり、興奮すると黄色くなり、有利な場所では、完全に背景になる。
しかも目は別々に動き、一人で三方向の札を同時に監視している。
獲物を見つけた瞬間、
「バシュッ!」
舌が一瞬で伸び、札を吸い取った。
「それもうカルタじゃなくて捕食!!」
なお、動きは異様に遅い。
「取らないの?」
「……今、近づいてる」
五分後、ようやく札に到達した。
キツツキは柱に穴を増やし、ゴリラは勝敗不明のまま満足し、カメレオンは全札の三割を捕食した。
そして俺は、精神的に敗北した。
「……二度とやらない」
その言葉に、
「コンッ」
「ドン!!」
「……(背景色)」
三者同時に反応した。
百人一首は、二度と箱から出されることはなかった。
動物たちと地獄の百人一首 魔王の囁き @maounosasayaki
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