あくまたたき
@nagayama_terrier
1 知らない悪魔に名乗ってはいけない
「吾輩は悪魔である」
すっかり冬が過去の存在となり、暖かくなってきた五月初めのある日。
一年間通ってすっかり見慣れた中学の通学路を、同じように一年間ですっかり着慣れた制服に身を包みながら、帰ったら遊ぶ予定のゲームのことで頭をいっぱいにしながら歩いていると、私の家まであと少しというところで、夏目漱石さんちの猫ちゃんみたいな自己紹介をする可愛いライオンのぬいぐるみと出会った。
一軒家のおうちだらけの住宅街。車がすれ違うのも一苦労な幅の住んでる人しか使わなさそうな道路。
自分のことを悪魔と名乗るぬいぐるみは、その狭い道路の中央に二つの足で上手に立って私を通せんぼしていた。RPGの敵キャラみたい。
ぬいぐるみは頭と体のサイズが同じぐらいの大きさをしている。よく倒れずに自立できるなぁ。使い古されてそうな見た目に反して、出来はしっかりしてそう。
私はぬいぐるみと目線を合わせるため、しゃがんでから話しかける。
「こんにちは、悪魔さん。名前はまだなかったり?」
「吾輩ほど偉大な悪魔が名無しのわけなかろう。……何のつもりだ人間!」
偉そうに喋るライオンのぬいぐるみを、どういう作りなのかなぁと持ち上げてひっくり返して背中を見たり、逆さまにして足の裏を観察してたら、そのぬいぐるみに怒られる。
「このぬいぐるみ、どっから操作してるの? 近所の家?」
きょろきょろと周りを見るけど、窓から私の様子を見ているような人影はみつからない。まさかAI搭載で動いてるとか?
それともぬいぐるみにカメラが仕込まれてて、どこかの部屋から見てるのかな?
操作してる人を見つけようと周囲に気を取られてると、その隙を突くようにライオンのぬいぐるみが私の手の中から逃げ出す。空中で回転し華麗に着地を決めるぬいぐるみ。
す、すげぇ! 跳び箱に足が引っ掛かって顔面からマットに落ちたことのある私より、はるかに運動性能が良いぞこいつ! 猫ちゃんみたい!
なんか玩具にしては凄すぎるような……まさか本当に悪魔? そんなことありえないよね?
「なるほど。人間、貴様吾輩が悪魔だということを信じていないのだな?」
ぬいぐるみがまるで私の心を読んだかのような言葉を喋る。怖っ。本当に心を読んでたら、どうしよう? ちょっと試してみようか。もしもーし、聞こえますかー?
「我ら悪魔が貴様ら人間に召喚されなくなって数百年以上経っておるからな、無理もないことか」
あっ、これ心の中の声聞こえてないな。一安心。
私にテレパシーのテストをされてるなんて知らないライオンのぬいぐるみは腕を組み、私の周りを歩きながら会話を続ける。
「なんと嘆かわしいことか……しかし、それも今日までだ!」
ぬいぐるみが急に大きな声を出し私を指差したので、驚いた私はびくっとしてしまう。今のでちょっと寿命が縮まった気がする。さすが自称悪魔、やることが陰湿。後で慰謝料を請求しよう。
「悪魔一の天才である吾輩は、ついに作り出したのだ! 人間に召喚されるのではない、我らが自らの意志で人間界へと顕現する方法を! この凄さが貴様に理解できるか!? 人間!」
急に私に問いかけてくる。いきなり始まったよく分からない話に対して「理解できるか」なんて聞かれても困る。なんて答えればいいの?
「わからんだろうな、人間!」
あっ、答えなくても進むんだ。ぬいぐるみは全校集会の校長先生の話のように、私のことを無視して一方的に話を続けていく。長くなりそうな予感。私を巻き込まずに、そこの家の塀に向かって一人でやっててくれないかなぁ。
「特別に教えてやろう。今まで我ら悪魔は人間に召喚されることによって、貴様ら人間の住む世界に姿を現していた。しかし天才である吾輩はついに作り出したのだ! それがわかるか!? 人間!」
なんかまた同じような展開に……もしかしてこれ、RPGゲームみたいに答えないと先に進まないパターン? 「はい」って言わないと無限ループするの?
「はい」
この自称悪魔のぬいぐるみが何を言いたいのか全くわからないけど、なんかだんだん面倒くさく感じてきた私は、早く会話を終わらせて部屋でゲームがしたかったので適当に相槌を打った。
「何が『はい』だっ! 貴様のような小娘に、吾輩の知恵が生み出した技術を理解できるわけあるまい!」
「えぇ? めんどくさぁ」
「いや、仕方のないことか。吾輩の頭脳について来られるものなど、人間はおろか悪魔の中にもおらぬのだからな。そういえば人間、貴様、名前は何という?」
急に名前を聞かれた。教えたくないなぁ。悪魔なのか、高性能な玩具を遠隔操作して話しかけてくる怪しい人なのかはわからないけど、どちらにしたってヤバい相手だもん。
「ごめんなさい。知らない人に個人情報を教えちゃいけないって学校から言われているんです。SNSとか、気をつけてくださいって」
「SNSが何かはわからんが……そうか、ならば吾輩が名乗ろう」
なんで? 私の疑問を無視してライオンのぬいぐるみは偉そうに胸を張り、私が欲していない自己紹介を始める。
「我が名は魔界一の天才科学者、マルバスだ!」
「正解か不正解かわかりづらい名前」
「マルバツではない、マルバスだ! どうだ、これで吾輩は貴様にとって知らぬ者ではあるまい。安心して名乗るがよい」
なんで突然自己紹介を始めたのかと思ったら、そういうことかぁ。名乗りたくないなぁ。嘘の名前でいっか。
どうせ偽名を使うなら、魔界一の天才科学者マルバスに張り合えるような、強そうな名前を名乗ろう。
「私は腐敗の女神マレニアって言います」
ぱっと思いついた、ゲームの強キャラの名前を口にする。驚くマルバス。
「な、なんだと!? 貴様日本人だよな? 日本人の名前と言えば、吾輩の手に入れた資料には納税太郎や国保太郎などの漢字による姓名で構成されたものが多かったのだが……」
「どっちも聞いたことない珍しい名前だけど」
資料って何見たんだろ。
「そうなのか……いや、だとしてもマレニアはおかしくはないか? その上なんか格好良い異名がついておるではないか。女神って、貴様人間だろう?」
「おかしくないですよ。確かに私の見た目は日本人って感じですけど、実は私のお母さんのお父さんのお嫁さんの愛犬のトイプードルの原産国がフランスなんです。だから、私も日本人っぽくない名前で異名があるんです」
「むっ、そうなのか。それは失礼した……いや、そうなのか? お前の女神って異名とフランスは何の関係があるのだ? もしやマリアンヌのことか?」
誰だそれ。よくわかんないけど、勝手に都合のいいように解釈してくれてるっぽいし、適当に話を合わせておこ。
「それです、それそれ」
「そうなのか……そうだな。数百年も経てば人間界もいろいろ変わっておるか。貴様ら人間に呼び出されない間も情報収集はかかさずにしていたのだがな……どうやら調査不足だったようだな。やはり現地でのフィールドワークのが得るものは多い」
ぬいぐるみは一人で勝手に結論を出してうんうんと頷いてる。
「それでマレニアよ。……どうした? なぜきょとんとしておる?」
あっ、そうだった。私さっき、マレニアって名乗ったんだった。急に糞強ゲームキャラの名前を口にしてコイツどうしたのかなって、疑問に思っちゃってたよ。
偽名なんて使ったの初めてだから反応できなかった。
「はいはい、こちらマレニアです。なんですか?」
「なぜ遠隔地から応答するかのように話すのだ? まぁ、よい。どうやら貴様は吾輩が悪魔であることを疑っているようだな」
「いや今は割とマジで悪魔かもって思ってますよ」
だってロールプレイとは思えないほど話す内容やキャラクターにリアリティがあるし、さっきからぬいぐるみの歩いたり指差したりという一挙手一投足が生きてるとしか思えないほど自然で滑らかなんだもん。とても機械には見えない。悪魔じゃなくても、宇宙人とか付喪神とかかも。
「そんな疑り深い貴様が吾輩を悪魔と信じられるよう、一つ吾輩の力を見せてやろうではないか!」
話聞いてよ。だいぶ信じてるよって言ってんじゃん。百パーセント信じてもらえないと満足できないのかな。
「ってえっ! 何か凄いことしてくれんのっ!?」
なんだろー? ちょっと楽しみ。花火を見るみたいな気分。
「うむ。このマルバスの力の一端に触れられること、光栄に思え。もっともこの仮初の姿では本来の数パーセント程度しか力を出せぬのでな、大きなことは出来ぬが……しかし人間の貴様の想像を超えるような事象を見せるには、この程度の力でも十分であろう」
「へー。それじゃあ私のこと、不老不死にしてくれませんか?」
「貴様、子供の癖に大魔王みたいなことを言いだすな。残念だが、それは出来ぬ」
「そうなの? それじゃあ最近販売されたゲーム機が欲しいんですけど、ぽんっと目の前に出してくれたり……?」
「それも無理だ。……おい、何露骨にこいつ使えねーなって顔をしてやがる。吾輩の力と無関係の要求をしてくるお前が悪いのだぞ」
「それじゃー吾輩の力と関係ある要求が何なのか教えてよ」
「そうだな……貴様の体を何らかの疫病に感染させてやることが出来るぞ」
「出来るぞ、じゃねーよ。私、病気にされてんじゃん。マイナスじゃん。するなら私に何かメリットがあることにしてよぉ」
「贅沢な奴だ。では逆に病を治してやろう」
「おぉ、それは凄いかも。でも私、今、健康だしなぁ」
「ふむ。それなら一度貴様を病気にしてから、治してやろう。どうだ?」
「どうだ、じゃないよ。なんでそれでオッケーでると思うのさ。プラマイゼロだからね。なんなら一旦病気になった時に嫌な思いしてるからマイナスだよ?」
「えーい注文の多い奴だ! 面倒くさい! 病にしてやる!」
「そんな理不尽なぁ!?」
ライオンのぬいぐるみの目がピカッと光る。ぎゃー。やられたぁー! 私の体は恐ろしい病に冒されてしまったのだぁ! ……ん?
「特になんともなってないけど?」
喉が痛いとか、くしゃみがでるなんて体調の異常は一切ない。熱があるのかなと自分のおでこを触ってみるけど、平熱っぽい。ブラウスの袖を捲って腕を調べたり、スカートとソックスの間の自分の足を見るけど、異常は見つからない。
「よくみて見ろ。右手の人差し指だ」
ぬいぐるみの指示通り、自分の右手の人差し指を見てみる。……あっ、あーっ!
「さ、ささくれが出来てるぅ!」
爪の横の皮膚がちょこっとめくれあがっていた。
「どうだ、凄かろう。そして吾輩の力にかかれば……」
再びぬいぐるみの目が光る。すると人差し指にできたささくれがみるみるうちに皮膚にくっついていき、そのまま痕も残らず綺麗になる。
「す、凄い!」
「そうだろう、そうだろう」
驚く私を見て満足げに頷くマルバス。……いや、思わず驚いちゃったけど、凄いかな? 何か地味なような。でもこんなことが出来るなんて、やっぱりこいつって……。
「百パーセント悪魔なの!?」
「何だそのパーセンテージ。人間には五十パーセント人間が存在するのか? まぁよい。やっと我が悪魔だと信じたようだな、愚かな人間よ」
ライオンのぬいぐるみが、片手で鬣をふさぁと撫でてから胸を張る。
「吾輩こそが悪魔一の天才、マルバス様だ! 恐れ戦け! って人間どこに行く気だぁー!」
「逃げるに決まってんでしょ!」
悪魔なんて悪そうな奴の相手してたら、絶対ささくれだけじゃすまないもん!
しかし名乗り途中で一目散に逃げだした私を、マルバスは逃がすまいと追いかけてくる。ライオンのぬいぐるみはあっという間に私に追いつき、追い越し、そのまま道の真ん中に立って小さな体で通せんぼする。ちくしょー回り込まれたぁ!
体育の成績2の私の足では悪魔を振り切ることはできなかった。
「逃がさんぞ人間! 吾輩の話はまだ終わっとらんぞ!」
「で、でも暗くなっても帰ってことないとお母さんが心配するし」
「まだ日はガンガンに地上を照らしておるではないか!」
おのれ春の太陽。三か月ぐらい前までは四時の防災無線のチャイムが鳴るとすぐ沈んでいたくせに、今じゃ五時を知らせるようになったチャイムを聞いてもまだ姿は見えてるし、おかげで最近はぽかぽかとした陽気で暖かくて過ごしやすいし、空が暗くなる時間が遅くなったことでちょっと遅い時間まで外で過ごせるし、いいこと尽くめだ。
「ありがとう春の太陽」
「急にどうした人間!? 吾輩という偉大なる大悪魔の存在を認識したことで精神が正常な状態を保てず、頭がおかしくなったのか!? まだ話し終えてないのに馬鹿になられては困るぞ!?」
「誰が馬鹿だ、失礼な。私の頭は正常運転中だわ」
「そ、そうなのか。それはそれで正常状態なのに『ありがとう春の太陽』なんて発言をする貴様の頭が心配だが……」
なんか心配されちゃった。実はこいつ悪魔の割に良い奴なのかな。
「まぁ、よい。聞け、人間」
「あんまり聞きたくないけど、何?」
そう返事したタイミングで、私の学校の体育ジャージを着た二人の男子中学生が近くを歩いていることに気づく。
ジャージのラインの色から私より一学年上の三年生。二人の先輩男子は、なぜかヤバい奴を見るような眼差しを私に向けながら、道の真ん中に立っている私から距離をとるように民家の壁に背中をくっつけて歩き、私の横を恐る恐る通り抜けていく。
そうして私の横を通り抜けた先輩たちは、まるで逃げるように走り去っていった。
「何、今の?」
怪訝な目を向ける方向が、喋るぬいぐるみのようなマルバスに向けるならともかく、なんで普通の中学生の私に向けるの?
不思議に思ってると、マルバスが答えを教えてくれる。
「悪魔である吾輩は普通の人間には認識出来ぬからな。先の子供たちからすれば、お前は一人で喋り続けてる奴に見えるのだ。故に忌避されたのであろう」
マジ? 傍から見たら、私ヤバい奴じゃん。
「あのさぁ、そういう大事なことは先に言ってくれない?」
「大事か?」
「大事だよぉ」
さっき通ったのが知らない三年生だからまだいいけど、クラスメイトに見られたら滅茶苦茶恥ずかしいじゃん。
「しかしマレニアよ。……おい、なぜきょとんとする」
「あっ、そうだった。こんにちはマレニアです」
また偽名のこと忘れてた。慣れないな、これ。
「何故改めて自己紹介を? まぁよい。お前は大事と表現したが、その程度のこと、これから吾輩がお前に話す内容と比べれば些事のようなものだぞ」
「そういえば私に話があるって言ってたね。なんか随分大袈裟に表現するけど、どんな話なの?」
最初は変質者が操作してるロボットと勘違いし関わりたくないなと思い、そしてこいつの正体が完全に悪魔だと判明したときは思わず逃げだしたけど、話してみるとなんだか良い奴っぽいし、少しぐらい話しを聞いてあげてもいいかな。
「取引の話だ。ビジネスと言い換えてもよいな」
「ビジネスぅ? 私にできるかなぁ? ネトゲでバザーに出すアイテムの価格をゼロ一つ少なく設定しちゃって大損したことある私だけど、それでも大丈夫?」
「心配するな、難しいことではない。お前はただその場にいればいいだけなのだ」
その場でいればいいだけの、ビジネスの話……。
「はっ、もしかしてお店の看板娘!?」
まさか悪魔に看板娘としてスカウトされる日が来るなんて!? もしかして私、このまま魔界のアイドルとしてデビューしちゃうかも!?
「おい人間、くるくる回って舞い上がってるところ悪いが、貴様にやってもらうのは看板娘ではないぞ」
「あっ、そうなの? じゃあ何すればいいの?」
何だろ。その場にいればいいだけのことって。ま、まさか劇で木の役をやれとか?
「お前にやってもらうこと、それは門だ」
「門? 門って、あの門?」
すぐ近くの道路と民家の敷地を隔てるように立っている木製の門を指差すと、マルバスは頷く。
「そうだ」
「門番、じゃなくて門?」
「そうだと言っておろう」
「えーっと、出来るかなぁ?」
木の役よりむずそう。私はその場で足を開き、両手を伸ばす。『大』の字みたいなポーズで道路の真ん中に立つ。
「こんな感じ? 門に見える?」
「アホに見えるな」
「あんだとてめぇ。お前が門になれって言ったから、頑張ったんだぞ」
「人間のままで門になれるわけなかろう。吾輩が巨大な門を人間界に作るので、それに貴様の体から抜き取った魂を憑依させるのだ」
「なるほど、それなら門初心者の私でも安心だね。……あのぉ」
恐る恐る手をあげてマルバスに聞く。
「どうした?」
「私の聞き間違えかも知れないけど、なんか体から魂を抜き取るみたいな不穏な表現が聞こえたんだけど」
「言ったぞ。抜き取った魂を門に組み込む必要があるからな」
「それって、門から元の人間に戻れたりは……?」
私の質問に、マルバスが笑う。
「ふははっ! 戻れるわけなかろう!」
「そっかぁ、戻れないのかぁ……それってつまり、私に人間やめて門になれってことですよね?」
「最初からそう言っておるだろうが。むっ、そうだ。一つ言い忘れていたが、意識は消えるのでな。そこは安心するがよい」
安心できる要素じゃねーよ。死んだも同然でしょ、それ。
「ビジネスって聞いてたんですけど、このお話のどのあたりに私へのメリットが……?」
恐る恐る尋ねる私に、マルバスは近くの民家の塀の上に飛び乗り、私を見下ろして答える。
「この魔界一の天才科学者であるマルバス様の力になれるのだぞ? ただの人間にとってこれほど名誉で光栄なことはあるまい」
「あはは、そうですよねぇ。でもちょっと私には光栄すぎるんで辞退しちゃおっかなぁ……」
ちらっ。マルバスの様子を窺う。ライオンの姿をしたぬいぐるみの瞳は私を捉えている。
「お前に拒否権はない」
「さよならっ!」
この悪魔良い奴かも話ぐらい聞いてやるか、なんて思った私の馬鹿ぁ!
マルバスの無慈悲な言葉を聞いた私は、この場から全力で逃げ出す。鞄の中身がぐちゃぐちゃに、髪がぼさぼさになるかもしれないけど、そんなの気にしてる場合じゃない。命のが大事!
「逃がさんぞっ!」
ちらりと後ろを見るとライオンのぬいぐるみがコンクリート塀の上を走っていた。コンクリート塀から木の塀へ、民家の塀から隣の民家の塀へと飛び移って私を追いかけてきている。
ぬいぐるみみたいな短い手足の癖にはえー!
「助けて―!」
「助けを呼んでも無駄だぞ! 吾輩の姿はお前にしか認識できないのだからなっ!」
そうだったぁ! 絶体絶命じゃん! 変質者に襲われたら大声を出して近くのお店に逃げ込みましょう、なんて小学校の頃に教わったけど、悪魔に追いかけられたときの対処法はどうすればいいのぉ!? 最寄りの教会で悪魔祓いして貰えばいいのかな!?
他の案なんて思い浮かばないし、一か八か教会に逃げこもう! そう考え、マルバスから逃げるために住宅街を闇雲に駆けていた足を教会へと向け……教会ってどこにあるの!?
コンビニならすぐに思い浮かぶけど、教会なんて行ったことないし、どこにあるかなんてすぐには思い浮かばない。私の足、どっちに向ければいいのぉ!?
教会の場所を調べるため、走りながら鞄からスマホを取り出す。その瞬間、私の背中に何かが飛びつく。
「捕まえたぞっ!」
マルバスの声。
「うわぁ!?」
びっくりして転んでしまう。体と道路の間に入り込んだ鞄がクッションとなって痛みはそれほどなかったけど、転んだ拍子にスマホを手放してしまう。
道路をすーっと滑っていったスマホは側溝の蓋の上通過し、民家の塀に当たって止まる。
「ふはは! 終わりだな人間! 吾輩の力で貴様を病で殺し動かなくなった後に、ゆっくりと魂を回収してやるわ! 先ずはささくれになるがよい!」
「そんなぁ!? ささくれから死って、私の体はどんな道筋を辿るのぉ!?」
私の背から道路へと飛び降りたマルバスが目を赤く光らせる。
地面にうつ伏せに倒れたままでちらりと自分の右手の人差し指を見ると、早くもささくれが出来ていた。やばいよぉ! このままだと死んじゃうよ! ささくれから死が訪れるまでの時間的猶予がどのぐらいあるのかわからないけど、悩んでいる暇はなさそう。考えてる間にも、私の体はマルバスの力でどんどん病に蝕まれていってしまうのだから。
立つ時間も惜しんだ私は赤ちゃんのようにはいはいで移動し、塀の側に落ちているスマホへと向かう。急いで教会の場所を見つけないと! コンクリートに触れる膝が痛かったけど、そんなことで怯んでる場合じゃない。
「ふはははっ! 何をしようと無駄だぞっ! 貴様の体はすでに吾輩の力の影響下にあるのだぁ! ささくれは右手の中指まで進行しておるぞぉ!」
進んだり止まったりするスマホのシステムアップデート並みに、死ぬまでの進捗状況がわかりづらい! ちらりと右手の中指に出来たささくれを確認しながら、四つん這いのままでスマホへと手を伸ばす。
すると私がスマホを手に取ろうとした瞬間、軽快なメロディがスマホから鳴り始める。着信音だ。スマホを掴むと、偶然応答アイコンを押してしまったらしく声が聞こえてきた。
「おぉ、繋がったのじゃ」
知らない女の人の声。
「あ、あの!」
誰だかわからないけど、私は助けを求めようとして……何て説明すればいいんだろ!? 悪魔に襲われてるんですって言っても信じてもらえないよね!?
「あぁ、よいよい。話さなくとも状況はわかっておる。悪魔に襲われておるのじゃろ?」
そんな私の心配をよそに、謎の女の人はまるでどこからか私のことを見ているかのように状況を把握していた。女の人の言葉に、私はこくこくと何度も頷く。見えてるかな?
「それで悪魔は今、どんな姿をしておるのじゃ? 大きさはどのぐらいじゃ?」
マルバスの姿がわからないってことは、どこからか見てるわけじゃなさそう。
私は道路にぺたんと座った状態で電話をかけながら、姿と大きさを伝えるためにちらりとマルバスの方を見る。悪魔は勝利を確信しているのか、私のことなんて見ずに「ふはははぁ!」と嬉しそうに高笑いしていた。
「ライオンのぬいぐるみみたいな姿です。大きさはたぶんPS4より大きくて、PS5より小さいぐらいです」
「ぴ、ぴーえす? 見た目はわかったのじゃが、大きさの方はさっぱり理解できなかったのじゃ、すまぬのう。悪魔はお主より大きいのかのう?」
「いえ全然ちっちゃいです」
ちらりとマルバスの様子を窺う。
自身の容姿を見知らぬ女の人に伝えられていると知らないマルバスは、調子にのって高笑いをし過ぎた結果、背中側からこてんと道路に倒れこんでいた。そのままずっと倒れてろ。
「なんじゃ。まだその程度じゃったか。おーい
謎の女の人は、電話の向こうで誰かに呼びかける。その声に答えるよう、電話先で「わかりました」と返事している男の子の声が、辛うじて聞き取れた。
「悪魔の力がその程度の状態なら、ワシが力を貸すまでもなさそうじゃな。人間、お前さん一人でなんとか出来るじゃろ」
「え、ええっ!? 無理ですよぉ!?」
「何故じゃ? まだ小さなぬいぐるみの姿なのじゃろ? その程度のサイズなら、ぼこぼこにしてやれば良いではないか」
そんな無茶な! 相手は悪魔なのに! 私はマルバスを見る。
仰向けに道路に倒れたマルバスはぬいぐるみのような短い手足を必死に動かすことでなんとか起き上がることに成功する。そして倒れた拍子に乱れた鬣をドラえもんみたいなグーの形をした手で、一生懸命直していた。
あれ? よくみたらなんか弱そうだしいけるかも?
「わかりました。私、悪魔と戦ってみます」
「よく言ったのじゃ! その意気なのじゃ!」
よーしやってやるぞぉ。スマホを制服のポケットにしまい、両手を自由にする。
これから始まる殴り合いに備え、私はウォーミングアップのためにしゅっしゅっと右手でパンチを二回素振りする。よし、今日の私のパンチにはキレがのってる。キレっていうのがなんなのかよくわかってないけど、こう言っとけばなんか凄いパンチが打てるような気がした。
「ん? 貴様、何をしているのだ?」
私の素振りに気づいたマルバスがこちらを向く。ふっ、呑気なもんだぜい。格ゲーで鍛えた私の体術が、これからお前を襲うとも知らずに。
「さては人間、吾輩の病が脳を蝕み腕が痙攣しだしたのだな?」
えっ、何それ怖っ。ささくれからいきなり症状ヤバくなり過ぎじゃない?
幸い、私の腕にはまだマルバスの言ってるような症状は起きていない。なら腕が自由に使える今のうちに……。
「これはね、お前にパンチをお見舞いするための準備運動……なんだよっ!」
言い終わると同時に、私はマルバス目掛けて駆け出す。
「愚かな……この大悪魔マルバスに向かってくるというのか。よかろう! 相手してやるわ!」
「偉そうにぃ! くらえー必殺の
「このはパンチ? なぜ葉なんて吹き飛びそうな弱弱しい物を技名に組み込むのか……愚かな人間の考えることは理解出来ぬな」
「小乃葉は私の名前だ、ボケー! その自慢の頭脳に私の名を刻みながら死んでゆけー!」
私は走る勢いそのままに、顎に手を当て私の技名を分析しているマルバス目掛けて右手のパンチを……放とうとしてふと思う。
コンクリートの地面近くにいる小さなぬいぐるみを殴るのって、やりづらくない? 殴るより足で蹴る方のが簡単そう。というわけで予定変更して、ライオンのぬいぐるみのようなマルバスの体を、サッカーボールのように蹴ることにする。
私の右足が、パンチに備えて私のこぶしを見上げていたマルバスの不意を突いた形で、腹部へと直撃する。
「ぐはぁ!」
蹴られたマルバスは吹っ飛び、高橋さんちのお家の石塀に体を激しくうちつけてから、そのまま地面にぼとっと落ちる。高橋さんはね、お爺ちゃんとお婆ちゃんの二人暮らしで黒柴ちゃんを三匹飼ってるお家で――今じゃないな、この話するの。
私に蹴られたマルバスは立ち上がりこそしたけれど、その足取りは頼りなく、よろよろと数歩進んでから道路に向かってうつ伏せに倒れた。
「……き、貴様、パンチと言わなかったか?」
地面につっぷしたまま喋るマルバス。
「ごめん、途中で気が変わったの」
「あと貴様、マレニアと名乗ってなかったか?」
「ごめん、途中で名が変わったの」
「……そんなわけあるか。ぐふぅ」
人間みたいなツッコミをしてから、それっきりマルバスが動かなくなる。やっつけた? いやそう見せかけて、いきなり起き上がって襲ってくるかもしれない。
私は倒れたマルバスに恐る恐る近づき、靴のつま先でちょんちょんと突いてみる。動かない。
今度は道路にうつ伏せに倒れたマルバスを、そっと持ち上げみる。目も口も開いてるけど、動かない。さっきまで偉そうに喋っていた悪魔マルバスは、今はただのライオンのぬいぐるみのようになっていた。
勝った?
うん、勝った!
勝利を確信し、私はぬいぐるみのように動かなくなったマルバスを高々と掲げる。
「敵将、討ち取ったりぃー!」
無双シリーズのゲームみたいに恰好つけてみる。私の偉業をたたえ「わーわー」という歓声が聞こえてくる……ような気がした。
「小乃葉ちゃん! 小乃葉ちゃーん!」
私の名を呼び、私を称えるご婦人の声まで聞こえてくる……ような気が、あっこれ本当に聞こえてるわ。声の元を探しきょろきょろとする。
「こっちよ、小乃葉ちゃん!」
声に反応して上の方を見る。二階のベランダから高橋さんちのお婆ちゃんが私に向かって手を振っていた。
「こんにちはー」
私も手を振り返す。
「こんにちはー。あのね、小乃葉ちゃんが持っているそれ、ウチのわんちゃん達の玩具なの」
「私が持ってるそれって……これぇ!?」
お婆ちゃんに向かって動かなくなったマルバスをみせる。
「そうそれよぉ。悪いけど、玄関まで持ってきてくれるかしら?」
「い、いいですけど……」
「ありがとうねぇ」
お礼を言ってから、お婆ちゃんはベランダから家の中へと入っていく。ど、どうなってるの?
悪魔マルバスを玩具にするワンちゃん達って何!? そして、それらの上に立つ高橋さんちのお婆ちゃんは何者なのぉ!? もしかしてお婆ちゃんは悪魔使いだったの!?
そ、そうだ! 謎のお姉さんに相談してみよう。胸ポケットからスマホを取り出す。良かった、まだ通話中になってる。
「もしもし?」
「おぉ、その声はさっきの人間か? 何回か呼びかけたのじゃが返事がないのでのう。これは返り討ちにあって死んだかもしれんのうと、諦めかけておったのじゃ。白狼の言うとおり、電話を切らないでよかったのぉ」
「本当、よかったです。誰だか知らないけどありがとうございます、白狼さん」
「うむ、伝えておくのじゃ。それでこうやって電話出来ているということは、悪魔は無事に倒せたのじゃな?」
「倒したとは思うんですけど……なんか変なことになってて」
「なんじゃ、歯切れが悪いのう。悪魔の呪いで五臓六腑を九つぐらい持っていかれてしまったかのう?」
「そんな大変なことになってたら私、死んどるわ。大変なことじゃなくて、変なことです。なんて説明すればいいのかなぁ……私が倒したマルバスの亡骸? ぬいぐるみみたいになっちゃったソレを、近所に住んでる高橋さんちのお婆ちゃんが、飼ってるワンちゃんの玩具だって言ってるんです」
「ふむ。ならば、それはワンちゃんの玩具なのじゃろ」
「……えっと?」
「高橋とやらが言うように、お主がマルバスの亡骸と思っているソレは、元々はワンちゃんの玩具なのじゃ。お主はマルバスが死んでぬいぐるみみたいになったと言っておったが逆じゃ。ぬいぐるみにマルバスが取り憑いて、悪魔となっておったのじゃ」
「あーなるほど。じゃあ、これはもうただのぬいぐるみなんですね?」
「そうじゃ」
それなら、お婆ちゃんに渡しても安心だ。
その高橋さんちからは、家から出ようとしているお婆ちゃんを引き留めようとしているのか、ワンワン吠える声が聞こえてくる。さらにそのワンワンの合間を縫うように、スマホから女の人の声が聞こえてきた。
「しかし」「ワン!」「無事悪魔を倒せたようで」「ワン!」「よかったのう」「ワン!」
「あれ、キャラ変えました? のじゃって語尾からワンに」
「変えとらんわ! そもそもキャラでやっているわけではないわっ! この喋り方は昔からの癖なのじゃ!」
高橋さんちのお爺ちゃんにでも怒られたのかワンちゃん達の吠え声が止まったため、ちゃんと聞き取れるようになった。
「全く。ともかく悪魔を倒せてよかったのう」
「はい、ありがとうございました。えーっと……謎の女の人」
助けてくれたお礼を言ってから、そういえば名前を聞いてなかったことに気づく。それどころか何者なのかも知らないや。
「むぅ? そういえばまだ名乗っておらんかったか。ワシは神じゃ。気楽に『神様』と呼んでくれなのじゃ」
えっ、神様なの?
普段なら急に神とか名乗りだしてこの人頭大丈夫かなって心配するところだけど、たった今悪魔をみたばっかりだからなぁ。本当に神様なんだろうな、きっと。そう考えた私は、電話先の人物は神様なんだと信じることにした。
それに悪魔に襲われてる私を助けるために、丁度よいタイミングでスマホに電話をかけてくれるなんてこと、それこそ神様にしか出来なさそうだし。
スマホ片手に神様とおしゃべりをしながら、ぬいぐるみを届けるために高橋さんちの玄関に向かって歩いていると、神様が訊ねてくる。
「人間。お主は何という名なのじゃ」
知らない人に個人情報を教えちゃいけないって教わったけど、助けてくれた神様になら名前教えてもいいよね。そう思って私は自分の名前を伝えることにした。
「小乃葉。私の名前は
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