第6章(最終章)

第6章(最終章)


「あるにはあったけど、つけない選択をしたんだ。僕が。」


≪カロの返答≫より



 僕とユリナは、距離と医療レベル、安全をとってスイス側40キロ先のブリークを目指すことにした。しかし、スイス側は人道と存在理念の狭義から僕とユリナをどう扱うかは不明瞭だった。


 季節は再び5月のグリムゼル。雪解けは始まり、短い春と夏の間、出産予定日、天候状態、ユリナの次の再分配日時、全てがせめぎ合い、それでも待つことで状況が変わるかもしれないと願っていたが、逆子の状況は出産予定当日まで変化はなかった。僕とユリナは下山の為に外に出た。


 スノーモービルをトーマスが準備していた。外に出てきた僕たちに気づいて、トーマスがやや急いで説明した。

 「スイス側の境界地点に医療コーディネーターが待っている。そこまでモービルで2時間。」

 「ありがとうございます。」

 「スイス側は出産に対しては……医療的人道的援助はしてくれる事を約束してくれたがその後の事は保証がない。」

 「途中産気づいたら、無理せず戻ってくるのよ。」

 「はい。」

 「戻ってきても、全力で取り上げてやる。感傷に浸っている暇はない。天候も待っちゃあくれない。途中に休憩できそうな山小屋の位置は君のスマホに送っておいた。焦らず。急げよ。」

 「行ってきます。」

 「ありがとうございます。」


 防寒服の上からでも解る、女性の新たな生命を帯びたシルエットのユリナを僕は視界に捉える。手を差し伸べてモービルのエンジンを入れる。


 僕がモービルに座る。ユリナは後ろに座ろうか少し迷った後、彼女は僕の腕を潜って前へ座る。

 お腹の子を背中から2人で包み込む様に。僕のハンドルを握る手の上にユリナが手を添える。


 「カロ……私は、貴方の選択について行くわけじゃない。私達で子供を産みにいくの。背負わないで…。」


 僕はハンドルから手を放し、ユリナに捕まる。

 静寂の雪山の中に、スノーモービルのエンジン音だけが響き渡る。雪の軌跡を残して。山を下っていく。


 5月の峠は、確かに冬季封鎖の時期ではない。しかし天候は基本的に安定しない。僕たちは準備を整え、好天であれば2時間でたどり着ける計算だった。



 予定どおり、ちょうど中間地点の山小屋で休憩をとった。空が荒れ始めていた。自然なりの誕生への祝福なのか、それともただの自然現象なのか。


 湯気の立つホットココアを、毛布に包まったユリナに手渡す。

 「大丈夫?」

 「陣痛が……もう、始まってる。」

 「ここまで来たんだ。もう、トーマスたちのところには戻らないよ。いい?」

 「それでいい。あなたも無理しないで、もう少し暖まったら、出ましょう。」

 「ここからは僕が運転するよ。」

 

 ユリナの背中をさすりながら、問いかける。

 「僕と一緒で……後悔してない?」

 額に汗を滲ませながら、ココアを手にしたまま、彼女は静かに言った。

 

 「大丈夫……だって、こんなに優しい地獄……他にないから。」

——これをユリナに言われたら……僕は母親の強さを感じた。


 今度は僕がハンドルを握り、ユリナは前に乗る。荒れた雪上をスノーモービルが走りだす。

 


 だが、モービルに雪が詰まり、立ち往生してしまう。吹き荒れる吹雪の中、視界は真っ白になっていく。ホワイトアウトだ。


 「もう、近くまで来ているはずだ。」

 ユリナの手を取って立ち上がる。

 辺りを見渡しても、何も見えない。腕に伝わるユリナの震え。寒さか、痛みか、その両方か。


 彼女が膝をつく。股から水が滴る。破水が始まった。

そのとき、前方で車のハイビームが点滅した。近づいてくる車体。その側面にはスイス国旗のマークが入っている。


 逆光の中、ハイビームの閃光を背に、ひとりの男が現れた。

 「ユリナさんとカロさんですね。医療コーディネーターのハンス・ロイターです。」

 「はい、もう……破水が始まって……」

 ハンス55歳は雪国出身らしい、たくましい体つきに、銀髪を刈り上げた毛並みが赤いニット帽の隙間から覗いている。防寒服に身を包み。雪の反射を和らげるサングラスをかけている。


 彼はユリナに肩を貸し、僕と共に車へ向かう。

そのとき、ユリナのヘルメットとゴーグルが、ハンスの防寒着の胸元に付けられたGPSビーコンにぶつかった。

 「ごめんなさい。ありがとう。」

 

 ユリナが謝ったのは、こんな吹雪の中をわざわざきてくれた事にだけど、ハンスはこの謝罪をビーコンにぶつかったことに対してだと勘違いしたようだった。


 「確かに、このビーコンは祖国からいただいた大切な私の生命線です。でも——あなたが抱えている生命のほうが、もっと尊い。気にしないで。」


 車の後部座席へ僕とユリナを乗せ、ハンスも運転席に乗り込む。バックミラーで後方の2人を気にしつつ、ハンドルを回しUターンさせるハンス。

 「国境線越境の許可は13時から16時の3時間。雪崩の危険がある地点が2ヶ所。雪崩のリスクは午後には5段階中のレベル4になる。」

 「ありがとうございます。助かります。」

 意識を保とうとするユリナの手を握り、僕はお礼をハンスに伝えた。


 「勘違いしないでください。助けるとは言っていない。ただ、通れる“可能性”を提示しているだけです。」



 医療施設に着き、ユリナがストレッチャーで運ばれていく。周りの看護師が、呼吸補助機、心電図、血圧計と移動しながらユリナの体につけていく。


 ユリナは目を開けて僕を見る。初めて会った時に交わした視線が思い出される。

強く握り合う手は、ハンスに制される力で離される。


 彼女が分娩室へ入っていく。取り残される僕とハンス。


 「再分配日時も迫っている。後は待つことしかできない。君の伴侶と子供を信じるしかない。」

 僕は立ち尽くした。それ以外、もう、何もユリナに対してできる事がなかった。

どれくらい経ったか?何を考えていたかも覚えていない。


 産声が聞こえる。


 子供が産声を上げるのは初めて肺に羊水から空気が入れ替わる時の音だと聞いたことがある。でも、その時聞こえた声は「世界の中で確かに自分はここにいる。」と言う自己主張だと僕には聞こえた。


 しばらくして分娩室から子供を抱えて看護師が出てくる。

 産着に巻かれて泣いている赤子が僕に差し出される。「元気な男の子です。」


 産まれたばかりの彼はしわしわの顔を歪ませて、この世界にまるで溺れているみたいに手足をばたつかせていた。触れる逡巡を圧し潰すように看護師が赤子の体重を僕に預け、僕は我が子を初めて抱いた。


 赤子の顔を見た後、僕は看護師が出てきた分娩室の奥を気にする。

 「子供は間に合ったが……母親はまだ、後産がある。できるだけ処置はするが、彼女の再分配がもう1分30秒で始まる。」

 分娩室のドアがまた閉まる。



 数日後、気づいたら、再びハンスの運転する車に乗せられて国境へと向かっていた。

 赤子を自分の胸に携えて後部座席に座っている。赤子は目を開けて焦点の定まらない瞳で僕を写していた。


 「ユリナは再分配されたが、君と子供をスイスにこのまま留め置くことはできない。私はできるだけ近くまで届ける。子供のためにも、できるだけ早く、自分の足でダムまで戻るんだ。」


 僕は声もなく頷く。


 雪の覆い被さったスノーモービルが見えてくる。ハンスと合流した場所だった。

 

 「スノーモービルは寒冷地用のバッテリーでも、普段使っていないものならば、数日雪に埋もれてしまえば動かなくなる。」

 ハンスはスノーモービルの近くで車を停め、降りようとする僕を制す。

 「車の中で待っててくれ。」


 GPSビーコンのついた上着を脱いで地面に置き、車でそれを轢き、壊す。

 「これで、君をインナーキルヒェン近辺まで送れる。君たちの徒歩での登山行程を数十時間短縮できる。」

 「そんな、大丈夫なんですか?立場もあるでしょう。」

 「確かに非遷流社会の我々だが、祖国が育んだ私の血は”立ち向かう者”を貶めはしない。それでは人としての生き方を……祖国の否定することになる。」


 再び車が止まる。登山道の入り口、丸太の階段が続いている。

 僕は車を降り、胸に赤子を抱えて自分の足で峠を登り始める。


 高く登っていく僕を見送りながら、後方からハンスの声がする。

 「予報では10時20分頃から雲が出始める。山小屋でうまくやり過ごせば難しくない。君の生還を信じている。」

 その声に手を振り返しながら、僕は登っていく。



 雪山の登山。半日での行程だったが、自然は人のために手を緩めたりはしない。

 自然は緩急をただ繰り返すだけ、太陽の周りをただ回る惑星のように、くっついては離れる雲のように、ずっと変化し続ける。

——再びのホワイトアウト。


 抱える子供の体温が下がりつつあるのを感じながら、雪の積もる地面に身体が半分接していることに気づく。倒れていることに気づき、また、その意識も遠ざかる。あたりを支配しているのは吹雪の音のみとなった。


 再び目を覚ますと、目の前にはマリス。登山ルックのマリスが、雪山に倒れたカロの上半身を抱え起こしている。

 「カロ!カロしっかりせんかい!!」

 「マリス…おまえ……ってやつは……ほんっと、突然あらわれる。」

 「私からの連絡にあのカロが1週間も未読になってんねんで。そりゃ来るに決まってるやろ。」



 僕はグリムゼルで一命をとりとめるが、子供は…亡くなってしまった。マリスも「必要な時はカロの方から来てくれても私は迷惑しない。」と告げ、自分の家に帰って行った。


 残された僕はグリムゼルに子供を埋葬し、残りの再分配までグリムゼルで過ごすか否かを考えていた。

 マリス、サキ姉、リオの住む家に、カロが訪れる。




⦅現代⦆

 遷流という言葉は、必ずしもゲルニカの制度下だけに使われるものではない。

マリスのように、再分配を受け入れながらも、どこを自らの住処とするかを選ぶ者もいる。

 時に人は、制度ではなく関係を断ち、自らの足で移動する。それもまた、一つの遷流である。

 この社会は罪や罰によってではなく、選択によってのみ回っているのだから。

 

 

 「その時の僕は残り3年も待つなんて出来なかった。君を……君たちを置いて、僕は次の再分配を待たずに自らの足でその地を離れた。自分から遷流したんだ。」


すっかり氷の解けたアイスティーを前に少年がカロへ話しかける。

 「……遷流は無情っていうけど、激(げき)重(おも)だね……これからどうするの?ユリナさんに会いに行ったりしないんですか?」

 「約束はしてないんだ。今考えると彼女の妊娠中に僕が仕事に打ち込んでいたのは、約束が彼女から切り出されるのが怖かったから、少し距離を取ったのかもしれない。」


 机の上の飲むヨーグルトを一気に飲み干す。

 

 「実はもうすぐ、遷流日時なんだ。僕の20歳からの再分配4期目はさ、覚悟と生死と愛と、そして自ら選んだ遷流。激動だったけど、この4期目も終わる。どうするかは5期目になって考えようと思う。」


生死はサバナとナイル。

愛はリアナとマリス。

自ら選んだ遷流はマーレンとダイアン。

覚悟はベルニスとユリナ。

 

 「誰に会いたくなるのか、本当に遷流社会に罪も罰もないのか、遷流してもこの事が僕を縛るのか。遷流先で確かめてくるよ。」


 その選択に、少年が息を呑む。

 「最後に一つだけ聞きたい事があるんです。確認しないと納得できない事がある。」

 「あー最後だし。何でも聞いて。」


 重い話に付き合わせて申し訳なく思うも、向こうから質問が出るくらいは少年の心に響いて良かったと、サービス精神満載で質問に応答する姿勢で対応する。


 「やる時ゴムつかわなかったの?」

 「あるにはあったけど、つけない選択をしたんだ。僕が。」

 

 

 「最後に君と話せてよかった。そうだ、先輩からのアドバイスだ。再分配前には飲むヨーグルトが最適らしい。……知らんけど。」

 




……

……

【ゲルニカ】

——カロ、5期目の遷流です。

……

……

【ゲルニカ】

——この書の読者へカロを遷流、完了しました。

 


第6章(最終章)  完

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