SAGA 機動人間
暁芋虫
白と黒編
第1話
先ほどまで、女の中にあった冷静さは、既に霧のように散っていた。必ず、成し遂げなければならぬことがある。女は、思い詰めった表情で、高架道路に立っていた。
高架道路は、数十キロメートルにわたって、封鎖されていた。長細く、高所にある庭と化していたのには、女の為さねばならぬことが、深く、関わっていた。
女……
奪われた、と直感した。長い時間を共にしてきた彼女……
焼け焦げた、千恵と過ごした家を見つめて、綾子は拳を握りしめた。爪が、手の平に刺さる。戦わねばならぬ。行かねばならぬ。千恵を奪った愚か者どもを、潰さねばならぬ。
綾子の目から「人」が消え、「化け物」となる。歯を食いしばり、一歩踏み出した、その瞬間。
綾子は、虎だった。
この場所……高架道路まで来たのは、綾子が日本に戻ってきてすぐだった。
数十年ぶりに降り立った東京は、何もかも姿を変えていた。困惑はしなかった。だが、時間の流れる速さと、自らの外見の差異に、自身の異様さを再確認した。
綾子が空港に到着したのは、深夜だった。夜の闇が、ガラス越しに見える。
夜を覗かせるガラスは、闇を見せるだけでなく、暗闇を見るものへ、己の姿を映す。肩甲骨あたりまで伸ばした髪に、冷たいまでに整った顔立ち。深く暗い、黒のパンツスーツに、焦茶色のトランク。端から見れば、ひとり旅に出ている、若い女性に見える。
綾子は、普通の人間ではない。彼女の人間としての一生は、八十年前に終わった。綾子は、老いることも、死ぬこともない身体を隠し、千恵と共に、ひっそりと生き抜くつもりだった。その静寂を破るものがいる。其れを、叩かねばならぬ。
綾子は空港を後にした。
彼女には、使いたくない伝手があった。八十年前、戦争が終わり、日本ではなく、インドへと逃げた綾子にとって、日本で情報を得る方法は、ある男を頼ることしかなかった。彼奴は風来坊だが、居場所はわかる。綾子たちに与えられた、能力の一つである。
空港からは、かなり離れた場所にいる。綾子は、ロータリーでタクシーを捕まえ、男の居る場所へ向かった。
暗闇の中を、タクシーが駆けていく。道路照明が点々と光っているが、車内は道路と判別ができないほど暗い。闇が、身体の中に染み込んでくる。妙な安心感。綾子は俯きがちに後部座席に座っていた。
「お姉さん、ひとり旅ですか」
タクシーの運転手が、バックミラー越しに綾子に話しかけた。
「まあ……そんなところで」
ぼそり、と答える。そんなに物珍しいか、と綾子は眉間に皺を寄せた。
「こんな夜中にひとり……しかもお行きになる場所、人がいるかも怪しいですよ」
「そこにいます。良いんです」
自殺をするとでも思っているのだろうか。タクシー運転手は、綾子に話を振ろうと、何か頭の中で繰っているようである。
「お聞きになるのは結構ですが、何も答えませんよ。根掘り葉掘り、知らぬ人に聞かれるのは嫌いだ」
ちぇっ、と運転手の口から、音が漏れた。この国の外見は、八十年で大きく変わったが、人間に対する態度、こと女に対してのものは、何ら変わっていない。不愉快だ。綾子は、何を見るでもなく、窓の外を見た。
ふと、サイドミラーが目に入る。鏡の奥に輝く、複数の光。目を凝らすと、三台のオフロードタイプのオートバイ、そして一台の大型トラック。鏡の中に、後続車両は見えない。綾子は、ドアのレギュレーターハンドルに手をかけ、勢いよく回し、開いた窓から、身を乗り出した。
三台のバイクと、トラックが隊列をなし、タクシーに向かって進んでくる。
「お客さん、勝手に窓開けられちゃあ、困りますよ」
乗り出した身を車内へ戻すと、綾子はスーツの胸元に手をやった。
硬い、金属製の筒が、運転手の頭に突きつけられる。運転手が、ミラー越しに綾子を見た。
綾子の手には拳銃……南部十四年式。
「やはり貴女、ワケ有りでしたか」
「貴様、何が目的だ」
「いいええ、私は本当、ただのタクシー運転手ですよ。お客様を目的地へお運びするのがお仕事です。ただ……」
突如、運転手が綾子へ顔を向けた。運転手の顔は、歪に笑みを浮かべ、君の悪い皺を作っている。
「日本を『勝利』に導きたい。私のお客様は、日本国そのものなんですよお! 」
黒板を引っ掻くような、甲高い笑い声が、車内に充満した。綾子は、拳銃の引き金
を引いた。鳳仙花の実のように、運転手の頭が爆ぜ、鮮やかな赤が、車内をべっとりと彩る。
タクシーのスピードが落ちてくるとともに、一台のオートバイがタクシーの前に、そしてもう一台が後ろ、最後の一台が横についた。敵だ。こいつらは、何かを知っている……。
後部座敷から乗り出し、ステアリングを掴む。そのまま滑り込むように、運転席へ。ドアを蹴る。呆気なく吹き飛ぶのを見て、死骸を押し出そうとした時。銃口。綾子は死体を盾に。ひたすら火を噴く、機関銃。肉が爆ぜ、火薬の臭いが広がる。死体の尊厳が完全に失われ、肉塊と化した時。
綾子は、人間「だったもの」を放り投げ、十四年拳銃の撃針を引き、オートバイの燃料タンクに狙いを定める。
乾いた破裂音が響く。すると、タクシーの横についていたオートバイが爆発。オレンジの炎が上がる。乗っていた男は、体に炎が燃え移りながら、タクシーの後方へ吹き飛んで行く。
この間、三秒。
綾子はアクセルを踏み締めた。ぐん、と進む。体が置いていかれる。前方のバイクが、タクシーの横に着こうとする。ステアリングを右へ。バイクが吹き飛ぶ。残るは、後ろのバイク。再びアクセルを踏み込み、加速させる。
綾子はこの集団を振り切るつもりでいた。前にいたオートバイを抜かし、後続のトラックも追いつけぬほどのスピードを出そうとした。
綾子は冷静になりすぎていた。執拗に追いかけてくる「敵」を、同じく理性的な集団と思い込んでしまった。
後続のトラックが、後方にいたオートバイを押し潰しながら、タクシーに突っ込んできた。綾子は衝撃に思わず、後ろを向いた。鮮血が、リアウインドウを覆う。
「狂っている……」
綾子の口から、思わず言葉が漏れる。何が何でも、綾子を追い続ける。綾子は確信した。やはり、コイツらは知っている。
綾子が、改造人間であることを。
コイツらの狙いは私だ。そして、千恵を奪ったのも。この状況に合点が入った綾子は、アクセルから足を離した。
ゆっくりとスピードを落とす、タクシー。完全に停車すると、トラックからワラワラと、防具をつけた人間が出てくる。
防具には、ドクロの意匠。特に、全員が被っている、フルフェイスのヘルメットには、バイザー部分に大きくプリントされている。
ドクロ達に囲まれた綾子は、両手を挙げた。すぐさま、綾子の両手を縛る、ドクロ達。手際が良い。そのまま、トラックへと引き連れられそうになる。綾子はふと立ち止まった。
「待て」
綾子の言葉に反応する、ドクロのうちのひとり。
「なんだ」
「貴様らが執着してるのは、完全な姿のはずだ。さっきの追突で潰れてなければ、荷室に鎧が入っている」
目の色を変え、ひしゃげた荷室をこじ開けようとする、ドクロ達。バールであっさりと開けたその時。
ドクロ達の後ろに、一メートル半以上、飛び上がった綾子の姿。最もトランクに近い、ドクロの男に廻し蹴りを喰らわせる。ヘルメットごと、首を吹き飛ばすと、自身の手首につけられた手錠を引き千切り、荷室に入っている、トランクを引き摺り出す。
ドクロ達に荷室を開けさせた時、綾子は、奴らがトランクを持ち上げられず、難儀する様が見えていた。トランクの総重量は百キログラムを悠に超える。
機関銃を構えるドクロ。綾子はすかさずトランクを盾にした。弾丸の衝撃が来る。衝撃が止むと、一瞬の隙に、トランクを振り回し、ドクロを弾き飛ばした。複数のド
クロが掴みかかってきたが。
綾子の剛腕によって、風船の如く破裂していった。
残るは一人。綾子の凄まじさに腰を抜かし、転んでいる。
綾子は、最後のドクロにゆっくりと近づいた。ドクロは、立てない代わりに、両足で地面を蹴り、後ろへずり動こうとする。しかし、まともに動かない足のせいで、その場から移動できない。
綾子は、ドクロの腕を掴み、引き千切った。叫び声を上げる、ドクロ。
叫びの中、綾子の目は冷たさと鋭さが宿っていた。日本刀のような、妖しさすらある。
「貴様ら……、私が探している『もの』を知っているな。何処にいる? 教えろ」
ドクロからは、呻き声と息は上がるものの、言葉は何も出てこない。
ドクロは、ゆっくりと、首を横に振った。
「成程、よくわかった」
綾子はそう言うと、ドクロのヘルメットに手を触れた。枯れ木を割ったような、乾いた音が響く。
綾子の服は、日本に到着した、ものの数時間で血塗れになった。
頬に付いた血液を、袖で拭う。鉄臭い。こうして人を殺したのも、八十年ぶりだろ
うか。しかし、綾子も、ここまでの異常者たちと戦ったのは初めてだった。箍が外れている。
しかし、この箍の外れ方は、八十年前……先の大戦の時、綾子は嫌と言うほど味わった。再び、その気配が、否、もっと不気味な、得体の知れない、怪物の気配がする。
綾子は、高架道路の血の海を後にした。
護るべき、千恵を探すために。
次の更新予定
2026年1月8日 12:00 毎週 木曜日 12:00
SAGA 機動人間 暁芋虫 @imo64Dawn
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