年を明かせ

古間木紺

年を明かせ

 よく、試合前に聴く曲は何ですかと訊かれる。そういうときは邦ロックと答えている。好きなバンドがあるわけではない。峻にとって、音楽はただただ周囲とのノイズを遮断するためのものだった。予選会からなのに目標が優勝? 1万メートルの平均タイムが28分後半なのに? うるさい。俺たちは本気で狙っている。

「峻、そろそろ」

 靴の紐を結び直していると、史弥に肩を叩かれた。今回は彼に付き添いをお願いした。1年の頃から優勝を約束しあって、本来なら2区を走る予定だった彼に。

 我ながら酷なことをさせていると思う。史弥はチームの大エースだった。去年も一昨年もそのまた前の年も全て、予選会では日本人1位でゴールして、本戦の箱根駅伝に駒を進めさせてくれた。けれど、今回の予選会の直後、史弥は腰を痛めてしまった。全治半年。もし試合に出ようものなら、一生走れないと思え。医者にしっかり脅されたという。

 もちろん練習は参加できないし、大学最後の試合は予選会になってしまった。不本意だったと思う。箱根の話なんか聞きたくなかっただろうし、来たくもなかっただろう。それでも、史弥がそばにいてほしかった。

「史弥」

「ん?」

 イヤホンをしまって顔を上げる。史弥は付き添いとして荷物をしまってくれていた。

「史弥はどうやって走ったの。2区」

 2区。その2文字のときだけ、史弥の動きがぎこちなくなった。

 アドバイスをもらおうと思ったわけではない。監督やコーチのプラン通りやれば大丈夫だと思っているし、そもそも史弥に聞けるタイミングは前日に十分あった。峻と史弥は同部屋だったし、2区の走者が峻になったところでぎくしゃくするような関係性でもなかった。

「何も考えてないよ。前がいたら抜くだけ」

「抜くだけ」

「集団も同じ。ついてこられても途中で振り切る」

「振り切る」

 同じでしょ? 史弥はなんでもないように言った。そうだ、優勝するには前を抜かし続けてトップになればいい。長距離は単純なスポーツだと思う。

 けれど、そう簡単に走れるものではない。前を走るチームの姿が見えないときは、どのくらいで追いつけるのか心が折れてくるし、そもそも追いつけた先で追い抜ける体力が残らないこともある。集団走のときはどこで飛び出すか、周囲のタイミングを計り続ける必要があった。体力より先に、メンタル勝負なところがある。

「峻。俺が監督でも、お前を2区にしたと思うよ」

 そんなことないだろ。そう見つめるが、史弥は真剣な顔だった。腕を引かれて、待機スペースを出る。

「往路は集団走に向いている選手が選ばれる。うちの大学で集団に絡み続けられるのは、俺たちまででしょ」

 史弥が歩みを止めて、こちらを見つめてきた。峻は2年生のときからずっと1区を任されていた。つまるところ、箱根駅伝の集団走を経験したことがあるのは、史弥と峻だけだった。上位に組み込めない分、3区以降は単独走が多い。

 序盤は着実にものにしたかったから、今年だってそのオーダーを直前まで組んでいた。エントリーで峻が1区に入ることはなく、当日変更という形で2区にエントリーすると全容を知ったのは、数日前だった。

「監督も悩んだと思う。1区だってポジショニングが重要だし」

 腕が離される。ウォーミングアップの時間だ。峻の代わりに1区を走る倉田は六郷橋に差し掛かっているらしい。軽くジョグを始める。その様子を、史弥にずっと見られていた。コーチのように。

 なあ、やっぱり付き添いじゃなくて選手として走ってくれないか。峻は吐き出す息とともに溢してしまいそうだった。絶対に言ってはならないと分かっている。それでも怖かった。

 1区はほとんどを集団で過ごす。たとえ飛び出す選手がいても、その選手についていかずに団子のまま何キロも走る。大事なのは、六郷橋の道中か直後でのラストスパートのタイミングを見誤らないことなので、史弥の言うような2区の戦術とはだいぶ異なる。監督やコーチのプラン通りなら大丈夫なんて、本当は「思っている」よりも「そうであれ」と願っている方が強い。初心者ではないが、2区は魔境だから、初めてだから、イレギュラーなんかない方が良かった。いつも通りのジョグをこなして身体を温める。

「――上葉大学! 上葉大学!」

 その後もひっきりなしに大学名が叫ばれる。いよいよ選手がやってくる。峻と史弥の大学名も呼ばれた。ベンチコートを脱いで、史弥に預ける。

「峻。俺がどうやって2区走ったかなんだけどさ」

 ベンチコートを腕に収めながら、史弥が続ける。

「襷待ってたら、お前が泣きそうな顔して来るからさ」

「……六郷橋は辛いんだよ。下りだし、スパートかけなきゃだし」

 そうだよなと、史弥が笑う。そのままの表情で史弥は顔を上げ、目を合わせてくる。そのまま、だからだよ、と口を開いた。

「ここでやらなきゃお前を悲しませると思って、必死で走ってた」

 行ってこい。史弥に腰を数回叩かれる。足が震えた。走らなきゃいけない。順位をひとつでも上げなきゃいけない。峻はようやく現実を理解した。2区はエースだけが走れる。足の速いメンタルお化けだけが。峻は史弥の代わりにそうならなければならない。

「――史弥」

「ん?」

「優勝するから。見てて」

 史弥の返答は待たないでコースに向かった。できるよ、という声は背中で聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

年を明かせ 古間木紺 @komakikon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画