文化と生活と形而上 【表題含む短編集】

夏見颯一

文化と生活と形而上

新聞に挟まれていた一枚のチラシ。


 毎日チェックが欠かせない特売を予告するチラシではなかったが、一介の主婦である谷岡枝理は、その煽り文句から目を離せなかった。


『あなたの本当の人生、再発見!?』


 夫の収入や子供の成績など、生活に不満があるわけではない。


 ないのだが、枝理自身、人には説明しにくいが、自分の人生に物足りなさを感じていた。


 自分にはもっと、平凡な主婦では収まらない、何か凄い特別な才能があるんじゃないだろうか。


 暇過ぎるから変なこと考えるんじゃないかと、夫には嫌味ったらしく言われるだろうから、そういう話を枝理はしたことがないけれど、こんな小さな家庭の名もない主婦で終わる人生は、嫌というほど強い思いではないが、やはり味気ないと思うのだ。


 そこに飛び込んできた【人生の再発見】の文字。


 夫は昼間は仕事、子供も手のかからないほどに大きくなっていた。


 結論は初めから出ているも同然だった。






「初めまして。新規受講希望の方ですか?」


 そこは、いわゆるカルチャー・スクールであった。


「えーと、チラシを持参すると、無料体験できるんですよね?」


 受け付けの若い男性はにこにことチラシを受け取り、【体験受講生】の書かれたネームプレートを手渡した。


「これを付けている今日一日だけ、どんな講座を受講しても無料ですので。もし、うちがどんな講座を開いているのかご存知なければご案内いたしますよ」


 遠くではないが、近所でもない場所だったので、枝理は全然このスクールのことを知らなかった。


「あ、じゃあ、お願いしてもいいでしょうか?」


「はい、わかりました」


 と、言うと、受付の男性はくるりと枝理に背を向け、マイクのスイッチを入れた。


「全スタッフ及び、受講生に告ぐ。御新規となられるかもしれない方がお見えだ。もしなんか問題起こしたら、即、みっちーの所に放り込む!」


 ドスのきいた声の全館放送で、辺りどころか遠くの物音さえも聞こえなくなった。


「では本日は、私、掛井和がご案内させていただきます」


 枝理の方に向き直った男性は、放送を行った人物とは同一人物とは思えないにこやかで人懐っこい笑みを浮かべていた。


「あの、帰っても……」


「はい! では、比較的安全……もとい、真面目な講座から行きましょうか」


 がしっと捕まれた腕を引っ張られて行く枝理は逃げることは叶わなかった。






 カルチャー・スクール、と言っても、中には講義のように講師の話を聞くだけの形式の講座もある。


「ここは、【宇宙概論講座】です。ちょっと厳しい講師の方ですが、分かりやすい説明であると、受講生には評判がいいんですよ」


「はあ、難しそうですね……」


 ホワイトボードに書かれた文字はとてもじゃないが、枝理が理解できるようなものではなかった。


「ちょっとだけ参加してみませんか? 尤も、ちょっとだけ端の方でお話を聞かせていただくだけですが」


「え? でも」


 口では尻込みしている枝理だったが、大学時代を彷彿とさせる光景に、ちょっとだけ学生に戻った気分もいいかなと思った。

 こっそり掛井の後ろについて教室内に開催中の講座の邪魔にならないように潜り込むと。


「○▽☆●※△×」


 5分も経たない内に二人は外へ出た。


「どうでした? 個性的な講師の方でしたでしょう?」


「……人間の方、ですよね?」


 昔、枝理はテレビで似たような生き物を見た気がした。


「ええ、人間ですよ?」


「そうですよね!」


「講師の母星ではちゃんとそのように分類されているそうですよ」


 グレイ・タイプの宇宙人講師の講座は教室の中では続いていた。


「◎×□☆○?!」


「講師の方の言語を理解されているようですね。それなら今日からでも」


「絶対無理です!」


「まあ、最初は皆さん同じことを仰いますけど、受講生の方からの評判の方は結構いいんですよ? 時折重要なことを漏らしてしまう、うっかりな性格もなかなか受けが良くて」


「重要なこと?」


「ああ、そこは心配なさらなくても。本当にヤバいことなら講師の方が責任を持って記憶操作を」


「……ここは私には向いていないと思います」


 最初に安全と言ったのは空耳なんだろうか……。


 一番初めに紹介された講座がこれなので、枝理は身の危険を感じていた。






「で、ここはうちのスクール一番の人気講座、【パソコンと向き合う講座】です」


「……真面目に聞こえるんですが、裏があるんですよね?」


「そのままですよ? 人聞きの悪いこと……」


 その時、教室の後ろのドアが突然開かれ、中から転がるように人が飛び出してきた。


 荒い息の中年男性であった。


「あなた!」


 続いて飛び出して来たのは、やはり中年の女性。


「妙子、俺は駄目だ……」


「そんなこと言わないで……私も向き合うから!」


「俺は……」


 基本的に防音設計がされていて、教室内の音は外に聞こえないが、飛び出した男性達がドアを開け放ったままだったので、中の音は枝理にもよく聞こえた。


『もー、健三君。君ってどうして乙女心がわかんにゃいのかにゃ?』


 そして、電子音とマウスをクリックする音。


「現在の生活では、2次元を知っておくことは家庭的にも必要なことです」


「……パソコンでゲームやっているだけですか?」


「必要ですよ? ゲームを愛する現代の子供とのコミュニケーションを取るために、ある程度は親世代も知っていないといけないのですよ」


「はあ、確かに……」


「ミャミエルが落とせない! 俺の愛がどうして通じない!?」


 覗き込んだパソコンの画面には、分かりやすく二次元的エロい格好をした美少女が映っていた。

 枝理は、自分にはもうコメントする能力は限界であると思った。


「パソコン嫌いもこれで解消できますし?」


「私達夫婦にはちょっと難しい気がします」


 下手に関わると夫の秘密の何かに触れそうで怖い、20年目の主婦である枝理だった。





「お待ちかね。うちのスクール、一番のおすすめ講座。講師・みっちーによる【かるちゃー・しょっく講座】です!」


 ここまで逃げる事も出来ず、もう枝理にはコメントを返す力も残っていなかった。


 全力で逃げたいのに、掛井はスッポンのように枝理を捕まえて放さない。


「只今ご紹介にあずかりました、皆のみっちーこと、講師の後藤道也です」


 大学の教授風の男性が現れたが、これまでの講師にも共通する何か独特な危険な香りを放っていた。


「【かるちゃー・しょっく講座】という名前からして不思議に思われるかもしれませんが、うちの講座はのんびりと、というのがモットーの講座と言うよりはサークルに近いでしょう」


「はあ……」


 ビクビクしながら覗いてみると、教室の中は確かにのんびりとお茶を飲んだり本を読んだりしている人ばかりだった。


「カルチャーというものは、本来、人間の生活を豊かにするものであります。ここの講座は参加者一人一人が、自身の生活をより精神的に豊かにする、そのような目的と趣旨で行っております」


 まともなことを言っているが、どうにもこうにも枝理は不安を感じずにはいられなかった。


「とりあえずお茶でも。そこの椅子に」


「はあ……」


 枝理が椅子に座ると、偶然目の前の席に座っていたご老体が突然震えだした。


「おお! 三河さんが、若い女性に反応したぞ!」


 バリバリバリ! という凄まじい音が教室内に響いた。


 あまりのことに枝理は呆然とした。


「私は以前、ショックを電流に換算する研究をしておりまして」


「い、い、椅子からでんりゅ……電気椅子!?」


「電気椅子なんて人聞きの悪いことを。ちょっと電流が逆流しただけじゃないですか」


「普通、椅子には電流、流れてませんよ?」


「そこに気が付きましたか。でも、一番最初にみっちーの講座が危険そうな話をしていたのに、全力で逃げなかった貴女の痛恨のミスですね」


「私が悪いんですか!?」


 黒こげになった三河さん? にも慌てふためいていると、みっちーは、ぽんと枝理の肩を叩き、


「この年齢の方なら、このくらいの電流、血行が良くなる程度です」


「絶対に嘘でしょう!」


 【しょっく】を受けるのは、何もカルチャー的なものや物理的なものに限らず、精神的なショックも受けられる、それがこの講座だった。






「掛井さん、講座全体が意味不明です……」


「そんな程度で折れてしまう性根なら、世界になんて羽ばたけませんよ?」


「……【宇宙概論講座】で宇宙に羽ばたいた方がいるとでも?」


「行方不明者が5、6人いますので、きっと宇宙に羽ばたいて行かれたのだと、我々は考えております」


 宇宙の藻屑となったんじゃ、そんな恐怖が枝理を襲った。


「で、お気に召した講座はありましたか?」






 名簿には【かるちゃー・しょっく講座】の登録者が一人増えた。


 枝理の心に何があったのかは、後にこのカルチャー・スクールの講座紹介用パンフレットが作成されたときに、受講生の声として載せられた記事から垣間見える。


『人生の価値観を揺るがすほどのショックを受けました』


 みっちーの講座は人気のある講座でもあるので、現在はなかなか入れない。

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