第3話:正義の銀行強盗

 翌朝。私は重い瞼をこすりながら、王都の目抜き通りを歩いていた。隣には、護衛を買って出てくれたアルド様の姿がある。


「すまない、セレスティア嬢。昨夜の今日で、こんな市井の視察に付き合わせてしまって」


「いえ、いいのです。……現状を、この目で見ておきたかったので」


 私は扇子で口元を隠し、努めて冷静に答えた。本当は、昨夜ジェミニに見せられた「破滅の未来」が頭から離れず、一睡もできなかったのだ。


 私の目の下にはコンシーラーで隠しきれないクマがあるはずだが、アルド様は気づかないふりをしてくれている。優しい人だ。


 大通りは、異様な熱気に包まれていた。広場の中央に仮設ステージが組まれ、そこにはカイル殿下とミナの姿があったからだ。


「市民の皆さん! 愛があれば、貧しさなんて乗り越えられます!」


「そうですぅ! 皆で手を取り合えば、お腹なんて空きません!」


 ミナが花束を振りながら、甲高い声で演説している。キラキラとした笑顔。お花畑のような理想論。しかし、それを見上げる市民たちの目は、死んだ魚のように濁っていた。


「……愛じゃ、パンは買えねえんだよ」


 私の近くにいたパン屋の親父が、力なく呟いた。


 その声は、怒りというよりは、諦めに近かった。


「小麦の値段は上がる一方だ。粉が買えなきゃ、パンも焼けねえ。今日店を開けなきゃ、家族が路頭に迷う……。愛だの絆だので、腹が膨れるもんか」


 親父さんは、煤けたエプロンを握りしめ、項垂れた。その背中が小さく震えているのを見て、私の胸がズキリと痛む。


 これが、現実だ。王族の無策と散財のツケを払わされているのは、いつだって彼らのような弱い立場の人々なのだ。


 (……許せない)


 恐怖で震えていたはずの私の心に、ふつふつと怒りの火が灯る。私が守りたいのは、アルド様だけじゃない。彼が守ろうとしている、この国の人々の暮らしも守らなきゃ意味がない。


 私は懐のスマホを強く握りしめた。


「ジェミニ。……計算して」


『オーダーを確認。対象:パン屋「麦の穂亭」。融資による再建シミュレーションを実行します』


 一瞬で脳内に数字が弾き出される。勝算はある。


 私はパン屋の親父に歩み寄ると、扇子でその肩をトン、と叩いた。


「おい、そこのお前」


「へ、へい? な、何でしょう、お貴族様……」


「辛気臭い顔をしているわね。小麦が買えないなら、買えるだけの金を調達すればいいじゃない」


 私は懐から、昨夜カイル殿下から巻き上げた「借用書」……ではなく、それを担保に闇金(ではなく真っ当な金融業者)から即日現金化した大金袋を取り出した。  


 ドサリ、と重い音が響く。


「こ、これは……金貨!? こんな大金、見たことねえ!」


「貸してあげるわ」


「え?」


「タダじゃないわよ。利息はトイチ(10日で1割)……と言いたいところだけど、特別に年利5%でいいわ。その代わり、この金で最高級の小麦を仕入れて、最高のパンを焼きなさい。そして、売り上げの1割を毎月返済すること。それが条件よ」


 親父さんは目を白黒させている。無理もない。見ず知らずの貴族令嬢がいきなり金を貸すなんて、詐欺を疑われても仕方がない。


「なんで……俺なんかに?」


「投資よ」


 私はツンと顎を上げた。内心のドキドキを悟られないよう、精一杯の「悪役顔」を作る。


「あなたの店のパン、評判は悪くないわ。潰れるには惜しい。だから私がオーナーになって、再建させてあげるって言ってるの。……嫌なら、このまま野垂れ死になさい」


 厳しい言葉。でも、親父さんの目には、光が戻っていた。彼は震える手で金貨の袋を抱きしめると、地面に額を擦り付けるようにして平伏した。


「あ、ありがとうごぜぇます……! 女神様だ……あんたは俺たちの女神様だぁ……!」


「よ、よしてちょうだい! 服が汚れるわ!」


 私は慌てて後ずさる。


 昨日、前世の記憶を取り戻すまでの十数年間、私は正真正銘の『嫌われ者の悪役令嬢』として生きてきた。その間、周囲から向けられる視線は、いつだって恐怖や陰口ばかりだったのだ。


 だから、こんな風に真っ直ぐな感謝を向けられる経験なんて、私の(セレスティアの)記憶のどこを探しても存在しない。どう反応していいか分からず、身体が強張ってしまう。


 顔が熱くなるのを感じて、私はバサリと扇子を開いて顔を隠した。


「か、勘違いしないでちょうだい! これはビジネスよ! 損をさせたら承知しないんだから!」


 捨て台詞を吐いて、私は逃げるようにその場を離れた。


 心臓がうるさい。


 手の震えが止まらない。


 でも、不思議と怖くはなかった。


 ふと、隣を歩くアルド様の視線を感じた。彼は何も言わず、ただ静かに私を見つめていた。その瞳には、呆れでも軽蔑でもなく、どこか温かい光が宿っていた。


「……セレスティア嬢」


「な、何ですか。私の行動、不敬でしたか?」


「いや。……君は、強い人だ」


 アルド様はそう言って、少しだけ目を細めた。その言葉が、強張っていた私の心に沁み込んでいく。


 (強くなんてないわよ。ただ、必死なだけ)


 私は心の中でそう呟き、赤くなった耳を隠すように早足で歩き出した。


 『マスター、心拍数が上昇しています。更年期障害の初期症状ですか?』


(うるさいわねジェミニ! シャットダウンよ!)


 脳内で憎まれ口を叩きながら、私は確信していた。これが、私の戦い方だ。


 剣でも魔法でもなく、「お金」という武器で、私はこの国を、そして大切な人たちを守ってみせる。


 背後では、パン屋の親父さんが元気よく店を開ける声が聞こえていた。


 その声は、ステージ上のミナの演説よりも、ずっと力強く、生きていく力に満ちていた。

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