婚約破棄されたので、慰謝料で「国」を買うことにしました。 ~知識ゼロの私ですが、謎の魔導書(AI)に従ったら、いつの間にか王家のオーナーになっていました~

ジョウジ

第1話:断罪と請求書

 シャンデリアの煌めきが、磨き上げられた大理石の床に反射し、王宮の大広間は昼間のような明るさに満ちていた。


 オーケストラが奏でるワルツの調べ、グラスが触れ合う軽やかな音、そして着飾った貴族たちのさざめきが聞こえてくる。


 この国の繁栄を象徴するような絢爛豪華な舞踏会の真っただ中に私はいた。


 しかし、その優雅な空気は、たった一人の男の大声によって引き裂かれた。


「セレスティア・フォン・ベルンシュタイン! 貴様との婚約を、今ここで破棄する!」


 第一王子カイルの声が、広間の隅々まで響きわたり、音楽が止まる。踊っていたペアたちは動きを止め、数百の視線が一斉に会場の中央へと注がれた。


 そこには、憤怒の形相で私を指さすカイル王子と、彼の腕にしがみつく男爵令嬢ミナの姿があった。


 桃色のふわふわとした髪、あざといほどに潤んだ瞳。ミナは怯えた小動物のように肩を震わせている。


「ああん、カイル様ぁ……。セレスティア様が、あんな怖い顔で睨んでいますぅ……」


「大丈夫だ、ミナ。僕が守る。この女の悪逆非道な振る舞いは、もはや看過できん!」


 カイル王子は勝ち誇った顔で私を睨みつけた。周囲の貴族たちは、扇子で口元を隠しながら、ヒソヒソと嘲笑を交わし始める。


「まあ、ベルンシュタイン公爵家のご令嬢が……」


「ついに捨てられたか」


「あれだけ傲慢に振る舞っていれば当然だろう」


 その嘲笑を浴びながら、私――セレスティア・フォン・ベルンシュタインは、ドレスの裾を握りしめた指先が白くなるのを感じていた。


 (……来た)


 心臓が早鐘を打ち、冷や汗が背筋を伝う。


 ショックではない。いや、ショックはあるけれど、それ以上に襲ってきたのは、底知れぬ「恐怖」だった。


 今朝、ふとした弾みで思い出した前世の記憶。


 ここは乙女ゲームの世界で、婚約破棄された悪役令嬢セレスティアには、断罪の果てに「処刑」という未来が待っていること。


 『貴様のような毒婦は、国外追放など生温い! ギロチンがお似合いだ!』


 ゲームの中でカイル王子が吐き捨てたセリフが、脳内でフラッシュバックする。  怖い。死にたくない。


 足が震えて、今にもその場に崩れ落ちてしまいそうだ。


 (――ううん、ダメよセレスティア。ここで泣いて縋ったら、それこそ思う壺だわ)


 私は奥歯を噛み締め、震える膝に力を込めた。弱みを見せれば、彼らは嵩にかかって攻めてくる。生き残るためには、強くあらねばならない。たとえそれが、虚勢であっても。


 私は、今日の日のために新調した真紅のドレスの裾を優雅に払い、一歩前へ進み出た。震える手を扇子で隠し、背筋をピンと伸ばしてカイル王子を見据える。表情筋を総動員して作ったのは、難攻不落の「氷の令嬢」の仮面だ。


「……承知いたしました、殿下」


 私の静かすぎる返答に、カイル王子は一瞬拍子抜けしたような顔をした。


「ふ、ふん! やっと自分の立場がわかったか。貴様のような性悪女は、王太子の婚約者に相応しくない! ミナへの数々の嫌がらせ、身に覚えがあるだろう!」


「嫌がらせ、ですか?」


「とぼけるな! 教科書を隠したり、階段から突き落とそうとしたり……!」


 私は内心で深くため息をついた。事実無根だ。けれど、今ここで反論しても「口答えするな」と一蹴されるだけだろう。


 彼らは「真実」なんてどうでもいいのだ。「悪役」を断罪して気持ちよくなりたいだけなのだから。


 (だったら……私は私のやり方で、生きる道を切り開かせてもらうわ)


「殿下。事実無根の罪状については異議を唱えますが……これ以上の問答は無意味ですね。婚約破棄、謹んでお受けいたします。ならば速やかに出て行きますわ」


「お、おう。二度と私の前に顔を見せるな!」


「ええ、喜んで。ですがその前に――」


 私はドレスのドレープの中に隠されたポケットから、一本の巻物を取り出した。  絹の紐を解き、手首のスナップを利かせてバサリと広げる。


 分厚い羊皮紙が、まるでレッドカーペットのようにカイル殿下の足元まで転がり、ビタン! と重い音を立てて止まった。


「な、なんだこれは……?」


「精算書ですわ」


「は?」


「慰謝料および手切れ金。それに、これまで私が立て替えて差し上げた諸経費の請求書でしてよ」


 シン、と会場が静まり返る。私はカツカツとヒールの音を響かせ、呆然とする殿下とミナの前に歩み寄った。扇子を持つ手がまだ微かに震えているのを悟られぬよう、もう片方の手でそれを強く抑え込む。


 これは嫌がらせじゃない。私がこれから一人で生きていくための、そして処刑を回避するための、切実な資金源なのだ。


「まず、殿下が今お召しの特注礼服。金貨50枚。王室予算が足りないからと、私が私費で立て替えましたわよね?」


「う、ぐ……」


「次に、そちらのミナ様がつけている宝飾品一式。殿下が『彼女に似合うから』と勝手に私の名前でツケ購入されたもの。しめて金貨150枚」


「えっ!? これ、カイル様がプレゼントしてくれたんじゃなかったのぉ!?」


 私は冷ややかに目を細め、項目を読み上げ続ける。 泉旅行費、プレゼント代、王子の遊興費……。


 積み上げられた数字は、彼らの愛がいかに私の犠牲の上に成り立っていたかの証明だ。


「これら全てに、法定利息と精神的苦痛への慰謝料、そして婚約破棄による手切れ金を加算いたしますと……しめて金貨3億5千万枚になります」


 3億5千万。  会場から「ひっ」と息を呑む音が漏れる。


「さ、三億……!? そんな金、あるわけがないだろう! ふざけるな!」


「あら、困りましたわね」


 私はわざとらしく首を傾げる。そして、獲物を狙う鷹のように、鋭い視線を突き刺した。


「現金がないのであれば、担保を頂くしかありませんわね。例えば……王家の直轄領である『北の鉱山』の採掘権などはいかが?」


「き、貴様! 王家の財産を奪う気か! 反逆罪で捕らえるぞ!」


 王子の怒声に、周囲の近衛兵たちがざわめく。怖い。心臓が破裂しそうだ。


 でも、ここで引いたら本当に殺される。


「奪う? 心外ですわ。これは正当な商取引に基づく債権回収。払えないのであれば、今すぐここで借用書にサインを。さもなくば……この請求書の写しを、明日の朝刊のトップ記事として全土にばら撒きます」


 カイル殿下の顔から、みるみる血の気が引いていく。私は震える指先で借用書とペンを差し出した。


 殿下は屈辱に顔を歪めながらも、震える手でサインをするしかなかった。


「……満足か、毒婦め」


「ええ。感謝いたしますわ、殿下」


 借用書を回収し、私は完璧なカーテシーを決めた。顔を上げた瞬間、会場の隅に立っていた銀髪の騎士と目が合った。


 近衛騎士団長、アルド様。私の推し。そして、この世界で唯一、私を公平に見てくれていた人。


 彼は悲痛な面持ちで私を見つめていた。まるで、私の強がりの裏にある悲鳴を聞き取っているかのように。


 (……そんな顔、しないでください)


 助けを求めたい。その腕に飛び込んで泣きじゃくりたい。でも、今の私が彼に関われば、彼まで王子の不興を買ってしまう。


 だから私は、精一杯の強がりを込めて、彼にだけほんの少し微笑んで見せた。    『私は大丈夫』と伝えるように。


 私は踵を返し、背筋を伸ばして大広間を後にした。扉の向こうの闇へ足を踏み入れた瞬間、張り詰めていた糸が切れ、私は壁に手をついた。


「……怖かった……」


 誰もいない廊下で、小さく呟く。


 手に入れた借用書を抱きしめ、私は何度も深呼吸をした。


 まだ終わっていない。これは始まりに過ぎないのだ。私は生き残る。絶対に。

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