第二皇女は、悪女を演じた。

烏有もみじ

第二皇女は、悪女を演じた。

 ガシャン。

 よろめいた侍女がぶつかった机の上の花瓶が地面に落下し、耳障りな騒音を起こす。

 事の発端となった少女、ランタナはむっと不機嫌そうに口を結んでいた。


「た、大変申し訳ございません皇女様……すぐに片づけますので……」


 怯えたように言う侍女を無視して、ランタナは天蓋のついたベッドから飛び降りた。


「もういいわ、あなた。私、騒がしい人嫌いなの」


「な……! お待ちください、皇女様!」


 震えた声で手を伸ばす侍女を無視してランタナは他のメイドに目配せをした。

 周囲のメイドたちは、すぐに泣きわめく侍女を引き連れて部屋を出ていった。

 一人取り残されたランタナは、割れた花瓶から跳ねた水滴が自身のネグリジェを濡らしていることに気が付いた。


「誰か」


 ランタナは着替えようと、大声で廊下に声をかけるが、返事はない。

 苛立ちを抑えながら重い部屋の扉を薄く開けると、メイドたちのひそひそ声が聞こえてきた。


「侍女を変えるのも今年に入ってから四度目よ、あのわがまま姫」


「あのお優しい皇后陛下でさえも、あのわがまま姫の言動には頭を抱えていたわよ」


「まあ、皇后陛下が?」


 こそこそと、隠れて小声で人の悪口を言う輩は嫌いだ。

 ランタナは、力いっぱい扉を開けた。扉の前で仁王立ちをするランタナを見ると、メイドたちは一斉に口を閉ざして、目線を逸らした。

 サアッと血の気の引いていくメイドたちをよそに、ランタナはわざとらしくつぶやく。


「お洋服が濡れてしまったみたい。あの愚かな侍女の代わりを待っていたら、朝食に遅れてしまいますわ」


「こ、皇女様! 私共がお手伝いいたします!」


 大声で泣きつくように駆け寄ってくるメイドたちを軽蔑するように見下ろすと、ランタナは口角を釣り上げた。

 あまりに彼女の思惑通り、慌てふためくメイドたちがとても滑稽だった。


「あら、役に立つわね」


 ゾッとするほど澄んだ声に、メイドたちは急いでドレスを用意した。

 彼女たちが引っ張り出したのは、ランタナが気に入って着ているうちの一つである花模様のドレスだった。しかし、皇女は低い声でメイドたちに告げる。


「それじゃないわ」


「ひっ……申し訳ございません」


 絶望したような表情のメイドたちを尻目に、ランタナは心底楽しそうに笑った。


「ほら、早くしないとお父様やお姉さま方をお待たせしてしまいますわ」


 言葉とは裏腹に全く急かす気のない余裕げな声に、メイドたちは慌てて衣装棚を漁った。

 静寂の部屋の中に突然、バンッと扉の開けられる音が響く。


「ランタナ! お前はまた何をしたんだ」


 怒りを抑えられない様子で入ってきたのは、この国の第一皇子であるエンレイだった。第二皇女であるランタナにとっては兄にあたる存在だ。

 通常であれば敬う立場であるはずの兄を前にしても、ランタナは疲れ切ったように窓辺のソファーに腰かけた。


「お兄様、私は何もしておりませんわ。愚かな侍女が私のお気に入りの花瓶を割った挙句、こんなふうにお洋服まで汚してくれたのですから、当然の制裁でしょう?」


「馬鹿なことを……」


 わなわなとこぶしを震わせる兄を前にしても、ランタナは余裕たっぷりの表情で笑っていた。

 彼女は知っているのだ。娘を溺愛する両親の元にいれば、自分を傷つけられる人物など、この国に存在しないことを。

 

「横暴な行いはよすんだ。君も、もう十六になる。それに、来月にはデビュタントも控えているというのに!」


「横暴な行いなどしておりませんと言っているでしょう」


「嘘もほどほどにするんだなランタナ。君の侍女は、君が彼女の手を振り払ったせいでよろけただけだと言っていたんだ」


 事実を並べられると、ランタナは悔しそうな表情を見せるが、すぐに余裕を保とうと唇をかんだ。

 何を言ったって、エンレイは自分を罰することはできないのだから。


「実の妹である私よりも、生まれの卑しいメイドなどの言い分を優先するのですねお兄様は」


 ランタナは、目元に手を当ててお得意の泣きまねをして見せた。

 手のせいではっきりとエンレイの表情は見えないが、言い返す言葉が見つからず顔を歪める兄の表情が思い浮かぶようだった。


「君を……妹などとは認めたくもないね」


 エンレイは冷たく吐き捨てるように言うと、メイドたちに哀れみの視線を向けてから扉の向こうへと消えていった。

 てっきり、もっと怒られると思っていたランタナはすっかり拍子抜けしてしまって、ポカンと口を開けた。同時に、悔しそうにグッとネグリジェの裾を握りしめる。

 興ざめしたランタナは、未だ衣装棚を漁るメイドたちに声をかけた。


「もういいわ。さっきのでいいから早く着せて」


「わかりました」


 怯えた手つきで服を着せたメイドたちを振り払うと、ランタナは部屋を出た。

 さっき追い出した侍女の代わりはまだ来ない。彼女の姿を見たメイドたちは、メイドいびりを恐れてわざとらしく逃げ出した。

 ランタナは、寂しそうに目を伏せた。

 フウッと短く息を吐いてから長い長い廊下の先を見据えると、近くにいた騎士に近寄って言った。


「私は中庭に行くわ。だから、誰も近づけないで」


「ですが、そろそろ朝食の時間では……」


「そんな返事は求めてないわ」


 圧をかけるように騎士の甲冑に指を押し付けると、騎士はおびえた様子でうなずいた。

 皆、この皇女に逆らって職を失うのが怖いのだ。

 重苦しい空気の中、ルンルンと幼女のような軽い足取りでランタナは長い廊下を歩いて行った。


 ***


 カツカツと、ヒールの心地いい足音が響く。


「妹だなんて認めたくない……ですって」


 うふふ、と上品ながらも、自嘲的な笑い声が回廊に響いた。

 ランタナは、ハアッと大きくため息を吐いた。


「お兄様まで、私を嫌うようになったようね」


 傲慢な自分の行いのせいであることは分かり切っている。

 しかし、第二皇女という微妙な立場にいるランタナにとって、目も当てられないような悪行だけが家族の気を引くことができる唯一の手段なのである。


 フロスト王国の第二皇女として生まれたランタナは、秀でた才や目を引くような美しい容姿も持ってはいなかった。一言で表すならば、平凡。それが最も似合う皇女である。

 そして、ランタナの姉である第一皇女の十三歳の誕生日に事件は起こった。まだ九歳になったばかりのランタナは、貴族からの皮肉に激昂し、近くのグラスを貴族に投げつけてしまった。

 ランタナは騒ぎの中パーティの主役である姉を差し置いて自分に駆け寄ってくる家族や、メイドたちからの関心に酔いしれた。

 結果、ランタナはそれ以降、社交界で何度も面倒ごとを起こすようになっていった。

 見かねた皇帝が、彼女を社交界に出さないように命令したのだが、そうなってもなお、彼女の悪行は止まらず今に至る。


「なんとも、酷い兄でしょう?」


 中庭に座り込むと、ランタナは泣きそうな声で低木の花に話しかける。もちろん返事はない。

 中庭は、彼女の悪行が精神的なものによると考えた母親である皇后が、彼女のために与えてくれたものであり、命令すれば騎士やメイドは立ち入りを禁止させることが出来る。

 この国で一番の嫌われ者となった彼女にとって、ここだけが心休まる空間だった。


 「私だって、お兄様にあんな顔させたくはないわ。なにも、嫌われたくてやってるわけじゃないもの」


 ゴロンと、地面に寝そべると、吹き抜けになっている頭上には、青い空が広がっていた。

 嫌われたくないと思いながらも、癖付いた悪行は日に日に過激になり、矛盾した思いを抱え込んだランタナは果てしない自己嫌悪の中にあった。

 彼女はゆっくりと目を閉じると、穏やかな木々の揺れを感じた。耳を澄ますと、コツ、コツと慎重そうな足音が聞こえてきた。


 この中庭がランタナの領域であることは周知の事実である。だから、ここへ近寄る人はほとんどいない。

 その上、彼女は先ほど兵士に使用人の立ち入り禁止を命じたのである。

 もしかして、命令に背いて中庭に入ってきた人物がいるのだろうか。


「誰?」


 探るような、威圧的に放った言葉に返事はない。

 たしかに、中庭が封鎖されると、宮殿内の移動は少し面倒になる。しかし、悪名高いランタナの命令を破ってまでここに侵入しようと考えるなど、随分と度胸のある人物である。

 彼女は、相手が逃げ出さないようにゆっくりと立ち上がると、回廊に目をやる。

 壁に置かれた騎士の模型の陰で、ひらりと衣類の端が揺れた。


「私のお庭に入るなんて、いい度胸ね」


 ランタナは、わざとらしい皮肉を言ってその陰に近づくと、観念したように像の陰から一人の青年が現れた。

 その男は、灰色のローブに身を包み、銀色の長髪を括っていた。降参したように両手を顔の横に挙げた姿は、ランタナが少し見上げる程度の身長差だった。


「こんな早朝の中庭に誰かがいるとは思わなかったんだ。ごめんよ」


 男は、弱々しく言い訳を述べた。

 彼の言葉はとても軽く、とてもじゃないが皇族に向けられて発されたものとは思えなかった。

 しかし、ランタナにとってはそんな彼の無礼な態度に腹を立てるよりも、彼の言い訳が引っ掛かった。


「まさか、私が誰だかわからないの?」


「え、有名な人だった? もしかしてお貴族様?」


 心当たりがない様子で汗を流す彼を見て、ランタナはこらえきれずに笑い声を上げた。

 豪華なドレスを身に纏った彼女を前にして、彼の質問はあまりに愚問だった。

 さっきの殺伐とした雰囲気からの変貌っぷりに青年は、眉間に皺を寄せた。


「ええ、そうよ。私は大貴族の公女よ。なんて無礼な方なのかしら」


 ランタナは笑いすぎて出た目尻の涙をぬぐって、男を見上げた。見た目から推測すると彼は、彼女とほぼ同い年に見えた。

 まさか、この国の皇族の顔もわからないほど非常識な人間ならば、貴族のことなんてもっとわからないはずだろうと思ったランタナは、明らかな嘘を吐いた。

 ここで、自分が第二皇女のランタナであると言ってしまえば、どんな非常識な人間でも自分の悪い噂を連想すると思ったのだ。

 冷たい態度をとられることにはとっくになれたはずなのになぜか、この非常識な人間には軽蔑されたくないと思ってしまった。


「ま、まさかお貴族様だったとは……ごめんなさい! 僕、あんまりそういうのには詳しくなくって……」


 ランタナが貴族だと名乗った後でも、男は軽い口調を直しはしなかった。きっと、これが彼の通常なのだろうと彼女は理解した。

 その無礼な態度は、高貴な立場の人に対しては許されないものだったが、不思議と排除したいとは思わなかった。


「構わないわ。でも、私の領域に勝手に入ってきたのだから対価を支払ってもらうわ」


「君の領域? まさか、ここは皇室の宮殿ですよ?」


 もっともすぎる男の言い分に、ランタナはウッと弱り顔になった。皇族であることを隠している以上、皇宮内に自身の領域を持っているのは不自然だ。

 青年は非常識な人だが、馬鹿な人というわけではないらしい。


「私は、皇女様と親密な仲なのよ! だから、ここを頂いていて……」


「ふうん……それはすごいですね」


 ランタナは口から飛び出た出まかせに冷や汗をかいていたが、男はあっさりと納得したようだった。

 やっぱり馬鹿なんだろうか、と喉元まで出かかった罵倒の言葉を何とか飲み込むと、ランタナは男を中庭の中央にあるベンチまで引っ張っていった。


「私は……ラーニャよ。あなたは?」


「僕はオズといいます」


 言い淀んだランタナの自己紹介を気にせず、男は名前を名乗った。

 その聞きなじんだ言葉に、ランタナは思わず眉を顰めた。


「オズ? それって、童話に出てくる魔法使いの?」


「ああ、バレましたか。実はそうなんですよ」


 怪訝な顔をしたランタナの後に続いて、オズはベンチに腰掛けた。一人でしかベンチに座ったことがなかったランタナは、二人の距離にどぎまぎした。

 彼女の人生で、家族以外の他人とここまで近づいたことはなかった。


「あんまり母親から好かれていなくって、旅に出てから自分で名前を付けたんです」


 ヘラリと笑って見せたオズの眉は、困ったように曲がっていた。


「へえ、そんな人いるのね」


「たくさんいますよ。僕みたいに、故郷から逃げ出せたらマシなほうです」


 にっこりと笑って言うが、ランタナは意地悪をされた子猫のように、ふいと視線を逸らしては臍を曲げた。裕福な暮らしをしてきた彼女にとって、オズの言う世界は冗談としか考えられなかった。

 そんな彼女の心情は容易に理解できるのか、オズは次の句を告げなかった。


「でもあなたは、どうしてここにいたの」


 ランタナが沈黙を破って本題に入ると、オズはまた困った表情で言った。

 何か、隠し事をするような曇った声だ。


「野暮用です」


「皇族のお膝元に、旅人が一人で野暮用ね」


「あはは、よしてください」


 わざとらしく笑い声をあげたオズの目は、少しも笑っていなかった。これ以上は詮索できないと、本能が警鐘を鳴らす。

 もしかすると、暗殺者じゃないだろうか、と今更過ぎる考えがランタナの中に浮かぶ。


「もしかして悪い人?」


 あまりに直球な質問に、オズは目を丸くした。


「はいそうですって、答える悪人がいると思います?」


「思わないわ」


 ランタナの返答に、オズは首を傾げた。正直なところ、ランタナ自身も何を言っているのかわかっていないのだ。

 もしこの青年が、自分が悪人だと白状して、そのことを騎士やメイドに告げたとしても、またわがまま姫が妄言を吐いていると切り捨てられるだけなのは目に見えている。

 暗い表情をしたランタナの顔を覗き込んで、オズは言った。


「僕は依頼でこの宮殿に保管されている秘宝の様子を確かめに来たんです」


 ランタナは、軽く唇を噛んだ。自分の主張が信じられないことなど分かっていたが、もし自分が襲撃者に襲われれば、家族は必死になって自分を助けようとしてくれるんじゃないか、などという淡い期待を抱いていたのだ。

 しかし、そんな期待は彼の何でもない事実によって一瞬で掻き消された。


「なんだか、残念そうですね」


「ええ。私が襲われれば周りの人は心配してくれるかと思ってね」


「……正気?」


 全く飾り気のない罵倒に、ランタナは驚いてオズの顔を見返した。オズ自身でも咄嗟に出てしまった言葉のようで申し訳なさそうな表情をしていた。

 揶揄う気力も起きず、ランタナは彼の銀の瞳から目線を逸らした。


「本当に、無礼な人」


「君こそ、わがままな人だね」


「なんですって」


 言い返してきたオズに怒りをあらわにしたランタナは、彼を睨みつけた。

 だが、そよ風を受け流すような余裕の様子でいるオズに、彼女はもどかしさからより一層、苛立ちを募らせた。


「私を侮辱するなんて、いい度胸ね! 私にかかれば、あなたなんてこの国に居られなくさせることだって簡単なのよ」


「それは、あなたの力じゃなくて、あなたの家やお父様の力だ」


「なんて、生意気な!」


 これまで、ランタナが脅して言い返してきた人間などいなかった。ここにきて、自分がこの国の皇女であると言わなかったことを後悔した。

 それでも、オズはきっとランタナが皇女であると分かっても態度を変えないだろうという確信もあった。


「君は、裕福な暮らしをしてきただろうし、傷を負えばもちろん大問題になるだろうね。そう、君の望み通りに」


「もちろん、そうでしょうね。だって私だもの」

 

 胸を張って誇らしそうな表情をするランタナに、オズは冷淡な視線を向けた。敬語を忘れたオズの口調は、熱が込められている。その熱の理由は、彼女には見当もつかない。

 その熱は、これまでランタナが受けてきた侮蔑や失望とも違った、何か黒い感情が渦を巻いていた。


「でも、家族に無駄な心配をかけてどうするの? 下手すれば死んじゃう可能性だってあるのに、そこまでする理由は何?」


「……私が死んで、本当にあの人たちは心配するかしら」


「さあ、そんなの僕の知る事でもないし、君は一生知れないことだろうね。だって、君が死なないと分からないんだから」


 当たり前のことを言われているのに、反論したい気持ちが抑えきれず、ランタナは悔しそうに奥歯を噛み締めた。

 優位にいるはずのオズは、彼女の事を見ながらも、誰か別の存在を見つめているようにも見えた。

 言葉を探すように、オズは迷いのある視線で周囲を見渡し、やがてランタナを見据える銀髪は、日を受けてキラリと輝いた。


「あなたに何が分かるのよ」


「分からないよ……でも、なんで君がそんなふうに考えたのは聞けばわかるかもしれないね」


 冷たい表情から一転して、悪戯っ子のように弧を描いて笑った唇に、ランタナはやられたと思う。

 今更、彼に揶揄われていたのだと気づいた。

 それでも、ランタナは塞ぎ込んだ思いを発散するように口を開くと、自然と言葉が出た。


「私は、お姉さまやお兄様のようにすごい才能も、美しい見た目も持っていないわ……だから、誰も私の事なんて見てくれないのよ」


「本当に?」


 オズは、確信めいたようにランタナの瞳を見据えた。雪のような不思議な瞳の色に、ランタナは言葉を詰まらせた。

 悪女と呼ばれる自分が愛される存在でないことなど分かり切っている。それなのに、どうしても彼の問いかけを肯定できないのだった。


「君は、これまで一度も愛されたことがないの? それなら、この大きな庭は誰がくれたの? その素敵なドレスや、アクセサリーは自分で手に入れたもの?」


 指をさされた自身の煌びやかな衣類に目を落とす。

 この花柄のドレスは、十五の誕生日に皇帝がわざわざ特注で作らせて送ってくれたものだった。誕生会で着て出席すると、皇帝はとてもうれしそうに笑っていた。

 ほかにも、兄のエンレイが頭を悩ませて、七色に輝くオパールのはめ込まれた耳飾りや、姉からはたくさんの絵本やぬいぐるみを貰ったことだってあった。

 もちろん、この素敵な中庭は母である皇后がくれたものだ。そして、ここはランタナの唯一の居場所となっている。


 いつからか、彼らから面と向かって愛を伝えられることはなかった。


 ――いや、彼らとちゃんと向き合って話したのは何年前の話だろうか?


「やっぱり、君の考えすぎでしょ?」


 気が付くと、ランタナの頬には一筋の涙が流れていた。

 恥ずかしくなって目を拭うが、抑えきれない感情に呼応するように、その涙も止まってはくれなかった。


「じゃあ、僕はそろそろ行かないと」


 嗚咽を押し殺しながら泣いていたランタナを放って、オズは立ち上がって中庭を後にしようとする。

 その無情な行動に、ランタナは失意を抱いた。それでも、子供のように腹を立てたりはしなかった。


「さようなら、お嬢さん」


 振り返らずに言ったオズの言葉に、ランタナは嗚咽を漏らしながら答えた。


「ええ、きっといつか」


 そんな願いの混じった言葉に、オズは答えることはなく、逆光の中で瞬きをすると彼の長い銀髪は跡形もなく消えていた。

 すると、ランタナはウウッと、静寂の中で押し殺していた声を上げて大声で泣いた。まるで、子どものように。


 ***


「皇女様! ずっと探しておりました」


 中庭から出ると、青ざめた騎士が駆け寄ってきた。


「どうか、致しましたか? 目元が赤く見えますが……」


「余計なお世話ね、化粧よ」


「も、申し訳ございません」


 殺気のような威圧に怯えた騎士はすぐに彼女を食堂へとエスコートした。冷え切った空気に、ランタナはンンッとわざとらしく短い咳払いをした。

 どうやら、体感よりもずっと長い間中庭にいたらしく、外に出ると朝食はとっくに終わっており、今から昼食が始まるという時間だった。

 ずっと、中庭にいたのに、誰も呼びに来なかったなんておかしいと思いながらも、ランタナは考えないようにした。

 ギイッと石造りの食堂の扉が開かれると、中には焦った顔の家族が座っていた。


「ランタナ! いったいどこへ行っていたんだ」


「心配していたのよ……」


「まさか、朝の事をまだ根に持っていたのか……? もしそうなら謝罪する、すまなかったよランタナ」


 各々、休む間もなく言いたいことを言ってくる様子に、ランタナは頭痛がして耳を塞いだ。

 前の自分であれば、気分が良くなかったとか、朝にエンレイが言ってきた嫌味が気に食わなかったなどと、悲劇のヒロインぶっていただろう。

 ランタナはゆっくりと、息を吸った。


「申し訳ございませんお父様、お母さま……それに、お兄様にお姉さま」


 ランタナの第一声に、ありえないといった様子で目を見開く家族を見て、これまでの自分の言動がいかにひどいものであったかを理解する。

 苦笑が出てしまうほどに、真ん丸な四人の瞳をしっかりとみてランタナは頭を下げた。


「……いえ、ランタナ。みんな、あなたを心配していただけなのよ」


 動揺しながらも諭すような、穏やかで静かな姉の言い方に、さっき止んだはずの涙がまた出てきそうだった。

 姉は美しく聡明で、そんな姿にずっと嫉妬しており、勝手に闘争心を燃やしていた。姉の声をしっかりと聴くことさえ、数年ぶりに思えた。

 姉の大人な対応に、エンレイが慌てて続く。


「私も、ひどい言い方をしてしまって申し訳な――」


「お兄様の事は許しませんわ。私よりも、メイドの言うことを信じるなんて……」


「なっ! 君ってやつは!」


 言葉を遮られた上に、自身の誠意を裏切られたことに怒ったエンレイが、立ち上がってこぶしを握り締める。

 ランタナは、相変わらず悪女のような笑みを浮かべた。

 

「まあまあ、二人とも落ち着きなさい。とにかく、今は昼食をとろう。君も空腹だろうランタナ」


 話を切り替えようと気を利かせた皇帝の合図で、ランタナも食卓に着いた。その隣の席に座った皇后は、静かに目頭を押さえていた。

 未だ別の人間を見るような目で見つめてくる兄や、俯いたままの皇后の態度は気になるが、朝から何も食べていなかったせいで、胃が声を上げそうだった。


 人は、そうすぐに変わるものではないだろう。さっきも、騎士には冷たい態度をとってしまったように。

 それでも、もうわざと気を引くために行動する必要なんてない。

 ――だって、私はちゃんと愛されているから。

 ランタナは、生き生きとした瞳で窓の外を見た。


 ***


 グイッと襟元を掴んで路地裏に引き摺り込まれたオズの耳に、低く苛立った声が聞こえた。


「オズ、遅い」


「第一声がそれ? もっと気の利く言葉はかけられないの」


 黒いローブで顔を隠した青年についた悪態の返事は、短い舌打ちだけだった。

 はあ、と馬の合わない相方へため息を吐いたオズの死人のような白い手の中には、皇室の紋章が刻まれた輝く指輪が握られていた。


「宮殿で盗みを働くなんて、とうとう犯罪者だよ」


「今更、だろ。共犯者さん」


 オズは、傾きだした太陽から背を向けるように、ローブで顔を隠した。

 しかし、まさかあの悪名高い悪女に鉢合わせるとは流石に予想していなかった。

 どくどくと、高鳴る鼓動を落ち着かせながら、オズは不敵な笑みを浮かべた。こういった予想外が、冷え切った自分に生を実感させてくれるのだ。


「世間知らずはどっちだかねえ」


「何の話だ」


「いや……こっちの話」


 関わってはいけない少女との一瞬の出会いを忘れるように、オズは遠く離れたローブ姿の魔法使いの背を追いかける。

 タタッとリズムを刻んだ足音は、街の雑踏の中へと消えていった。

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第二皇女は、悪女を演じた。 烏有もみじ @_momiji

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