ディナータイムにアッサムを
ぴぴ之沢ぴぴノ介
ディナータイムにアッサムを
アンティーク調と謂えば聞こえの良い、古びた時計が夕刻五時を示した。古時計は現代端末の時計と比較すると数秒遅れているようだが、それなら誤差に過ぎないだろう。そもそもこの世界が全く同じ瞬間に同時刻を刻むことが無いのだから、あの古時計が何時を刻んでいようが構わない。私もそう思えるほど草臥れてしまったようだ。
閉店間際に客は来なかった。狭い路地の一角に存在するこじんまりとした喫茶店なのだ。知る人ぞ知るというお世辞が掲げられがちな無名の店。せいぜい数少ない常連が静かに喫する為の場所だと自負している。常連も他の客がわらわら来ることを望まない様な素振りを見せるものだからこの店が潰れるまで閑静な空間の主をすることになるだろう。
私も妻ももう後何年生きるか分からない。この店もその後どうするのか決め兼ねている。そんな曖昧な未来をなんとなしに誤魔化してくれるのが珈琲やら紅茶やらの匂いだ。
私達は締め作業がある程度落ち着いた頃合いに一息つく。大抵私は紅茶、妻は珈琲の時もある。今日は二人して紅茶のアッサムを選んだ。遠くの土地から取り寄せた良い茶葉を使っているものだから、自慢の紅茶と言っても問題ない。カップに注いで、飲み時を窺う。それまで窓の外を見るなり、妻と他愛の無い会話をポツリポツリと続ける。ふと視線を注いだティーカップの夕焼けを吸い込んだような水面は紅茶がそれを盗んだ証拠であった。外はもう暗い。この前夏至が過ぎたと思えば、背中に冬至が迫っている。
「歳かな」
「なあに、何処か痛いの?」
「いや。時の流れが速いものでね」
「その話、この前もしたじゃないの」
「ああ、そうだったね」
「もう。嫌ね。このアッサムは老化に効くんじゃなかったかしら」
「そうだとも。その筈だが、まあ、こんな茶一つで老化を防げるなら紅茶が流行していたに違いないさ」
「そうね。そこらの若者から若さを盗んでしまっても好いのよ?」
ふふっと悪戯に冗談を言うが、盗みを提案するあたり何処か夢見ているのだろう。
「もう現役じゃあ無いんだ。よせよ。それも若さなんて目に見えないものを盗むなんて当時の私にも出来ないな」
「あら、目に見えないものだって盗んでいたじゃありませんか」
態とらしく目を見開いた。さては愉しんでいるな? 応答に検討がついているが、訊いてみる。
「たとえば?」
「私の心。そうでしょう? 怪盗アッサム」
私は嘗て怪盗だった。先祖代々親族の誰かしらが継ぐことになっていた。初めは世襲の世相に流されてやっていたか、勝手に先代の真似をしたかのどちらかだろう。それがいつしか、家業を継ぐかのような重要な話題になってしまっていた。怪盗においては私が末代となったためにもうそんな話も何処かに記録しない限りは受け継がれることはないだろう。盗みは犯罪だ。犯罪を犯罪と認識しておきながら態々記録に残す間抜けはいないだろう。多分。
罪を犯すことに抵抗はあった。それでもやらねばならない時があった。男の美学でも何でもない。ただの圧力だ。この世に生まれ落ちた瞬間に怪盗になることは決まっていた。
そんな時には決まって紅茶を嗜んだ。アッサムティーが一番多かっただろうか。最初に飲んだものを気に入ってその後も他の品種に冒険せず大凡一途に飲み続けた。今となっては職業柄他の品種の味も知っているが、やはり舌に馴染んだ味に勝るものはない。予告状を打つ際に名前を決めるべく頭を悩ませていた私は最初に飲んだアッサムを採用した。
「……はぁ」
誰の目も届かない、誰にも僕の気配を悟られない台所。初仕事は金持ちの豪邸のダイヤモンドのティアラを盗むこと。
きれいな石を磨いてそれをティアラに埋め込んだ、それだけのものになぜ価値を見出だせるのだろう。金にはなるのかもしれないが、食べられない、飲めない、教養にもなりそうにない……いわゆる実用性を感じられないものだ。そんなものに良くもまあ集れるよな。僕はそんなものに人生を賭けたくない。
こんな愚痴を聞いてくれる人などこの邸には居ない。普通の高校生を装って、それで満足してくれる家庭ではない。僕には怪盗をする使命があるらしい。生まれた瞬間から僕が大怪盗になれるよう特訓を強いられてきた。だって、フルネームが「次皿 圣」で「つぐさら せい」だぞ? 名前の方に「心」が付いたら完全に怪盗のアナグラムになる。最悪だ。次皿まではまだ許す。許してやるから下の名前は変えさせてくれないかな。
そんな親が運営する家だ。そんなものやめちまえよと何度言っても取り合ってくれなかったのも当然だ。まじで何かに洗脳されているんじゃなかろうか。こんな家、絶対に出て行ってやるからな。「高校を出たらあとは自由にやれ」と言わせるまで話を持っていけた自分に希望を持ちながら、最近の楽しみが僕の未来計画になっていった。高校一年の春。高校生としてだけでない。怪盗という犯罪者としてもデビューを果たしてしまうのだ。
「怪盗アッサム? 初めて見る名前だな?」
「他の怪盗に触発されたガキだろ。ティアラなんて盗めるはずもない。とはいえ依頼は依頼だ。それっぽく警備しておくぞ」
「はい!」
怠そうな足音が去っていく。怪盗アッサムはもう現場にいるというのにな。天井裏は少し狭いかもしれないが、慣れっこだ。
親父の言っていた「知らない名前の怪盗に真面目に取り合う警察は居ない」という論は見事に的中したわけだ。故に一番最初が一番やりやすいのだという。勿論諸説ある。僕は僕の家の怪盗事情しか知り得ないが、どうやらこの街には同業者が多いらしい。同被害者とも言えるのだろうか。そんなのと会っても裏切られるリスクがある。怪盗仲間なんぞ作るもんじゃないな。家族ですら本当は疑うべきなのかもしれない。
そろそろ定刻か。今宵は満月だった。何か、起こりそう。……なんてことはなく、天井裏からサッと出て仕込まれた術で警報装置をバグらせてティアラを手に取った。その後いい感じに逃走して……こんな風に雑に要約できてしまうほどあっさりとした初犯だった。おもんない。手袋は埃まみれだし、いくらお邸といえどあんなところにまで清掃は行き届いてないようだな。そうなると、僕が入ったことがもろにバレる可能性が高いな。いや、そんなことは考えないでいよう。狸でも入ったと思うんじゃないだろうか。あんなに間抜けな警察が警備しているんだから。
一度盗んだ物は数日後には返す。それではなぜ盗むのか、起源はコレクションだったらしいが、今はそんな場所も興味も無い。故にある程度鑑賞して親父が満足したところで返すことになっている。大人しく白昼堂々見せてくださいと言えば良いものを態々犯罪者になってまでやるのは、「ロマン」なのだそうだ。理解できない。
「ねえ、次皿君は知ってる?」
「何?」
「怪盗アッサム!」
「っ! ……いや、何それ。また怪盗?」
心臓が5mくらい飛んだ気がする。さようなら、僕の心臓。戻ってこい、僕の心臓。こんなことでビビっていられない。「一週間もすれば新しく出てきた怪盗は近隣の住民には知れ渡る」か……これも親父が言ってたな。
「またとか言わないでよ~! さてはその反応、知ってるな~?」
クラスメイトになってからというもののやたらと絡んでくる女がいる。正直厄介だ。僕にはちゃんと同性に関われる人がいるというのに、こいつのせいで友人は遠巻きに見てヒューヒュー言ってやがる。
「知らない知らない。怪盗なんて犯罪者だろ? そんなもの気にしてどうするんだよ。庶民には関係ないだろ。盗まれるものがないんだから」
「あ~!! ひどい! 次皿君! それは私が庶民だって言いたいんだね!?」
「別にぃ? でも庶民に興味がないのは変わらないだろ」
「ふーん。次皿君って怪盗好きなんでしょ?」
「どこからそれを読み取ったわけ? 国語やり直したら?」
「ふふん。顔見ればわかるんだよ」
「……あっそう」
一瞬冷えた肝もこいつの自慢気な顔を見ると馬鹿馬鹿しく溶けていく。冗談に乗せられてやるほど僕は優しくない。さて、今日のお目当ては……
「……は?」
「聞こえなかったか? 十軒先の家から盗んでこいと言ったんだ」
「いやいやいや、なんでこんな市街地で盗むんだよ」
「怪盗たるもの市街地でも華麗に盗むものだぞ」
「はあ……」
この親父が言っていることに合理性や理性を求めることが間違っていた。我が子に犯罪をさせる時点でまともの「ま」の字もありやしないのだ。
仕方がない。このいかにも知り合いが居そうな十軒先の家に忍び込むとするか……
赤い瓦屋根が特徴的な典型的な家だが、本当にここに価値あるものがあるのだろうか。深夜、静まり返った家の窓を覗く。カーテンの隙間からなんとなく中を窺ってみる。ちょうど良くリビングが見えた。予告状を素早く入れ、その夜は去った。何かどこかで嗅いだことのある匂いがした気がする。
「ねえねえ! やばいんだけど!」
犯行当日の朝、いつもよりこそこそとやってきた。
「何? 珍しいことでもあった?」
「それはもう、本当に珍しいこと!」
「ふーん」
「あ、興味無いでしょ!? でもでも、聞いて驚け! 怪盗アッサムが我が家に来るんだって!」
「……は?」
「ふふーん。前は庶民には興味ないって言ってたけどねえ? 怪盗アッサムは庶民の私にも興味あるらしいよ~?」
煽り口調でニヤつくこいつよりもあり得ないことに動揺している。今夜の犯行現場が知り合いの家だったとは。最悪だ。どうすべきか。それでも予告状を出した時点で全ては始まっている。自分の行動に責任を持つべきだ。
結局夜には現場に行った。華麗な技で部屋に侵入し、親父が何故か事前に調べていた引き出しを開ける。
「次皿君?」
「!?」
聞き覚えのある声だった。振り返るとあいつがいた。緊張で視界が歪みそうになる。
「良いよ。盗んで」
「は? 良くないだろ。犯罪だろこれ」
「あはは、怪盗の姿でも次皿君は変わらないんだ」
「笑ってる場合かよ」
「笑ってる場合だよ。結局は返してくれるんでしょ? じゃあいいよ。別に予告状も私しか見てないし、その引き出しは親も滅多に開けないの」
「……何が目的だ」
「え~? 知りたい?」
「早くしろ」
「あはは、そうだね。私、次皿君のことが好きなの。ずっと前から」
「は?」
「だからね。この秘密と引き換えに、私と付き合って」
「はあ? いや、なんだよそれ」
「ちょっと、冗談みたいに受け取らないでよ? 私これでも本気なんだから! 怪盗アッサムは、怪盗アッサムになる前から私の心を盗んでるってわけ」
「ちょっとため息ついてもいいか?」
「その前に答えてよ。付き合ってくれる? それともこれバラされたい?」
「脅しかよ。……わかった。付き合うから。これは黙っていてくれ。これだって明日には返すよ」
「ふふーん。よろしい。よろしくね、圣君」
「別に、お前のことを好きになったわけじゃないから」
「わかってるよ。いいもん、いつか好きになってもらうからさ」
「ふふ、思い返してみると、私にとってあなたは怪盗じゃなかったわね」
「ふむ、そうだな。何度も言っている。一度盗んだものは返すのが怪盗。だが」
「私の心は返してくれないものね」
「……いつまで経っても、君には敵わないんだ」
「好きになってもらうわ。これから先もずっと」
すっかり飲み干したカップを洗う。口に残った僅かな苦味が愛おしい。この苦味がいつまでも私達のあの頃を想起させる。
店の灯りを落とす。すっかり夜の仲間入りを果たし、私達は抵抗せず眠りにつく。心地よい疲労はあとどれほど続くだろうか。
ディナータイムにアッサムを ぴぴ之沢ぴぴノ介 @pipiNozw_pipiNosk
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