異世界召喚のローディング画面が99%で止まって3年。女神様とこたつでミカン食べてる。

相井あい

99%

 視界の上端に、それは浮かんでいる。


 【異世界転送中…… 99%】


 青白く発光するプログレスバー。

 Windowsの更新プログラムでも、もう少し愛想よく動くだろう。

 だが、こいつは動かない。ピクリともしない。まるで時が止まったかのように――いや、実際、止まっているのかもしれない。


「……なぁ、女神様」


 俺は視線をバーから外し、目の前の光景に溜め息を吐いた。


「んむ? なに、カイト?」


 答えたのは、透き通るような銀髪に、神々しい純白のドレスを纏った絶世の美女――女神・アイリスだ。ただし、その神々しいドレスの上には「I LOVE SUSHI」と書かれたドン●キホーテで売ってそうなパーカーが羽織られ、下半身は分厚い布団の塊――すなわち『こたつ』に飲み込まれている。


「そろそろ、俺の指先が黄色くなってきたんだけど」

「んー、ミカンの食べ過ぎね。ビタミンC豊富でいいじゃない。肌荒れしないわよ、勇者ボディ」

「そういう問題じゃなくてだな」


 俺こと、相川海人(あいかわ・かいと)は、剥いたミカンの皮を器用に並べながら抗議した。


「ここに来て、もう何年だっけ?」

「えっとー……地上の時間だと一瞬だけど、体感時間だと……ちょうど三年くらい?」

「三年だぞ、三年! 高校二年生だった俺は、精神年齢的にはもう立派な成人男性だぞ!」


 そう、ここは『召喚の狭間』。

 日本と異世界『アステリア』を繋ぐ、超次元のトンネルの中だ。本来なら、光に包まれて「うわあああ!」と叫んでいる間に通り過ぎるはずの場所。しかし、俺の召喚儀式は、原因不明のエラーにより『99%』でフリーズした。


 それから三年。俺はこの真っ白な空間で、担当の女神アイリスと共に、終わらないロード時間を過ごしている。


「まあまあ、落ち着きなさいよカイト。お茶淹れたげるから」

「あ、すんません。熱めで」

「はいはい」


 アイリスが虚空に手をかざすと、湯気の立つ急須と湯呑みが現れた。神の奇跡『物質創造』だ。伝説の聖剣や魔導書を取り出すための神聖な御業だが、この三年間、もっぱら茶器や漫画、ゲーム機の取り寄せにしか使われていない。


 俺はズズズ、と緑茶を啜った。

 美味い。

 完全に実家の正月の空気だ。


「……で、どうなってんの? あっちの状況」


 俺は顎で虚空をしゃくった。アイリスは「あー」と面倒くさそうに、こたつの上に置かれたタブレット端末(これも創造品)を操作する。


「えっとねー、今ログ見てるんだけど……あー、ダメねこれ」

「ダメ?」

「召喚元の『聖王国の宮廷魔導師団』、またサーバー落ちてるっぽい」

「サーバー落ちって言うなよ。魔力切れか?」


 アイリスはポテチの袋を開けながら頷いた。


「そうそう。あいつらさー、勇者召喚の儀式に必要な魔力リソースの見積もりが甘いのよ。カイト一人転送するのに、どんだけ帯域使ってると思ってんのかしら」

「俺のせいなの? 俺が重いファイルみたいに言わないでくれる?」

「だってカイト、『全属性適正』とか『限界突破』とか、チートスキルてんこ盛りで設定しちゃったから。データ量がペタバイト級なのよ」

「お前が勝手に付けたんだろ! 『サービスしとくわね☆』って!」


 俺はこたつをバンと叩いた。

 三年前、死んだわけでもないのに突然召喚の光に包まれた俺に対し、アイリスは言ったのだ。『あなたは選ばれた勇者です!』と。

 最初はテンションが上がった。異世界転移。男のロマンだ。だが、99%で止まって三年。今の俺にあるのは、チートスキルではなく、女神との倦怠期のような同棲生活(※色気なし)と、山積みになったジャ●プ漫画だけである。


「あーあ……。王宮の連中、メンテ延長かよ」

「みたいね。あ、ログ更新された。『魔導師長が過労で倒れました。再起動(リブート)には数日かかります』だって」

「ブラック職場すぎるだろ異世界……」


 俺は呆れて、読みかけの漫画を手に取った。最初の数ヶ月は「早く出してくれ!」「家族が心配する!」と騒いでいたが、アイリス曰く「地上時間は止まってるから大丈夫」らしい。それを聞いてからは、もう完全に諦めの境地だ。食う寝る遊ぶ、そしてたまに女神と漫才をする。これこそが真の楽園(ニート生活)ではないだろうか。


「ねえカイトー。暇だからス●ブラやろ」

「お、いいけど。俺、昨日コンボ練習したから負けないぞ」

「神の反射神経ナメないでよね」


 俺たちはこたつの上でコントローラーを握りしめた。  画面の中で、配管工のオジサンとピンクの悪魔が殴り合う。

 平和だ。

 これが召喚中だなんて、誰が信じるだろう。


 ――その時だった。


『ブゥン……!』


 部屋全体が、低く唸った。普段の静寂とは違う、空気が張り詰めるような重低音。


「ん?」


 俺は画面から目を離さずに言った。


「なんか鳴ったぞ」

「あー、電子レンジかな? ポップコーン作ってるから」

「なんだレンジか……って、レンジなんてあったっけ?」

「ないわね」


 俺とアイリスは同時に顔を見合わせた。そして、恐る恐る視界の上端を見る。


 【異世界転送中…… 99.1%】


「う、動いたあああああああ!?」

「ちょ、嘘でしょ!? 今!?」


 アイリスが慌ててタブレットを確認する。


「やだ、王宮のサブ魔導師たちが『魔力ポーション』がぶ飲みして無理やり回線復旧させたみたい! 通信速度上がってる!」


 【99.3%…… 99.5%……】


 数字が刻一刻と増えていく。それに合わせて、真っ白だった空間が激しく点滅し始めた。こたつがガタガタと震え、ミカンが床に転がり落ちる。


「やばいやばい! カイト、準備して! 召喚されるわよ!」

「はあ!? 準備って何すんだよ! 俺、今パジャマだぞ!?」

「勇者の服なんて向こうで着替えればいいのよ! ほら、心の準備!」

「心の準備って言われても、三年も放置されて今さら『おお、勇者よ!』とか言われても反応に困るわ!」


 【99.8%】


 光が強くなる。足元から、召喚魔法陣の幾何学模様が浮かび上がってきた。いよいよだ。ついに、異世界アステリアへ。剣と魔法の冒険が始まる――。


「ああっ! 待って!」


 俺は叫んだ。


「なんですって!? 感動の旅立ちのシーンよ!?」

「今! 今、撃墜数並んだとこなんだよ! あと一発スマッシュ当てれば俺の勝ち確なんだよ!」


 テレビ画面の中では、俺の使うキャラが必殺技のチャージに入っていた。ここだ。ここで決めれば、三年間負け越してきた女神に初めて勝てる。


「はあ!? あんた何言ってんの!? 世界救うのとゲームとどっちが大事なの!?」

「今はゲームだろおおおおお!」

「バカじゃないの!? ほら、もう行くわよ!」


 アイリスが俺の背中を押す。だが、俺はこたつの脚にしがみついた。


「嫌だ! この試合終わるまで行かない!」 「子供か! もう100%になるのよ! ほら!」


 【99.9%】


 あと0.1%。光が視界を埋め尽くす。俺の体も粒子になりかけ、浮遊感が襲ってくる。


「くそっ、離せ! 俺はまだ行きたくない! 詫び石も貰ってないのに!」

「詫び石なんてないわよ! 向こうに行けば名声もハーレムも思いのまま……」 「ガチャ引けない世界に価値なんてあるかああああ!」


 俺は渾身の力でコントローラーのボタンを叩いた。画面の中で必殺の一撃が炸裂する。同時に、俺は叫んだ。


「通信切断(ログアウト)ォォォォォッ!!」


 俺の意志(わがまま)が、召喚システムに干渉する。チートスキル『限界突破』が、なぜか「こたつに留まること」に発動した。


『ブツンッ』


 唐突に、音が消えた。

 光が収束する。

 魔法陣が霧散する。


 …………。


 静寂が戻った白い部屋。こたつの上には、転がったミカンと、勝利のファンファーレを鳴らすテレビ画面。


「……あ」


 俺は冷や汗を拭いながら、視界の上を見た。


 【異世界転送中…… 接続エラー。再試行しています】  【99%】


「…………」

「…………」


 アイリスが、ゆっくりとこちらを向いた。その顔は、引きつっている。


「……カイト」

「はい」

「あんたねぇ……王宮の魔導師たちが、命削って繋いだ回線を……」

「いや、でも勝ったし」


 俺は画面を指差した。


「……はぁ」


 女神は深く、深く溜め息を吐いた。そして、やれやれといった様子でドサリとこたつに入り直す。


「もう知らない。向こうの魔導師長、今のバックラッシュで多分胃に穴が開いたわよ」

「マジか。……ごめん、今のなし。やっぱ行くわ」

「無理よ。今の強制切断でクールタイム入ったから。再接続まであと……そうね、一年くらい?」

「いちねん」


 俺は言葉を失った。

 一年。

 また、この何もない空間で、女神と二人きり。


「ま、いっか」


 俺はこたつに潜り込み、新しいミカンを手に取った。どうせ地上時間は止まっているのだ。急ぐ旅でもない。


「ねえ女神様、次の対戦いける?」

「……ボコボコにしてやるわよ、クソ勇者」


 アイリスが不敵に笑い、コントローラーを手に取る。

 異世界召喚ロード中、99%。

 俺たちの長い長い暇つぶしは、まだまだ当分終わりそうにない。

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異世界召喚のローディング画面が99%で止まって3年。女神様とこたつでミカン食べてる。 相井あい @rjt18

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