因果の破壊者 賑やかな日常が始まった――欠けた器の中で

@homugi

第1話 賑やかな日常が終わる――満たされた器の中で

※第1話は少しダークなプロローグですが、第2話からはあらすじ通りの賑やかなコメディーへと文字通り堕ちますのでご安心ください。




 ヴァルカニア帝国が世界に向けて宣戦布告を行ってから、空気に濃い血の臭いが混じり始めた。


 それから数年。悲鳴と腐肉の色に塗り潰された国境付近の救護キャンプで、ただひたすらにその手を赤く染め続ける男がいた。


「先生、これ以上は……ここに留まっていても、救える数には限りがあります」


 包帯を巻く手を止め、弟子の一人が懇願するように訴える。その瞳には、日々運び込まれる惨たらしい遺体と、理不尽な暴力への義憤が焼き付いていた。


 彼らは若く、そして真っ直ぐすぎる。だからこそ彼らは最前線に立ち、より多くの人間を救いたいと願ってしまったのかもしれない。


 先生と呼ばれた男は反対した。戦況は泥沼化している。前線に行けば、命の保証などない。 だが、弟子たちの決意は固かった。


「私たちが学んだ技術は、安全な場所で震えているためにあるのではありません」


 長い口論の末、折れたのは男の方だった。彼らの成長を眩しく思うと同時に、胸を刺すような予感を拭えなかったからだ。


「……分かった。だが、必ず生きて戻ってくれ」


 弟子たちは、被害が甚大とされる連合軍の志願兵となり、地獄の最前線で救護活動をするために旅立つ。


 男は動けなかった。これまでの活動で救った、守るべき人々がこのキャンプには溢れていたからだ。彼らを捨てて弟子を追うことは、師としての矜持が許さなかった。


 そして、その報せはあまりに呆気なく届いた。


 簡素な紙切れ一枚の戦死通達。文字の羅列が、彼らの人生の全てだったというのか。


「あいつらは、師として誇れる理想の弟子に育った。……理想的すぎたから、死んだのか」


 乾いた声が漏れた。


 悲しみよりも先に、冷たい疑問が脳裏を支配する。彼らは優秀だった。ただの戦闘で全滅するなどあり得ない。


 男は連合軍に詳細な情報の開示を求めた。だが、軍上層部は機密事項の一点張りで、頑なに口を閉ざす。


 その態度が、隠蔽を確信させた。


 独自の調査を開始するため、男は禁断の領域に踏み込む決意をする。


 己の虚室と呼ばれる空間に居座るシンギュラリティに求めるだけでよかった。男の中に冷たい何かが入り込み、腕や足といった末端に銀色のラインが刻まれていく。そして人を超越したという感覚が、自身の存在全てを満たす。


 だが――虚しいだけだった。


 あのとき、この力があれば、などとは思わない。だから後悔とは違う。


 その理由は自分でも分からない。ただ虚しいだけだった。


 残ったのは、淡々と事実を受け止めているだけの自分。あっさりしたものだ。まるで、アイツらの死が紙切れ一枚で通達されたときのように……。


 冷たい苛立ちと共に、隣に立っていた木を素手で殴りつける。あっさりと粉砕し、自分が人間をやめかけていることを思い知らされた。


 しかし、それがどうだと言うのだ。このまま、アイツらを過去に置き去りにして、ホコリを被せるよりもマシだ。


 ああ、そうだ。今や男と弟子達の繋がりは、アイツらのいた心の場所に空いた、この穴だけなのだ。


 そう思うと、冷たい激情が心の穴から溢れてくるかのようだった。より多くの力を求めようと、シンギュラリティに語りかけようとしたとき、アイツらの顔が思い浮かんだ。


「はは、怒られちまうな」


 クラリス、またお前は俺を口煩く怒ってくれるか?


 ロウ、お前はずっと小言を零していそうだがどうだ?


 ディーン、お前はスゲーとか言いながら、俺の変わり果てた手を見るんだろうな。


 コウル、お前は少し困った顔をして、苦笑いをするんだろうな。


 ルカ、お前のことだから悲しげな音楽を俺に聞かせて、遠回しに抗議してくるだろうけど、あれって結構キツイんだぞ。


 サラスは、どうする? 論理的に徹底的に俺を責め続けるんだろうな――ずっと、俺が謝るまでさ。


 そして俺が謝ったら、いつもみたいに許してくれて、お前らにたかられて、飯を奢らされるんだ。なぁ、もっと師を大切にしてくれよ。


――でも、もう誰もいないんだよな。


 これ以上の力を求めるのはやめておこう。そう決めて、地道に情報を集めることにした。


 力があれば、金を得る方法はいくらでもある。そうして稼いだ金を使えば、連合軍の中枢にいる奴らに近付くのは簡単だった。


 そして、真実を知った。弟子達は英雄として死んだのではない。無能な上官――リヒト・シュナイダー大佐が、敵前逃亡するための囮として使われたのだ。


 脳髄を灼くような憎悪が湧き上がる。だが酒を飲んで、激情を誤魔化した。


 弟子達に、怒られるような事はしないと決めていたからだ。


 この気持ちを捨てたら、彼らとの繋がりが本当に無くなってしまう。だが、より多くの力を得ればいいと、男の弱い部分が囁く。


 シンギュラリティの力を使えば、大佐はおろか、その部隊ごと消滅させることなど簡単であると。


  握りしめた拳が震える。


 復讐は、彼らが望むことではないのは分かっている。彼らの死を、ただの殺戮の引き金にしたくはないという自分の気持ちも分かっている。


 ギリギリのところで理性を繋ぎ止めようと、激情は酒と共に飲み込んだ。



 あれから数ヶ月経った頃、男は帝国内部に存在する革命軍に入り込んでいた。


 弟子達がどこで死んだのかを知りたかったからだ。共和国ではあの件に関する資料は完全に処分されていたため、帝国側から調べるしかなかった。


 シンギュラリティの力は、あの頃のままだ。それでも人外とも言える力は、革命軍に入り込む程度には十分に役立ってくれた。


 さらに数ヶ月が経った頃、予想だにしていなかった情報が革命軍に舞い込んだ。


『弟子の遺体、未確認。一名が帝国の研究所へ搬送された可能性あり。名前は、クラリス』


 その瞬間、時間が止まったかのように感じられた。


 男は革命軍の上層部を説き伏せ、帝国の暗部とされる第十三研究所へと向かう。



 辿り着いた場所は、冷たい金属の床、鼻をつく薬品と腐臭に支配された空間。


 革命軍の兵士たちが陽動を行っている隙に、男は研究所の最奥へと滑り込んだ。


 警備の兵を避けながら奥へと向かう。やがて巨大な培養槽が並ぶその部屋で、彼は足を止める。


「……クラ、リス?」


 そこにあったのは、もはや人と呼べるものではなかった。


 無数のケーブルが肉に直接埋め込まれ、機械と臓器が冒涜的に接合されている。透明な容器の中で、かつて愛弟子だった女は、兵器の部品として加工されていた。


 震える手でガラスに触れる。


 培養液の中で、彼女の瞼がゆっくりと動いた気がした。目が合う。


 だが、その瞳孔は開いたままで、焦点はどこにも結ばれていない。そこには恐怖も、痛みも、そして師を慕う心も残っていなかった。


 ただ、生体反応を示すだけの肉の部品。


 触れたガラスから彼女までは、ほんの僅かな距離しかない。しかし、その僅かな距離が、くつがえす事の出来ない現実となって立ちはだかっている。


「クラリス……」


 彼女の頬に触れようとしても、その指は届かない。


 それでも、かすれるような声で何度も名前を呼び続ける。やはり何も答えてはくれない。それでも呼び続ける。何度も──何度も──。


「なぁ、……クラリス」


 それから幾度、彼女の名を呼び続けたのだろうか。それでも呼び続け──最後、名前を言い終えるより先に、彼女はゆっくりと目を閉じた。


 男は悟ってしまった。


 もう、その人の心に自分は映っていないことを――そして、何かが静かに折れた。


 男は悲しんでいるのか、それとも怒っているのか、絶望しているのか分からない。もう、どうでもよかった。


 ただ師として彼女にしてやれることは、もう一つしかないことだけは分かっていた。


 右手の指をまっすぐに伸ばし、ガラスの向こうにある、かつての弟子へと向ける。


「…………」


 何かを言いたかった気がする。だが、何も言えなかった。


 シンギュラリティの強大な力が、奔流となって放たれる音のない閃光。一瞬にして培養槽は蒸発し、研究所の隔壁ごと彼女の体を原子レベルで分解した。


 轟音と警報が鳴り響く中、男は瓦礫の中に崩れ落ちた何かを拾い上げる。


 それは奇跡的に形を留めていた、クラリスの頭部。


 なぜ、それが残ってしまったのだろうか。


 ただの偶然なのかもしれない。もしくは、なにかの因果が引き起こした必然なのかもしれない。どちらであっても、あまりにも残酷すぎる救いだ。


 男はそれを胸に抱き、その場に立ち尽くした。


 思考は白く塗りつぶされ、時間の感覚さえ消失している。


 ふ、ふふ


「おかえり、クラリス」


 何年振りだろうか。こんな温かな気持ちになれたのは。ずっと胸にあった心の穴が満たされていく。


――これは俺の全部。昔も……未来も……今も、これが……全部……。


――ああ、そうだ。……俺の全部だ。


 そして男は取り戻した。失ってしまった物を、取り返しのつかない形で。


「手を挙げろ!!」


 怒号と共に、武装した警備兵たちが雪崩れ込んでくる。


 彼らは銃口を男に向け、包囲網を狭めた。


 だが、男は動かない。ただ、腕の中に抱いた亡骸を見つめている。


「ごめんな。顔、汚しちゃって」


 穏やかな表情で、男はクラリスだった物の頬を袖で拭く。優しく、赤子を撫でるかのように。


「お前、なにをしている。お前は……」


 警備兵たちは、己の正気が何かに染まっていくことを感じた。そして、途方もない間違いを犯したと、本能が警告をし始めている。


「ふ、ふふ……ふふふ」


 喉の奥から、乾いた音が漏れる。それは笑いだった。それは絶望の深淵から湧き上がる、壊れた理性の痕跡だった。


「貴様、何がおかしい! 確保しろ!」


「くっ……ふふ」


 異常を察知した兵士が一斉に引き金を引く。


 空気が破裂し、男の体に風穴が空けられる。いくつも、いくつも、引き金を引かれるたびに、一つ、また一つと増えていく。穴が増えるたびに鮮血が舞い、肉が弾け飛ぶ。


 それでも、笑い声は止まらない。


「ふふふ……く、くくく、あはははは!」


 体から零れる赤い血が、徐々に色を変えていく。


 赤から、水銀のような重厚な銀色へ。傷口から溢れ出るのは血液ではなく、自己増殖するナノマシンだった。


 やがて銃弾が皮膚に当たるたび、金属音を立てて弾かれるようになる。


「なんだ、コイツは……!? 撃て! 撃ち続けろ!」


「ああ、シンギュラリティ。俺の全部をくれてやる」


 男はゆっくりと顔を上げた。その瞳はすでに人のものではなく、無機質な銀色の光を宿している。


 腕の中で抱きしめられていたクラリスの頭部が、銀色の粒子となって崩れ落ち、足元に砂のように広がった。


「だから全部――壊させろ」


 男とシンギュラリティの完全な融合が果たされた。


 研究所の天井を突き破り、光の柱が天へと伸びる。男はその光に抱かれるように上空へと浮上していった。


 眼下に広がる汚れた世界。人間たちの営み、戦争、愛憎、その全てがどうしようもなく卑小に見える。


「クラリス、ロウ、ディーン、コウル、ルカ、サラス、ずっと一緒だ。なぁ……全部壊して俺も無くなれば、もういなくならないよな」


 男が笑ったのは、それが最後であった。


 表情が消えると共に、軽く視線に殺意を込める。


 ただそれだけで、空間の座標という名の点が揺らぎ、次の瞬間、無数の光の柱が天から降り注いだ。


 忌まわしい研究所は過去の遺物となった。今や資料の中でしか存在を確認できない記録へ――。だが、その資料もじきにこの世から消え去ることとなる。


 男の視線の先にある、帝国の首都に住む数百万の命と共に。


 彼らは空を見上げる暇さえなく、己の死すら理解できないまま、光の中で蒸発する運命にある。それは痛みも恐怖もない、慈悲深き消滅。


「………………」


 狂気すら、金属の意思に呑み込まれたのか。数百万の命を奪おうとも、彼は笑うこともなければ、嘆くこともなかった。


 破壊が通り過ぎた後、空から雪のように銀色の欠片が舞い降りる。それは地面に触れると、生き残った草木は色を変え、枯れ果てた土へと頭を垂れた。


 特殊なナノマシンによる生命の吸収。あらゆる有機物から、エネルギーを奪い取る死の砂。


 それは彼の全てを壊したいという願いを叶えるように、すでに微生物に至るまで目覚めぬ眠りにつかせ、この星を文字通り死の星へと変えていく。


 完全融合したばかりの男の意識は、混沌の中にあった。


 金属のように冷徹な機械の論理と、身を焦がすような人間の慟哭。相反する二つの意思は、時としてせめぎ合い、時として混ざり合ったが、結論だけは一致していた。


 全てを無へ。


 男は、自らが滅ぼした人間から解放された力と、ナノマシンが奪った力を吸収する必要がある。それ故に、国を滅ぼした後はしばらくその場に留まる必要があった。


 それでも世界の全てを破壊し尽くすのに、三週間で十分だった。


 今や、人間の生活圏には廃墟すら残らず、動植物は姿を消し、海からは水が失われている。


 必要なエネルギーは溜まった。


 男は、かつて弟子を己の手にかけた場所の上空に漂っている。


 あとは、この膨大なエネルギーを最も効率的な破壊の形――事象崩壊として解放すればいい。


 今いる星を消し去り、宇宙を消し去る。その因果律を利用して、他次元の宇宙にまで干渉し、あらゆる存在を無に帰す。


 それが自分への救いなのか、シンギュラリティに組み込まれたプログラムに従っただけなのか、もしくは宇宙の宿命なのか、彼には判断できないが、どうでもいいことだった。


 もう言葉は必要ない。想いを伝えるべき相手など、あの時にいなくなったのだから。


 目を瞑り、シンギュラリティの力を発動させようとした。その時だった。


 生命の反応が完全に途絶えたはずのこの星に、一つの波紋が生まれる。そして銀色に染まった大地を踏みしめる、一人の女性が現れた。



 自らが滅ぼした星の上で、彼女の手を取ったとき、次の日常が始まった。


 賑やかではあるが――欠けた器の中で。

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