探偵アドリアナは娯楽に飢えている!

瑶飄A.O

第1話 人を殺したかもしれんが、よくあることさ

 #1

 憶測や推測でしかないけど。

 私は昨日、人を殺したらしい。


 そう思いながら、暗い袋小路の隅っこで蹲っていたアドリアナは無意識に自分の顎を指で撫でる。

 なぜそう思うのかと問われると、少し困るかもしれない。

 が。

 目の前に置かれた屍らしき物体と、自分の手の中に握っている血塗られた斧から察するに、多分その考えが一番事実寄りではないだろうかと、彼女の理性がそう訴えている。


 「……これは困った」

 思考を辿っていない、ただ反射的に呟いたこの言葉に、アドリアナは我に帰る。

 すると彼女は素早く目線を周囲に配り、周りを観察し始めた。

 連続の雨で隙間から黒い液体が湧き出る煉瓦造りの壁に、生ゴミの腐乱した臭いが漂うゴミ箱―――その影に隠れるように、新鮮を過ぎて硬直に近い四肢が空を抉っていた。

 唯一、家出した首だけが彼の死因を物語っていた。

 どう見ても、この斧で切断したようにしか見えない。

 気まずそうに、アドリアナは斧を腰に吊るしていた鞘に戻す。

 ……

 ……

 あまりにも自然で、体に馴染んだ様な仕草に一瞬気づかなかったが、彼女はすぐある事実を悟る。

 この斧は自分の物だ。しかも使い慣れているお気に入り。

 「これはまずいかも?」

 今回はつぶやきではなく確信だ。

 「確かに私は刺激的な物は好きだけど、でも他者の娯楽になるのは勘弁してほしい物だよ」

 ならば今からやることはただ一つ、と。米色のコートを羽織り、鹿狩り帽をやや斜めで被る金髪碧眼の少女はゆっくりと立ち上がる。

 華奢な姿に、この湿った空気感とは似ても似つかわしくないどこか高貴な雰囲気を漂う少女は最後に死体の方へ目線を配った後、彼女は踵を上げる。

 三十六計、逃げるが勝ち!

 それは罪悪感からでも、恐怖心からでもなく、唯々面倒事の悪臭から逃げるように、宙を舞う金線は袋小路から消え去った。


 #2

 中央区に位置する最大の交差点は事件現場からそれほど離れていない。

 歩いて数十分。

 強風によって顔にへばり付いたデモ隊のチラシを剥がし、町中に鳴り響く巡察隊のサイレンを聞き流しながら、アドリアナは出来るだけ目立たないように道端にあるマンホールをバールでこじ開ける。

 金属が軋む音が短く響いた後、アドリアナはひょいと穴の中を覗き込む―――臭くはない。それも当然なことだ。何せ、この下水道につながるのは住民たちの排泄物に満ちた汚水ではなく、彼女の家だ。

 最後に周りを一巡して、誰もいないかを確認した後、彼女は梯子を掴み、降りながらマンホールの蓋を元の位置に戻す。

 数十秒後。

 マンホールは微弱な振動で奥から持ち上げられ、微かに開いた隙間から翡翠色に輝く目が周りを睨む。

 これはアドリアナの癖だ。

 効果抜群とまではいかないが、知らぬ間についた尻尾をチェックするにはいい手段だ。

 最終的に、本当に自分に着いた不審者がいないことを確認し、アドリアナはようやく蓋を閉め、最後の光を遮る。

 ここは廃棄された下水道とはいえ、中は他の同類と変わらず暗くて冷たい。

 煉瓦造りの地面に足を踏み込めばその足音は反響し、大きくなって深い奥へと伝わる。

 慣れた動きで梯子から飛び降り、アドリアナは軽やかな動きで発光塗料で落書きされた壁際に沿って進み、角を回る。

 進めば進むほど、落書きが増え、大きく、複雑にかさみ、最後は光の手前で姿を絶つ。


 「ただいまっと!」

 鍵のかかっていない柵を足で蹴り開け、アドリアナは溶けた表情でコートと帽子を穴だらけのソファーに投げ掛ける。

 そこは一見乱雑に見え、だがよく見れば家主の思考に沿ってちゃんと整理された空間だった。

 古いボックス状のテレビがピラミット型に部屋の一角に詰められ、銅製の管が複数、天上から垂れ落ち、その一部は不自然に中央寄りの場所に置かれた足付きバスタブの上空に伸び、残りの一部はそのまま地面に伸び、暖を放つ。

 ここが彼女の家だ。

 ここが下水道の中央を占有した、アドリアナ・フォン・ノベラという訳ありの自称探偵の棲家。

 

 腰についた鞘を取り、斧を抜き出す。

 相変わらず血が付いているが、もうすでに乾いている。

 血の臭いはしない。代わりに油のようないい臭いが彼女の鼻の奥を刺激する―――これは自分が相棒のメンテナンス時に使っていたオイルの匂いだ。

 間違うはずがない。

 なぜなら自分はそれを買うのにすごい渋っていたからだと、アドリアナは臭いを嗅ぎながら満足そうに頷く。

 となると。

 彼女は着ている服とソファーに投げ込んだコートを一瞥。

 落ち着いた場所だからか、彼女はやっと冷静にさっきの出来事について考えられる。

 それは出血量だ。

 正確には、彼女についた血液の量だ。

 鞘の中に少し、斧の先っぽに少し。その他血が付きそうな靴や服には肉眼で確認したところ、一滴もついてない。

 それはつまりどういうことか?

 アドリアナは独立した、プライバシーのかけらもない洗面場に斧を放り込み、蛇口を捻る。この家にある全ての電気代も水道代もアドリアナが支払っているわけではない。ゆえに、彼女はかなり贅沢に使っている。

 水が管から零れ、斧に付着した血を薄める。

 つまり、自分は確かに何かを切ったが、その時目の前に横たわっていた死体じゃない可能性が高い。


 なるほど。

 なるほどねぇ〜。

 ……

 ……


 「つまり私は犯人じゃないってことじゃない?」

 昨日の記憶が曖昧だからはっきりいえないけど、頭脳の働きによって彼女は楽天的な観点を受け入れる。

 一度自分に非はないと思い込むと、人は案外その考えから抜け出せなくなる。

 アドリアナもそうだ。

 何せ、彼女は本質的に、対岸の火事を楽しむ悪ガキなのだから。

 急に肩の凝りが解けたように、アドリアナは蛇口を閉めた。

 毛布で軽く手についた水分を拭き取り、部屋中央に敷いてある絨毯の上に転がり込み、頭をソファーの縁に置く。

 管の中に水が流れる。いや、ひょっとしたらネズミのファミリーたちが一列に並んで通り過ぎる音かもしれない。

 そのような正体不明な音はテレビの電源がついたノイズ音に紛れ、機械の騒音と共に、かき消される。

 ……

 機械の、騒音?

 アドリアナは何か思いついたかのように、ソファーの柔らかみにめり込んだ首を左に動かす。

 そこにあるのは壁の中にハマった筒のような空間だった。

 大きく、数人が入っても問題ないぐらいの空間で、その周囲にはこの家にある物件と似合わないほどの古い指針。

 バスタブや絨毯のような現代品ではなく、どちらかというと箱型のテレビやレコーダーのような年代物の親戚に近い。

 そしてそれもまた、この空間と地上を繋げる、マンホール以外の唯一の抜け道。


 オイル足らずの歯車は革のベールを摩擦し、ギギガガと奏でる骨董品は煉瓦の兄弟に挨拶を交わしながら舞い降りる。

 ディン!と、オーブンが焼き上げた時と同じ音を放ち、揺れていた指針はB2と己の位置を指差す。

 

 「ん?なんだよ、いたのか」

 射出されたイチゴジャム漬けのパンはソファーの縁に寝転がる黄金色のポテトスティックに問いかける。

 「珍しいものだね〜、アドリアナ・フォン・ノベラ君?」

 巡察隊の黒い制服を纏ったピンク髪の少女はこの家主よりも我が物顔で壁際にある冷蔵庫から冷えたコーラを一缶取り出し、ソファーの中央まで寄り、座り込む。

 少女という計量では測りきれない重量がバネの弾力を押し込み、アドリアナの頭を数ミリだけ跳ね飛ばす。

 結んだ髪を解くと同時に、無礼な訪問者は身に纏った重装備の数々を地面に下ろし、コーラを一口呷る。

 アドリアナよりも小柄で童顔だが、身軽に巡察隊の制服姿になった彼女は彼女の足元に転がる金色の芋虫よりも大人そうに見える。

 「自称探偵の家業はどうした?今はまだ昼だぞ?」

 「うるさいよ、カーラ」

 だるそうに、アドリアナはテレビのチャンネルを変えながら答える。

 「今日は臨時休業だよ」

 そうか?と、カーラと呼ばれた少女は無意識に唇についた泡を手の甲で拭き取る。

 「なるほど、つまり昨日の依頼で儲かったんだな」

 「……?」

 まるで昨日、自分が依頼をやりに行った言い方だな?

 アドリアナの視線は黒いタイツを履いた足から、膝をギリ遮るスーツスカートを超え、汗で少し染みた白シャツに包まれた、やや膨らんだ丘に一瞬だけ目が止まり、最後はカーラの整った顔を覗き込む。

 が。

 カーラの青い瞳は耳がとらえた異様な音に従い、洗面場に向けていた。

 「何洗ってるの?」

 「斧」

 なんでだよ?と頭を傾けるカーラだが。すぐ水面に浮かぶ赤を見て、微かに眉を顰める。

 「なんか血ついてんだけど?」

 血?あぁ、それはねぇ。

 アドリアナの脳はフル回転し、出来るだけの言い訳を組み合わせ、捏造する。

 「飯作る時、肉を切るのに使ってた……とか?」

 「……ファミレスでお子様ランチしか頼まないお前が自炊?」

 どうやら斧で肉を切るより、自炊の衝撃の方がインパクトあるらしい。

 信じられないように、カーラは目を開く。

 「なんの肉?」

 「えっと」

 なんの肉かぁ。本当になんの肉なんだろうな?

 人間の肉は豚に近いらしいし、目で見たあの死体の造形から言うと。

 そうだな。

 「ペキンダック」

 「……」

 死者への冒涜を諸共しないのがアドリアナのいいところだ。

 

 何言ってんの?というカーラ視線を無視して、アドリアナは話題を変える。

 「ところであんたはいいのかよ?巡察中でしょう?」

 「サボりに来たんだよ」

 面倒そうに、カーラは手を振ってアドリアナの腹の上からテレビのリモコンを奪い取る。

 「最近やたら殺人が増えて外回りが多くなったんだよな」

 ピクと。特定のワードに反応するアドリアナ。だが注意力の全てをテレビの方へ向けたカーラはその動きに気づかない。

 「顛倒街とか、元々カオスなスラムなら別に大したことじゃないけど、近頃中央街まで死体が見つかるようになったんだよ、お陰様で犯人を捕まえるまで未来永劫残業のカーニバルさ」

 ぶつぶつと、文句を言いながらチャンネルをニュースに変えるカーラの側で、心当たりしかない少女の顔色はだんだんと悪化。

 「それはそれは……ちなみに死因は?」

 斬首ではないように、斬首ではないようにと、アドリアナは都合の悪い時だけ祈る神に向かって願望を垂れ流す。ただ、どうやら即効の奇跡は効果が薄いようだ。

 「デュラハンだよ」

 カーラは舌を出して、左手で首を切る仕草で答える。

 「被害者全員首を切られて、そしてその首がどこにも見つからない―――ほら、今ちょうどその話が映ってるぞ?」

 巡察隊所属の執行者が指差すのはピラミット型に積まれていたテレビの群れ。モノクロと豊満な彩度が交差し、全てのテレビに同じ内容が映っていた。

 『―――ただいま速報です』

 電子信号でカラフルに彩られたのは一つの映像。

 『中央区、中央街の袋小路にて』

 それは煉瓦造りの壁に囲まれた、罠のような凹みだった。

 『身元不明の男性が』

 緑色のゴミ箱は悪臭を放ち、無かったはずのブルーシートが立ち入り禁止のテープと共に民衆とカメラの好奇心に満ちた視線を阻む。

 『首を切られた状態で発見されました』

 人の群れは蠢く、フラッシュライトの照に反し、死者の領域に踏み込んだ情報は娯楽に変わる。

 一応仕事だろう。カーラはコーラを飲みながら、ニュースの内容を見逃さないよう画面に釘つく。

 だからだろう。

 彼女は自分の足元でこそこそ何かを企んでいるアドリアナの動きに気づかなかった。

 「またかよ?」

 やる気が薄いような言葉を吐きながら、カーラはふと立ち上がるアドリアナに目線を奪われる。

 「どうした?」

 「いや、ちょっと用事を思い出しちゃって」

 用事?と、カーラは疑問に満ちた表情で眉を上げるが、すぐニュースの方へ注意力を奪われた。

 『なお、監視カメラで容疑者の姿を捉えた模様』

 アドリアナはコートを羽織り、スカートを腰の位置まで上げ直す。

 『監視カメラの映像です』

 流れる金髪が鹿狩り帽に隠れ、映像に流れる金の糸のように、アドリアナは足先だけで洗面場に近づく。

 「ん?」

 見覚えある服装と髪色に、カーラは思わず空になった缶を握りつぶす。

 『特徴は女性で金髪。米色のコートとスカートで、斧のような武器を所持している模様』

 洗面場の水底から自分の斧を拾い上げ、それを拭かずに鞘へと差し込む。まだ落ち切っていない血の色は地面に滴り、溶け込む。

 「なんか、お前ぽくないか?これ?」

 容疑者からの返答はない。なぜなら容疑者は今、必死に逃走経路の草案を模索していた。

 「いや、流石に違うよな、ハハッ……は?」

 最後のトンは極めて冷たいものだった。

 ゆっくりと自分から離れるアドリアナとテレビに流れる映像の間を視線で彷徨い。

 だがそれでも、自分の知り合いを信じたいという一心で、カーラは唾を飲み込み、問う。

 「お前じゃ、ないよな?」

 その返しは、轟くほどの沈黙だった。

 無音で壁に寄せ、威嚇する猫のように腰を低くするアドリアナ。

 そしてソファーから無表情に彼女を眺めるカーラ。


 決定打を決めたのはニュースの方だった。

 『以下が容疑者の写真です』

 片手でVの字を見せ、何やら能天気でバカ笑いする金髪碧眼の少女を視界に映し、数週間残業の原因かもしれない元凶に、カーラは怒りと共に咆哮。

 「おめぇじゃねぇーか!!」

 それと同時にこの地下空間に響き渡ったのは硝煙の轟。

 体を曲げ、脊髄反射にも近い早技でカーラは卸した装備から銃を抜き、引く。

 巡察隊の規定口径よりも遥かに凶悪なマグナム弾はリボルバーの銃口から射出され、煉瓦の壁の一角を抉り、着弾。

 その的としてロックされたアドリアナは頭を抱えながら逃げ回るしか無かった。

 「いや、いや、違うよ!」

 無力な反論の前に、二発目の銃弾は洗面所の鏡を打ち割る。

 キラキラと飛び散る鏡の破片は歯を食いしばって睨むカーラの横顔を映し、帽子を両手で押さえながら体を下げて走り出すアドリアナの姿を映す。

 転機は一瞬だった。

 「な!?」

 射撃で立ち姿に切り替わったカーラだが、射撃位置を変えようと足を動かした瞬間、バランスを崩して転ける。

 「お前いつ!」

 元凶は彼女のブーツについている靴紐だった。元々は綺麗にそれぞれ結んであったそれは、つい先ほどまでアドリアナが彼女の足元でこそこそ仕掛けた悪戯によって複雑に絡み合い、細い足枷と化す。

 とはいえ、年齢と不釣り合いな戦闘経験を有する巡察隊隊長の直感はいつも正しい。

 考えもせずナイフを抜き出し、靴紐を切断すると共に右肩に力を入れ、自分の姿勢を俯きから仰向きに反転。ナイフを持った左手を支えに、彼女は愛銃をソファに突きづける。

 たった一瞬の隙ではあるが、アドリアナの姿はどこにもない。

 少なくともカーラの視界には存在しない。

 ならばこのソファの裏に隠れているのだと、彼女は確信する。

 理由は単純だ。

 彼女が知っているアドリアナならそうする。

 ならば。

 カーラは再度二発、ソファーに打ち込む。

 硝煙は銃の隙間から舞い上がり、微かに吠える橙色の火炎はカーラの青い瞳を照らすと同時に、白い何かがソファーの縁から飛び出す―――それは服だ。アドリアナが羽織っていたコートだ。だが、その主人の姿はどこにもいない。

 罠だ。そう理解した瞬間、銃を握っていた右手から抗いようの無い力が伝わり、カーラの愛銃は飛来した物体と共に遠くへ旅立つ。

 ソファーの裏、カーラの視線の死角で蹲った状態から自分の得物である斧を投擲した姿勢から一転、アドリアナは跳躍。

 素早く、機敏に、地面に倒れ込んだ親友からの薙ぎ払いを両手でガードし、彼女は自分の体重を全て乗せ、制圧を図る。

 数度の攻防の末、銀色に輝くナイフは宙を舞い、殴り合う二人の姿を映しながら地面に差し込む。

 だが、ピンク髪の少女も伊達ではない。

 掴みに来る手をできるだけ外側に外し、腰を上げ、馬乗りにしてるアドリアナの重心に揺さぶりをかけたのち、隙を見て拳を振り出す。

 その目的はアドリアナの鼻。

 日頃の怨念と鍛えた腕力で構成されたパンチを避けようとした親友の隙を、カーラは見逃さなかった。

 金髪野郎を下から勢いよく蹴り飛ばし、カーラは銃も拾わずそのまま飛び掛かる。

 その動きに技巧も対峙も存在しない。

 あるのは感情とストレス発散のハッピーセット。

 簡単にいうと、脊髄反射と罵声による拳の嵐。

 「てぇめ!」

 短く吠え、カーラは攻勢を仕掛ける。

 拳と肘によって構成された波状攻撃は組み伏せられたアドリアナの弱点に襲いかける。

 「うぅ!」

 容赦無く顎や頬に打ち込まれた打撃の鈍痛に軽く呻いたアドリアナだが、短い失神の後、すぐさま反撃に転じる。

 彼女の戦法に相応しく、だが理想には程遠い、三下路線で。

 普段ファミレスのお子様ランチしか咀嚼しない歯は白く、天井から仄かに照らされた光を反射しながらそのままカーラの腕に目かけて噛みつける。

 無節操な戦術を取るアドリアナの反撃は意外と効果があったらしい。

 拳の殴り合いとは違う鋭い痛みでカーラは思わず手元を緩めた―――その連鎖反応として、劣勢だったアドリアナは全身の力を振り絞った蹴りをカーラの股に目かけて放つ。

 たとえ男性じゃなくとも、人間として生まれ持つ敏感な器官が詰まった部位を襲われればタダじゃ済まない。

 だからカーラはその攻撃の意図を察した瞬間から素早く後退し、身を構える。

 それに相対する形で、片手でソファーの縁を掴みながら狼狽に体を起こすアドリアナ。

 無言の間に流れるのはテレビのアナンサーが唱える起伏の無い新聞。

 周辺の全てを飲み込むかのような異様な静寂を背景に、二人は動かない。

 だが、服の下に隠された筋肉の曲線の隆起は互いの意欲を示し、肌から薄らと見える青筋は互いを威嚇し合っていた。

 緩やかな音の影に隠されていたのは決闘の様な緊張感。

 そんな中では例えどんな不調和音でも第二ラウンドのゴングになりかね無い―――前提としてスマホの着信音でなければだが。

 ゴシックな音楽の中に突然ギターのキレあるソロが鳴り響いた様に、ソファーの側に脱ぎ捨てられたカーラの防弾ベストから電話の音が響き、二人の注意力を奪う。

 「「……」」

 互い言葉を発さ無いが、だがどこか自分の歩調が乱れたような印象を受ける。

 沈黙の末、先に動きがあったのはアドリアナの方だった。

 相変わらず睨み合っていたのだが、彼女は隠していた左手を表に出し、そのまま防弾ベストのポケットの中にあるスマホを取り出す。

 感覚で通話を取り、スピーカーボタンを押し込んだ後、アドリアナは慎重にそのスマホを地面に置き、蹴る。

 絶妙な力加減によって、地面を滑行した精密機械の塊は絨毯の辺縁を掠り、ちょうど二人の間に止まる。

 『隊長!』

 巡察隊の隊員だろう。スピーカーによって増幅された男性隊員の声はこの広い地下空間内で反響し、二人の耳に雪崩れ込む。

 『どこにいるんすか隊長!大変ですよ、まだ一人見つかったんすよ!』

 「……中央街の裏路地のことだろう?」 

 そう言いつつ、カーラはアドリアナを睨む。容疑者として睨まれたアドリアナはまるで蛇に睨まれたカエルのような鳥肌が立つ。

 だが。

 『違うんすよ!』

 予想外の否定にカーラは思わず視線をスマホに向ける。

 「どういうことだ?」

 『まだ犠牲者一人が見つかったんすよ、裏路地の件とは別で、今回は中央区の商店街で同じ遺体が発見されたんす!しかも今回は容疑者がいて、でもずっと記憶が曖昧だとか、記憶を預けたとか、意味不明なことをくりかえしてんすよ!』

 記憶が曖昧。そのキーワードにアドリアナは思い当たる節がある。

 「……わかった、すぐ行く」

 それとちゃんと無線オープンにして下さいよ、連絡が大変す!という部下からの文句を無視しながら、カーラは素早くスマホを拾い、通信を切る。

 対してアドリアナは無表情なカーラの横顔を覗き見ながら、問う。

 「一応、無実?」

 「馬鹿言ってんじゃねぇよ」

 鋭い否定と共に軽い蹴りが飛んできた。

 「おめぇはニュースに載った容疑者だよ……少なくとも現時点ではな」

 「じゃあどうしろっていうのさ?」

 不満げに口を尖らせながら、アドリアナは地面に落ちていたコートを拾う。乱闘によって地面に散らかっている鏡の破片と、一ヶ月ブリに再び新しい風穴が二個開けられたソファーを見て、彼女は愚痴を零す。

 「疑いの時点で即発砲、昔からそうなんだけど、私ってそんなに怪しい?」

 「怪しい?」

 乾いた笑いに近い声で、カーラは答える。

 「お前がこのモルデンシティに移住してから、巡察隊の仕事が何倍増えたと思ってんの?失踪が増えるわ、ギャングが活発になるわ……自分はただのトラブルメーカーであることを自覚しろ、そして私に謝罪しろ!」

 「失踪は関係ないじゃん!」

 白目を剥くカーラの隣で、アドリアナは両手を振って抗議する。

 「ギャングは否定し無いんだな?」

 「……」

 無言に視線を横に向くアドリアナを見て、カーラは思わずため息を吐く。

 「はぁ―――まぁいいさ。どうせ今回の事件もお前絡みだろう?」

 「勝手な決めつけは良くないと思います、先生!」

 誰が先生だと、カーラはちょっと怒った様にアドリアナに目掛けて蹴る。

 「大体お前は面白いと思えば頭を突っ込まずにはいられ無いたちだろう?」

 昔からそうだが、己の身に降りかかった火の粉は極度に嫌う癖に、他の連中が何かの事件に巻き込まれた時は必ずと言っていいほど火に油を注ぐのがアドリアナという人物だ。

「時計塔の爆破事件の時もそうだし、ロマングラーブ地下にある違法オークションを単身で突入した時もそうだ。闇に潜む脅威を曝け出すのはいいが、収拾がつかないほど大事にしたのはいつもお前だ」

 「巡察隊の隊長さんに面と向かって褒められると、なんか照れちゃうな」

 「照れるな、恥じろ」

 ひらひらと言葉の刃を交わすアドリアナに諦めを感じたのか、カーラは装備を整え、そのついでにゲラゲラと笑う金髪ネズミの首根を掴む。

 「とりあえず、容疑者A。お前はこれから一緒に現場へ行ってもらうぞ」

 「……普通、容疑者扱いなら牢屋では?」

 「対岸の火事をケラケラ笑う悪ガキの、自称探偵の無職は少しでもこのモルデンシティのために働け、そして私の支部長への昇進のための礎となれ!」

 カーラ・ストラウスという女は、サボリ魔でありながら、権力欲と暴力の権化だった。

 これはある意味ではカーラもアドリアナも同類だろう。

 娯楽に飢え、迷惑やリスクをガン無視する自称探偵と、手柄のために例え前科ありなやつでも迷いなく使い潰す巡察隊の隊長。

 だからこそだろう。

 エレベータに引っ込まれる直前。

 アドリアナはこう言った。

 「もし最後に私が犯人だったらどうするのさ?」

 疑惑はあるが、確信犯ではない。半分の冗談で、半分本気のノリで問うアドリアナで。

 

 それは、娯楽に飢えていた狂人がある種の可能性としてそうだったら面白いかもしれ無いという期待したものだった。

 そして、その返しとして、アドリアナを無理やり引っ張るカーラの返答も実に彼女らしかった。

 「そのときは、今年のボーナスはお前で決まりだよ」

 冗談が一割、本気が九割の言葉に、アドリアナは嫌な顔をしながらエレベータの中に吸い込まれた。

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探偵アドリアナは娯楽に飢えている! 瑶飄A.O @CloverRota

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