『祝い』カクヨムコン11お題フェス
横井 志麻
ワンドリンク♪呪い放題♪
「ワンドリンク♪呪い放題♪」
私の目に留まったのは、路地裏のスナックの看板だった。
ここは都内でもほどほどに治安のよろしくないエリア。ぼったくりや美人局、コワイお兄さんに遭遇してしまうのは「見る目がない奴が悪い」と警官までもが説教してくるぐらいには行儀が悪い場所だ。だから、いささか突飛な看板も、「まぁ、そういう趣向もありか……」と感じた程度ではあるのだが。
けれど、私はその店の扉を開けた。私には目的があった。呪いたくてたまらない、そんな相手がいた。私を裏切り、謀り、侮蔑した相手。そんなありふれた恨みには、路地裏のワンドリンクが似合うように思えて、私はニスの剥がれが目立つ重い木製の扉のノブを握ったのだった。
「いらっしゃい」
拍子抜けするほど、ありふれた挨拶だった。
その挨拶と共に、扉の隙間から溢れてくるのは安い機材から流れる安い音……これまたありふれたカラオケの音だった。
「おもての看板を見て……」
あとから考えれば、随分とマヌケな物言いをしたと思う。けれど私にはこの店の流儀がわからなかったのだから仕方ない。
「あら、はじめての方ね。じゃあ、こちらへどうぞ」
店のママと思しき人物は、私をカウンターへと誘った。
「なに飲む?」
「……ジンジャーエールありますか?」
「え?」
ママの笑顔が複雑さを帯びた。確かに下戸がスナックに来るのはいくらか場違いだ。けれど、ママはほんの一瞬でその複雑さを飲み込んでみせた。
「ジンジャーエールね。あるわよ。なにかつまむ?」
「お願いします」
私の前には、ロックアイスがたっぷり入ったジンジャーエールと、柿の種の小皿が揃った。私はグラスを手に取る。炭酸が喉ではじけ、甘みと生姜が残った。
「あなたみたいな人がね、時々来るの」
ママは私の前に陣取った。他の客は常連なのだろうか、互いに譲りあってカラオケに興じている。
「はい」
「看板、見たのよね」
ママの顔から笑みが消えた。
「あのね、看板、壊れてるの」
ママは、なにを言っているのだろう?
「うちの店、ワンドリンク、唄い放題なの」
店内のすべての音が消えた気がした。
「うたい?」
「そう。ネオンがね、調子悪くて」
「あのっ、私」
「呪いたい人がいるのよね」
恥ずかしかった、自分の見間違いが
恥ずかしかった、自分の思い込みが
恥ずかしかった、ママにすべてバレていることが。
「ごめんな……さい」
やっとのことで出た私の声は小さかった。
「いいのよ。時々、いるって言ったでしょ」
ママは私のグラスにジンジャーエールを注ぎたした。
「ほとんどの人は、あの看板に気づかないのよ。いつものお客さんはわざわざ看板になんか見ないし、歩いてる人だってこんな小さな店なんか気にもとめない。けど、あなたは気づいた。気づいて、読み違えた。そういうこと。あなたの中に『呪いたい心』があったから、看板に気づいたの。この店に呼ばれたの」
「……はい」
何もかもがママの言うとおりだった。
「話なら、聞くわよ」
「私……」
そこから私の言葉がとまらなかった。任されたプロジェクト、集められたメンバー。知り合って、親しくなって、気を許して……すべてを裏切られたこと。なにも知らない部外者からの、弾劾、侮蔑、冒涜を。
「そう。それで、誰を呪うの?」
「裏切りを。最初に裏切ったことへの報いを受けてほしい……です」
報いを。裏切ったことへの報いを。そして、知ってほしい。人を裏切ることは自分を不幸にすることを。そして、変わってほしい。裏切らない人へと。
「優しいのね」
ママは困ったような顔で笑った。いつのまにか、他の客はいなかった。カウンターを挟んで、私とママがいる。カラオケ機材からは、待機中のBGMが低く流れていた。
「人を呪いたいと思う私が優しいわけないですよ」
私は自嘲を込めて吐き捨てた。本当に優しい人はきっと、呪うよりも許す。許して、笑顔で優しく導く。報いを受けてほしいという私の気持ちは、優しさの対極にあるはずだ。
「ちゃんと報いを受けて、真人間になってほしいと願うなら、結局ね、優しいのよ。それはね、呪いじゃなくて祝いだと思うの」
「祝い?」
そんな風に考えたことはなかった。だって、私の心はこんなにもドロドロと渦を巻いて不快なままだ。
「裏切った相手にね、消えてしまえとか、この世から居なくなってしまえとか思う人の方が多いのよ。それだけ酷いことをされたんだから、そう思ったって構わないって、私はそう思うの。思うだけなら、どんなに酷いことを願ったっていいでしょ。でも、あなたは憎い相手に対してでさえ『その先の人生』を見てる。他人に迷惑をかけず幸せになってほしいと思ってる。そんなのじゅうぶんすぎるぐらいに優しいじゃない」
かろん。音をたてたのは空になったグラスの氷だった。私は一体、どれだけの時間をママと話していたのだろう。
「ごめんなさい、こんな時間まで……おいくらですか」
正直、どれだけの金額をふっかけられても、払えるものなら払おうと思っていた。ジンジャーエールと柿の種。この界隈の店なら、どんな値つけもまかり通る。
「ふふ。また来てくださいね」
ママが言った値段は、フリータイムの一人カラオケ相当の金額だった。ワンドリンクで唄い放題。正直にも程がある。
「また来ます。今度は呪いにでなく、唄いに」
「どっちでもいいのよ」
ママに見送られて出た路地裏の風は冷たかった。そして、私の心の中には恨みつらみもそのままだった。ただ、「それでもいい」と思えるようになったのが不思議だった。
『ワンドリンク♪呪い放題♪』
私を呼びこんだ看板が、私の背後で静かに灯を落としていた。
(終)
『祝い』カクヨムコン11お題フェス 横井 志麻 @YOKOI-Shima
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