SNOW RAID -- Yet another 忠臣蔵

キャルシー

前編

雪が積もっている。遠くで鳴り響いていた山鹿流陣太鼓やまがりゅうじゅんだいこの響きが、ふと途絶えた。


音が消えた――はずであったが、堀部ほりべ安兵衛やすべえの荒い息づかいばかりが、不思議なほど耳についた。


殺気――闇の奥で刃と刃が噛み合った。


金属のきしむ音とともに火花が散る。


対峙たいじする侍が先に刃を振りかざす。


遅れたか!安兵衛が体勢を立て直そうとする刹那せつな、右側を何かがかすめ過ぎた。相手の男には右後方にいた味方のやりが深々と突き通った。


かたじけない。後方の味方に合図を送る。吐く息が白い。


今宵こよい討ち入った赤穂浪士は四十七士。味方との連携なくしては、吉良邸の制圧などかなうまい。


庭を抜け、いざ屋敷へ。戸を開けると待ち伏せしていた敵方の侍が数名、飛び出して斬りかかってきた。一撃を巧みに払ってかわし斬り捨てる。軒先の雪が血で染まる。


建物へ入ると、同志たちは申し合わせたとおり、次々と廊下に蝋燭ろうそくを掲げた。何度も稽古を重ねてきたことであった。蝋燭は火を用いる。しかし「決して火事を出してはならぬ」――固く誓い合ったことである。


ふすま越しにやりが飛び出してきた。安兵衛は襖を斬り払い、間髪を容れず敵の槍を叩き折った。


敵は折れた槍を一瞥し、しくじったとばかりに目を見開き、腰の太刀に手をかけたが、遅かった。


首に向けて安兵衛の振る刃に手応えがあった。硬いものに当たった感触の直後、抵抗が急に軽くなる。敵は声を出す間もなく、切り口から赤いものが吹いた。


蝋燭の薄明かりの中、奥から近づいてくる者がある。味方であろうか。


敵味方を判別する合言葉が飛び交った。合言葉が何であったかは重要ではない。ここでは仮に「山」「川」であったとしておこう。


血飛沫が障子しょうじを染めた。障子の向こう側にいる味方が敵を斬ったのだ。


深夜の本所吉良屋敷ほんじょきらやしきは、戦場と化していた。


ドンと二三歩前の襖が勢いよく開いた。


廊下へ飛び出してきた敵は二人。咄嗟に太刀を正眼の構えとするが、狭い廊下では二人横に並べず、自ずから前後に並ぶことになった。


ちょうど二人の近くにあった蝋燭の淡い光が、それらの顔を照らし出した。目に恐怖の色が浮かんでいるのが見て取れた。無理もあるまい。この泰平の世、己れの詰番の夜に討ち入りに遭うとは、めぐり合わせを恨んでいるに相違ない。


今宵死ぬ覚悟でここにいる我らとは、気迫が違う。気の毒ではあったが、これも武士の定めというものである。


手前の男が正眼から上段の構えに移し、奇声を発して太刀を振り下ろしてきた。


廊下の狭さゆえに上段としたのであろうが、太刀が満足に振れない狭い場所では脇差のほうに利があった。


叫び声があがり、目の前で男が斃れた。


拙者は剣に秀でているわけではない。

ただ、斬ると決めた瞬間に迷わぬだけである。


闇の中、「山」「川」と呼び交わす声が聞こえた。


眼前にもう一人の敵がいた。


今、斬り捨てた男の体からは、廊下に血の池が広がりつつあった。鉄のような匂いが鼻をついた。


その倒れた身体をまたぎ越える刹那、前へと蹴り出す足首を掴まれた。迂闊!こやつ、息があったか。しかしすでに安兵衛の重心は後ろ側の脚にはなかった。


とっさに、右手に持った脇差しを杖替わりに下へ差す。床に転がる男の腹に突き刺さり血が吹く。バランスをとるため安兵衛の後ろの脚を折り男の胸上に膝をつくが噴き出した血で滑った。


そのままごろりと倒れ視界が反転する。安兵衛の上から、もう一人の敵が狂ったような目で刃を振り下ろしてきた。


安兵衛はとっさに男の腹から抜いた脇差しで払った。

衝撃。金属同士が噛み合い、火花が散った。息が詰まった。歯を食いしばり、相手の顔を見た。見覚えはない。ただ、同じように必死な目をしていた。


相手が体勢を整えている僅かな時間に安兵衛は下から刃を押し込んだ。

血が、噴き出した。


相手の痙攣した腕から刃が滑り落ち、刃が安兵衛の頬をかすめた。


力の抜けた身体がずり落ちて上に覆いかぶさってきた。重い。


我らが着用している火事装束に似せた黒白だんだらの装束が、また重かった。起き上がるには、まずこの男をどけねばならぬ。


ふと、天井に球状の明るい光が浮かんでいるのが見えた。あの光は何であろうか。

見ると、光の球の中に、一人の男が白無地の裃を身にまとって座していた。

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