琥珀の風と星詠みの天球儀
@orangeore2025
第1話
第一章 黄金色の草原と忘れられた観測塔
見渡す限りの草原が、秋の深まりとともに濃い黄金色に染まっていた。異世界「エル・ドラド」の秋は、風が魔力を運んでくる季節だ。乾いた風が吹き抜けるたび、枯れ草同士が擦れ合い、まるで古い楽器が鳴っているような乾いた音を立てる。アルベルトは、村の外れにそびえ立つ石造りの観測塔を見上げていた。かつて星々の動きを読み解き、魔導の指針を決めたとされる場所だが、今では蔦が絡まり、鳥たちの住処になり果てている。それでもアルベルトは、この季節にだけ塔の頂上から見えるという「流星の尾」を探さずにはいられなかった。
「……今年も、あの光は見えないのか」
彼は独り言をこぼしながら、塔の入り口にある古びたレバーを引いた。鉄が錆び付いた嫌な音が響き、重い石の扉がゆっくりと口を開ける。内部はひんやりとした冷気に満ちており、秋の陽だまりから切り離された別世界のような静寂が支配していた。アルベルトの手には、亡き祖父から譲り受けた魔導懐中時計が握られている。その針は、塔の深部へ進むにつれて、不規則な円を描いて激しく回転を始めた。何かが眠っている、あるいは、何かが目覚めようとしている。そう確信したアルベルトが螺旋階段を駆け上がったとき、背後から軽やかな足音が追いかけてきた。
「ちょっと、アル! またそんな危険なところに入るなんて!」
聞き慣れた声の主は、幼馴染のリィナだった。彼女は収穫したばかりの真っ赤な林檎をカゴに入れ、不機嫌そうに頬を膨らませている。
「リィナか。危ないことは分かっているけど、どうしても確かめたいんだ。祖父さんの日記に書いてあった『秋に目覚める星の鍵』の正体を」
アルベルトの真剣な眼差しに、リィナは溜息をつき、カゴから林檎を一つ取り出して彼に投げつけた。
「勝手にしなさい。でも、お腹が空いて動けなくなっても助けてあげないからね」
投げられた林檎を受け取ると、秋の果実特有の甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐった。アルベルトはその林檎を一口かじり、再び闇の先へと視線を向けた。観測塔の最上階、そこには数百年もの間、主を待ち続けていた巨大な天球儀が鎮座していた。
第二章 静かなる鼓動、水晶の歌声
塔の最上階は、屋根が崩れ落ちており、高い秋の空がそのまま天蓋となっていた。中央に置かれた真鍮製の天球儀は、アルベルトが近づくと共鳴するように微かな振動を始めた。その表面には細かな魔法文字が刻まれており、隙間からは青白い光が漏れ出している。アルベルトが魔導懐中時計を天球儀の窪みにはめ込むと、カチリ、と運命が噛み合う音が響いた。埃を被っていた歯車が、数世紀の時を超えて再び回り始める。
「見て、アル。星が……地面に落ちてくるみたい」
リィナが息を呑む。天球儀から投影された光が、周囲の空間を宇宙そのものへと塗り替えていた。足元には銀河が広がり、秋の夜空に輝く星座たちが、手の届く距離で瞬いている。
「これは幻影じゃない。天球儀が、別の場所にある魔力をここに引き寄せているんだ」
アルベルトがその光の一つに手を触れようとした瞬間、天球儀の中央から、透き通るような水晶の歌声が聞こえてきた。それは言葉ではなく、純粋な魔力の波動だった。光が集束し、そこには一人の少女の姿が浮かび上がる。彼女の髪は秋の夕暮れのような深い琥珀色で、瞳には星の欠片が宿っていた。
「……永き眠りの終わり。私の名前はセラ。星の海を渡る者の導き手」
少女は虚空を見つめたまま、静かに口を開いた。
「秋の風が止む前に、失われた太陽の神殿へ。さもなければ、この世界の光は永遠に凍てつく冬へと沈むでしょう」
少女の姿は霧のように消え、後には一枚の地図が投影された。そこには、村から遠く離れた、霧の深い渓谷の奥地が記されていた。アルベルトとリィナは、言葉もなくその地図を見つめ続けた。
第三章 色付く渓谷、魔導列車の逃避行
翌朝、アルベルトとリィナは村を旅立った。二人の目的地は、大陸を縦断する魔導列車の終着点、紅葉に染まる「赤錆の渓谷」だ。駅のホームには、収穫祭へ向かう人々や商人たちが溢れていたが、二人の装備は明らかに異質だった。アルベルトは祖父の遺した魔導杖を背負い、リィナは薬草や食料を詰め込んだ大きなザックを抱えている。列車の警笛が、秋の澄んだ空気に高く響き渡った。
「本当にいいの、リィナ。村に残っていれば、楽しいお祭りが待っていたのに」
客室のシートに座り、流れる景色を眺めながらアルベルトが尋ねた。窓の外では、赤や黄色に色付いた木々が、火花のように後ろへと流れていく。
「今さら何を言ってるのよ。あんた一人じゃ、服のボタンが取れても付け直せないでしょ」
リィナは窓の外を見つめたまま、照れ隠しのようにぶっきらぼうに答えた。しかし、その手は不安を隠すように、座席の端を強く握りしめている。
「……ありがとう。必ず、君を無事に村へ連れて帰るよ」
アルベルトがそう告げると、列車の振動が急に激しくなった。客室の扉が乱暴に開かれ、黒い外套を纏った男たちがなだれ込んでくる。彼らは「星の教会」を名乗る過激派で、天球儀の起動を察知して追いかけてきたのだ。
「その少年を渡してもらおうか。星の鍵は、我ら教会の聖遺物だ」
男の一人が魔導銃を構える。アルベルトは咄嗟にリィナの手を引き、反対側の扉へと駆け出した。
「リィナ、僕の背中にしっかり捕まって! 列車の屋根に出る!」
激しい風圧が二人の髪を乱し、秋の冷気が肌を刺す。時速百キロを超える魔導列車の上で、アルベルトは魔導杖を構えた。追いかけてくる追跡者たちの影を振り切るように、彼は杖の先端に琥珀色の魔力を集めていった。
第四章 霧の神殿、凍てつく冬の足音
列車から飛び降り、森の中を数日間歩き続けた二人は、ついに地図が指し示す神殿の入り口へと辿り着いた。そこは常に深い霧に包まれており、気温は村よりもずっと低い。地面には初霜が降りており、踏みしめるたびにシャリ、と冷ややかな音が響く。秋の終わり、すなわち冬の始まりが、すぐそこまで来ていることを物語っていた。
「寒い……ねえ、アル。本当にここで合ってるの?」
リィナが自分の肩を抱きながら、白い息を吐き出す。彼女の指先は冷え切り、赤くなっていた。アルベルトは自分のコートを脱ぎ、彼女の肩に掛けた。
「ああ、間違いない。魔導時計が、かつてないほど強く反応している。この奥に、セラが言っていた神殿があるはずだ」
霧の向こうから、巨大な石柱が幾本も現れた。それは神殿というよりも、宇宙へ向けて放たれた巨大な矢のように見えた。中央の祭壇には、あの琥珀色の髪の少女、セラが光の檻の中に閉じ込められていた。彼女の周りでは、黒い外套の男たちが不気味な儀式を施し、彼女の魔力を無理やり抽出している。
「待ちなさい! その子をどうするつもりだ!」
アルベルトの叫びに、教会の司祭らしき男が冷酷な笑みを浮かべた。
「この娘は人間ではない。星のエネルギーを供給するための器に過ぎん。これさえあれば、我らは冬を支配し、永劫の春を手に入れることができるのだ」
セラの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。その涙が床に触れた瞬間、周囲の空間が凍りつき、凄まじい衝撃波が放たれた。
「……助けて。このままじゃ、世界から秋が……季節が消えてしまう」
セラの細い声が、アルベルトの心に直接響いた。彼は杖を強く握りしめ、自分の中に眠るすべての魔力を解放する準備を始めた。リィナもまた、鞄から魔力増幅薬を取り出し、彼の背中を支えた。
第五章 琥珀色の空、再会を誓う風
激しい戦闘の末、神殿を覆っていた闇は払われた。アルベルトが放った渾身の魔力は、教会の男たちを退け、セラを縛っていた光の鎖を粉々に打ち砕いた。崩れ落ちる神殿の中で、アルベルトはセラの体をしっかりと抱きとめた。彼女の体は驚くほど軽く、まるで秋の落ち葉のようだった。
「終わったよ、セラ。もう大丈夫だ」
アルベルトの言葉に、セラはゆっくりと目を開け、穏やかな微笑みを浮かべた。彼女の体は、徐々に黄金色の光の粒子へと変わっていく。
「ありがとう、星を詠む者。私は本来の姿に戻り、天界から季節を調整します。でも、忘れないで。秋の風が吹くたび、私はあなたのそばにいます」
セラの姿が完全に光へと溶け、神殿を覆っていた霧が晴れていった。天井のない神殿の上空には、燃えるような夕焼けが広がっている。それは、今まで見たどんな景色よりも美しく、深い琥珀色の空だった。
「……行っちゃったね。あの子、幸せになれるかな」
リィナが空を見上げながら、ポツリと呟いた。アルベルトは彼女の手をそっと握り、静かに頷いた。
「ああ、きっと。彼女が守ってくれたこの季節を、僕たちは精一杯生きなきゃいけないんだ」
二人が神殿の外へ出ると、そこには元の黄金色の草原が広がっていた。風は相変わらず冷たかったが、その中にはどこか温かい、懐かしい香りが混ざっている気がした。
「ねえ、アル。村に帰ったら、お祭りの林檎パイ、たくさん作りましょう。もちろん、あんたの分もあるわよ」
リィナがいつもの元気を取り戻して笑う。アルベルトはその笑顔に救われる思いで、歩き出した。秋の日は短く、地平線にはすでに一番星が輝き始めている。
彼らの冒険は、一つの季節を越えて終わりを迎えた。しかし、風が琥珀色の香りを運んでくるたびに、彼らは思い出すだろう。あの高い空の上で、自分たちを見守っている一人の少女のことを。そして、次の秋が来るのを、心待ちにするのだ。黄金の草原を駆け抜ける風は、今日も二人の背中を優しく押し続けていた。
琥珀の風と星詠みの天球儀 @orangeore2025
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。琥珀の風と星詠みの天球儀の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます