浮かび上がるは球二つ
カリカリ唐揚げ
浮かび上がるは球二つ
散乱した日用品を白い運動靴で踏み荒らし辺りを勢いよく探り部屋を散らかしていく。
汗が額から頬、顎に滑り床のフローリングが濡れて木目がはっきりと分かるほど黒と茶色が際立つ、目を見開き血走らせて男性は軍手をした右手で押し入れの丸くへこんだ黒い取っ手を手に取り勢いよく引き抜く、中には赤と白の花柄模様の真冬に使う羽毛布団が透明な袋に入れられているのが目に入り他も季節外れの布団が男性の視界に入る。
舌打ちを鳴らして押し入れから離れ開きっぱなしの小さな白いタンスの中を再度まさぐり始めるがやはり特に目新しいものはない、この部屋にいても自分が求めるのものが出てくることは無い、腕時計で時間を確認してそう見切りをつけた男性は速足でドアノブを引いて外に出て階段の下から金色の二つの球が男性を見上げる。
まだ昼になったばかりだと言うのに階段に窓が無く、分厚い雲に覆われいつ雨が降ってもおかしくない不気味な天気に似合う薄暗さから浮かび上がる目に男性は焦りから出ていた大量の汗が冷や汗に変わり始めたことを自覚し、体を固まらせる。
古い木造の壁が春風で音を立てる中温度は徐々に下がり始め春ではなく秋の中頃かと思うような肌寒さが男性を包み込む、汗が冷えたからだと言い訳し男性が黒いジャージのポケットに手を入れその場の空気以上に冷たく細い鉄をつかんだ所で階段の下から小さな声が木霊する。
「………客人かえ?」
独り言のような声量だが音がない廊下に良く響いて男性の耳に入ってしまうそれ、鈴が鳴ったような声というのはこういう声なのかと思いながらも女性を見下ろし目を見張った。
頭から黒い何かが吐出している、薄暗い中でそれが一体何なのかは特定できないが少なくとも相手は帽子やフードを被っているようには見えない、それが一体何なのか目を細めて眺めていると場に浮かんだ金色がスッとその場から消えた。
つられて自分も瞬きしてもう一度女性に目を向けると頭から出ていたはずの何かは消えていて、金色の球が三日月のように形を変えた所で再度声が響いた。
「降りなん…んん! …お降りになられては?」
「えっ…は、はい解りました」
「…二階に上がられては困ります、出入りはしていただいても構いませんが一階だけにしてはいただけませんか」
「いえ、その………もうこのまま帰らせてもらいます!」
何をどう思っての発言か分からないが自分を客人として振る舞う女性を相手にこの場を早く去らなければいけないと男性は思い速足で廊下を進み女性の横を通り過ぎ玄関のドアに手をかけて開こうとするが開けられない、そんな馬鹿なと鍵がかかっているか視線を落とすがそんなはずもない、そも知らない男性が家に上がり込んでいて、しかも上から降りてきても取り乱しもしない女性がカギをかけるとも思えない。
「丁度いい、買い物を済ませてきたところですので昼食をお食べになって行かれては?」
「いえいえ! そんなお構いなく!!!」
「そうおっしゃらずに」
ここまで来て男性にもその異質さが伺い知れた、両手をゆっくりと畳み柔らかく微笑む女性が恐ろしく思いドアを開けようと力を込めるがまるで巨大な石を動かすような理不尽な重さで数ミリとて動かない。
両手が赤くなり指が黄色から白色に変わって腕にはち切れんばかりの血管が浮き出る、しかし相も変わらず動かないドアを歯を思いっきりかみしめて力を込めている中木の軋む音が男性の耳に入った。
精一杯腕に力を籠める中一体どこで聞いたのか記憶をたどり、階段を下りているときに聞いたと思った瞬間手をドアから離して女性の下に駆け寄り口を開く。
「あの! 良ければ食事を作ってはいただけませんか!?」
「はぁ、それは良いんですけれど買った物を仕舞に―――」
「今! 今食べたいんです!!! 本当に簡単な物で良いので!」
「………そこまでおっしゃるのなら」
眉をしかめながら男性を見て女性はそのまま何も言わずに薄暗い廊下の奥に消えていく。
再度流れ始める冷や汗を腕で拭って安堵のため息を漏らす、幾ら頭がおかしいと言っても自分が荒らしまわった部屋を見たら何をしに来たのか誰でも察しが付く。
女性の後を追って冷蔵庫からキャベツを取り出している女性を見た途端に男性はふと疑問に思う、何故和服を着ているのだろうかと、口ぶりからして最寄りのスーパーの帰り、出掛けるのに着物を着ていく等あり得るのだろうか、男性としては聞きたいが無駄に藪蛇を踏むわけにもいかない。
食事の用意と言ったがエプロンの一つもしない、見ただけで自分には縁遠い品だと解る物を着て調理を始める女性。
先ほどとは違った不気味さを覚え男性はつい口が開いた。
「………あの、着替えないんですか?」
「はい? 着替えとは?」
「ですからその…エプロンをしたりとか別の服に着替えたりとか………」
「はぁ、それは手間ではありませんか?」
会話がずれていることに男性は気づいたが深く付くつもりもない、男性からしたらこの場を何事もなくすまして外に出ていければ十分、先ほどポケットの中にあるナイフに手をかけたが目の前の女性を襲うのはリスクが高すぎると男性は思う。
古めかしい木でできた椅子に深く座り男性は貧乏ゆすりを始める。なおも薄暗く電気をつけるそぶりもしないのは何故か、あの部屋を見られなくて良かった、服以前にドアが開かないのはおかしい。
様々な憶測が男性の頭の中を駆け巡り消えてはまた現れて頭の中を走り始める、鬱陶しそうに天井を見上げふと女性に視線を向けると金色の球と視線がぶつかる。
スッとゆっくり視線を切り包丁のキャベツを切る音が再開する中男性は気を紛らわせるため自分が混乱している元凶に向けて声を発する。
「なにか?」
「いえ…客人が来たのは初めてでしたので如何であっ………ではなく、何か用があったのではないかと思い」
「要はありません」
「そうでしたか…近所づきあいで家に上がり込むのは普通でしたね………」
どこのド田舎の話か、突っ込みたくはあるがあいまいに笑って誤魔化す選択を男性は取った。
男性はそこであらかた察しがついた、もしやいいとこのお嬢様なのではないかと、着ている着物もそうだが物腰も柔らかい、この常識知らずもそうなのではないかと思うが自分で浮かべた仮説をすぐに取り消した。
幾らなんでも不自然なことが多すぎると再度視線を天井に向け、そこから下に向け思慮にふける、ドアが開かないのが一番だが階段から見下ろしたときに見た頭の上にあった何かは見間違いだったのだろうか、急激なストレスで幻聴を見たとするのが一般的であり常識、ならばそうだろうとうなずいたときに明るい黄土色の机の上に野菜炒めとみそ汁に白米が並べられた。
はっきり言って食欲は無いがそうも言ってられないと男性は箸に手を付けて口元に運ぶ、口を開くのをためらっていると横から視線を感じる。
瞳を強くつむり口を開けて中に入れる、劇物でも入っているのかと思うが訪れた味は一般的な野菜炒めの味、特に変わった物は無くどちらかというと家庭的な味で男性好みの濃さだ。
味噌味の野菜炒めに白米が進む中自分の隣から声が届く。
「良かった…お口に合ったようで」
「とても美味しいです、料理が得意なんですね」
「え…そう、でしょうか?」
小首を傾げる仕草が愛らしい、凛とした顔つきに似合わないがそこがよく映えた。
凛々しい成体の黒猫が見せるちょっとした気の抜けた仕草、男性は慌てて目線を切って精一杯冷静を努めて野菜炒めを味わうがそこで違和感を覚える。
今の会話が果たして会話として成立していたのだろうかと、だが先ほどの事を思いそういった独特な雰囲気を持つ女性なのかもしれないと男性は思いなおす。
食事をあらかた片付けて腰を上げる所で気づく、食事を済ませてもドアを開けられなければ意味が無いと。
「あのすみません、ドアを開けてはくれませんか?」
「はい? ドア…ですか?」
不思議そうに食器を洗っていた手を止めて振り返り女性は男性を見やった、目を丸くし何を言っているのか解らない女性に対し男性も普通ならばそうだろうと思い再度伝えたいことを口にする。
「ドアが開けられないんです、あのドア重すぎませんか?」
「そうですか? 私は特に重いとは思いませんが………まぁ、開けられないとおっしゃるのならば開けますが」
泡だらけのスポンジをいったんシンクの中に置き水で両手の泡を洗い落とし上にかけてあった布巾で手を拭くと男性の横を通り過ぎてしまっていた扉を開けて男性に目をやる。
「違います、玄関の方です」
「はぁ、玄関ですか………分かりました」
玄関に向かうときに軽い金属音が鳴り木の軋むあり得ない音が男性の耳に入る。
瞬間的に目を見開き、驚く間もなく隣の女性が素早く扉の方に駆け出す、先ほどまでのおっとりした柔らかい雰囲気が消え去り鋭く速く走り去るのを呆けながら見てその後に扉から身を乗り出して玄関付近に目をやる。
家主の女性と先ほど訪れた女性が何事か小声でささやき合っているのを見て男性は軽く場違いな思いをし、このまま素早く帰ろうと玄関に向け足を進め女性を一瞥し声をかける。
「あのー…玄関を開けてもらえませんか?」
「はい、分かり―」
「いやいやちょっとお兄さん、そんなにすぐ帰ろうとしないで少し話そうよ」
「たぬ…いやお主ちょいと静かにせい、客人が帰ると言うならば返さねばならん」
珍妙な言葉遣いだと女性を見て見られた女性はハッと顔を固くし、数瞬間が空いたときに堅い笑顔で扉に手をかけるがその手を客人である女性が掴み阻止する。
目を見開きそちらをにらみ、口を開けるところで女性は男性を視野に入れ口を一文字に結ぶとゆっくりと口を開く。
「………何のおつもりですか?」
「あはははは!!! おつもりってあんた! キャラづくりが激しいわよ!」
「処すぞ?」
「ちょいちょい落ち着いて………ほら私達が…えーっと、何ていえばいいのかなぁ、そう! お兄さんみたいな人と話すのは大切な事だと思うの」
言っている意味が解らないがまた空気が寒くなるのを感じて男性はどっと冷や汗が体全体から流れ始める、着ている服を濡らし始め言い争いを始める2人から視線を切るために下を向くと男性は思わず叫び声をあげそうになった。
女性の髪が徐々にだが浮かび上がり始めていた、風でも入り込んだのかと思うが自分の肌が風が通り過ぎた事を感じていない、今は感覚が過敏になっているのを男性は感じ取っているため風の感触を逃すことは無いと思い生唾を飲み込む。
漫画やアニメでは良く見る描写ではあるが現実に起こりうるのだろうか、そう思っていた所で気づく、いつの間に周りが静かになったのだろうかと。
汗の量が増す。今まで見たことが無いような汗で出来たシミが下に浮かび上がり、徐々にその面積を増やしていく。
ゆっくりと顔をあげていくと四つの球が男性を迎える。
金色と茶色、どちらにも動きは見られずずっとその場にとどまっている、顔を引きつらせて男性は何とか声を絞り出すことに成功した。
「………あの、何か?」
「いえ、具合が悪そうだったので何かあったのかと…」
「あ、ああそうですね! ちょっと持病が…今すぐ病院に行きますのでドアを開けてもらえませんか?」
「う~ん…調子が悪いならしょうがないなぁ………このまま帰すのも可哀そうだし救急車を呼ぶよ、き………きーちゃん、布団はどこ?」
「二階にあります、持ってきますのでたーちゃんはどこか空いてるお部屋にその方を案内してください」
素早く踵を返す後ろ姿に男性は叫ぶ、あの部屋を見られたら自分はどうなってしまうのか想像すらつかない、もはや警察に連絡されることなど頭の中には無い、この不可解で、不気味で、恐ろしい何かからいかに安全に逃げ出せるかしか頭の中には無い。
「大丈夫そうです! 落ち着いたら収まります! 感覚でそっちだと解りました!!!」
「そう…ですか? 何やら顔色が優れないようですが………何も遠慮することはありませんよ?」
「そうだよ、凄い顔色してるよ? 鏡でも見てみる?」
美女2人から近づかれるなど男性からしたら初めてかもしれない経験、正常な状況ならば喜ぶ余り顔を緩ませるかもしれないが今この時ばかりは男性の顔はますます固くなり顔色を悪くさせる要因にしかならない。
きーちゃんと呼ばれた女性が男性の額に手を優しく置く様に伸ばす、あり得ないがそこから突然首に向けられたらと男性は知らず知らずのうちに奥歯を噛みしめせめてもの抵抗が出来るようポケットに手を入れ指を振るわせながらナイフを掴む。
男性は今や極限状態でまともな思考が出来ていない、勿論2人の女性もそれは見て取れるためなおさら心配し手を額に付ける。
雪の様に白く冷たい手に男性はますます顔色を無くし勢いよく振り返りドアを手に掛ける、勢いよくドアを左右に振るが動くことはない、激しく体を動かす男性の肩に優しく片手が置かれ男性は体を跳ねらせて固まり両手をぶら下げた。
「…落ち着こ? きーちゃん布団は良いから何か暖かい飲み物持ってきて」
「ええ、解りました………お茶は飲めますか?」
「………はい、飲めます」
「それは良かった…お茶には少し凝っておりまして品には自信があるんです、是非楽しんでいってください」
優しく肩に置いた手を下の方に力を向ける女性に従い男性は玄関の段差に腰を下ろす、優しそうに男性を見下ろす女性に目もくれず男性は扉を親の仇と言わんばかりに力強く睨む。
何の変哲もない扉が憎い、この先にさえ良ければ後は全力疾走でこの町から逃げ出せると言うのに扉から出られない限りその夢は実現することが出来ない。
隣からわざとらしい咳払いをする女性に目を移す、その形相のままなので威圧する形になるが女性は表情一つ変えずに男性を見つめる。
「んん! その扉は開けられないよ、結構コツがいるんだよね、君がここに入った時もきーちゃんに開けてもらったでしょ?」
「いえ………」
「えっ?」
「えっ? ………あっ!? いやそうですね!」
不意に顔を崩し女性は顔色を一転させて男性の身なりを上から確認し始める、おしゃれな服装とは言えないがそこを気にしているわけではないことぐらいは男性にも察せられた。
女性の視線が下に付き土足であることを確認すると突然男性の肩を勢いよく掴みこわばった顔のまま男性に向かい先ほどの男性のようにようやく搾り取ったような声を出す。
そんな男性を見て女性は口を開きかけたが無表情になって口を閉じ、軽くため息を吐いて男性がどれだけ力を込めてもびくともしなかった扉を気軽に開けてから手を外に向けて広げた。
「行って良いよ」
「え、あっ、ありがとうございます!」
「いやいやお礼は良いよ。またね」
どこか先程よりも熱を感じない声色で話す女性の言葉を聞き流しながら男性は全力で駆け出して外に飛び出した、そのまま家に帰ろうとしてふと我に返った。
先程まで自分が何をしていたのか思い出せない、前々から目星をつけていた家に入ろうとして、そこから何があったか。
全く思い出せずに男性は空を見上げた、薄黒い空に浮かぶ分厚い雲を見て気分が下がる、しかしこれも自分には良く似合う天気だ。そう思って男性はゆっくりと振り向いた。
男性が調べた限り今住人は家にはいない、それを分かっていたから家に入ろうとしていたはずだ。男性は気を引き締めるために頬を少し強く叩いた。
音が鳴って周りに注目されたくないので音が鳴らない様に気を引き締めてから改めて家の周辺を見回し、窓が割れているのを発見する。
地面にガラスの破片が散りばめられていて空に浮かぶ分厚く薄暗い雲を映し出していた。不用心だなと思いながら男性は窓を開けて家の中に入っていった。
浮かび上がるは球二つ カリカリ唐揚げ @aizawabob
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