どんな生物にもね、できることとできないことがあるんだよ

 アサナの説教が始まってどれほどの時間が経っただろうか。


 やれ食事は活力の源だとか、睡眠を満足にとらないと疲労がたまるだとか、いくら魔法があっても窓から飛び降りたら怪我をするかもしれないだとか、そんなふうなことを彼女は長々と話し続けた。

 

「はあ……。まだまだ言いたいことはあるが、今回はまあいい。説教やらなんやら、ずっと怒り続けるのも疲れた。…………そんなことよりも、だ」

 

 どうやらやっと本題に入るらしい。一体どれだけわたしのことを待たせるのか。

 まったく、貴重な時間を無駄にさせないでほしいものだ。そんな想いを込めてアサナを見ていると、思考を読まれたのか、彼女に鋭く睨まれる。

 

 わたしは咄嗟に目を逸らし、明後日の方向を見やる。その様子に毒気が抜かれたのか、彼女はもう一度大きくため息をつくと、口を開いた。

 

「以前、研究成果を論文にして魔法協会に提出したのは覚えてるか?内容としては魔力の伝導性について、だったか」

 

 魔法協会。

 それは、わたしたち魔法使いの大多数が所属している、魔法という分野における最高権威にして、世界を股にかける国際機関の名称だ。

 

 魔法を一定の水準で扱うことができれば身分や人種を問わず誰でも加入することができ、職や勉学の場、果ては高位の魔法使いならば住居までも、様々な便宜を図ってもらえるのだとか。

 その一方で、協会が一般的な魔法使いたちに求めるものは非常に少なく、魔法に関する論文や道具などを発明した場合それを表に出す前に協会を通すこと、ただそれだけが義務付けられていた。

 

 アサナの言葉を受けて記憶を掘り起こす。彼女は魔力の伝導性について、と言っていた。その分野をメインに研究していたのはいつ頃だったか。たぶん直近のことではないだろう。少なくとも四ヶ月以上前か。

 

 そうやって頭の中で過去を漁り、ようやく該当するものを見つける。

 

「たしか、半年前にアサナにわたした、研究がうまくいかなかったときの論文だったよね。それがどうしたの?」

 

 そう、アサナが話題に出した研究は決して成功とは呼べず、いっそ失敗といってしまった方が正しくすらあった。

 というのも、研究の目的としてはわたしの新しい杖のための素材を見つけることだったのだが、集めたものはどれもわたしには適しておらず、論文の形にまとめるだけまとめて、あとは投げ出してしまったのだ。

 

「あー、それそれ。あれ協会に送ったんだが、お偉いさん方からのウケが良くてな。斬新な着眼点だってことで褒賞をもらったんだ」

 

「ええっ!?あれが!?」

 

 わたしの驚きようを見てか、彼女はこれまでの経緯を説明し始める。

 

「俺も又聞きだが、なんでも、魔力伝導率の低い素材を加工するっていうのはこれまであまり手がつけられていない分野だったらしい。今のところ実用性はないが、これからに期待を込めての褒賞なんだってよ」

 

 アサナの言葉を受けて、なんとなくではあるが納得できた。

 

 大部分の魔法使いたちにとって、杖とは文字通りに自らの生死を左右しかねない大事な相棒だと言える。それはなぜならば、魔法を発動するまでのプロセスに杖を組み込むことによって、消費される魔力を抑えることができるからだ。

 

 わたしには縁遠い、というよりも関係のない世界だが、なんでも最高品質の杖であれば魔力消費を十分の一にまで抑えるものもあるのだとか。そして、そこまでいかなくとも手頃な価格でそれなりの性能をした杖というのは数多く存在する。

 そのため、わざわざ魔力伝導率の低い素材を加工するなどといった採算度外視、いや、確実に赤字になるような研究へバカ真面目に取り組む人物などこれまで現れなかったのだろう。

 

 あの時の論文はわたしにとって中途半端に切り上げたものであり、他者からどう思われるかなど微塵も考えていなかった。

 そんなものが魔法の世界における最高権威である協会に評価され、あまつさえ褒賞までもらえることになるとは、人生何が起こるかわからないものだ。

 

 さて、そうなると気になるのは褒賞の内容だ。


 現金な話、わたしはいつも金欠なのだ。

 

 というのも、アサナからもらえるお小遣いや今回のような協会からの褒賞でそれなりの額を手に入れても、本を買ったり魔法の研究費用に充てたりして、すぐに使い果たしてしまう。

 そのため、彼女に来月分のお小遣いを無心するなんてことはもはや日常茶飯事になってしまっている。


 端的に言ってしまえば、今のわたしは経済的に困窮していた。すでに今月分のお小遣いを使い果たし、貯金も底をつき、来月分のお小遣いを前借りすることは断られてしまうという、まさしく八方塞がりな状況だった。

 

 そんな折、狙ったかのように褒賞がもらえるとなれば、わたしでなくとも期待してしまうだろう。

 

 はやる気持ちを抑え、アサナに尋ねる。

 

「それでそれで、どれくらいもらえたの?」

 

 彼女は小さく笑うと、懐から簡素ながらも膨らんだ巾着袋を取り出し口を開いた。

 

「ほれ、これくらいだ。大事に使えよ」

 

 わたしは一も二もなく巾着袋を受け取り、中身を確かめる。が、そこまで大きな金額は入っておらず、正直にいえば期待外れだった。

 

 そんな思いが表情に出てしまったのか、アサナが小さく笑いながら声をかけてくる。

 

「せっかくもらえたんだからそんな顔するなよ。それに、今回は金以外にももう一つお前あてに届いたものがあってな」

 

 そう口にすると彼女は再び懐を漁り、いささか過剰に装飾のなされた封筒を取り出した。

 

 いかにも格式ばったそれを受け取り表を見やると、一重咲きの花を模した蝋封の下には確かにわたしの名前が、そして差出人として、協立ノウゼン魔法学園の名が記されていた。

 

 ノウゼン魔法学園…………。たしか、魔法協会が魔法使い育成のために設立した教育施設、だったか。

 

 なんでも、魔法使いのための教育施設は世界中に数多く存在するが、ノウゼン魔法学園は協会直属の下部組織ということもあり、他を圧倒するほどに高度な教育を行なっている、らしい。

 なぜらしいなのかといえば、わたし自身あまりそういったものに興味がないため、噂程度にしか学園のことを知らないからだ。いや、興味がないというよりも拒絶しているといった方が正しいか。

 

 …………なんとなく、本当になんとなくなのだが、嫌な予感がした。

 

 ノウゼン魔法学園からの手紙。普段なら特に思うこともなく封を切り、中身を確認していただろう。

 

 だがこの時のわたしは、この手紙の中身を見れば取り返しのつかないことが起きるのではないか、ここが運命の分かれ道なのではないか、理由などなくともそう直感したのだ。

 

 ここで選択を誤れば、きっと、わたしはさらなる地獄を見ることになる。


 ――――ならば、それを防ぐために、何をすれば。


 思考が回る。一瞬のうちにいくつもの未来が思い浮かぶ。どうする、どうすればいい。どうすればわたしは。

 

 そうして、思いつく。この手紙の封を切るその前に、完全に燃やしつくしてしまえばいいのだと。

 

 わたしは自らの懐にある杖にそっと手を伸ばす。

 そして、もう片方の手の内にある手紙を燃やそうと――――

 

「セツ?お前、何しようとしてるんだ?うん??」

 

 ――――した直前、アサナがわたしの灰色の頭に手を置いた。

 

 その手にはとても、とても、力がこもっていた。

 

 彼女の表情はやはり、先ほどと同じように笑顔のままだ。けれど、その目はまったく笑っておらず、今の彼女は、とても、すごく、怖かった。

 

 わたしは愛想笑いを浮かべながら彼女を見やる。


 わたしたちの間には一見朗らかな空気が流れていた。互いに表情は明るく、けれどそこに込められた感情は正反対のもので、わたしは場違いにも今日はたくさん怒られるなーなんて、そんなことを思った。

 

「こんっのバカ!!マジでバカ!!お前手紙燃やそうとしただろ!?バカなの!?ああバカだったわ!!」

 

「やぁーーーーーー!!?割れる割れる割れる!!頭割れちゃうからーー!!」


 アサナの握力は凄まじく、冗談抜きに頭蓋骨が軋んだのではないかというほどの痛みがわたしを襲い、彼女が手を離したころにはすでに虫の息となっていた。

 

 …………というか、今の彼女の行動はいわゆる、でぃーぶい、というやつなのではないだろうか。


 心の中でそんなことを考えるが、今の彼女にそれを指摘したところで意味などなく、むしろ追撃される未来が容易に想像でき、泣き寝入りすることしかできなかった。

 

彼女は大きくため息を吐いた後、わたしが取り落とした手紙を拾い、封を切り、その中身を読み上げ始める。

 

「拝啓、偉大なる魔法使い、セツ殿。…………貴殿の魔法における類稀なる才覚、智見、そして着想、その全てが我ら魔法使いにとって至宝と言っても過言ではありません。故に、貴殿というかけがえのない才の損失を防ぐため、我ら協立ノウゼン魔法学園教職員一同並びに魔法協会職員一同は、貴殿を本学園へ特待生として迎え入れたく存じます。…………他にも長々とああだこうだ書いてはあるが、大筋はそんなところだな」

 

 アサナはそう言うと、地面に横たわったまま再起不能となっているわたしを一瞥し、再びため息を吐いた。


「これが、魔法使いにとっての至宝、ねえ…………。まあ、豚もおだてりゃなんとやらか」

 

「…………うう、誰が豚だー」

 

「お前だお前。……いや、まだ豚の方が人間に近しい生活してるわ」

 

 わたしが気力を振り絞って放った言葉を、彼女はそう言って切り捨てる。

 

「さて、こっから真面目な話だ。ほらさっさと起きろ、セツ」

 

 わたしはアサナの言葉を受け、彼女へ恨みがましい視線を向けながらも姿勢を正す。


 状況を鑑みれば、彼女が口にした真面目な話というのもおおよそ予測することができる。ならば、わたしの返事も決まっていた。

 

「セツ、お前に」

 

「やだ!!」

 

 …………………………………………。

 

 わたしたちの間に、一瞬の沈黙が訪れる。

 

「今年の春か」

 

「やだ!!!」

 

「…………もう一回アイアンクロー喰らうか?」

 

 わたしはお口にチャックをした。


 もう何度目になるかわからないため息の後、アサナが口を開く。

 

「セツ、お前には今年の春からノウゼン魔法学園に通ってもらう。この屋敷から学園までは遠すぎるから、当然、部屋を借りて一人暮らしという形になるだろう。もちろん、お前に拒否権はないからな?」

 

 彼女の声が耳に入り、脳内で形をとり、意味が結びつく。

 意図せず、言葉が漏れた。

 

「アサナ、頭大丈夫?」

 

「…………少なくともテメーよりはな」

 

 アサナは顔をひくつかせながらそう口にした。


 ああ、今の発言はあまり良くなかったか。別に彼女を煽ろうだとか馬鹿にしようなどといった意図はなく、ただ純粋に、思ったことがそのまま口をついて出てしまったのだ。

 

 だって、彼女が口にしたことは、あまりにも――――

 

「わたしが、このわたしが、そんなこと、できると思う?」

 

 ――――現実離れしているのだ。

 

 自慢じゃないが、わたしは自身のコミュニケーション能力を、言葉すら覚えていない赤ちゃんと同等、あるいはボディランゲージがある分僅差で劣る程度だと自負している。


 わたしは初対面の人とまともに話すことなんてできないし、むしろ向き合っただけで泣きそうになる。当然、一人での買い物なんて成功したことなく、それでもやらされた時は毎回泣いているところを保護されてきた。

 

 そんな、生物として欠陥があるといわざるをえないような人物に対して、学園に通え?一人で暮らせ?

 まったくもってちゃんちゃらおかしい。


 できるはずがないのだ。そんな大それたこと。

 

 わたしは彼女に現実を教えようと、優しく声をかける。

 

「アサナ、どんな生物にもね、できることとできないことがあるんだよ。わたしたちがどんなにがんばっても補助がなければ空を飛べないように、息継ぎができなければいずれ溺れてしまうように、どうあってもできないことっていうものは存在するんだよ」

 

「なんでお前ちょっと誇らし気なの…………?」

 

 彼女の言葉を聞き流し、続ける。

 

「わたしにとってのそれが、学園に通うこと、一人暮らしすることなの。少し考えればわかるでしょ?わたしがそんな環境に身を置いたら、遠からず餓死するか、あるいはストレスによって死ぬかのどちらかだっていうことが」

 

「…………どこで育て方間違っちゃったかなー!?」

 

 アサナは自らの額に手をやると、やけっぱちになったかのようにそう叫んだ。

 

 わたしがここまで人嫌いになってしまったのは、彼女の育て方が原因というよりも、たぶん生まれつきの性質によるものだ。そのため、現状のわたしの社会不適合っぷりは誰のせいということもないのだが、彼女自身はその生真面目さ故か、責任を感じているようなのだ。

 

 まったく、難儀な性格をしている。

 

 わたしがそんなことを考えている間に彼女はなんとか持ち直したらしく、心底疲れたような表情で口を開いた。

 

「…………悪いが、今回はいくら泣き叫ぼうとも行ってもらうからな。どうしても嫌だってんなら俺の弟子をやめてこの屋敷から出ていってもらう」

 

 わたしはアサナの発言を受けて目を見開いた。

 彼女が冗談でもなんでもなく本気で言っているのだということが、その表情、声音から伝わってきたのだ。

 

 だが、彼女の要求はあまりにも無謀なものだった。


「アサナはわたしに死ねっていうの!?」

 

「いってねー!!飛躍しすぎだろ!?」

 

 彼女は怒鳴るようにわたしの言葉を否定すると、少しの間をおいて、なぜわたしを魔法学園に通わせようとしているのか、その理由を穏やかに説明し始めた。

 

「…………お前も、もういい年だ。今後独り立ちするか、あるいは俺たちを頼れない状況になるかもしれない。急にそんな状況に放り込まれるよりも、今のうちに予習して心構えができていた方がいいだろ?魔法学園っていう環境は、まさに練習としてうってつけってわけだ」

 

 アサナはそこで一度言葉を切ると、わたしの寝癖と癖毛によってボサボサのショートヘアに手を伸ばし、くしゃりと撫でつけた。

 

「お前が他人のことを恐れているっていうのも十分わかってる。けど、ずっとそのままってわけにもいかないだろ?多少荒療治かもしれないが、ここらで克服しちまおうぜ。なぁに、お前なら大丈夫だよ。なんてったって、この俺の弟子なんだからさ」

 

「アサナ…………」

 

 彼女は先ほどまでとは違う、心底からの微笑みを持ってわたしを見つめ、頷きかけてきた。わたしを勇気付けるかのように、お前ならできると肯定するかのように、その眼差しで語っていた。

 

 彼女は、こんなわたしを本心から信頼してくれているのだ。

 

 ならば、わたしの返答も決まっている。

 

「…………アサナ、わたし!」

 

 彼女の真っ赤な瞳をまっすぐに見つめ、想いよ届けとばかりに声を上げる。

 

「――――わたし、魔法学園に行きたくない!!」

 

 その言葉を受け、アサナは優しい微笑みのままピシリと固まる。

 

「わたし、ずっと死ぬまでこの屋敷から出るつもりないから別に今のままでも気にしないし、アサナの弟子だからってできないことはできないに決まってるじゃん。わたしのこと買い被りすぎ。もっと正当に評価しないと。そういうわけだから、今回の話は縁がなかったってことで適当に返信しておいて。よろしくー」

 

 そこまで口にして、彼女の横を通り抜け再び研究に戻ろうと椅子へ腰掛ける。

 

 いらぬことに時間を使ってしまったが、まあ仕方ない。仮にも家主を無碍にするわけにもいかないだろう。

 そんなことを思いながら羽ペンを手に取りインクへつける。と、そこで羊皮紙の残りが少なくなっていることに気がついく。

 

 振り返り、なぜか未だ固まったままのアサナへ声をかける。

 

「そろそろ羊皮紙なくなりそうだから今度街に行くときにでも買っておいてー。あ、今月もうお金ないからツケで」

 

 言い終わるや否や、彼女は奇声を上げながらわたしに飛びついたのだった。

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